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ヴァルター・レヴィン翁没 [弦楽四重奏]

当電子壁新聞では、基本的には訃報は扱わないのだけど(キリがない、というのがホントのところ)、流石にこれは記しておきます。

元ラサールQの第1ヴァイオリン、この四半世紀は、プロカルテットの中心講師としてヨーロッパにはごく一部の音楽学校でしか成されていなかった弦楽四重奏教育を広く有能な若者たちに広め、現在の弦楽四重奏黄金時代の礎となった大教育者、ヴァルター・レヴィン翁がお亡くなりになったそうです。
http://chicago.suntimes.com/news/renowned-violinist-music-teacher-walter-levin-dead-at-92/
http://www.badische-zeitung.de/klassik-2/walter-levin-ist-tot-grosser-geiger-und-teamspieler--140294834.html
やくぺん先生は、フォンテーヌブローのプロカルテット・セミナーで、横にザイゼル氏が苦虫をかみ潰しているところで5分くらいの立ち話インタビューをしたことがあるだけで、他はステージ上とレッスンを眺めるだけのお付き合い、ホントに偉い人だったわけだけど、今の現役中堅クラスの団体にすれば、偉大なる師匠の訃報ということになる。いくら2000年代後半からはシカゴでご隠居生活でヨーロッパからは引退していたとはいえ、大きなニュースであることに違いは無い。

個人的には、何故か知らないけど最後の、かな、さもなければ最後からひとつ前くらいの来日で、ひとつのメインプロがノーノの《ディオティマへ》で、もうひとつがツェムリンスキーの最後がドッペルフーガが途中でひっくり返る奴、ええと、4番かな、をメインにした演奏会。なぜかツェムリンスキーばかりがやたらと印象に残ってるなぁ。…って、今思えば、この演目って、「最近、グラモフォンからレコード出ましたんで宜しく」って、文字通り20世紀の「著名演奏家来日公演」のやり方を絵に描いたようなもんですねぇ。その意味でも、懐かしいなぁ。

引退後は、やはりなんと言っても2000年のロンドン大会で、ブレイニン御大と審査委員長を分けたときの印象が強烈。なんせ、レヴィン御大とブレイニン翁という正反対の考えの巨匠を並べたら話がつくわけないのは誰が考えても判ることで、案の定大紛糾、シマノフスキQとかディオティマQとか完成された団体が全部セミファイナルで落とされ、ファイナルは若手選手権状態になり、カザルスQが優勝でアルモニコが2位というビックリするような結果になった(その数ヶ月後、レッジョではエクが1位無し2位になりカザルスQが3位で、考えてみれば沖縄ムーンビーチに始まり、カザルスホールとアマデウス・コースで盛り上がったバブル期以降の日本の若者達の弦楽四重奏熱の頂点がこの頃だったわけですなぁ。←遠い眼…)。あれがいちばん「レヴィン翁らしい」と言ったら、叱られるかしら。

ひとつの時代が終わる。そういえば、マン御大も90歳を越えてらっしゃる筈だなぁ。

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