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《第1交響曲》が名曲になるためには… [音楽業界]

このところ毎年8月の終わり頃はミュンヘンARDコンクールだ、バンフ大会だと、なんのかんので日本列島を離れていることが多く、この前は弟君に「兄貴が誕生日に日本にいたのは佃に引っ越してきてから初めてじゃないか」と言われ、あああそうかぁ、と思ったりもして。なんせ今年だって、今日明日くらいがミュンヘンARDコンクールのヴァイオリン部門のファイナルじゃなかったかしら。

結果として何が起きてるかというと、かのサントリー芸術財団さんが年に1度、なぜか8月下旬から9月頭にやって下さる1週間程の大現代音楽際も、殆ど聴けていない。なんとか大物は聴けるように強引に日程を調整して、バンフから成田に到着してそのままリムジンバスでANAホテルの下まで走り、ディオティマQ聴いて、翌日にヨーロッパに出る、なんてアホなこともやった記憶があるぞ。いやはや。

今年は、おおおお、未だ傷冷めやらぬ、ラヴィニア音楽祭に行くのがキャンセルになり、たまたまホール改修工事のお陰で9月の声を聞いてから始まることになっていた音楽祭を比較的ちゃんと聴ける状況になりましたです。てなわけで、昨日日曜日の最初の演奏会からきっちりホールに座らせていただけた次第。

※※※

今年は何と片山先生が、ことによると今の風潮でしか出来ないかもしれない内角右ギリギリの際どい球を投げているサマーフェスティバル、まずは初日の「大澤壽人特集」でありまする。演奏はこのところヤマカズⅡとはずっとマーラー&武満サイクルをやってきて、ラザレフ御大とはショスタコやらプロコやらグラズノフやらをいっぱいやってきている日本フィルですから、大澤壽人みたいな楽譜を処理するのは手慣れたもの、ってことなんでしょう。ヤマカズⅡが指揮ですから、面倒くさいぐちゃぐちゃの楽譜の処理も安心ですし。

んで、もの凄く無責任な結論ですが、既に定評ある名曲たるピアノ協奏曲第3番はともかく、世界初演となった2曲は、いろんな意味であの有名過ぎる格言が頭に浮かぶばかりでありました。曰く、「誰もやらないには訳がある!」

コントラバス協奏曲は、正直、会場に飛び込んでこっちも疲れていて、なんせ独奏楽器が独奏楽器だから音量が圧倒的に小さく、ゴメン、演奏家の皆さん、ゴメン、大澤様、ってひたすら謝りながら…墜落していました。スイマセン。なんのかんの言えるような聴き方が出来てない。

一応、後半に据えられた大作、3楽章の交響曲第1番世界初演というのは、ちゃんと聴きましたであります。はい。そーですねぇ、しょーじきに、大拍手の聴衆や、このスコアを音にして下さった音楽家の皆様には申し訳ないことこの上ないのだけど…あたしゃ、まるでダメでした。

情けない事に、第1楽章なんて、なにやってたか全然判りません。どれがテーマで、どう展開して、今何が起きていて、なんで終わったのか、なーんにも分からないままに時間が過ぎてしまった、というのがホントのところ。うううん、そーですねぇ、これに似た感じといえば、遙か昔に渡邉暁雄都響だったか、朝比奈大フィルだったか、マーラーの7番を初めて(若しくは二度目くらい)ライブで聴いたとき、かしら。より近々では(っても、ヴィオラがガースだった頃だから90年代の終わりだと思うけど)ベルリン芸術週間でリーム大会があり、フィルハーモニー室内楽ホールでアルディッティQが第6番《青い本》を演奏したとき。これはもう、ホントに延々、作品131くらいの時間の単一楽章延々音が渦巻いて、まるでなにやってるか分からなかった。あれみたいな感じ。

ここまで爺になって、このような経験をしようとは、やくぺん先生、ホントになーんにも進歩がないなぁ、と呆れてしまうのだが、もうここまで爺になってしまえば堂々と開き直る傲慢さくらいは備えているわけで…これ、俺が悪いんじゃない、大澤くん、もうちょっと整理した総譜を書かなきゃダメじゃないの!…なーんて不遜なことも叫ぶのであるぞよ。うん。

第2楽章はそれなりに面白いものの、第3楽章になって、おお最後はフガートで盛り上がるのか、まるで諸井三郎じゃないかぁ、なんて思ったら、ポリフォニックなラインがよく見えなくなって、また響きの海にどんぶりこ…

てなわけで、終演後はなにやら大いに盛り上がる聴衆の中で、ああああああこれは仕方ないなぁ、今までやられなかったのもしょーがないなぁ、とぼーっと座っていたわけでありまする。

これだけ否定的な言葉を連ねるなど、ホントに作曲家さんや演奏家さんに申し訳ない、判らなかったお前が悪いと言われても反論する気はまるでありません。仰る通りであります。はい…

だけど…って言わせていただけば、やっぱりさぁ、大澤さんにも問題はないとは言えないでしょう。なにしろ、この作品が書かれた1934年と言えば、一昔前までは「シェーンベルクの12音技法が開拓された頃」という認識でしかなかったが、前衛の時代が終わり、音楽史のパラダイムも大きく変わった21世紀、それこそこのシリーズのプロデューサーが作曲家の細川氏ではなく評論家の片山氏であることが端的に示しているような歴史の見方の転換があった今、「後期ロマン派のマーラー的なるものをどうやって越えるか、世界の彼方此方で若い作曲家達が交響曲を書いていた頃」という見方も普通にあるわけです。シェーンベルクがあの音列バリバリのヴァイオリン協奏曲やら4番の弦楽四重奏を書いていた頃、バルトークが弦楽四重奏曲第5番が書いた頃、というだけではなくなっている。ウォルトンが最初の交響曲を発表し、なによりもショスタコーヴィチがあの交響曲第4番を書いていた年なのでありますよ。

いろんな状況がありえる世界全体をそんな気楽に年代だけで切り取っても仕方ないだろう、と言われることは百も承知で言えば、大澤がボストンでロイ・ハリスなんかをライバル(なんでしょうねぇ)に勉強していた頃の最初の交響曲としては、やっぱり完成度が今ひとつと言わざるを得ない。これはもう、しょーがない。

この作品、例えば「日本フィルシリーズ」の委嘱で書かれ、出てきたら、オケは指揮者さんはどうしたろうか?まさか「まるで今風シューマンみたいな晦渋なオーケストレーション、もうちょっとならんか」と誰かが言ったのだろうか?あくまでもスッキリした見通しの良さ(今週末にヤマカズⅡ&日本フィルで、それこそ見通しの良いオーケストレーションの典型例たる《パガニーニ変奏曲》で名高いブラッハーを演奏するけど、この作曲家さんが未だ後期ロマン派の残滓引き摺る交響曲を書こうとしていたのもこの頃でしたっけ)を探求した新古典主義の洗礼を受け、もちょっと書法を整理してからまた来てね、というわけにはいかんかったのか。

繰り返しますが、こういう風に感じられたといだけで、ホントに演奏家の皆さんには感謝をしているわけであります。これはこれ、こういうものある。

てなわけで、少しは前向きな感想を一言で纏めれば、「第1交響曲を通常レパートリーになる傑作にするのは、ホントに大変なんだなぁ」ということ。ブラームスみたいに捨てまくって弄りまくるならともかく、マーラーも、シベリウスもたいしたもんだわい。

音楽史の見直しを耳で体験する日々、まだまだ続きます。今日は雅楽編、でんな。

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