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伝統と格式の《フィデリオ》 [音楽業界]

どういうわけか先月から全曲を舞台で聴くのは3回目、《レオノーレ第3番》に限ればチョン・ミュンフン指揮東フィル、飯守監督指揮東響、メスト社長指揮クリーヴランド管、それにチョン指揮スカラ座管と、2週間毎にゴージャスなライヴ演奏を4回続けて聴いてるというさりげない豪華《フィデリオ》月間が、先程、無事に終了しましたです。

てなわけで、最後を飾る天下のスカラ座の舞台でありますが
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http://www.teatroallascala.org/en/season/2017-2018/opera/fidelio.html
これ、まあ、なんというか、「なるほどねぇ、初台のお客さんは、ヴァーグナー曾孫さんのトンガリ演出なんかじゃなくて、こっちが欲しいんだろうなぁ、ホントは」って感想が全てであります。皮肉でもなんでもなく、ホントにそーゆー感じのもの。

無論、今時ですから所謂「モダン演出」で、マルツェリーナはアイロンかけてるし、ヤッキーノはバスケットボール持って遊んでるし、牢獄の現場ポリツァイ連中は一緒にバスケしたり年寄りはサッカー新聞(だと思う)読んだり。キャストで唯一東フィル演奏会形式と重なったピツァロはどうみても線の細いIT企業社長か賢そうなEUのお役人現場エクゼ。囚人らの動かし方も今時のイベントの現場規制のやり方だし…。

ただ、2幕の地下の暗くてデカい、うち捨てられたアヤシイ空間の感じはなかなかのもので、ああフロレスタンはなんかバランスの悪いヘンなもんでも喰わされて足かせされて運動不足であんなにデブデブになってしまったのかぁ、なぁんて妙な納得したりして。レオノーレのフロレスタン発見の瞬間も、あれだけ広い空間があると、まあああいう認知の仕方になるんだろうなぁ、と納得。フロレスタンが嫁さんが判らないのも、あんなに暗ければねぇ。んで、問題のピツァロの前での名告りの瞬間は、定番の帽子を取って長い髪の毛が出て来るだけだし、ちゃんとピストル出してピツァロの短剣に対峙して「おお、やっぱりトランプ以下銃器所持規制反対派が大喜びする展開かぁ」と思ったら、あっさりピツァロがピストル奪い取って、なんだ玩具じゃ無いか、とぶち壊されちゃう。おおおお、どうなることやらの瞬間、高らかに法務大臣の到着が鳴らされ…

って、つまり、ホントにいかにもな「これぞ伝統と格式の《フィデリオ》じゃ」という鉄板演出。

ただ、この舞台で面白いかったのはこれから。なんせ、東フィルでの上演と同じく、《レオノーレ3番》を最初にやっちゃってるんですよ。で、夫婦が盛り上がり終わるとロッコがドタバタ地下に下りてきて、台詞で状況を手短に説明。と、あっと言う間に上手の壁が破られ、光が入ってきて、作業ヘルメットを被った人々がどどおおおっと雪崩れ込んでくる。

つまり、展開が余りに急で、どっかに逃げてたピツァロも何か手を打つにもなんの術も無く、あれよあれよと状況に流され、牢を破ったらしい囚人が次々雪崩れ込んでくるので動きも取れず、アホ面で法務大臣様に対面せざるを得なくなる。

ことここに至り、やくぺん先生ったら、なるほどぉ、と膝を打ったわけでありまする。今だ語り草、既に歴史になりつつあるあの初台演出(同じボックスに座ったのはニューヨーカーご夫妻で、数週間前に出たトウキョウの新演出の話をしたら、大いに盛り上がってくれましたぁ!)が可能だったのは、ひとえにマーラーのお陰だったのか、ってね。

だって、初台では、あの長大な《レオノーレ第3番》が2幕の場面転換に用いられるというマーラーが始めた習慣があるからこそ、飛び道具無しの無為無策でピツァロに立ち向かったレオオーレはあっさりピツァロの反撃を浴びて射されてしまい、ピツァロはフロレスタン夫妻をブロック積み上げ幽閉してしまい、囚人の中に偽物フロレスタンと偽物レオノーレを用意させる、なんて周到な事実隠匿作業の準備が可能だった。少なくとも15分くらいの時間はあった。なんて賢いんだ、なんて悪辣なんだ、なんて有能なんだ、初台のピツァロ!

残念ながら《レオノーレ第3番》という時間の余裕を与えられていなかったミラノのピツァロさんは、いまどきの役人らしく臨機応変の現場対応が出来ない体質もあったか、なすすべもなくフェルナンド大臣と対面せざるを得ず、どうやら最後は自殺せざるを得なかったみたい(小生の席からはよく見えなかったんですけど、舞台奥に姿を消したあと、ピストルの音のようなものが響きました)。何が降ってるのかよく判らぬ白いものが舞う中、みんな夫婦を讃えあうんだが、ひとりマルツェリーナだけは、状況に納得いかず、レオノーレがゴメンナサイと近寄って来ても拒み、ヤッキーノを放置しひとり不満たっぷりに舞台を去って行く。これだけの事態の急変があると、まあ、全ての人が起きてることに納得出来るわけではない、ということはチョロッと見せてくれる、そこそこは「現代的」な演出でありましたとさ。

上演全体とすると、初日が出て2度目のステージのようだけど、タイトルロール以下、決して万全ではない歌手もいたり(ブーが出るのではないかと心配でした)、最後のチョンさんの大煽りにスカラ座管付いて行く決まったく無しとは言わないが、ま、勢いだけでもってっちゃったみたいなところもあったり、完成度では東フィルの方が高かったかも。ただ、やっぱりスカラ座管は「腐っても鯛」で、冒頭の序曲頭の最弱音のレガートの質感やら、さりげない伴奏の16分音符の刻みやら、もう猛烈に美味しい響きがあちこちで聴こえる。貧乏人の強がりではなく、最初の《レオノーレ第3番》を聴いただけでもう€144という超高額切符のボックス席いちばん奥のもとは取った、と思った次第。

立派な劇場で、立派なセットで、猛烈にゴージャスな響きのオケで、ふつーの《フィデリオ》を聴きたいと思う方は、今からでも遅くないからミラノまでどうぞ。この劇場では有名作品ながら人気が無い出しものらしく、まだまだ切符はいっぱいあるみたいですよ。

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革命家を愛した女の物語~ボンの《アクナトン》 [現代音楽]

「欧州歌劇場でアメリカ70年代傑作を観倒すツアー」の2日目、天下の景勝地ライン河をIC車窓に眺めつつ、余りの糠味噌頭と冷房の無い車内の暑さで、とてもじゃないがやらにゃならん作文原稿をやれぬままにボンに至りました。目的は、この劇場で出ているフィリップ・グラスの「歴史上の天才三部作」のひとつ《アクナトン》を見物するためです。
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http://www.theater-bonn.de/spielplan/gesamt/event/echnaton/vc/Veranstaltung/va/show/

この作品、《浜辺のアインシュタイン》に吃驚したシュトゥットガルトの劇場が「グラスくん、もうちょっとオペラっぽいもんは造れないかね」と頼んで出来たもので、ま、最近の些かルーティーンワーク化した作品はともかく、グラスの音楽・文化史上に意味のある初期作品群の中でも、最も取っつきやすい作品。なんせ、お話は、かのツタンカーメンのパパとしても知られるアメンホテプ4世の「史上初の一神教創設」を、時系列を追って描くだけ。《サティアグラハ》みたいに時系列が入れ替わったり、《浜辺のアインシュタイン》みたいに主人公やタイトルの意味が判らない、なんてのじゃない。オケはヴァイオリンがないだけで、普通。タイトルロールがカウンターテナーなのは70年代には珍しかったかもしれないけど、バロック・オペラ大流行の昨今は別になんてことない。

なにより、20世紀後半から現代に至る「インスタレーション」の全てをやっちゃった《浜辺のアインシュタイン》で開拓された「ダンスと役者の動き、ナレーションを含めた舞台上の総合アートとしてのオペラ」なので、ドイツの劇場のようにオケ、合唱団、俳優、ダンサーが全部揃っているところでは、非常に便利な作品なんですわ。音楽も、昨日のランゴーみたいにオケがそれなりの力が無いとハラホロヒレハレになる後期ロマン派デッカいオケもんじゃなく、リズム処理は面倒くさいけど、通奏低音みたいに同じ音型が繰り返される気楽なものだから聴衆にはまるで抵抗はない。ミニマリズムって、トータルセリーの時代に調性を生き残らせ、セリエリズムや前衛崩壊後に繋げたのだから、歴史的には極めて重要な役割を果たしているんだわなぁ。

ま、そんな一般論はともかく、シュトゥットガルト歌劇場はたまたそれより小さい規模の総合劇場で、それなりに頻繁に新演出が出ている。小生は、恥ずかしながら、所謂メイジャー劇場での上演を眺めたことが無く…ええと、ハイデルベルク
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2014-07-05
グラス歴史偉人三部作を世界で唯一一挙上演したオーストラリアのアデレード
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-13
それから本日、ってくらいかな、実演は。ENOとか、スゴくしっかりした舞台を持ってるんですけど、実演は眺めてません。

さても、本日のボンの舞台、ラウラ・スコッチ(Laura Scozzi)という、恐らくは舞踏系の方の演出だったのだけど、これがまあ、所謂「読み替え」演出の極みのようなものでありました。一言で言えば、「過激な暴力革命家アクナトンの思想に共鳴しちゃった女子高生が、親や学校の先生に反対されながらも革命運動に加わり、アクナトンの妻のひとりになって子どもまで妊み、反革命蜂起の中で殺される」というお話。

おいおいおい、どこが《アクナトン》なんねんっ!

今更現代風の読み替えには吃驚しないやくぺん先生ですが、流石にここまで過激な読み替えってか、ストーリーそのものの変更には、吃驚しましたですよ。尤も、幸か不幸か《アクナトン》という作品がどういうものかを知ってる善きボン市民はそれほどはいないのでしょうから、これはこれと眺めている限り筋は通っている。無論、こんな無茶な設定なんだからあちこち突っ込み処満載、でも「まあ、オペラなんだからそういうことを言ってもしょーがないでしょ」と納得させちゃうだけの力業ではあった。

具体的にどうなってるか、記していけばキリがないんだけど、大きな枠は「ストリートダンスばっかりやってる不良高校生に、世界史の先生がアメンホテプ4世の宗教改革を授業する」というもの。舞台の下手にメトのオーディトリアム出口の辺りに置いてあるようなミイラ棺が立ててあり、授業をやってるうちにそっからアクナトンらが3500年の時をタイムスリップして出て来る(のか?)。ダンサーの女子高生は現代の学校生活とアクナトンの世界を往き来するようなことになる。基本、台本は弄ってません。
世界史の先生は狂言回しの神官やら旅行ガイドの台詞役が置き換わったもので、全部ドイツ語です。生徒達はダンサーで、舞踏シーンは全部こいつらがやります。アクナトンについていく女子高生も舞踏家で、これではコントラルト役のネテルティティになれるんかい、と思ったら、なんとアメンホテプ4世には奥さんがいっぱいいて、そのひとりになるので大丈夫でした(なにが大丈夫なんだか…)。アメンホテプ革命たるや、キム孫含めた世界の指導者を集めたパーティ(イスラム教指導者に豚の丸焼きを食わせてたぞおおおおお!)をマシンガンでの襲撃ですから、どんなもんか判るでしょ。最後の「強者共が夢の跡…」みたいな現代に戻るシーンは、クラスの友達や街の人々、不良になった娘を殴っても止めようとしていた親たちが、崩れ落ちたブロックに潰されたのか、娘の遺骸に花を捧げて涙する、というものであります。おおおおおお…

なんのかんの言うより、ホントは動画であると良いんだが、めっからない。こちらの舞台写真をどうぞ。
http://www.dw.com/en/new-staging-of-philip-glass-akhnaten-equates-monotheism-with-violence/a-42935731

一応、舞台としてはきっちり出来上がっていて、この劇場でこれまでに眺めたいろんな舞台(前の音楽監督の時代にシュレーカーの全作品上演を狙っていたようで、《イーレローエ》とか、まずやられない作品を眺めに来たくらいなんですけど)の中でも、トップクラスに良く出来ていた。これはこれと割り切れば、眺めに来る価値はあります。

正直、いちばん受けていたのは、ストリートダンスなどの動きを中心とした高校生舞踏チーム。こいつら。
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現実的なレベルで演出家さんが狙ったのは、「今時のストリートダンス系、ヒップホップ・ダンス系をプロの舞踏チームに本気でやらせて違和感の無い設定はなんだろうか」というところから考えていって、こういう演出になったんじゃないかしら、と邪推してしまうくらいの立派な出来です。
昨年だかのバーゼルの《サティアグラハ》でも思ったんだが、こういうストリートダンス系の今時の若者がカッコ良いと思うようなダンスって、どんどんオペラハウスに入ってきていて、屡々劇場の前で若い連中が下手くそな踊りを見せつけてるけど、あいつらにタダで見せてやって「オペラってすげええええええ」と吃驚させてやりたいよねぇ、って思う。彼らが€60とか払ってこんなもんを観に来るとは、とても思えないのは残念でありますが。

てなわけで、いろいろと思うところ、考えるところもあり、想像以上に有意義であった「70年代傑作オペラ三連発」の頭一発でありましたとさ。この舞台、来シーズンは出ないみたいだけど、もういっかい頭がちゃんとしてるときに眺めてみたいなぁ。《アクナトン》、来年の今頃、昨年だかに舞踏シーン全部引っぱがした《浜辺のアインシュタイン》というトンデモを出したドルトムントで新演出が出るんだわさ。三部作、やる気なんじゃないかな、あの劇場。

さても、ベートーヴェン生家から50メートル程のトイレ無し安宿で数時間寝て、明日は早朝のLCCでミラノに移動。今回のツアーで唯一の極東からの追っかけもいらっしゃいそうなまともな舞台、チョン・ミュンフン指揮スカラ座の《フィデリオ》です。初台のリベンジ…になるのかぁ?

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ランゴーの時代は来るや? [音楽業界]

「20世紀傑作オペラ観倒し超強行軍ツアー」が始まりました。数時間前にシベリアを越えフランクフルト空港に到着。そのまま地下近郊鉄道駅からSバーンで30分ほど、マイン沿いのフランクフルト市内とは反対に向かい、マイン河がライン河に合流する交通の要地、音楽ファンの皆さんにはあのショット出版社の本拠地として知られ、最近では「ブルグミューラーの街」としても知名度うなぎ登り(なのか?)の、マインツに来ております。

なんでこんなところに来ているかというと、今晩、この劇場でランゴーのオペラ《アンチキリスト》の今シーズン最後の上演があるから。明日、ボンで《アクナトン》があり、最初はデュッセルドフルに到着してノンビリして時差調整をするつもりだったんだけど、こんな妙てけれんな作品を見物する機会はそうそうないですから、飛行機が遅れるとか、半分寝ちゃうとかいうリスク込みで、天井桟敷のいちばん安い券を購入、とにもかくにもあのゴージャスなマーラーちっくな音楽にライブで浸れればもーけもの、って演奏者の皆さんには失礼な客だったわけでありまする。

ともかく、フランクフルト到着が定刻で4時半、開演が7時半ですから、ホント、ダメモトとしか言いようが無い。はい。

幸いにも空港にタッチダウンしたのが4時で、荷物を引っ張ってS8のウィズバーデン行きに乗ったのが5時5分過ぎくらい。ま、あのアホみたいにデカい空港としては良くやってくれた。結果、マインツ中央駅に到着したのが5時半過ぎで、駅前の「ショット通り」先にある宿に荷物を突っ込み、シャワーを浴び、W杯見物屋台村みたいになってる旧市街の真ん中を抜けて、巨人に進撃されちゃったような劇場に到着したのが7時過ぎ。夏至も近い空は、まだまだ夕方とも言えない明るさ。
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さあ、なにやらアヤシげな舞台が始まるぞぉ。
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とにもかくにも席に着こうと階段を上がり、指定の入口に行くと、おねーさんが立ってて、「今日はこっちは開けません。そこの階段を上がって正面の席に行き、適当な空いてる席に座ってね」とのこと。なんなんねん。言われるがままに3階正面に向かうと、なーるほど、W杯の裏番組には地味過ぎる作品、今日はこのくらいの入りなのかぁ。20数万人の都市としては立派すぎる劇場は客席は900だそうだけど、天井桟敷はかなり見下ろす感があり、おそるおそる平土間を覗き込むと…まあ、こんなもんかなぁ、というお客様。こういうもんなのかしらねぇ…

ま、それはそれ、とにもかくにも定時に開演し、睡魔と闘いながら糠味噌状態の脳みそをなんとか機能停止にしないのがやっと。もう起きてることを目で追うのが精一杯なもんで、どんな舞台だったか説明する自身がないんだけど…一応、珍しい体験だけに記録しておきましょうぞ。この作品、音楽は録音で聴く限りマーラーか《グレの歌》か、って感じなんだけど、実際にライブで聴くと、うんとめんどくさくなくしたシュレーカーというか、エルガーのオラトリオの不信心者版というか…ま、だいたい、どんなもんかお判りでしょ。

そもそも、オペラではなくオラトリオみたいなもののようで、つまり、ヘンデルの《イエフタ》とか《メサイア》とか、はたまたバッハの受難曲とか、それこそ《グレの歌》とかを舞台上演することがあるわけですが、そういうもんです。ぶっちゃけ、ストーリーは(本来)ありません。アンチクリストが登場し、いろんな不信心の極みなことをソリストが歌う6つの場面から成っていて、最後はどうやら不信心なことはダメよ、みたいな盛り上がりで終わる(この説明、酷すぎるので、真に受けないように)。

この舞台では、最初にキリスト(の味方の天使?)とアンチクリストが絡み合ってるところから始まり、アンチクリストが「大口叩き」とか「悲観主義」とか「万人の万人に対する闘争」とかを仕掛けてる狂言回しみたいになる。《7つの大罪》みたいなもんですが、あれほどの筋もありません。90分程の2幕というか2部構成で、前半3曲の後に台詞が加えられて、話の枠組を作ってます。あ、ドイツ語版でやってました。

もう、ねむくてしょーがないので、もうこれくらい。結論から言えば、このマーラリアンでゴージャスで、何カ所か圧倒的にキャッチーな部分があり(ちゃんと冒頭と最後が盛り上がる)、それぞれの場面はダンスと役者をあれこれ動かした総合的な舞台で…そうそう、《カルミナ・ブラーナ》の舞台上演みたいなもんですわ。ともかく、アイデアがある演出家ならもういろいろやれるし、なんせ人間のネガティヴな部分を思いっきり出せば良いわけだから、才気煥発を炸裂させ続ければOK、という台本。そして、正にそういう舞台でありました。

昨今、バロックオペラが大流行なのは、演出家にとって緩すぎるストーリーやリアリティ皆無な展開がどうにでも弄れるし、弄らないと格好が付かないから、というところがあるのは否めない。それにもちょっと似た、あんでもありの舞台が可能なテキストで、でも音楽は気楽なバロックじゃなくてみんなが大好きなスーパーゴーーージャスな後期ロマン派のドロドロですから、あなた、これ、流行する可能性、大いにあるわいな。

問題があるとすればデンマーク語の壁なんでしょうが、どうやらドイツ語のテキストがちゃんとあるようなので、なら実質、壁なんて無いに等しい。最初の曲で《大地の歌》みたいに歌手が聞こえない、なんてのも後期ロマン派なら演奏者も客も慣れたもんですし。そうねぇ、昔なら日本初演は若杉弘、って感じだが、今若杉の大野氏よりも、それこそ若様インキネンなんかにうってつけじゃないかしらね。

海胆頭やくぺん先生の周囲はどうやら出演者のお友達ばかりみたいで、今日が楽日だから終わったら打ち上げに繰り出そうぜぃ、って空気が蔓延してて、終演後はやんやの大拍手。
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這いずるように劇場を出れば、夏至も近いラインの畔は、まだまだやっと夕方が始まったばかり。

眠い…もうオシマイ。

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「バランスの良さ」=「踏み込み不足」? [音楽業界]

日生劇場で、なぜかそれなりに話題になっているらしい佐藤美春氏演出の《魔笛》を見物させていただきましたです。
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なにしろ演出家さんはお嫁ちゃんの学校の助教さん、ドラマトゥルク(ブタカンではないんですよねぇ、最近は)はお嫁ちゃんと同じ教授会であれこれ頭抱えてる同僚、キャスト表には小生を育てて下さった編集者さんの娘さんの名前があり、指揮は我らがマエストロ・リチャードN、んでもてオケが錦糸町の皆々様ということで、なんだか知り合いが学祭で上演してるんじゃないかというような顔ぶれなもんで、こんな「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする無責任私設電子壁新聞なんぞに記すくらいなら直接本人に言えばいーでしょーに、って感じなんだが、ま、己に対するメモということで、サラッと記しておきましょうぞ。

今回の《魔笛》、ひとことで感想を記せば、「滅茶苦茶バランスの良い上演」ということになるでしょうねぇ。ホントに「あらゆる意味で」と形容句を付けても全く問題ない程のバランスの良さ。

なんせ、極めて適正な規模の劇場で(アムステルダムとか、シュトゥットガルトとか、フランクフルトとかくらいの大きさじゃあないかしら、入った感じからすると)、極めて適正な額の木戸銭で(最高で€70ですから、正にドイツなんぞの人口20万人くらいの都市の市立劇場と同じくらい!)、ちゃんとしたレベルの歌手や合唱と、ちゃんとしたレベルの指揮と、ちゃんとしたレベルのオケがそれなりにちゃんと音を出し、(最大多数の聴衆にアクセシブルな)ちゃんとした演出をしてくれているわけですから、もうこれ以上何を言うことあろーか、って感じであります。あとは好き嫌いだろうから、勝手に言ってなさい、ってね。

こういう舞台を眺めると、現状追認的に言えば、東京にもちゃんとコミーシュ・オパーとかシティ・オペラとか、はたまたアン・デア・ヴィーン劇場に相当する「バカでっかくて有名な歌手が出る国立劇場」に対するオペラ劇場があって素晴らしいではないか、と激賛する事も出来るわけだが…逆に、初台のナショナルは何をやってるんだか、本来、このプロダクションでやってることの多くは民間資金じゃなく税金使ってやるべきことなんじゃあないかい、と思わざるを得ないこともまた確かでありまして…。うううん、初台問題、奥が深いなぁ。この前の《フィデリオ》だって、あのばかデカい空間じゃなくて、こっちでやれば余程良かったろーに、と思わざるを得ないでありまする。はい。

マエストロN&NJPの、今時の「俺たち古楽やってるぜぇ」系のイケイケ系響きとはまるで異なる、ある意味ちょっと古めのドイツのちっちゃな劇場みたいな音に安心して浸れるこの舞台、やっぱり、いちばんの話題は、演出界の若きホープのひとり、佐藤氏の演出でしょうねぇ。
この方、ENOだとかシュトゥットガルトだとか、師匠筋としてはコンヴィチュニーとか、諸々勉強してきた背景がとても良く判る、やくぺん先生的には極めて好ましいタイプの世界を作って下さる。なんか、「ああ、ENOっぽいなぁ」ってテイストはあちこちに感じられます。師匠譲りと言えば、音楽があろうが無かろうが平気で効果音を突っ込んでくるところなど、誠にコンヴィチュニーちっくでありますし。最後の火と水の試練の所で、猛烈に薄い魔笛の音しか聞こえないような箇所にボコボコ沸いてる水の音などがかなりするのは、気になる人は気になるかも。ま、舞台転換の音が派手にしてなかったのは良かったけど。

どんな内容の舞台で、何を言いたかったかは、もうあちこちでいろんな方が仰ってるようなので、今更どうこう言うつもりはありません。やくぺん先生としては、善し悪しというより、「ああ、若い世代の人が作ってる舞台だなぁ」と思わされました。携帯をギャグに使ってるとかのことじゃなく、なんというか、舞台上の人間関係、人物造形、なにより舞台に飛び交う映像を含めた全体の舞台のテイストがさっぱりスッキリ21世紀のニッポン。タミーノが民野さんだったりするんじゃないけどさ、ああ、これは今のニッポン国だわなぁ、ってね。

土曜日に見物したうちのお嫁ちゃんなど、背景に飛び交う映像などは「化物語」のシャフトっぽさを感じたと申してるけど、ま、確かにそうかもね。そう言われて眺めたもんで、「なんか新房監督シャフトで《魔笛》をまんまアニメ化してくれたら、これ、なかなかいけるんじゃね」と何度か思ってしまったぞ(タミーノの正義感って、確かにアララギ君っぽい薄っぺらさだもん)。恐らくそういう世代が映像なんぞを作ってるんでしょうねぇ。

おっと、もといもとい。本日の公演、終演後に演出家さんとドラマトゥルクさんがまるでここは上野の研究室か、って感じの気楽なトークをなさって下さりまして、見物せぬわけにいかんだろーなー、と眺めて参ったのであります。んで、これを聞いたが故に、かえっていろいろ考えてしまった。
というのも、舞台を観ている限りは、「ああ、この演出家さん、もうひとつ突っ込んではっきり示せるのに、一歩手前で言い切らないくらいにしてるんだろうなぁ」と思っていたいろんなあれやこれやが、言葉の形で語られてしまった。そうなると、聴衆とすれば、「なんだ、そこまではっきり言いたいことがあったんだったら、要は演出の力不足ってことだったのか」と思ってしまいかねない。かねない、なんてぼやかした言い方をしているのは、その辺りの微妙なバランスが舞台の制作過程を眺めていないと判らないから。

例えば、今回の舞台、演奏する側からすれば相当イヤな、ってか、困る場面があります。どことは敢えて言いませんが、1幕と2幕にあったギミックです。それに対しては、オケマンの方から随分と文句の声が出ていた。そういう現場で起きてくる「自分の意図を伝えるためにやりたいけれど、現場がそれは出来ないという」という事態を前にしたときに、果たしてこの演出家さんがどういう動きをしたのか。老獪さというのは、そういう瞬間に対応する手札がいっぱいあることなんだろうが、そういう意味での老獪さなんぞが備わってるわけがない。そこでどういう駆け引きをし、結果として中途半端と思われないところにどう落とし込んでくか、その辺りの力関係や人への働きかけはどんなもんだったんじゃろーか?

そういう部分を含め、いろんな意味で「バランスが良い」としか言いようのない舞台であった、ということ。

勿論、そういうバランスを敢えて崩すような演出をするというもの、若いが故の特権でありましょう。先頃の二期会のちょっと始末に困る《ローエングリン》みたいな、明らかにオペラを演出する技術面ではシロートのアーティストが、やりたい意欲だけで突っ走り、あっちこっちに穴がボコボコ、突っ込みどころ満載、矛盾だらけ、なんてのもあり得るわけですから。

佐藤氏にちゃんとしたオペラ演出家としての資質はきちんとあり、纏める力もあることは判った。次はなにか無茶をやって欲しいなぁ。破綻を食い止める強引な力業、ってのは師匠のお家芸なわけですから。

なんだか隔靴掻痒、「〇〇ではあるまいかと思わないのでもないのだがいかがなものであろーか」みたいな話になってるなぁ。いやはや。

さて次は、いよいよ明後日からのツアーのハイライトたる《中国のニクソン》で、佐藤氏と並ぶ若手演出界のホープ菅尾友氏が登場でありまする。秋には日生で《コシ》をやるわけで、正に「次のバッター」(監督、かな)でんな。佐藤氏はやたらと慶応ワグネル応援団が客席に来てたけど、菅尾氏はなんとあたくしめやお嫁ちゃんの後輩なんだわなぁ。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/interviews/global-alumni/Tomo-Sugao.html
本日の演出家の盟友ったら、なんと21世紀の卒業かぁ…←遠い眼。カーテンコールで合唱団の前にしんしょう先生がお立ちに成られていたのには感動したんだけどねぇ。

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著者はどこまで趣味を主張できるのか [お詫びと訂正]

以下、愚痴ですので、読むべき内容はまるでありません。余程の暇人以外、読んでも何も得ることはありませんよ。

先程、先週に横浜盲学校を訪れてからダラダラと続いていた取材がやっと終わり、使用写真の許諾が面倒くさい対象なんで少しでも早く200ショットを越える写真データを編集者さんに渡すべく、池袋から神楽坂某出版社に周り、土曜夕方でも唯一働いていた編集長氏に託してまいりましたです。そのついでに、来週の月曜日に書店に並ぶ月刊誌最新号を、明日の《魔笛》会場で指揮者N氏に渡さねばならぬので一冊受け取り、ダラダラと坂を下りて地下鉄に乗り、さても新人担当編集者さんの最初のお仕事の手際はどんなもんじゃろかのぉ、とページを開き、おおおおおし、ちゃんとカメラマンさんのクレジットは落ちてないな、と一安心し、本文を眺めだして…

腰をぬかしました。

んで、以下、「お詫びと訂正」です。事実関係の間違いではないので、正確にはお詫びでも訂正でもないのだけど、ともかく、やくぺん先生とすれば空いた車内で思わずアッと声を挙げてしまったくらいの吃驚でありました。

明後日月曜日に全国書店に並ぶ予定の「音楽の友」誌7月号49ページの本文1段目前から13行目、やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿、ってか、やくぺん先生の世間としての「外の人」がやらせていただいている商売原稿に、「私の館内あちこちを巡る1日がスタート。」と記してあります。

これ、「私の」という一人称単数、あたくしめは記しておりません。編集さんが加えたものです。

ああそうですか、だからなんじゃい、と全ての方がお思いでしょうけど、これ、小生とすれば驚天動地のことなんですわ。何を隠そう、1980年代の終わり頃から商売で作文をするようになって以来、web原稿を含め少なくとも「雑誌」という媒体で発表した商売作文で、小生は一人称単数の「私」という言葉を用いたことは一度もありません。意図的に使わない言葉なのです。

例外的に用いたのは、記憶にある限り、単行本『ホールに音が刻まれるとき』(ぎょうせい、2001年)の一箇所で、どうしても作文構成上の問題から一人称単数を出さざるを得ないことになり、そこで使ったことがあるくらい。そのときも、「私」ではなく「筆者」だか「著者」だかだったと思うけど、今、現物が手元にないので調べられない。

とにもかくにも、この類いの原稿では絶対に小生はやらないことであります。なんでやらないかとなると、「やくぺん先生三文文章読本」が書ける話なんで、とてもこんな無責任電子壁新聞でやることではないけど、少なくともここで「私」が入ってしまうと、本来は文体を全部変えねばならない(具体的には、語尾を変えねばならない)。そんなことしたら、そもそもパツパツの字数でやってるこの類いの作文、とてもじゃないが字数がうんと減ってしまう。…ま、趣味と言えばそれまでと思っていただいても結構でありまする。

ええ、まさかまだまだ読んでらっしゃる方は、「そんなもの校正チェックでなんとでもなるだろう」と思うでしょ。ところがどっこい、我が業界の「雑誌」という媒体は、校正チェックなどないのが常識なのです。精密な校正をやらせていただける雑誌は、著者名を意図的に出さない特殊な媒体くらい。つまり、書き手は基本的に原稿を入れたらその先はどうなるか、編集者様次第なんです。でも、責任を取るのはこっち。愚痴じゃなくて、事実だから仕方ない。

今回の失敗は、新人さんだったのでともかくどういう風にするか好きにやらせてみようと、「貴方は編集者さんで書き手よりも偉いんだから、全部そちらにお任せします」と気楽に言ってしまったことにある。だから、文句が言える筋合いではないのでありまする。そんなことは百も承知なんだけど…まさか、こういう形の手の入れ方があるとは想像だにしなかったなぁ。ふううう…

以上、繰り返しますが、悪いのは小生で、編集者さんを非難しているのではありません。そこは、誤解無きよう。彼女は一生懸命頑張って、綺麗な記事を作ろうとしたのでありましょう。実際、マエストロNはどうお考えになるかは判らぬが、綺麗なページに仕上がったことは確かで、カメラマンさんも喜んでくれると思いますし。

てなわけで、この作文が意味があるのは…本気でプロの書き手になりたいという夢をお持ちの方くらいかなぁ。これが三文売文業者の現実なのじゃよ。善し悪しではなく。

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日本フィルはシェフの田舎でシベリウスを弾くのだ! [音楽業界]

「音楽業界」というより、「たびの空」っぽい御題だなぁ。

今、都内某所で日本フィルの首席指揮者インキネン氏の契約2年間延長記者会見がありました。
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あんまりオーケストラ関係は近寄らない小生でありますが、なんせ震災&原発事故直後に日本を逃れる外国人に混じって香港フェスティバルに招聘されていた楽団と共に南に向かい、殆ど深圳のローカル地区の学校までアウトリーチしたり、マエストロのメルボルン《リング》に付き合ったりしちゃったもんで、こういうときにはお声がかかるわけですわ。

んで、この先の2020年に向けてのベートーヴェン・チクルスやら、プチ・ドヴォルザーク選などについては、他の同業者の皆さんがなんのかんのあちこちにお書きになるでしょうから、それはそれ。ツアー担当(?)のやくぺん先生とすれば、そっちの話をしましょうか。

今回、「日本フィンランド国交150年記念&渡邉暁雄生誕100年記念」の欧州ツアー、IMGの差配で独墺英のなかなか微妙に興味深いところをまわるのだけど、その最初に到着し演奏するのは、なんとまぁ、フィンランドだそうな。期間は、来年のなんとも遅いイースターの前、4月の頭から半ば。まずは4月2日にヘルシンキで演奏し、翌日はコウヴォラという東に150キロくらいの街に向かいます。ペテルスブルクとヘルシンキの中間辺りの交通の要地だそうだが、そんなことより大事なのは、ここが我らがマエストロ・インキネンがお生まれになり、お育ちになった田舎だ、ということ。

記者会見にはなか切れ者そうな女性市長なんかもヴィデオでメッセージを送りつけてくれちゃって、我が街のマエストロを盛りあげてくれる…のかな。この街で披露するのは、まだ協奏曲は判らないけど、ラウタヴァーラが最後に書いた管弦楽曲に始まり、協奏曲があって、武満の《弦楽のためのレクイエム》、そしてメインは何と何と、シベリウスの交響曲第2番でありますっ!

あなたっ、シベリア挟んで隣といえばそれまでだが、遙か極東の島国のオーケストラがフィンランドまで出かけて、しべにやるんですよおおおお!これって、朝比奈御大率いる大フィルがザンクト・フロリアン教会でブルックナーの7番を演奏したツアーの盛り上がりに匹敵するものが、日フィルを支える人達の間で巻き起こってもええんでないかいって話じゃあありませんかぁ!ヴィーンのコンツェルトハウスで弾くなんてのよりも、よっぽど大騒ぎでんがなぁ。いくら渡邉暁雄で鍛えられ、世界で最初にデジタル録音のシベリウス交響曲全集を作った(という記述がセットものレコード出た時にあったような)それなりに演奏歴がある団体とはいえ、モロに「乗り込む」わけですからねぇ。

ちなみに、初日のアウェイ中のアウェイたるヘルシンキも、やっぱりメインはしべにだそうな。監督も地元で実力を見られる、きっつい闘いになるのだろーなー。

ちょっと心配になったので、質疑応答時間に恐る恐る手を挙げ、「あのぉ、アホな質問なんですが、外国のオーケストラがフィンランドに来てシベリウスを弾く、ってのはよくあることなんですかぁ?」とマエストロに尋ねたですよ。はい。

ったらマエストロ、応えて曰く、「勉強不足でデータは判らないですが、私が知ってる事例としては、ヴィーンフィルがマゼールさんでヘルシンキに来てシベリウスを3曲を演奏する、という演奏会がありました。そのときは、マゼールさんが急病でキャンセルになり、たまたま休暇でフィンランドにいたオラモ・サカリさんが呼ばれて、練習無しで代役に立ちました。それで覚えている」とのこと。

世界中のオケがフィンランドにやってきてシベリウス詣でをしているかどうかは、残念ながら判りません。でも、いずれせよ、ちょっと特別なツアーに成らざるを得ない。ヴィーンでベートーヴェン弾くのとは、地元の見方も違うだろうしねぇ。ホントはもっと心配なのは財政的な部分なのだが、それはまたいずれ、ということみたい。とにもかくにも、響け渡邉暁雄の遺伝子、フィンランドのたびの空へ!

やくぺん先生も無論来ますよねぇ…って空気は、なんなんじゃぁああ…

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上海夏の陣 [弦楽四重奏]

上海響からリリースが来たので、まんま貼り付けます。金にならん仕事ばかりでバタバタ忙しいので、情報のみで失礼。

今世紀に10年代に入り、アジア各地で「世界でいちばん賞金額が高いヴァイオリン・コンクール」を謳う大会が次々と始まっております。シンガポールのヤン・シュトウ音楽院で始まった奴が、あっと言う間に上海の大会に賞金額で追い抜かれたわけでありまして、この類いのやり方は「世界一高いビル」競争と同じだわなぁ、と思わんでもないが…

てなわけで、第一回は日本のお嬢さんが優勝した(けど、何故かそんなに日本ではメディアの話題にもならなかった…)アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールの第2回目が無事に開催されまする。こちら。
http://www.shcompetition.com/en/index.html

まあ、あとは勝手にご覧下さい、と言えばオシマイなんだけど、せっかくだからサラッと中を眺めておくと、やっぱり気になる審査員でありますね。スターン息子がいちばん上に出て来るのは当然として、かの「中国のカラヤン」ロン・ユー夫人、そしてブロン御大。元ニューヨークフィルの伝説のコンマスたるディクトローさんが来ているのは、上海響とNYPの関係を考えれば当然の選択でしょう。デュメイやらヴェンゲーロフやら、何だか妙に近しい名前も並ぶし。フィリップ・セッツァー氏が加わってるのも重厚感があるなぁ。

上海Qのウェイガンが加わっているのは、セッツァー氏と同じ後述の理由だろうし、無論、上海響レギュラーゲストコンマスという役職がある。でもそれだけではなく、かの名高いドキュメンタリー『Mao to Mozart』でスターンが教えている「中国の天才少年李兄弟」のひとりだからなのでしょうねぇ。今や歴史なんだなぁ、シャンの連中も。

んで、この大会の最大のポイントは、こちら。プレスリリースからまんま引っ張り出すと

The Semi-Finals will still feature a chamber music round consisting of three sections – the string quartet in which contestant will perform as the first violinist with Yi-Wen Jiang, Honggang Li and Nicholas Tzavaras from the Shanghai Quartet;sonatas and Kreisler’s works; and Mozart concerto with originally improvised cadenza.

要は、参加者はセミファイナルでウェイガンに替わって上海Qの第1ヴァイオリンとして演奏せねばならないんでありますよっ!当稿のカテゴリーが「音楽業界」じゃなくて「弦楽四重奏」なのは、それが理由なのでありますっ。

てなわけで、8月の上海、いこうかどうか悩んでます。同じ頃にハノイに…という話もありまして。

とにかく、そこに至るまで4万マイルを動かねばならない我が身、ま、近付いたら考えましょ。

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中止もまたチャンスオペレーションなりや? [現代音楽]

朝から遙か赤道下の島での半島の戦争を終わらせる会談の様子を眺め、先週の木曜日から本日までの6日間にベートーヴェンとバルトークの弦楽四重奏全曲を聴くという旧約聖書と新約聖書を一機読破するみたいなアホ極まりないイベントを終え(《セリオーソ》は裏のオケ版《大フーガ》に行ってしまったので、総天然色映画版「ヨブ記」を眺めにいっちゃって「エゼキエル書」と「ダニエル書」を読み落としちゃった、ってな感じだけど…)、もう前頭葉ほぼ崩壊状態。対岸に米軍港に上陸用舟艇眺めるYokohamaからフラフラになって深夜前に湾岸縦長屋に辿り着き、ぶっ倒れる前にメールくらいチェックしておかねばと画面を開けたら(意図的に商売用メインアドレスはiPhoneでは拾えないようにしてありまする)、疲労に追い打ちをかけるような、まるでマーラー第6番終楽章の三つ目のハンマーみたいな、悲惨極まりないオソロシー連絡が遙かブラウンシュヴァイクから入っておりました。ええい、貼り付けてしまええええ、ペとっ!

Dear やくぺん先生.
You booked two tickets for Europeras on June 23rd and 24th, 2018.
Unfortunately, the performance of ‘Europeras 1 & 2’ on June 24th, 2018 is cancelled and will not take place (tickets for June 23rd remain valid).

I can offer you to rebook your ticket to another show e.g. Originale on June 24th, 18:00h, Kleines Haus.
But you can also return your ticket at the ticket counter of Großes Haus / Staatstheater Braunschweig, open Sa 10:00 – 18:30h.

Please let me know, if your prefer a refund of the ticket price or if you like to see another show.

Yours sincerely
K.Wiegand
Besucherservice

Staatstheater Braunschweig
Am Theater │38100 Braunschweig
Telefon: 0531 1234 567
Fax: 0531 1234 570
besucherservice@staatstheater-braunschweig.de

ええええええ…

一瞬、《ユーロペラ1&2》の公演がとんだのかと頭がクラクラしましたが、余りに疲労していてまさか読み間違えたのではあるまいともう一度じっくり眺めると、「23日と24日の《ユーロペラ1&2》の日曜日の方の公演は中止になりました。23日はちゃんとやります。24日は《ユーロペラ》は中止するけど、シュトックハウゼンの《コンタクテ》の音楽を用いたフルクサス・アクションなんぞをやるけど、そっちに振り替えることも出来るぞ」ということ。

うううううん、なんだかわけわからずに、ともかく劇場のページを眺めたら、23日のケージ御大はちゃんと告知があるし、どうもやるようだ。んで、念のためにチケットを眺めてみたら…なんとまぁ、やくぺん先生が慌てて購入した数週間前から今に至るまでに、券売が殆ど進んでないじゃあないの。

ううううううううううううううん、そーゆーこーとなのか…なぁ…

吃驚や呆れを通り越し、なんだか劇場というか、この現代音楽祭主催社側が可哀想になってきたぞ。ちなみに、現代音楽祭そのものはこういうもの。ものすごく宣伝してあげたくなってきました。
http://staatstheater-braunschweig.de/produktion/notes-festival-fuer-zeitgenoessische-musik-347/

6月21日から27日までブラウンシュヴァイク歌劇場で開催され、21日から24日に小劇場でシュトックハウゼン《コンタクテ》付きのオリジナルのフルクサス・アクション、22日は大劇場でシャリーノの《La porta della legge》とワイルの《7つの大罪》、23日にはシンポジウムがあり、んで23,24日が音楽祭ハイライトの《ユーロペラ1&2》。26、27日にはルチア・ロンチェッティのモノオペラ再演でオシマイ。

うううん、フルクサスねえ…。なんか、今世紀になって初めて口にしたような気がするなぁ。

正直、あの類いを座って眺めさせられるのは結構しんどいなぁ。貴重な機会という考えもあるけど、ホントのオリジナルのリバイバルみたいなものならともかく(そういえばシンガポールに行く直前にオノヨーコ女史の最初のご主人様のお姿を眺めましたが、もうあの世代は歴史として祭り上げられる世代なんですよねぇ…)、フルクサスをもとに今のヨーロッパの若いアーティストが…ってやり方、よくあるといえばよくあるんだけど、どうにも「歴史的な価値の検証」なのか「俺たちはこうやりたい」なのか、ぶっちゃけ、殆ど後者みたいなもんで、「あーそーですかぁ、頑張ってね」で終わることが多い。現代アートの99%がそうで、実はアートは昔からそうで、その1%が歴史に耐えて生き残ってきているだけのことだから(今回のツアーでも、ブラウンシュヴァイクに入る前にエッセンでマルシュナーの《ハンス・ハインリッヒ》を眺めようかと思いましたっけ。ヴァーグナーをちゃんと知るには、押さえておかなきゃならんとは理解しつつ、付き合うのはしんどいですわなぁ、この類いは)それはそれでしょーがないんだけど、

んで、一瞬悩んで、ともかくチケットはリファンドで御願いします、という返事を劇場に出した次第。ってのも、この日、ライプツィヒで《ルル》があるというので、深夜2時過ぎに戻ってくることになるけど、日帰り往復出来なくはない。申し訳ないが、やっぱりそっちだろーに。

なんであれ、こういうことはある。敢えて芸術祭と劇場のディレクターさんたちに、フェスティバルを続けるための苦渋の選択を英断と讃えることにいたしましょうぞ。

「24日の公演は、チャンスオペレーション作業の結果、全ての幕はやらないことになりました」って発表すれば良かったのにねぇ。みんな絶対、納得するぞ、それで。

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