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河野俊達氏逝去 [演奏家]

些か旧聞に属しますが、先ほどある方からの連絡で知ったので、記します。

去る1月6日、ヴィオラ奏者の河野俊達さんがお亡くなりになったそうです。90歳、大往生と言ってもいいでしょう。

斉藤秀雄が子供のための音楽教室を立ち上げたときに、斉藤先生がやれないヴァイオリンの現場を実質上統括なさった。結果として、子供のための音楽教室から桐朋学園初期にこの場所に関わった子供たちとすれば、いちばん厳しい現場の先生になった。

日本フィルの立ち上げにヴィオラ首席として参加し、ニュー・ミュージックQの同僚ダヴィッド・ソイヤーと美人ハープ奏者を奪い合って敗れ、傷心を癒やすべく遥か日本なんぞへコンマスやりにやってきて下さった室内楽の鉄人ブロダス・アール氏や、後に巌本真理Qを実質的に率いることになる黒沼俊夫氏らと共に、それまで日本にはなかったドイツ系とはちょっと異なる当時最先端の室内楽をやった。来日したベニー・グッドマンには、「ここに来る前に室内楽を録音したボストン響の連中よりも凄いぞ」と言わせた。

アール氏の帰国と共に日本を離れ渡米。アメリカ合衆国にやってきたやんちゃ者の小澤征爾がスピード違反で捕まったときに身元引き受けに行ったという逸話もある。あちこちのオーケストラを経験し、最後はミッシャ・シュナイダーの遺産が遺るバッファローに落ち着き、バッファローフィルのヴィオラ席からアシスタント指揮者になった若い大植英次の姿を冷静に眺める。小生がバッファローのお宅を訪問したとき、まだこれは秘密なんだけどオオウエって若い指揮者がミネソタ管に大抜擢されたんだよ、こいつはオザワのサンフランシスコのとき以来の快挙だ、と大喜びなさってた。

ご隠居後は、お嬢さんがフルート奏者を務めるナショナル管があるワシントンDC郊外にお住まいになって、悠々自適の生活をなさり、サイトウキネン管がアメリカ・ツアーをするときにはわざわざカーネギーホールまで出て来て、優しい、でも凄く厳しい目で、舞台上に並ぶかつての教え子の娘たちを眺めていらっしゃった。

最期にお会いしたのはいつのことだったか。翌日がブッシュの大統領就任式、ってときだったかしら。そう、「この大統領は、必ず戦争しますよ」って繰り返してたっけ。ホントに、その通りになった。

書き出せばキリがない。もの凄く厳しいオケマンだった頃は知らないが、小生には「音楽家として生きる」とはどういうことなのか、様々に教えてくれた方でした。

どこからどうみてもアメリカンな爺さんなんだけど、「僕は日本人で、必ず最後は日本に帰りますよ」といつも仰ってた。四九日が過ぎたら、お骨になって日本にお戻りになるそうです。

ご関心の方は、この著作をお読みあれ。
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http://www.amazon.co.jp/%E7%84%BC%E3%81%91%E8%B7%A1%E3%81%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%81%8C%E8%81%9E%E3%81%93%E3%81%88%E3%82%8B-%E6%B2%B3%E9%87%8E-%E4%BF%8A%E9%81%94/dp/4636209427

合掌

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元I嬢

ご冥福をお祈りします。
by 元I嬢 (2013-02-11 10:02) 

上野のおぢさん

先生、毎度です。
かつて新日フィルが主に演奏していたTBSの「オーケストラがやってきた!」に小澤氏がアイザック・スターンをゲストでつれてきてモーツァルトの「ハフナー・セレナード」~ロンドを演奏して拍手喝采でした。それを聴いていた私の父が「アールの方が、はるかにいいね。」と言っていました。父が日フィルに在籍したいた頃、アールが居たり、イスラエル・フィルのチェロ奏者だった外人がいたりして本当にいい音だったと言っておりました。

懐かしいですね。
by 上野のおぢさん (2013-02-13 07:55) 

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