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チェコからギリシャから [演奏家]

第5回クァルテット・ビエンナーレの第2日も淡々と過ぎております。本日も、シテ・ド・ラ・ムジークの地下の円形劇場には、300人くらいの老若男女、数字の比率から言えば、若は猛烈に少ないんだけど、ま、ともかくそれなりの聴衆を集めて地味に派手に展開してます。

今日は「もう元ペンギンとは言わせないぞ、ツェムリンスキーQ」と、第1ヴァイオリンとチェロはアンサンブル・アンテルコンテンポランでも演奏していたというアテネをベースにした新鋭、テトラクティスQの登場。チェコとギリシャ、EUのギリギリ周辺からの代表ですな。

元ペンギンはリームの10番をやって、まあこれは、「ピチカート楽章、全音音階の民謡が隠れてるでっかいアレグロ楽章、マーラーの9番みたいな消え入る緩徐楽章」という明快な3つの楽章だか部分から成ってる曲。1997年のベルリンでリーム大会があったときに、御大がアーヴィンらのために書いた新作だったわけで、へえ、それから15年で3曲増えたわけね。ベルリンでガースと朝飯喰いながらどーでも良い話をした(このイベントがガースのアルディッティ会社から卒業の演奏会でした)ときには、次の作品は歌が入るらしい、なんていってたけど、結局その次の曲はあの「クスVSパシフィカ」の歴史に残る大激戦が繰り広げられたレッジョで委嘱初演された12番だったわけで、なかなか思い通りにはいかんものなのね。

んで、終演後に元ペンギンの楽屋を訊ね、リームの曲でどれを弾くかはディレクターさんからのご指定なの、と訊ねたら、「いや、早い者勝ちで、俺たちは10番がいちばん出来が良いと思ったのでこれをやりたいと頼んだんだ」とのことでした。

ま、これ以上は商売ものの内容になっちゃうので、ここまで。なお、元ペンギンのご一行、2週間後にナントに行ってグラズノフとか弾くそうで、5月の東京に行くかどうかはまだ知らないけど、今年は東京も同じようなテーマなんでしょ、なんて仰ってましたです。相変わらずギリギリまで決まらない音楽祭なのね。

なお、元ペンギン、最新録音はグラズノフであります。シテ・ド・ラ・ムジークの売店にゴッソリ並べて売ってました。
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で、ギリシャ代用の若者達は、これからリーム作品でも最大の難曲、第6番に挑戦であります。「20世紀のベートーヴェン作品131」とも、「50分の間延々と続く大フーガ」とも言われる(って、あたしっきゃ言わんが)ウルトラスーパー超やばい難曲でありますな。これだけで演奏会を終わりにしても良いくらいでんがな。


リームの50分が終わり、会場全体に不思議な共犯感というか、いやぁよくやった感というか、まるでマラソンか駅伝を眺めたあとの高揚感と疲労感が漂っております。
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この後はオマケというか、ご褒美というか、「不協和音」を弾かせて頂けるギリシャの青年達でありました(中身に関しては商売もん作文で触れるので、ここでは言わない)。アンコールにやった、スカルコッタスのグリッサンドだらけの緩徐楽章が大受け。

そういえば、昨日は遙かミュンヘンから山奥に入ったお城では、トルコの若者達がサイグンの弦楽四重奏を弾いていた筈。時代は、確実に変わってる。

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神話の再神話化 [演奏家]

チューリッヒの安宿です。この街にはいくらでも転がり込む場所はあるのだが、そんなことしちゃうとまた動きが取れなくなるので、敢えて猛烈に物価が高い街の厳しさを味わってます。

さても、ここに来た理由は、今シーズンに4回だけ上演されるプフィッツナーの「パレストリーナ」を見物するため。なんせね、棒振ってるのは我らがメッツマッヒャーだしさ、それにドイツ語圏では案外と上演されているものの、なかなかきちんとした舞台を眺めるチャンスがない大作を一度くらいはちゃんと見物しておかないと、ということ。
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80年代の初め頃だっけ、DGがどういう風の吹き回しか出したクーベリック指揮のトレント公会議がジャケットになったでっかいボックスのレコードを何度も聴いたのが懐かしいなぁ。まさかライブで聴けるとはねぇ。ほれ、カーテンコールじゃ。
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んで、まあこんな作品の演出についてどうこう言っても、恐らくは日本語文化圏では1ダースくらいの人しかついて来ないだろーけど、全く気にせずに記します。わざわざこんなもの見物しに極東の島から来る奴なんて余程特殊な輩(なんせ昨日はバルトリが歌う「オリー伯爵」だもん、みんなそっちだわなぁ)、20世紀オペラのマニアか、トーマス・マン研究でもやってるドイツ文学の奴くらいだろーから、もうガンガンにネタバレで書きます。

演出はチューリッヒで「遙かな響き」なんかも出してる演劇畑の方です。ですから、この小ぶりな劇場をシャウシュピールハウスのように使ってます。あ、オケ、小さかったです。「パレストリーナ」といえば、まるで「パルシファル」みたいに弦楽器をタップリ鳴らす前奏曲ばかりが有名ですけど、ときたま日本のオケでも聴けるあのタイプの演奏を期待してると、管楽器がやたらと攻撃的に絡んでくる響きになってて、へええっと思った。メッツマヒャー御大というところもあるんだろうけどさ。

第1幕への前奏曲途中から幕が開くと、ローマの大きなアパートでパレストリーナがピアノの前に座って作曲しようとしてる。そー、「ピアノの前」ですよ!パレストリーナ先生のお部屋にはテレビもあります。1幕の最後に出てくる著名作曲家はジョスカンとかじゃなくて、シューベルトとかシューマンとかベートーヴェンとかヴァーグナーとかです。第2幕のトレント会議では、枢機卿のひとりが一生懸命携帯で電話してます。ま、よーするに、今の話になってます。

面白いのは第2幕のつくりで、トレント公会議の舞台はパレストリーナ先生のお宅なんです。って言うと、なんなんじゃ、と思うでしょうけど、実際の舞台ではそれが凄く説得力ある作りになってて(坊さん達が宿舎の安ホテルでいろいろやってるところを細かく演技で見せていて、ボロメオ司教はゲイだったり、いろいろ文句言う坊さんは業者から袖の下貰ってたり、手塚漫画の見開きページをじっくり眺めるといろんなことをやってる奴らが細かく掻き込んであるみたいな感じです)、まあこんなもんかと思える。
なんでそんな妙な仕掛けをしているかといえば、プフィッツナーの台本では第2幕には一切出てこないパレストリーナ先生がパントマイムで出ずっぱり。ボロメオ司教の画策ぶりを眺めてるばかりか、公会議そのものも横のソファーから眺めてるようにしてるんですわ。つまり、パレストリーナ先生、自分に新しいミサを書くように言ってくる話の裏を全部見通しちゃってるわけ。

んで、そのまま休憩無しに第3幕に入ると、オリジナル通りのパレストリーナ先生の部屋。いけしゃーしゃーと謝りに来たボロメオ司教をぶっ飛ばすとか妙なこともなく(教皇がホントに教皇のコスチュームで登場したのはある意味でビックリでしたが)ちゃんと話は進み、おやおや、このままおとなしく終わるのかい、と思ったら、これまた最後の最後に今日も大技をかけてきた。

プフィッツナーの台本では、「教皇マルチェルスのミサ」の大成功を受けパレストリーナは再び静かに創作に向かうのであった、という「パレストリーナ神話」を描いて大団円にしたわけですね。だけど、このチューリッヒの舞台では、自分の創作能力の枯渇と時代の変化を知り、トレント公会議の舞台裏までつぶさに眺めてしまったパレストリーナ先生は、最後の最後でピストルを取り出し、こめかみにあて、自殺を試みるのです。でも、結局、自殺できないで暗転、幕が下ります。無論、すべてパントマイムで、テキストには一切手を付けていませんし、コンヴィチュニー御大みたいに音楽に妙なことをさせてるわけでもない。

なんのことはない、この舞台、昨晩眺めた「オランダ人」どころではない、とんでもなく本質的な読み替えというか、作品そのものに違う意味を与えちゃう演出になってるですなぁ。

正直、今時、「トレント公会議でのポリフォニー禁止の動きをパレストリーナの新作によって押しとどめた」なんて神話を信じている音楽学者はいないし、まあ世間の音楽ファンの方もそんな話を常識だと思ってはいないでしょう。つまり、プフィッツナーの行ったパレストリーナ神話の舞台化は、もう神話として死んでる。で、演出家のヘルツォグは、プフィッツナーが作った神話の骨格を使って、神話をまた別の神話にしちゃったわけですね。いろんな風に解釈できる、新しい神話を作っちゃった。

小生、昨晩のコンヴィチュニーの「爆弾娘ゼンタ」への書き換えは、世間の人が一生懸命褒めたり怒ったり議論したりするほど意味のある試みとは思えない、かなりバカバカしい小手先のセンセーショナリズムだと思いました。でも今日のヘルツォグの神話の再神話化は、こりゃありだと感心しましたね。このある意味しょーもない作品を、21世紀の今にえらく面倒な手間と金をかけて再現するに値する舞台にする作業を、凄く本気で、真面目にやってる。
ただこの本質的な読み替えが、娯楽の要素が皆無なこのしんみりむっつり作品が今でも上演される最大の理由であるトーマス・マンに拠る高評価と同じラインで議論出来るかは、ちょっと判らぬです。是非ともドイツ文学の専門家の方にご覧になって頂き、評価して貰いたいもんです。

以上、この舞台、もう今シーズンはないし、この先に出るのかも判らない。ただ、チューリッヒは映像商売をしているところなので、ことによるとブルーレイにでもなるかもしれない(なんせ「ファウスト博士」をブルーレイにしてる劇場ですから)。その際には是非ご覧あれ。4時間を付き合う価値は…うううん、ありますね。ただ、ぜーんぜん面白くはないですからね、普通の意味では。

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ゼンタさんったらもーたいへん [演奏家]

バイエルン国立歌劇場の「彷徨えるオランダ人」を見物してきたです。
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以下、この演出を観る可能性があり、何が起きるか絶対に知らずにいたいという方は、読んではなりません。ネタバレです。
今シーズンは今日が最後みたいだし、小生はコンヴィチュニーという演出家さんを追いかけているわけではないので知らなかっただけで、もう5シーズン以上前から出ている演出なので、話題としては今更、なんですけど。

恐らくはヴァーグナーの数ある作品の中で、いちばん滅茶苦茶がやれるのが「オランダ人」なんじゃないかしら。「タンホイザー」とともに、終幕に向けての5分でバタバタバタバタといろんなことが起きて、あれあれあれぇ、と思ってるうちに相当に無茶な展開を音楽の力で説き伏せてしまい、「あああ凄かった」と納得してしまう。真にもって音楽で他人を言いくるめちゃうヴァーグナーの詐欺師みたいなパワーは、小泉元総理よりも、はたまた橋下市長よりも、遙かに強いぞ。

さても、本日のコンヴィチュニー演出の舞台、序曲の最後で救済の部分がなかったことから、これはまともな終わり方はしないな、と予告がされてた。全幕を通しで2時間半くらいで一気に上演しちゃうやり方です。

幕が上がると、案外と起きてくることはまとも。最初に登場したオランダ人がモノローグで身の上話をしてる最中に白いすっぴんのワンピースの天使(当日に無料配布物に「天使」なんて役柄がキャスト一覧の最後に出ていたので、これまたなんかやらかすことは判った)が出て来て、オランダ人にパントマイムで絡んだりしてはいるものの、ま、全然まとも。娘達が糸紡ぎをするシーンはフィットネスクラブで、みんなで自転車漕いでるのは爆笑ものだけど、これもコンヴィチュニーならというか、今時の舞台ならビックリするほどのことではない。オランダ人たちのレンブラントの絵から出て来たみたいな衣装と、村人達の今風の生活スタイルが対比されて、とても良く分かる。どんな絵面かをご覧になりたければ、こちらをどうぞ。まだアップされてると思うけど。
http://www.bayerische.staatsoper.de/889-aWQ9ODM2JnRlcm1pbj0xMDAwOQ-~spielplan~oper~veranstaltungen~vorstellung.html

そこから先は、設定は多少は突飛だけど、やってることは案外というか、全くまとも。311前に二期会でもやったアムステルダムで出た「ヨカナーンとサロメの愛の成就の物語」みたいな強引極まりない大技があるでもなく、政治的な含みがあるでもなく。へえぇ、6年くらい前の演出だけど、コンヴィチュニーさんもすっかり大人じゃないの、これじゃビオイトやらの過激演出と渡り合うことなどしない大家の芸でんがな、と思ってたですよ。

ところがどっこい、やってくれましたわ。

最後の最後、オランダ人がゼンタにもう救いはないと言い放つところで、ゼンタはオランダ人の叫びを前に、デカイ声で笑ってる。あああ、ゼンタさん、切れちゃったぁ。どーするのか、すっかりいっちゃったゼンタさんが勝手に自殺して、オランダ人もとっとと去っちゃって、エリックとパパがぼーぜんとしている、って最近ではお馴染みの幕切れなんじゃろなぁ、人々のコミュニケーションの不全を描く定番のやり方だべぇ、と思いながら眺めてた。

そしたらなんと、ゼンタさん、最後に「あたしが救ってやる」なんて訳の判らぬことを叫び、ゴロゴロと樽を転がしてくる。どうやら火薬樽みたいで、歌い終わるやいきなり火をつけちゃう。で、ドッカーンとデカイ音がして、舞台はいきなり暗転。ただ真っ暗。おおお、あんたはブリュンヒルデかぁあああ!舞台から火薬の臭いがするだけであります。なんとなんと、そっからさきは、オケは弾きません!ホントに、弾きません!どこでどうやってるかしらないけど、録音してあると思われる(裏でバンドがやってるにしてはいろんな音がしていたよーな)救済無しの終幕までの2分ほどの部分が、微かに聞こえる。判ってる人には聞こえるけど、わかんないひとにはなにが小さく鳴ってるのと訝しく思うしかないような音楽が響いてる。

んで、オシマイ。

いやぁ、やられましたねぇ。コンヴィチュニー節、文字通り、炸裂でした。どーしていいか判らなくなっておかしくなっちゃったゼンタさんが、舞台の上の全てを全部破壊して終わり、という殆ど途中打ち切りの連載漫画みたいな話になってます。

随分と長く出ているし、最初は凄く話題になっただろう演出だけど、お客さんにこの結末を知っている人は案外といないようで、拍手も戸惑い気味。カーテンコールでいちばん立派に歌ってたエリック(バイロイトで鼠軍団を率いての戦闘指揮を嫁さんの我が儘故に直前にキャンセルした、今や人気うなぎ登りのイケメン君、クラウス・フローリアン・フォーグト)にばかり、盛んに拍手が浴びせられてました。どうやらお気に召さなかった方が数人、天井桟敷にいたようで、指揮者の大野さんに向かってぶーぶー叫んでましたね。最後の大盛り上がりで指揮を放棄するなんて噴飯ものの演出に従ったことに対するこの演出恒例の非難かもしれないなぁ。

てなわけで、猛烈にすっきりしない「オランダ人」でありました。年明けの仕事も始まった週の半ば、フィクションでのカタストロフを期待し130Euro払った方が「ゼンタじゃなく俺が劇場を爆破してやる」と叫んでも、あたしゃ許しますよ。ってか、それが普通でしょうに。こういう演出を斬新だと褒める心の広さは、小生は持ち合わせておりません。
とはいうものの、演出としての体を成していない空前のレベルの低さだった昨年7月の「アッシジの聖フランチェスコ」の悪夢を思えば、演出家としての力量は比べるのが失礼な程だけどさ。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02
イースターにはコンヴィチュニー御大、「パルシファル」出してるなぁ。うううん、ちょっと眺めたくなったぞ。

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2012年は山本直純イヤーなのだっ! [演奏家]

クラシック音楽業界には「記念年」商売というのがありまして、××生誕○○年やら、△△没後●●年ってのを理由に、なんのかんのその音楽家をネタに盛り上がる習慣があるのですな。どーしてなのかは知らないが、ま、あらゆる芸術形態の中で最も「再現芸術」の特性がハッキリ出る業種であることが理由のひとつなんでしょーねぇ。

ところがどっこい、2012年にはあまり派手な記念年がない。来る2013年は、ベンジャミン・ブリテン生誕100年の目出度い年で、ついでにヴァーグナーとかヴェルディも生誕200年でありまして、御陰で一昨年くらいから世界中のオペラハウスの監督なりインテンダントなりは頭を抱えているわけであります。なんせ支配人室の前には今年こそ「リング」全四部作上演をやれると信じる演出家や指揮者が列を成し、その向こうでは「アイーダ」の思いっきり派手な舞台を出したい市長やら大スポンサーやらが旗を振り、劇場周辺のカフェでは「ルクレチア」やら「アルバータ・ヘリングス」をやりたくて仕方ない演劇マニアや評論家共がどぐろを巻いてるわけですから。いやはや。

とはいうものの、嵐の前の静けさの2012年だって、シャンドル・ヴェーグ生誕100年とか、先代ヤマカズ生誕100年とか、大いに祝われるべき記念年でもある。そして忘れてはならぬ、2012年メモリアル・イヤーの決定版といえば、そー、かの巨匠山本直純没後10年でありまするっ!

実を言いますと、当電子壁新聞、葛飾厄編亭仮オフィスで綴っております。かの葛飾柴又へは京成電鉄で2駅、柴又駅から電車に乗った寅さんが上野に向かう際には必ず通った新開地の田舎町におるですよ。葛飾区民、もう老若男女挙げ、この音楽で天才直純さんの没後10年を祝おう(?)ではないかっつ。
http://youtu.be/S0-Lv5QQ318
誰が歌ってるかは敢えて記しません。Youtubeというのは、とんでもないソースが落ちてるんですねぇ。こんな新開地には流れる筈もない湘南の上品な風が、ちょっと流れてくるかな。ホントはこの旋律の決定的な再現ならば、アウトリーチ先の養老院病院で披露すれば居並ぶ方々みな涙する、山本裕ノ介&小山京子デュオのチェロとピアノのための「寅さんファンタジー」なんだけどさ。

今年のメモリアルイヤー決定版は、かつて小澤征爾氏も「才能は俺の数十倍」と驚嘆したという伝説が流布するこの音楽家だと考える方は小生だけではないよーで、来る2月4日のジュニアフィルを皮切りに、あちこちのオケでも直純さん作品が演奏されるようです。頂点は3月24日のこの演奏会。
http://www.njp.or.jp/archives/4248
古巣NJPが賑々しく直純さんを回顧するこのイベント、制作がテレビマンユニオンなのは当然といえば当然でありましょう(この会社に、こういうコンサートをホントに作れるプロデューサーがいるのか、ちょっと心配だけど、そこは老舗の伝統でなんとかしてね)。会場が葛飾シンフォニーヒルズじゃないのは残念だが、ま、仕方ないかな。

小生、3月26日からのロンドン国際弦楽四重奏コンクール1次予選を前に、ちょっと早めに東京湾岸を離れ、アダムスの「クリングホッファーの死」とかシュレーカーの「遙かな響き」とか見物してるかぁ、なんて思ってたんだけど、とんでもない。この演奏会を聴かずに2012年は明けぬぞ(って、とっくに明けちゃったけどさ)。やっぱり26日午前1時羽田発でイースターのヨーロッパに向かうことに決めました。

いつのまにやらダラダラと最初のディケイドが終わってしまった21世紀、極東の島国から直純さんに匹敵する才能は出現するのか?ターサ・キンスキーは弦楽四重奏界のナオズミさんになれるのだろーか?

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毛利さんのコントラバス [演奏家]

毛利さんというコントラバス奏者さんがいらっしゃいました。

小澤征爾氏がNJPで「アッシジの聖フランチェスコ」やら「戦争レクイエム」やらマーラーの3番やらをやってた、最も充実してた頃にコントラバスの重鎮を務め、どういう理由か知らないけど小澤氏と何度も中国に行き、中国語を勉強なさり、80年代半ば頃に文化大革命の傷跡から立ち直った最初の世代の中国の若い演奏家の日本留学を個人的に世話をなさったりしていた。正に、民間の日中国際交流をなさってたわけです。オケ引退前から相模原の方の公共ホールで室内楽シリーズを地道に始め、コンマスだったせとうさんとかむろやさんなんかもシリーズに出てらっしゃった。

んで、そのシリーズが今も続いていて、なぜか師走の寒い平日の昼間、相模原からは随分と離れた初台の近江楽堂で、本日で第168回目の演奏会が開かれたわけです。毛利さんご本人はもうお亡くなりになっていて、奥様が遺志を継いで、この個人運営の室内楽シリーズを続けていらっしゃいます。

今日は後輩のNJPコントラバス奏者、渡辺玲雄氏がメインの登場人物で、そこにカントゥス・クァルテットが加わって、ボッテジーニとか、もうコントラバス入りと言えばこれっきゃないドヴォルザークの五重奏を披露したりしたわけです。個人的にはあんまり得意な曲じゃあないけど、ホントにこれっきゃないもんなぁ。

木曜日の午後2時開演でお客さんがいるんかね、と思ったら、まあ所謂プロの聴き手はいなかったけど、ご隠居やらその奥様やら、はたまた八王子カサド・コンクールの理事様やら、総計80人くらいの聴衆はいたんじゃないかしら。それにしてもあの近江楽堂という場所、意図的に響き過ぎるヨーロッパの教会みたいな空間をわざと作ってるわけだが、まあ本日のモダン楽器の弦楽五重奏となると、まるでマーラーのように響き渡ります。アンコールでは珍しくもあのドヴォルザークの曲の楽譜によっては付いている「インテルメッツォ」が演奏されたのだけど(この楽章が入った5楽章版だと、全体がセレナードみたいになって、曲としてうんと座りが良くなるのに、なかなかやってくれない。ま、とっても音程が取り難そうな楽章ではあるけどさ)、コントラバスのピチカートがドンドンと杭打ちマシンの轟音のように響き渡り、まあスゴイスゴイ。これを聴くだけでも来た甲斐はありました。
それにしても鶴見のセルビアホールといえここといえ、最近はどんどんと客席数を少なくして猛烈に良い条件で豪華に室内楽を聴かせる傾向がはっきりしてきて、もう王子やハクジュだってデカイ、って感じになってきてる。これ、無論、悪いことじゃないんだが…経済的にどこまでやれるんやら。ちょっと心配だなぁ。

ところで、本日の目玉のひとつは、アンサンブル系と独奏系で異なるコントラバスを使っていたところにありました。
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正直、小生には響きが締まるようにしてるみたいとか、音程をちょっと微妙に違えたりとか、そんなアホでも判ることしか判らず、技術的に両者にどのような違いがあったのかはなーんにも判らんです。アホじゃ。ただ、合奏系で使った楽器は、毛利さんがお使いになっていたものだったそうな。そう言われると、なんだか懐かしい音に聴こえてしまうのは…ま、今の自分が置かれている環境もあるんだろうけどさ。

御上や公共自治体がお金を出してくれなくても、こういう地道な室内楽協会があり、ちゃんとした音楽が弾かれ、聴かれている。人生のある時期をこんな風に過ごす、こんな風な平日の午後があるなんて、大阪市長さんには想像もつかないんだろうなぁ。

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今年のミューカル・アメリカ大賞はフィンケル&ウーハン [演奏家]

「ミュージカル・アメリカ」大賞っても、歌って踊って楽しい娯楽のミュージカルじゃあありません。「全米音楽賞」とでも訳すべき、所謂クラシック音楽業界のその年の最大功労者を頌える名誉ある賞です。ま、日本で言えば、そうですねぇ、讀賣文学賞とか、新人じゃなくて実績ある大家に一区切りの賞を与える、って感じのもの。ちなみに昨年はアンネ・ゾフィー・ムターが大賞でした。アメリカじゃないじゃないか、と思うかもしれないけど、ムターは昨シーズンはNYPのレジデント・アーティストだったんで、NYCでは地元の人だったわけですわ。

んで、今月の頭に2012年の「今年の音楽家」が発表されました。なんと目出度や、ウーハン&ダヴィッド・フィンケル夫妻であります。
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ミュージカル・アメリカ大賞が2人の演奏家に与えられるのは初めてとのことですが、ま、これまでも数年前にクロノスQが貰ったり団体としてはあるわけで、ウーハン&フィンケル二重奏が受賞した、というのが実態なんでしょうね。
http://broadwayworld.com/article/Musical-America-Announces-2012-Awards-20111103
ま、小生なんぞからすれば、「おお、とうとうリンカーンセンター室内楽協会が受賞したか」って感じですけど。指揮者やソリスト、オペラ歌手が貰っても「ああそうですか」だけど、こういう室内楽オーガニゼーションのディレクターが偉い賞を貰うなんて、なんとも嬉しいなぁ。

リーマンショック以降、オーケストラやオペラ、はたまた実験的な現代音楽が火が消えたようになってしまったアメリカ合衆国の業界、なんせこのところ、NYCに行かなきゃならんぞ、と思うようなイベントがとんとありません。そんななかで、集客だっていつも良くはない地味な室内楽が評価されたのは、いざとなったらこういう小さな規模で地味にちきんとしたことがやれてるのがいちばんなのさ、ってことなんだろー。そう正直に受け取りたいもんです。他にあげるものがなくなっちゃったからさ、なんて思っちゃいけないよ、そこの貴方。

さても、そんなフィンケル&ウーハン二重奏、来る12月13日にはソウルのアーツセンターが10月にオープンした室内楽ホールのオープニングシリーズ、最後を飾る公演を行います。時の人の登場です、さあ、みんなでソウルに出かけましょう!その前日と前々日には、エマーソンQとジュピターQもありますから。
http://www.sac.or.kr/eng/bannerPage.jsp?htmlURL=/eng/lab2011/ibkchamber/index.html

…てなわけで、小生は当然ながら行く準備をしていたのですけど、プライヴェートで東京を離れられない状況になってしまい、昨日、泣く泣くキャンセルしました。だから、誰かちゃんと聴いてきてちょ!

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ラトルBPOがブルックナー9番4楽章版を録音 [演奏家]

引っ越しが3つ平行して走っているところに、実家のオヤジが病院に担ぎ込まれ、もう笑っちゃうような状況です。電子壁新聞なんぞやってられないのはお許しを。

とはいえ、EMIさんが少しでも告知して欲しいようなんで、ひとつだけニュース。本日、EMIJapanが主催するラトルの記者会見がサントリーホールの裏であって、極めて重要な情報が開示されました。
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ラトルとベルリンフィルの今シーズンのEMIへの新譜録音は2点。ひとつはなんと「カルメン」全曲。今時オペラがスタジオ録音出来るなど信じられないことだ、とラトル監督も呆れて(じゃなくて、驚いて)おりました。
もうひとつはもっと驚愕で、なんとなんと、一部では極めて有名なブルックナー交響曲第9番終楽章補筆完成演奏譜面による4楽章版だそうな。明日、サントリーでは3楽章版が演奏されますけど、ベルリンの定期ではこの4楽章版が演奏され、それだけではなく、正規盤としてセッション録音が行われます。

記者会見では、わしら音楽関係記者連中は、とるものとりあえず「ブルックナー9番の4楽章版の評価は?」と訊ねようと意気込んでいたら、ラトル監督、御自身からこの版の評価について延々と話し始め、評論家共はもう大喜び、数多い一般メディアの記者さんたちは「なんの話かさっぱり判らん」って感じでありました。

てなわけで、内容は各音楽雑誌などに出るでしょうから、そっちをご覧あれ。あのアイネムのトリビュート作品でも派手に鳴っていた未完のコラールが、いよいよベルリンフィルの金管群で高らかに響きます。乞うご期待。

なお、EMIのユニヴァーサルへの吸収に関しては、一切のやりとりはありませんでした。ベルリンフィルの広報担当さんが、そのことについてさり気なく触れているな、と判る人には判る発現でちょっとだけ触れてはいましたけど、その程度。日経の記者が正面から堂々と質問する、ってこともなかった。ううーん、今こそ日経のあのパワーを発動して欲しかったのに、先頃の人事異動が残念だぞ(我々フリーには、EMIさんとの力関係から、とてもそんな質問は出来ませんから)。

てなわけで、最低限の情報更新でした。この先暫くはこの調子。眺めても楽しいネタなどなんにもありません。悪しからず。

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ラザレフ御大ホームランを予告す! [演奏家]

今週の土曜日は、ホントに困っちゃうほど沢山の演奏会があって、ターサ=キンスキー先生から「私の新作を宜しく」と言われている一方で、311直後に一緒に香港ツアーをした御陰でなにやら親近感のある日本フィル首席指揮者ラザレフ氏からも、スゴイ宣言をされてしまいました。

本日、日本フィル練習場で記者会見があり、一応は商売ものなんだけど、告知宣伝という意味では直ぐにでも記さないと腐っちゃうお言葉なので、敢えてこんなへっぽこ三文壁新聞にアップさせていただきます。

この金曜日と土曜日にサントリーで行われる定期を以て、ラザレフ&日フィルはラフマニノフ・チクルスを始めます。その冒頭一発に据えられるのは、言うまでもなく、第1交響曲。この作曲家のファンの方なら、超有名曲の第2ピアノ協奏曲の演奏会に行く度に、「第1交響曲の散々の失敗で3年間作曲出来なくなったラフマニノフが、根性を振り絞って書き上げた出世作」という解説をお読みになっていることでしょう。そー、この週末に演奏されるのは、音楽史上希な初演の大失敗ばかりが知られ、あまり演奏されることのないこの大曲なんですわ。
http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/concert.cgi
んで、ラザレフ御大、記者会見の最後の質疑応答でこの作品の評価を記者に質問され(誰がそんなこと訊いたかは教えません)、こう仰いました。曰く、
「ラフマニノフの第1交響曲の初演の失敗に音楽的な理由はありません。あくまでも指揮者のグラズノフに責任があります。そのことは、私が明後日の演奏会で証明いたしましょう。(ラザレフ)」
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おおお、すげええええカッコイイ大見得だっ!これって、予告ホームランじゃないですかぁ!もう、こんなハッタリかました発言を聞いただけで、こりゃ行かねばならぬと思っちゃうでしょ。凡百の指揮者じゃあ、ここまで断言は出来ませんわなぁ。

てなわけで、お暇な方は金曜日はサントリー、土曜日は晴海へいらっしゃいませ。

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ヴェトナム国立管のUSツアー [演奏家]

日本語文化圏ではどのくらい紹介されているか皆目見当がつかない情報です。もうすっかり知れ渡っていることだったら、今週末ですよ、という注意喚起記事ということで。

この週末から、ハノイのヴェトナム国立交響楽団が北米ツアーをします。
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この文章に接し、感慨をもって遠い目をすることが出来る人って、今はどれくらいいるんでしょうねぇ。少なくともある世代以上にとってみれば、「へええええ、そういう時代になったのかぁ」と感じざるを得ない話でしょう。
http://www.bocca-lupo.com/concert/2011/images/Vietnam_USTour_release_ENG.pdf
http://www.carnegiehall.org/Event.aspx?id=4294979380
http://www.bso.org/bso/mods/perf_detail.jsp?pid=prod4180214
なんでご紹介するかといえば、なんのことはない、ボストン響から半額チケットのご案内が来たからです。うううん、売れてない、ってことなのかしらねぇ。

北米にはヴェトナム人コミュニティがゴッソリあり、特にワシントンDC近郊のヴェトナム人居住区は有名ですね。理由はもう、誰でも判ること。サイゴンが陥落するときに、C-5墜落事件なんてスゴイことがあった中を命からがら宗主国(?)に逃げてきた連中が沢山いて、その後の戦後ヴェトナム不安定期のボートピープル受け入れなんかも行った。いまや戦後30年以上が過ぎ、世代も変わり、もう歴史になっている。製造業では中国を見切った企業がドンドン進出していて、ともかく人件費が安い割にそう酷いことになっていない社会ということで、今や中国と共に実質破綻の世界巨大資本主義社会を救済する共産主義国家のひとつとなっている。文化は中国と違ってフランスがしっかり植民地やった御陰で西洋文化をあっさり受け入れる土壌はあるわけで、オケもあるし、オペラハウスもあるし、フランスパンもあるし。

てなわけで、今回の北米ツアーも、特に「NYフィルが平壌に」みたいな意味はない。はたまた30数年前に生き別れた同胞が涙で出迎える、というわけでもないようだ(DCでやらないみたいだし)。ま、普通の新興経済国家から来たオケ、って風に見えますね。無論、それで済む筈がないわけだけど、ヴェトナムの後に、USAはあちこちで同じ事をやってきているわけで(メディアコントロールをヴェトナム戦争で学んだ御陰で、ヴェトナムのときみたいな国内世論の分裂は強引に覆い隠しながら)、いまや過去の歴史なのかしら。米西戦争とか、米墨戦争とか、ってわけにはいかぬのだろーが。

我々からすれば、指揮者が本名さんというのが嬉しいですねぇ。まあ、他に適任者はいないだろうけど。ハノイでマーラー・チクルスやろうなんて考える方ですから、北米ツアーも当然の射程内なんでしょう。それになんといっても、本名さんは今やFukushima背負ってるわけだし。NYなんぞではそっちの方が話題になるかも。

王子ホール立ち上げで近代現代作品を中心とする「レジデント・オーケストラ」のジャパン・チェンバーを自分で作って持ち込み、未だタブーだろう騒動で辞め、オランダから古楽奏法の日本での旗振りをやって、ふと気付くとハノイにお城を構えていたという不思議な力の持ち主、いよいよきっちり評価されるときがやってきたわけです。なんとか成功して欲しいもんですな。

てなわけで、日曜のNY、月曜のボストン、お暇な方は是非どうぞ。

どーでも良いことだけど、ハノイから北米東海岸に行くときって、成田やらソウル、上海などを経由する太平洋横断路線なのかしら、それともヨーロッパ経由なのかしら。今時は、ドバイ経由、ってのもあり得るなぁ。いずれにせよ、地球の反対側ですな。

追記10月28日

評論家のNさんと、某新聞社系音楽雑誌の記者H氏と、カーネギーに行かれたそうです。雑誌記者さんはボストンまでまわったとのことで、音楽雑誌に記事は掲載されるとのことであります。良かったですねぇ。

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Es mussめ sein! [演奏家]

本日、エクが立川で続けているベートーヴェン・サイクルの5日目、作品130、大フーガ、作品135というとってもヘビーな日の本番直前に、チェロの大友さんに待望の最初のお嬢さんが誕生しました。御目出度うございます!

終演後、スタッフから奥様にと花束を贈られ、なんだかもうニコニコの大友パパ、慌てて母子が待つ遙か東へとチェロとでっかい花束抱えて中央線に揺られておりました。
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この立川の演奏会、市の小さな集会場でヒッソリ開催されていて、定員は200人弱。無料で招待なんで、これまでは敢えて当電子壁新聞では宣伝もしてきませんでした(と、思うが)。がりがりのベートーヴェン、会場はまあ普通の講堂、殆ど宣伝しなくてもこれだけ聴衆がやってくる。このような、それこそドイツやイギリス、アメリカの田舎みたいな小さい音楽協会の演奏会みたいなものからそれなりにお声がかかり、それなりに処理していることで、エクはなんとかやっていけている。立川、神奈川県沼南地区の某先生、慶応の先生、などなど、ホントに「足が地に着いた」音楽が好きな人たち。そういう人たちがベートーヴェンの後期クァルテットをじっくり聞いてやろうというのだから、日本国民もなかなかやるではありませんかっ。うん。

ベートーヴェンの後期が、このとんでもない社会に産まれてきた新しい命を迎える、優しい音楽に聴こえた晩でした。「カヴァティーナ」も、作品135第3楽章も、決して葬式のための音楽じゃあない。

エク、正に「弦楽四重奏という名の中年(ってにはまだ早い)」実践中。

擦れ弓 産声真似る カヴァティーナ

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