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舞踏要素極大の《サティアグラハ》 [現代音楽]

バーゼル歌劇場で《サティアグラハ》を見物して参りました。この先、ベルリンのコミーシュ・オパーなどでも上演されるプロダクションだそうなので、日本語文化圏の方も沢山ご覧になると思いますから、ま、少しは見物前の参考になるかな。ってか、ぶっちゃけ、「きっちり心構えして会場に来た方が良いよ」というお節介でありまする。

この舞台、バーゼル歌劇場の売りプロ(ドイツ語圏お馴染みの€3くらいでそれほどたいしたことが書いてあるわけではない配布物で、日本なら「これなら無料配布にしろ」と言う声も挙がりそうなもんですが、伝統なんでしょうねぇ、これも)に記されたキャスト表のガンジーやらミス・シュレーセンやらの歌手の下に、「Eastman」という,恐らくは団体名だろうなぁ、という表記があり、その下に「Kazutomi Kozuki」などという明らかに日本人と思われるいくつかの名を含めたいろんな人種っぽい12名の名前が並んでいる。どうやら、ベルギーのダンスカンパニーみたいでありまする。
http://www.east-man.be/

んで、その隣のページに指揮者ジョナサン・シュトックハマー以下、スタッフ名が並んでるのだけど、指揮者の次に書かれているのは演出&振り付けInszenienrung und Choreografieのシディ・ラルビ・チェルカウイ(と読むのかしら、Sidi Larbi Cherkaoui)。どうもEastmanなる舞踏カンパニーの監督さんのようでありまする。

もうこれで、だいたいどんなことになるかは想像がお付きでしょう。そー、この舞台、ぶちゃけ、「歌手や合唱団を伴う現代舞踏」ですわ。オペラ、という言葉を本来の意味の「作品」、要は「いろんなアート作品を全部ぶち込んだもの」という意味で捉えるなら、誠に以てオペラです。だけど、ヴァーグナーやヴェルディ的な意味での19世紀のロマンティックな「オペラ」とは、ちょっとどころか、相当に違ったものでんがな。ぶっちゃけ、歌手がベルカントで声を出すのがメインではなく、そういう要素もたっぷりあるけど、メインは今風のヒップホップやらストリートダンスから山海塾的なモダンダンスまでいろいろな要素を取り込んだダンスなのでありまする。

舞台の上には、最初から最後まで普通の意味での「装置」はありません。じゃあ、今時の証明やらレーザー光でいろんなことをするのかといえば、それもない。装置はないけど合唱団が全員鼠とか、そんなとんでもない着ぐるみが次から次へと出て来るわけでもない。人体とその動きが、背景になり、装置になり、あるときは板を保ってきて作業机や黒板にする際の黒子にもなり、はたまた群衆の動きにもなる。無論、「怒り」や「苦悩」を象徴する文字通りの舞踏にもなる。

と、いうところまで判った上で、このバーゼル歌劇場の公式ページにあるトレイラーをご覧あれ。
https://www.theater-basel.ch/Spielplan/Satyagraha/oeU4hpse/Pv4Ya/
このトレイラー、無論、音楽と映像は合ってないのだけど、基本、ずーっとこんな感じだと思って頂いて結構です。ともかく、歌手や合唱団がものすごく演技をする、というより、踊るのですわ。ガンジーが南アフリカの港に到着し、南アフリカのインド人差別を世界に伝えた奴ということで庶民からリンチにされる場面では、ガンジーさん、ホントに胴上げから放り投げに近いことやら、逆さにされるやら、酷いことをされながら歌わねばなりません。登録証明カードを一斉に燃やす場面や、最後のクライマックスのニューキャッスル大行進でも、ガンジーさんは舞台の上をかなり複雑な導線で動きまわらねばならない。しばらくの間、ガンジー役は歌手と舞踏家の2人1役なのかと思ってました。

逆に、これまでの《サティアグラハ》上演(ウィルソンの決定版の影響力が強過ぎて殆ど別の演出が出ていない《浜辺のアインシュタイン》とは異なり、この作品はいくつもの演出が出てます)であったけれどこの舞台ではないものは、各幕に記されたトルストイとかゴダールとかキング牧師などの象徴性です。それらしき人物が舞台に配されることもありません。

なんだか、言葉で説明するのがとっても無意味に感じる部分も多い舞台なので、もういいや。ともかく、最初から最後まで、どっぷりミニマルな音楽の変化に細かく反応しつつ人々が動き続ける、というモダンアートを3時間10分眺め続けるみたいなステージでありました。
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ただ、敢えて記せば、過去のどの《サティアグラハ》よりも歌手が弱いなぁ、という感は否めませんでしたです。最後のガンジーの「夕暮れの歌」すらも、舞踏の伴奏のように感じてしまった程なので。

ま、なんにせよ、「20世紀後半に書かれた最大にして最高の舞踏音楽」と割り切れば、これはこれでありなのだろうと思います。昨日はたまたまバーゼルアーツというこの都市としても非常に重要な現代美術展の真っ最中で、空港には関係者送り迎えのブースがあったり、街に様々な現代美術の展示があったりしていて、客席の小生の周囲にも明らかにそっち関係の人がいっぱいいました。そういう音楽系ではない、尖ったアート系の方々には、この音楽と演出、というか、舞踏は、ものすごくアピールしてました。なるほどねぇ、やっぱりグラスの作品って、オペラ愛好家や音楽愛好家よりも、現代芸術関係者の方が直接刺激されるものがあるだろーなー、とあらためて思ったです。

2週間の時間を経て眺めた《浜辺のアインシュタイン》と《サティアグラハ》が、まあものの見事に正反対の方向性の演出だったのは、これらグラス初期傑作群はホントの傑作であるという証明なのでありましょう。

この舞台、証明書を燃やす抗議運動のところまでをアンバランスなほど大きな前半にして、後半はニューキャッスル大行進と「夕暮れの歌」だけに分けてる。その幕間に風を浴びに劇場の外に出ると、週末の劇場前の空間にたむろしている若者達が、俺たちはお前らセレブが聴くようなつまらん音楽は聴かないぜ、ってか、これ見よがしにデカイ音で自分らの音楽を流し始める。
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ところがさぁ、彼らが流すインド系なのかなぁ、インド料理屋で流れてるような音楽が、今さっきまで劇場の中で鳴っていて、これからまだ1時間くらい流れる音楽と、そう遠いものではない。ってか、君たちがカッコイイと思って聴いてる音楽をもぅおっとカッコ良くしたものが今劇場で鳴ってるぜ、って教えてあげたいくらい。あの若者達を劇場の中に入れてあげれば、ぎぇええええすげええええ、かっこええええええ、オペラすげえええええ、と思うこと確実だろーに。

ま、そういうもんを「公立劇場」がしっかり出しているというのは、やっぱり、凄いことであります。はい。

以上、全く本気で感想を書く気が無い感想でありましたとさ。ひとつ言えるのは、わしゃもうこの演出は結構です、ってこと。舞踏好きの方は、是非どうぞ。ベルリンで出るときは眺める価値はありますよ。

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Eno

すみません。反論というほどのものではないのですが、私は5月4日の公演を観て「いいな」と思ったものですから、一応そう思った者もいることを伝えさせてください。私は現代舞踊もストリートダンスもまったく疎いのですが、それでも面白かったです。舞台上の動きとフィリップ・グラスの音楽とが齟齬をきたさず、加えて現代社会への視点も感じました。幕切れで青い照明の中に浮かび上がるガンジーの姿と歌は、今でも記憶に残っています。
実は2016年7月30日にミュンヘンでこの振付師が演出したラモーの「インドの優雅な国々」を観たのですが、そのときもまったくロココ調ではないその上演に感心しました。
by Eno (2017-06-20 22:33) 

Yakupen

Eno様

当無責任電子壁新聞にようこそです(笑)。いやぁ、そりゃ、あの舞台、すげえええ良い,という人はいっぱいいらっしゃるでしょうねぇ。舞踏劇としての完成度は猛烈に高いですから。小生の座っていた隣のアメリカ人の明らかにヴィジュアル・アーティスト系のご夫妻は、もう熱狂でしたよ。後ろに座ってたお嬢さん達も、あたくしめの肩を叩いては「その眼鏡貸してくれ」と盛んにいってきて、もうキャーきゃーという感じで眺めてました。

要は、わしゃ、ああいう舞踏系に寄ったものは「ああそうですか」としか思えぬというだけのことですので、良し悪しではなくそんなもんなんだ、と思って下さいませ。あたしゃ、もう結構。逆に、ドルトムントの舞踏要素を捨てるだけ捨てた《浜辺のアインシュタイン》は、あの作品で眠くなる舞踏の部分がなくて有り難かったです。でも、あのバーゼルの舞台が素晴らしいとお感じのEno様には、あれはダメでしょうねぇ。肩透かし、ってか、怒るかもね。

ただ、歌唱に対しては、やっぱり過去にそれなり以上の水準の舞台がいくつも出ているのでねぇ。ちなみに、一昨年でしたっけ、アデレードでの3部作上演も舞踏家さんが演出で、相当に舞踏に振った演出でしたけど、歌唱も偉く力が入っていました。あれは舞踏家と歌手を完全に分けてましたから、歌手さんも無理がなかったんでしょう。今回の演出さん、いろんな意味で、ちょっと歌手に過酷過ぎるような。

それと、上には書いてませんが、オケと指揮者さんも…デニス・ラッセル・デイヴィスに頼めなかったのか、とは言いませんけど。ま、案外、オケにとっては特殊で大変な演目なのだなぁ、というのが良く判ったです。それはそれで面白かった。

どういう人に勧めれば良い舞台なのか、いろいろ勉強になります。コメント、ありがとう御座いました。
by Yakupen (2017-06-21 06:44) 

一読者

こんにちは。シディ・ラルビ・チェルカウイは、日本ではシディ・ラルビ・シェルカウイと表記されています。すでに何度か来日があり、かなり有名な方です。有名振付家とコラボレーションして装置や美術に手間暇かける代わりに振付家のカンパニーのダンサーを使うって、最近よくあるようですね。そうすればダンス・ファンの若い人たちの集客を見込める(かもしれない)、ということでしょうか。
by 一読者 (2017-06-21 12:20) 

Yakupen

一読者さま

日本語表記、ありがとうございます。カンパニーにあれだけ沢山の日本人のダンサーさんがいるのだから、来日公演やら、日本各地のダンスカンパニーやらでも知られた人なんだろうと思ってましたが、スイマセン、全然真面目に調べずに。

なんせ装置や衣装はもの凄く金がかかりますから、そっちを削って…というのは今や人口100万以下くらいの都市の劇場では基本的なやり方になってますよねぇ。「金が無い奴は知恵を使え」ってことで、それはそれで見上げたもんだと思います。お陰で「モダンな読み替え演出」大盛況になるわけですが。ま、そうじゃないのがお好みのお金持ちには、そういう方をターゲットにした大きな劇場もあるわけだから、棲み分けということなんでしょう。

今朝、嫁とも話したことだけど、今回の演出で、今や世界で最もダンス系が活発なアジア圏にとって、抑圧や暴力に対する非暴力抵抗というテーマといい、サンスクリット語の歌唱というある意味でどの文化からも離れた普遍性といい、《サティアグラハ》はもの凄くポテンシャルがあると思い知らされました。シンガポールのエスプラネードとか、メルボルンのアートセンターとか、大きなアジア圏の舞踏フェスティバルをやってるところが自主制作でやってみる格好の作品なんじゃないかしら。21世紀に生き延びるどころか、もの凄くポピュラーな大傑作になる可能性があるなぁ、と思ったです。

by Yakupen (2017-06-21 17:09) 

Yakupen

蛇足ながら、来シーズンにボンのオペラハウスで新演出で出る《アクナトン》も、演出はパリの舞踏団監督さんのようです。どうもグラスのこの辺りの作品、そっちからのアプローチがメインになってくるのでしょうか。
by Yakupen (2017-07-05 12:35) 

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