So-net無料ブログ作成
検索選択

オリジナル資料が間違っていると… [売文稼業]

世の中、「オルタネティヴ・ファクト」なんちゅーとんでもない言葉が流行語になりつつある2017年初夏の世界、「嘘」という伝統的な言葉を普通に使えば良いのになんなんねん、と思わされる今日この頃でありますが、皆様、連休明けのお仕事始めをいかがお過ごしでありましょうか。

さても、この枕には意味がありまして…ええ、諸処の事情で一昨日来やっている原稿、現状に於いてはヘタをすると世に出ないボツ原稿になる可能性が高くなってきていて(無論、やらにゃならん別原稿とこのボツ原稿それぞれにギャラが出るなんてことはありません、あくまでも「採用された原稿」にしかギャラは出ませんから)、あたしの2日間はなんだったんだぁ、と叫びたい気持ちをここにぶつけるわけでありまする。いやはや…

で、この原稿、要は「データ整理&読める状態に並べる」という類いのもので、資料を山積みにしてひっくり返し、照らし合わせ、信用出来ないものは落とす、という作業が中心になる。大川端でも水元公園でも、六本木ヘリポート横公園でもやれる所謂純粋作文とはちょっと違う、図書館、資料館、はたまた葛飾オフィスに籠もらねばならん、というお仕事でありまする。

今回は、幸いにも葛飾オフィスに持ち込まれた資料の山をひっくり返せばやれるという目論見があり、幸いに実際、それでなんとかなった。足りない部分はあちこちに問い合わせ、添付ファイルで送っていただくことも出来、今は資料をいただいたり拝見したりするために出向く必要もなくなりスゴい世の中になったなぁ、今世紀の初め頃までは、資料を探しに国会図書館に日参し、足りなくなってメリーランド州のアメリカ合衆国国立公文書館に行き、まだ足りなくて最後はヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー資料館まで行くことになり、DCからのアムトラック駅を下車して連絡バスで軍港のある市内に向かう途中に進水したばかりで艤装作業中の空母ロナルド・レーガンの勇姿を眺める、なんてこともあったっけなぁ。あれだって、今は、全部、ネット上で済む筈だもんなぁ。スゴい世の中になったものじゃのぉ、ばーさんや…

もとい。で、そんなスゴい世の中になろうが、やっぱり最後は「現物一次資料」でありまする。手元にある資料がどういうものか、流石にちょっと明かすわけにはいきませんけど、ぶちゃけ、膨大な量の過去の演奏会当日プログラム、チケット半券、それにチラシなどもチラホラ、というもの。ゴミといえばそれまで、故人の所有物として残されても遺族が真っ先にゴミにしちゃうだろうようなもんです。

有り難いことにこの資料、所有者だった方がとても几帳面で、年ごとのファイルに整理してある。同僚の方が急逝されて仕事ができなくなってからは、未亡人が仰るようにやる気を失ってしまい、多少混乱しているところがあるとはいえ、バリバリだった時代は自分の仕事、関係者の仕事など、きっちり纏めて時系列で整理して下さっているのですね。こんなもんが押し入れに積んであるって、考えてみればオソロシーことで、きちんとオープンにして活用できるようにするべきなんだろうが、今は公共にこういうものを渡すとどうなるかはちょっと前に話題になった京都の図書館などの事例もあって…ねぇ。

さても、その資料で、今回、いちばん重要なのはこれ。
002_edited-1.jpg
かのブダペストQ初来日時の当日プログラム現物でありまするっ!

このときの、ある意味で神話的なエピソードも残る来日に関しては、説明もめんどーなんで、こちらのサイトでもご覧あれ。正にマニアさんの出番、って感じのネタですから。
http://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/19bd3b61b75e27de26b6c2af785922ab
ご存知の方はご存知の話でしょうが、こういうことがあったんだわさ。で、結果のリベンジ公演で、こういうことがあった。
004_edited-1.jpg
招聘したNHKの内部事情など全然判らないけど、ことによるとロイスマン御大の岡山(倉敷、という話も聞いたことがあるんだけど…)での転落事故がなければ、このベートーヴェン・サイクルがあったかどうか判らぬ、という歴史の面白さ、奇妙さを感じていただければ幸いでありまする、はい。

さても、問題はここから。実はですねぇ、最初の来日のときの当日プログラムには、演奏会の日付曜日は無論記されているけど、どこを眺めても年度の記載がない。そんな筈はないと思われるかもしれないが、こういうハンドアウトでは、案外ある。

資料として最初に整理して今に遺して下さった方は、几帳面にも、全てのプログラムの隅っこに日付を書き込んで下さっているのです。それに従って、全部が時系列で整理されている。結果として、もの凄く便利な資料集になってるんですわ。で、そこには「1953年」と記されている。そして、1953年の時系列の中に収められている。

これが、少なくとも小生には、大きな混乱のもととなってしまったのであーる。

ぶっちゃけ、結論から言えば、この来日公演は1952年なのです。なんせ、日本が独立を恢復した年で、このブダペストQが日本公演をやってる真っ最中に、GHQから返還されたばかりのお堀端第一生命ビルの講堂が「第一生命ホール」として蘇り、近衛管弦楽団によるオープニング演奏会があった。それどころか、岡山での事故で東京は聖路加病院への緊急入院という事態がなければ、西日本公演から東京に戻ったブダペストQは、それこそ聖路加を眺める第一生命ホールで特別演奏会をする予定だった。殆ど知られていませんが、拙著『第一生命ホールの履歴書』執筆時の資料調査で当時の広報物などを調査してますので、事実でありまする。こんないい加減な電子壁新聞に書いていることとは違う、エッヘン!

だから、この来日が1952年であったことは確実であります(って、聴いた奴だっていっぱいいるわけだしね、まだ)。

だけどねぇ、こういう風にしっかりと資料として整理されてしまうと、「あれ」っと思ってしまうわけですよ。もしかして、世間で普通に言われているのがなんかの間違いなんじゃないか、だって、ここで一次資料がこういう風になってるんだもん。

これまでは余り考えないようにしてたんだけど、流石に今回はこの公演そのものについての原稿なので、ここでまたもう一度きっちり確認の作業をせねばならぬわけです。無論、確認といっても、所詮は複数資料どおしの「多数決」なだけですけどね、やれることは。

そんなこんな、数時間の時間を費やさねばならなかった。結論は判ってるけど、この資料を纏めてくれた先達に対する敬意は、これだけの時間を費やすに値する。

ま、だからなんだ、と言われればそれまで。「ギャラを取れる原稿」というのはこういう手間がかかっているのである、というだけのこと。それよりもなによりも、後に資料を用いる人のために、データ整理は万全の注意を払いましょうぞ、というご教訓の再確認でありました。

それにしても、K先生、どうしてここ、間違えたんだろうなぁ。いつこの資料整理をしたのか、シベリア抑留から戻ってチェリストとしての活動を再開した直後で、後の記憶が混乱していたということなのかしら。それとも、このブダペスト公演の記憶だけが突出していて、何かと混乱してしまったのか。あり得そうなのは、「ロイスマンさんが堀に落ちて、翌年にまた来たんだよなぁ」って思い込んでて、そこに入れちゃった、というところかしら。

なんであれ、いろいろと妄想を逞しくしてしまう初夏の午後であったとさ。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽