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世界のどこにでも持って行ける演出 [音楽業界]

浜大津駅上の安ビジネスホテルにおります。薄ボンヤリした曇り空の夕暮れ、やっぱり帝都よりも京周辺はちょっとだけ経度が西だけに日暮れが遅いのか、それとももうお彼岸も近い春なのか。

まるであらゆる人が遙々琵琶湖畔までやって来たんじゃないかというくらい知り合い濃度の高いびわ湖ホール、鳴り物入りで始まった《リング》サイクル序夜の2日目(って、2公演しかないんだけどさ)見物でありました。
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税金終えて、明日から関西でいくつか記者会見を掛け持ちする国内ツアーの連絡なり何なりしてたら、なんのかんので睡眠時間2時間程度になってしまい、もうボー然とした海胆頭で目の前通り過ぎるマラソンランナーの姿になんか1週間時間がまたズレたのかと妙なデジャビュ感抱えつつ湖畔のハウスに至り、いろんな方に挨拶し、天井桟敷近くに座って2時間半。ねるなぁ、ねるなぁあと唱えつつ頑張った次第。

流石にあちこちでちょっと寝たけど、ま、いちおう、ちゃんと見物したです。というわけで、飯食いに行ってビールでも吞んで忘れちゃう前に、慌てて今見物して来た舞台の感想とも言えぬ感想。劇場から浜大津駅まで、葛飾のオペラ関係研究者さん(と敢えて言おう!拉麺研究者さんとは言いませぬ)と道々話してきたことを、記しておきますです。

ええ、一言で言えば「世界のどこの劇場に持って行ってもOKな、極めてユニヴァーサルな演出」でありました。びわ湖ホールの方には、「これ、演出、舞台装置、衣装、グラフィックのトータルパッケージで一千万円で売りに出して稼ぐべきでしょう!」と本気で言いたいぞ。地面が割れてエルダが出て来たりするところはびわ湖じゃないとやれないのかなぁ、どうなんだろーか。

あれだけいろんな人がいたんだから、恐らくあちこちの日本語文化圏オペラ感想サイトなどで大いに話題になっているでありましょうが、この演出、要は「ヴァーグナーの無茶なト書きを、21世紀初頭の様々な舞台技術を総動員して可能な限り忠実に具現化しました」ってものです。もう、「で、なんか文句あるの」と開き直られたら返す言葉もない、ホントにまんまな舞台。ラインの川底で乙女達が泳ぎ歌い(ホントです)、神々の倍くらいの巨人が出現し(ホントです)、ドンナーは群雲を集め雷で舞台いっぱいに雷鳴を走らせ(ホントです)、フローは遙か夕日に光るヴァルハラに向けて巨大な虹の橋を投げ(ホントです)、神様たちは虹の橋を渡って入場していきます(ホントです)。今を去ること40数年前、カラヤンがザルツブルクの《リング》サイクルを映像収録するときに「ディズニーに相談した」という話が伝えられているけど、正にあのギュンター・シュナイダー・ジームセンの懐かしいというか、古色蒼然たる装置の画面がそのまま舞台に写されたような、天下のカラヤンが出来なかったことを、まさかまさかのびわ湖でそれなりに実現しちゃったやんけー、って舞台。

「巨大なドラゴンに変身する」と書いてあるのだから、ホントに舞台に巨大ドラゴンが出て来て、ローゲは怯えたりします。「巨大なドラゴンを出したいけど出せるわけない。じゃあ、このドラゴンとはどういう意味なのか考えてみようではないか。あれこれあれこれ、なるほど、だからこれこれ…」という類いの(知的な、とまではいわないけど)プロセスは一切ありません。まんま、バカでっかいドラゴンが出る。それだけ。全てその調子。無論、「ここでドラゴンになるのは暴力の象徴であるからどーのこーの…」とか、「つまるところ細長くてのたうつドラゴンとは男性外部生殖器の象徴なのであって…」とか、そんなめんどーなことは一切いわない。

だからこそ、この舞台、どんな国のどんなオペラハウスにも持って行ける。ト書きにある通りなんだもん、政治的なコノテーションもなければ、象徴的な意味づけもない。その意味では、これほど普遍的な《リング》演出もない。

いやぁ、最初は唖然としておくちあんぐりだったけど、ここまでやられると、途中からはもう、さてどこまでやってくれるかを眺めてやろーじゃないの、という気になってきましたね。

唯一の「解釈」があったのは、これはまあもうやらない舞台なんでネタバレもないでしょうから記しますと、ヴォータンの最後の”Abendlich strahlt der Sonne Auge”で、最初にノートゥングのテーマ(の原型、なのかな)が響くところ。これまでやくぺん先生が眺めたどの演出でも「ここでヴォータンはこの先のアルベリヒとの闘いについて構想を練り始め、ノートゥングやヴァルキューレのことが脳裏に浮かんで来たのだ」という風に解釈しているわけですが、なんとまあ、まるで《ヴァルキューレ》1幕のノートゥング引っこ抜きを先取るかのように、エルダが消えていった大地に手を突っ込んだヴォータンが、やおらひと振りの刀を引っ張り出してくるのであります!で、そいつを懐に収め、虹の橋を渡っていく。かくてこの名剣が、息子へと渡され…。

へええええ、でんなぁ。ノートゥングが他の剣とは異なる特殊性は、なんとエルダに由来しているのかぁ、そんな話聞いたことないぞぉ、ってビックリ。なお、この部分に関しては、遙々モントリオールから見物に来ていたR.M氏は「あれはダメ」と一刀両断でありました。ま、この意図的にト書き通りの演出の中で、ちょっと浮いているといえば浮いてる部分であったことは確かですけどねぇ。あたしゃ、なーるほど、と思ったです。

冗談じゃなく言うのだが、初台のナショナル・シアターでやってる「新演出」引っ込めて、こっちを出すべきでありましょうね。これが今、日本国で作れる最も意味のある《リング》。どっかで作られた出来合いの借り物なんぞ「新演出」というより、「俺にはなーんにもわかんないから、ともかくやれる限りヴァーグナーの仰る通りにやります」という方がどれだけ潔いことか。

中国の田舎に新しくつくっちゃった劇場とか、買ってくれないかしら、この演出。

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行きました 

私も同感なのですが、
これ、オケとかがしょぼいと、退屈きわなりなくなると思うんですよね。
京響が世界レベルだとは言いませんが、
そこそこのオケと歌手が使えない劇場でこの演出だと、辛いのではないかと思うのですが。 
逆に、かなりのオケが使える立派な劇場は、日本からプロダクションを買うとも思えませんし。
by 行きました  (2017-03-07 11:23) 

Yakupen

行きましたさま

オケに関しては、いろいろと終演後もみんな勝手なことを言っていたんですが、流石に書く人はいないみたいですね。仰る通り、この演出、これであとはブランドオケで滅茶苦茶ギャラの高い歌手が出てれば完璧、という声は多くありました。
今は世界中のインテンダントがあっちこっち見てますから、マジ、案外、買いたいという声はあがるような。実は今回も、何人か外国から眺めに来てますし。なんせ、初台はチリだかの《ナブッコ》のプロダクション買ってましたからねぇ、初期には。
by Yakupen (2017-03-07 17:09) 

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