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バーンスタイン《ミサ曲》は聴きにいく価値があるか [現代音楽]

昨晩、大阪の新装成ったフェスティバルホールで、レナード・バーンスタインの《ミサ曲》が上演されました。
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なかなかの賑わいで、やたらと知った顔も見かける状況で、一安心というか、ちょっとビックリというか。

ええ、世の中には、「異端のミサ」と呼ぶべき作品群があります。どれが最初かと言い出せばいろいろなんだろうが、歴史の中で生き残っている一番古い大物は、なんといってもベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》でんがな。20世紀に入ると,理由はどうあれ、次々と出て来るのだが、まあ作品の在り方がイロモノなだけに、繰り返し演奏されて生き残っている作品は殆どない。強いて言えばディーリアスの《人生のミサ》(ミサでもなんでもなく、ニーチェの「ツァラトゥストラ」断片を並べたもんだけど)とか…くらいかしら。そのような異端のミサ作品の例外的な頂点として、ブリテンの《戦争レクイエム》があるわけで、ぶっちゃけ、こういう作品は世紀にひとつくらい滅茶苦茶スゴい傑作が生まれるくらいなもんなんだろーなー、と思うわけでありまする。

んで、この、バーンスタインの《ミサ曲》でありまする。指揮者として引退し、これからは作曲家として生きていくと宣言しちゃったバーンスタインが、ワシントンDCのケネディ・センターこけら落としのために委嘱され作曲した、まあ、絵に描いたような「異端のミサ」でありまする。

なにせヴェトナム戦争も出口を探している末期、ポトマック河の向こうはペンタゴンで、ホワイトハウスに陣取っているのはニクソンという時代。「ミサ」という宗教行事のパーフォーマンスを軸に、その時代にその場所で鳴っていた様々な音楽の有り様をおもちゃ箱のように突っ込み、ミサテキストに突っ込みを入れ、ミサを司る司祭を主人公に「神を信じるって、じゃあ、神様は俺たちを信じてくれるのか」というヨブ的な叫びを上げちゃうトンデモ作品。ある意味、究極の機会音楽でありますな。

当然、繰り返し上演されるもんではなく、今回は井上みっちー氏の情熱に周囲を巻き込み、バーンスタィン生誕100年というタイミングに乗っけてやっちゃった。

さても、あと数時間で2度目の公演が始まるわけですけど、この瞬間に「いこーかなー、どーしよーかなぁ」とお考えの貴方に、やくぺん先生が無責任な断言をしてあげましょー。

この作品、作品としては誰がどう見ても失敗作です。なにより、バーンスタインがいかに大きな才能でも、ひとりでひとつの時代の音楽を全部描き切るなんぞ、それこそ神様でもなければ到底不可能。だから、あらゆる部分が中途半端です。どうしてそうなっちゃったかを議論し始めるとそれはそれで面白いんだけど、ま、事実として、完成度は低い。これはもう、どーしよーもない。

当然、「作品として与えられる感動」とは違う、強いて言えば、当惑とか、なんじゃこりゃ感とか、そっちばかりが残る。

でも、世の中には、「失敗作であることが意義がある」という作品もある。その意味では、この作品は正に「失敗していることを眺め,体験することが作品」というもんです。

だから、バーンスタインという個性に関心があり、共感する人は、必見です。でも、作品としての完成度や、最近乱売気味の「感動」をお金で買いたい人は、行く必要はありません。

以上、「書いてあることは嘘ばかり、信じるな」をモットーとする当電子壁新聞の断言でありましたぁ。

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