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今更ながらのgagakuオーケストラ [現代音楽]

サントリー芸術財団のフェスティバル、コンサートの2日目は所謂「現代邦楽」というか、「雅楽オーケストラ」の夕べでありました。三宅坂じゃなくて溜池、というところがポイントなんでしょうねぇ。

もう面倒な前振り無しで、ぶっちゃけた感想だけ、自分へのメモとして記して起きますと…

いやぁ、面白かったです。なんせ武満の大曲の中でもやってることが最も良く判る著名な作品と、文献で名前ばかり目にするレア作品とを並べ、恐らくは長期的な歴史のスパンでは「20世紀日本の歴史の1945年以降最大の転換点」と言われるであろう1970年代の最初と最後、石油ショックによる経済成長の終焉とヴェトナム戦争敗北及び米中国交回復による宗主国アメリカ合衆国世界戦略のなし崩し的な冷戦後に向けた変化、という背景の激変の中でのふたつの大作(音楽史的には「前衛の終焉」でんな)。両作品の間には、数年前にこのフェスティバルが披露して下さったシュトックハウゼンの《光》サイクルの出発点になった《暦年》が挟まれる事実もイヤでも思い出す。ついでにいえば、この週末には日本フィルさんが同じ会場の大ホールの定期で黛作品と同じ頃の空気の中で作られた(というか、《ノヴェンバー・ステップス》以降…というべきか)石井眞木の《遭遇Ⅱ》を上演して下さるとなると、もうこれは「現代雅楽オーケストラ週間」としか言いようがない状況ではありませんかぁ!

ま、それはそれとして、昨日の演奏会に関して言えば、なるほどねぇ、と思うこと多々。要は、雅楽オーケストラというのは、「西洋風」な訓練をした耳からすれば「前衛が必死にやろうとあれこれ無茶をしていたトーンクラスターの組織化を、さっさとやってたアンサンブル」って聴こえるんだわねぇ。

武満作品は今更どうこう語る必要もない、ある種の洗練さすら感じるもんだからそれはそれとして、黛作品は、もういきなり笙のアンサンブルが「ああああ、《ヴォルーミナ》じゃんかぁ」としか思えない。んで、当然ながらクラスターの組織化ですから「音程によるテーマ提示」なんて基本的に出来ないから、「ブロックの積み上げ」と「繰り返し」で構成されることになってくるわけで…って、それって、まんまメシアンじゃあないかい!

つまり、1970年代という前衛の最後の盛り上がりと終焉の真っ最中に、そんな前衛のやり方をまんま受け入れてくれそうな組織体として雅楽がポンと放り出されたもんだから、もう作曲家たちは大喜び、ってことですわ。そんなワクワクした様子がよーく分かる音楽と、演奏。

なる程ねぇ、シュトックハウゼン御大が《暦年》の経験から、雑音や微分音など西洋の楽譜では乗り切らない音の在り方まで含んだ「スーパーフォーミュラ」という突拍子もないもんを引っ張り出し、《光》という巨大作品の根っこの部分へと至るのであるなぁ、なるほどなあああああああ…などと思いつつ、案外素朴に盛り上がっちゃう黛作品の音響に浸らせていただいたわけでありました。

まあ、こんなこと、今更やくぺん先生が感心したり納得したりするようなもんではなく、判る人は誰でも判ってる事実でしかないのでしょうけど、やっぱり音で体験できるとあれこれ思うところは多い、ってことですわ。

てなわけで、さあ、皆様、週末は実質的にこの現代音楽際の一部みたいなもんとも言える日本フィルの定期に行きましょういきましょー。曲解はこちら。ま、わしがアップするんなら文句もあるまいて。なんせ字数制限が厳しい紙媒体、「とてもじゃないけどお手上げでんがな」って曲解、ゴメンです。
http://www.japanphil.or.jp/orchestra/news/21963
あたしゃ、残念ながら台北にいるので、前日のGPを某所で眺めさせていただく予定であります。

なんと、宣伝じゃないか、この作文。

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