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なぜ韓国でイサン・ユン生誕100年が今ひとつ盛りあがらないか [現代音楽]

今年2017年は、作曲家イサン・ユンの生誕100年でありまする。生誕地統営では、記念日の9月にはハインツ・ホリガー指揮フェスティバル・オーケストラで記念演奏会が開催されたりしますです。
http://timf.org/eng/ticket/concertView.do?board_id=153&article_id=5506
日本でも…って言いたいところだが、あんまり、ってか、全然盛りあがっていない。ひとつだけ、100歳のお誕生日の9月17日に、フルートの吉岡次郎さんが小規模な協奏曲ばかりを集めたリサイタル(というのかしら)を行い、そこでイサン・ユンのフルート協奏曲を演奏し、お祝いしますです。
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それにしても、これだけのビックネームの生誕記念年なのに、今年のソウルの春恒例オーケストラ・フェスティバルでもソウルフィルが1曲ちょろっとやっただけだし、韓国国立オペラが《シムチョン》を上演するわけでもない。うううん、なんだか不思議だなぁ、もっと猛烈に盛りあがってもいいだろーに、なんなんだろーか、と思わずにおられぬ感じでありました。

で、先程、フルートの吉岡さんとお話する機会があったて、興味深い事実を知りました。まあこれは原稿には使わないことだろうから「商売にならないことを書く」当電子壁新聞向けのネタと判断し、以下にサラッと記します。

要は、パク・クネ前大統領が、イサン・ユンを「北朝鮮に行ったことのある人物」という理由でブラックリストに挙げていたそうな。それがどういう意味で、社会的にどういうことが起きるのか知らぬが、ともかく「取り扱い要注意人物」になっていたとのことでありますよ。

へえええ、なーるほどね。納得して良いのか判らぬが、なんだか腑に落ちる話ではあります。

共謀罪のある社会ってのは、こんな感じになのでしょーかねぇ。あいつは共謀の疑いがあるらしいからヤバイ、となると、みんなでないふりをする、触れないことにする…のかな。

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舞踏要素極大の《サティアグラハ》 [現代音楽]

バーゼル歌劇場で《サティアグラハ》を見物して参りました。この先、ベルリンのコミーシュ・オパーなどでも上演されるプロダクションだそうなので、日本語文化圏の方も沢山ご覧になると思いますから、ま、少しは見物前の参考になるかな。ってか、ぶっちゃけ、「きっちり心構えして会場に来た方が良いよ」というお節介でありまする。

この舞台、バーゼル歌劇場の売りプロ(ドイツ語圏お馴染みの€3くらいでそれほどたいしたことが書いてあるわけではない配布物で、日本なら「これなら無料配布にしろ」と言う声も挙がりそうなもんですが、伝統なんでしょうねぇ、これも)に記されたキャスト表のガンジーやらミス・シュレーセンやらの歌手の下に、「Eastman」という,恐らくは団体名だろうなぁ、という表記があり、その下に「Kazutomi Kozuki」などという明らかに日本人と思われるいくつかの名を含めたいろんな人種っぽい12名の名前が並んでいる。どうやら、ベルギーのダンスカンパニーみたいでありまする。
http://www.east-man.be/

んで、その隣のページに指揮者ジョナサン・シュトックハマー以下、スタッフ名が並んでるのだけど、指揮者の次に書かれているのは演出&振り付けInszenienrung und Choreografieのシディ・ラルビ・チェルカウイ(と読むのかしら、Sidi Larbi Cherkaoui)。どうもEastmanなる舞踏カンパニーの監督さんのようでありまする。

もうこれで、だいたいどんなことになるかは想像がお付きでしょう。そー、この舞台、ぶちゃけ、「歌手や合唱団を伴う現代舞踏」ですわ。オペラ、という言葉を本来の意味の「作品」、要は「いろんなアート作品を全部ぶち込んだもの」という意味で捉えるなら、誠に以てオペラです。だけど、ヴァーグナーやヴェルディ的な意味での19世紀のロマンティックな「オペラ」とは、ちょっとどころか、相当に違ったものでんがな。ぶっちゃけ、歌手がベルカントで声を出すのがメインではなく、そういう要素もたっぷりあるけど、メインは今風のヒップホップやらストリートダンスから山海塾的なモダンダンスまでいろいろな要素を取り込んだダンスなのでありまする。

舞台の上には、最初から最後まで普通の意味での「装置」はありません。じゃあ、今時の証明やらレーザー光でいろんなことをするのかといえば、それもない。装置はないけど合唱団が全員鼠とか、そんなとんでもない着ぐるみが次から次へと出て来るわけでもない。人体とその動きが、背景になり、装置になり、あるときは板を保ってきて作業机や黒板にする際の黒子にもなり、はたまた群衆の動きにもなる。無論、「怒り」や「苦悩」を象徴する文字通りの舞踏にもなる。

と、いうところまで判った上で、このバーゼル歌劇場の公式ページにあるトレイラーをご覧あれ。
https://www.theater-basel.ch/Spielplan/Satyagraha/oeU4hpse/Pv4Ya/
このトレイラー、無論、音楽と映像は合ってないのだけど、基本、ずーっとこんな感じだと思って頂いて結構です。ともかく、歌手や合唱団がものすごく演技をする、というより、踊るのですわ。ガンジーが南アフリカの港に到着し、南アフリカのインド人差別を世界に伝えた奴ということで庶民からリンチにされる場面では、ガンジーさん、ホントに胴上げから放り投げに近いことやら、逆さにされるやら、酷いことをされながら歌わねばなりません。登録証明カードを一斉に燃やす場面や、最後のクライマックスのニューキャッスル大行進でも、ガンジーさんは舞台の上をかなり複雑な導線で動きまわらねばならない。しばらくの間、ガンジー役は歌手と舞踏家の2人1役なのかと思ってました。

逆に、これまでの《サティアグラハ》上演(ウィルソンの決定版の影響力が強過ぎて殆ど別の演出が出ていない《浜辺のアインシュタイン》とは異なり、この作品はいくつもの演出が出てます)であったけれどこの舞台ではないものは、各幕に記されたトルストイとかゴダールとかキング牧師などの象徴性です。それらしき人物が舞台に配されることもありません。

なんだか、言葉で説明するのがとっても無意味に感じる部分も多い舞台なので、もういいや。ともかく、最初から最後まで、どっぷりミニマルな音楽の変化に細かく反応しつつ人々が動き続ける、というモダンアートを3時間10分眺め続けるみたいなステージでありました。
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ただ、敢えて記せば、過去のどの《サティアグラハ》よりも歌手が弱いなぁ、という感は否めませんでしたです。最後のガンジーの「夕暮れの歌」すらも、舞踏の伴奏のように感じてしまった程なので。

ま、なんにせよ、「20世紀後半に書かれた最大にして最高の舞踏音楽」と割り切れば、これはこれでありなのだろうと思います。昨日はたまたまバーゼルアーツというこの都市としても非常に重要な現代美術展の真っ最中で、空港には関係者送り迎えのブースがあったり、街に様々な現代美術の展示があったりしていて、客席の小生の周囲にも明らかにそっち関係の人がいっぱいいました。そういう音楽系ではない、尖ったアート系の方々には、この音楽と演出、というか、舞踏は、ものすごくアピールしてました。なるほどねぇ、やっぱりグラスの作品って、オペラ愛好家や音楽愛好家よりも、現代芸術関係者の方が直接刺激されるものがあるだろーなー、とあらためて思ったです。

2週間の時間を経て眺めた《浜辺のアインシュタイン》と《サティアグラハ》が、まあものの見事に正反対の方向性の演出だったのは、これらグラス初期傑作群はホントの傑作であるという証明なのでありましょう。

この舞台、証明書を燃やす抗議運動のところまでをアンバランスなほど大きな前半にして、後半はニューキャッスル大行進と「夕暮れの歌」だけに分けてる。その幕間に風を浴びに劇場の外に出ると、週末の劇場前の空間にたむろしている若者達が、俺たちはお前らセレブが聴くようなつまらん音楽は聴かないぜ、ってか、これ見よがしにデカイ音で自分らの音楽を流し始める。
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ところがさぁ、彼らが流すインド系なのかなぁ、インド料理屋で流れてるような音楽が、今さっきまで劇場の中で鳴っていて、これからまだ1時間くらい流れる音楽と、そう遠いものではない。ってか、君たちがカッコイイと思って聴いてる音楽をもぅおっとカッコ良くしたものが今劇場で鳴ってるぜ、って教えてあげたいくらい。あの若者達を劇場の中に入れてあげれば、ぎぇええええすげええええ、かっこええええええ、オペラすげえええええ、と思うこと確実だろーに。

ま、そういうもんを「公立劇場」がしっかり出しているというのは、やっぱり、凄いことであります。はい。

以上、全く本気で感想を書く気が無い感想でありましたとさ。ひとつ言えるのは、わしゃもうこの演出は結構です、ってこと。舞踏好きの方は、是非どうぞ。ベルリンで出るときは眺める価値はありますよ。

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文楽人形のような子供達 [現代音楽]

ちょっと前に日生劇場で上演され、帝都でもそれなりに話題になったライマンの《メデア》の独都初演となっている舞台を見物してまいりました。場所は,今、ことによるとこの地でいちばん面白い劇場、コミーシュ・オパーです。

ええ、どうもこの街に来ると、昼間っからいろんな人達とアホみたいにデッカいジョッキをひっくり返してシュニッツェルやらアスパラやらを喰らってしまい(肉団子はパス)、べろべろへべれけになって劇場やホールに至り…という悪いパターンが定着していて、昨日もしっかりその悪習を繰り返してしまい、リンデン通り挟んだ反対側の「カフェ・アインシュタイン」なる今回のドイツ滞在を象徴するような名のみんな知ってるカフェを出て劇場平土間真ん中に座ったときは、もー前頭葉は活動停止状態。ましてや目の前にデカイおっさんが座れば舞台真ん中はみえないような構造なんで、メデアが一生懸命なんか掘り返していたり、埋めていたりするのがよく見えず、結果として前半はほぼ轟沈。なんで、流石にこの無責任電子壁新聞の「感想になってない感想」としても、とてもじゃないがまともなことは言えない。とはいえ、本日からまた弦楽四重奏の世界に頭が戻れば、多少なりとも思ったことをすっかり忘れてしまうこと必至。で、おぼろげな記憶から、メモのように記しておきます。自分の為のメモですので、悪しからず。←いつもじゃないか、と突っ込まないよーに

日本でも目敏い追っかけマニアさんらが注目しているベネディクト・アンドリュースが演出を手掛けるこの舞台、基本は、全く以てまとも。変なことはなーんにもしてません。その意味で、今、東京は初台で出ているフリードリッヒ最晩年の《リング》なんかが出て来た,遙か遡ればスタニフラフスキー・システムなんぞという懐かしいところから、ブレヒト経由してしっかりこの街に根付いている「リアリズム演劇を前提としたオペラ演出」のモダン版。妙なテクノロジーも全く用いない、ホントにストレートプレイに近いものです。

なんせ日生劇場と比べてもまだ小さい(とも思えないのだけど…)劇場で、ピットも小さく、この劇場でこの類いのもんをやるときの恒例の打楽器ピットからあふれ出し、という状況。で、あのライマンのこれでもかという音楽をドッカンドッカン無慈悲に鳴らし、歌手が無慈悲に叫びまくる、というもの。前半最後のメデアのモノローグは、まあ、それは演技歌音楽総ざらえでそれはもー「ロマン派の究極形態としての表現主義」を目にするようなもので…こういうもんがあらためて21世紀に出て来るんだわねぇ。

そんなこんなの濃厚にしてどぎつい、日生の舞台は音楽含めまるっきりお茶漬け風味の薄味にしか思えぬ舞台の中で、最も印象的だったのが、子供達の扱いでした。この演出、子供らは最初から舞台の奥に座っている。
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よーく見ると、人形なんですわ。かなり大きな、文楽人形に今の子供のシャツなど着せたようなもの。その人形を、メデアやらクレウサやらが扱うんだけど、これがまぁ、とっても上手、というか、訓練された扱いで、まるで「静かな、大人しい、無表情なよい子達」に見える。周囲の登場人物やオーケストラが大騒ぎをすればするほど、子供達の静かな礼儀正しさ、こんな場所でも一生懸命順応して生きていこうと子供なりに頑張ってるんだろー、って感じがガンガンに伝わってくる。ホント、完全に文楽の世界です。

で、そんな子供らを、舞台の真ん中で、メデアは頸をかききって殺します。オケが子供の悲鳴のような、弱音の叫びを挙げる。ホントに、人形が死んでいく…

いやぁ、刺激が強すぎてR指定にしないと、トラウマになるんじゃないか、というような、フォルテシモを鳴らし続けた中で、いきなり再弱音だけで表現されるものの強烈さ。その直後、クレウサはホントに火に包まれて死ぬのだけど、絵ずらとしては遙かに刺激的なそっちよりも、遙かにインパクトがある子供殺害シーン。

数あるメデア舞台のなかでライマン作品が特徴的な、最後のクレオンとメデア再開の静寂感は、もうその前に充分に先取りされている、って感じでした。

てなわけで、ともかく,メモ。そろそろ空港に移動せねばならないので、これまで。

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舞踏要素極小の《浜辺のアインシュタイン》 [現代音楽]

ケイ・ボジス(Kay Voges、なんかこういう日本語表記らしいです)演出の《浜辺のアインシュタイン》を見物してまいりました。休憩無し3時間15分程の舞台で、この作品としては短いと言えましょうが、やっぱりもの凄く疲れてるので、忘れちゃわないうちの備忘録として自分の為に記します。

数年前にここの劇場の方のインテンダントだったという演出家ボジス氏、劇場発表の印刷物には全て「フィリップ・グラス&ロバート・ウィルソン」の作と記しているのに
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ウィルソン演出とはまるで異なるコンセプトを出して来てます(ドイツ版wikiを眺める限り、オペラ系はさほどやってる方ではないようです)。漸く昨年に第3ヴァージョンの正規盤Blu-rayも出た過去の3ヴァージョンあるウィルソンのオリジナル演出のコピーなりアップデートなりではありません。まるっきり違うものです。公式の宣伝映像はこんなもの。
https://www.theaterdo.de/detail/event/einstein-on-the-beach/#prettyPhoto/1/
恐らく、この作品の非ウィルソンの演出としては、初演後比較的直ぐにシュトゥットガルトだかどっかあの辺りで出たもの、一昨年にアデレードで初期三部作として上演されたものに継ぐものじゃないかしら。詳しい方、教えてちょーだいな。

さても、この演出、一言で言えば、「限りなく舞踏の要素を排除した《浜辺のアインシュタイン》」でありました。なんせ、2箇所に巨大な舞踏シークエンスがあって、最後には「宇宙船」は総まとめのような大ダンス・シーンでクライマックスが築かれる作品とみんな思ってるでしょうから、それが無いってなんなんじゃいでしょ。でも、無いんです。ふたつめの舞踏シーンでダンサーが2人になるのが最大で、ウィルソン版では最も因習的な舞踏シーンが延々続く最初のところでもダンサーはひとり、「宇宙船」でも同様。

じゃあ、どうしているのか、ってば、代わりに演劇の要素を突っ込んでるのですわ。ひとり、ウィルソン版にはまるで登場しない基本ドイツ語を朗読する役者を出し、本来の台本にはないテキストを舞踏シーンで読ませています。役者は、《サティアグラハ》でガンジー役などをやらせたらイメージ最適、って感じのオッサンで、ドルトムント劇場の役者さんみたい。テキストは、ええと、上の方の字幕のところに一瞬出たのをノートしたのだけど、うううん、読み取れないぞ。ええと、最初のところは…Schizpophrerie nd Sparache、かな。もうひとつ、二つ目の方は、ドイツ語訳の「ゴドーを待ちながら」の断片とありました。

そもそも冒頭のニープレイのときから、舞台奥に陣取るアンサンブルの前に2人の女優さん(なんでしょうねぇ)が立っていて、アンサンブルの後ろに合唱団が入ってきて「わんつーすりーふぉー…」と歌い始めるとナレーションを被せてきます。
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この2人がいろんな風に動き、ウィルソン版の英語の朗読を担当する。とはいえ、これもかなり弄られていたみたいだったぞ。なにしろ終幕のニープレイでも、あのバス運転手のバリトン声で恋人達の姿を労働句するのではなく、女優さんふたりが手紙を読み上げるようにドイツ語で語ってる。極端な比喩をすれば、「ヴォータンの告別」がソプラノ二重唱になっちゃったみたいな感じですわ。
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カーテンコールにて、演劇チーム。白いジャケットのオッサンがナレーション役者さん、で、隣の青と赤の頭が女優さん。写真いちばん左手の男はダンサーさんで、でっかい脳の被り物に入って踊ったりで著集には誰だかわからないので、「デッカい脳」とTシャツに書いてある。

細かく説明しているとキリがないけど、舞踏のシーンは、音楽と最小限の舞踏と、それにナレーション手置き換えられる。実質的には、初演の頃にはなくて今はとても重要な武器になってるのが映像で、舞台奥全体の上下するスクリーンと、白い細い糸みたいなものを束ねて舞台の前の方で左右から動いてきたり、回転したりする、斜幕上のスクリーンに様々にイメージが投影され、それが舞踏の代わりになってます。

それらの作業の積み重ねの結果として、オリジナル版よりも遙かにグラスの音楽が表に出て来ます。

なんせ、アンサンブルの中にお馴染みのアインシュタイン姿のヴァイオリニストがいるのは毎度ながらだけど、完全に独奏として舞台の真ん中に出て(電子楽譜とスタンドを自分で持って出て来る)、ナレーションの老俳優と絡んだりします。最後も、ナレーターふたりが去った後に、舞台が暗転するまで真ん中で1人で弾いているし。
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これがカーテンコールでの音楽チーム。実は、いちばんたいへんなのはヴァイオリンの隣に立っているキーボードの女性。実質上の全体を支える通奏低音奏者みたいなもの。

もうひとつのデッカい独奏で印象的な「都市」の場面では、これが合唱団が舞台から客席に下りて歌いながら歩き回り、それと一緒にサクソフォン独奏も客席を歩き回ります。まるっきりシアターピースですわ。指揮者と合唱団が舞台の前に出て来て、合唱の演奏会みたいに歌うところもあったり。

合唱団も大活躍。過去の演出ではどれもピットに入っていたり、隅っこに立っていたりしてさほど目立つ扱いはなく、なんとなく仕事の割に報われない感漂う合唱団なんだけど、この演出では実質上オペラの出演人物となっています。「宇宙船」では原始人の着ぐるみを着て客席から出て来たり。独唱歌手も扱いが大きくなっていて、「夜汽車」では、2人の歌手が真ん中で完全に二重唱を延々しています。どこだったっけかなー、完全にソプラノ独唱がステージ真ん中で延々とヴォカリーズを続けるアリアになってたところもある。

なんだかこれじゃ全然判らないかもしれませんねぇ。スイマセン、でもまあ、つまるところ、「《浜辺のアインシュタイン》をあくまでも音楽メインに捉え、現在ある照明、電子技術その他を駆使して視覚化する。舞踏がないともたない部分は、敢えて別のテキストを追加することまでしてカバーする」というやり方。

会場となるドルトムント歌劇場はかつてナチスに潰されたシナゴーグの跡地だそうで、それを非常に大事にしている記念碑などがいろいろあるから
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この作品に読み取ろうと思えば強引に読み取れなくはない「ヨーロッパからアメリカ、そして宇宙へと至るユダヤ人アインシュタインの旅」を演劇的に強調するのかなぁ、と開演前には勝手に推察していた。だけど、まるっきり外されましたね。好き嫌いはともかく、こういう手があるのかぁ、と大いに感じ入りましたです。アデレードの演出が、舞踏出身の演出家さんだったこともあり、全三部作を全て舞踏の視点から作り直すような舞台だったのとは、ほんとにまぁ、正反対のアプローチでありまする。

この作品、ことによると、やりようによっては案外と生き延びるかもしれんぞ、近未来には演出家が最もやりたい作品になるかも、なーんて思わされましたとさ。

ヘバヘバなので、これでオシマイ。もう寝ます。

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バーンスタイン100年祭概要発表! [現代音楽]

果たして「生誕100年記念イベント」が「現代音楽」カテゴリーなのか、些か疑問がないでもないけど、まあ、その辺りはえーかげんでもかまわんべー。

来シーズン頭の9月から賑々しく始まる「バーンスタイン生誕100年」の概要がレナード・バーンスタイン・オフィスというところから発表されました。出版社のプレスリリースをまんま貼り付ける訳にはいかんでしょうけど、イベント概要なら問題はないでしょうから、以下に貼り付けます。ほれ。
http://www.boosey.com/downloads/B100_Centennial_Events_Announcement.pdf
どうもこの一覧でも全てではないと出版社側も判っているようで、ともかく「演奏するから楽譜を…」という連絡を受ける窓口の出版社としては、これくらいは把握しているぞ、ということみたい。

正直、とてもじゃないけど全部開けて見るのもたいへんなので、ま、お暇で関心のある方はどうぞ。概要は、こっちの方が良いかな。これも概要と言え、随分細かい字でいっぱい書いてありますね。
http://www.boosey.com/cr/news/100996

日本でもイベントがあるぞ、と書いてあるけど、このアナウンスの時期よりも一足早く7月に大フィル定期で《ミサ曲》が上演される他に(一覧表には掲載されてますね)、なんか大きいもんはあるんかいな。

ともかく、どうやら世界は「バーンスタインの年」になるらしー。幸か不幸か、室内楽業界はクラリネット奏者さんが忙しいくらいかなぁ。ピアノ・トリオは密かにやられるかも。うん、その点でもマーラーと同じか、なぁるほど。

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香港フィル演奏の新作について [現代音楽]

どういう訳か知りませんが、久しぶりの日本公演を大阪はザ・シンフォニーホールでのみ開催する香港フィル、いよいよ公演は来週火曜日と迫って参りましたです。
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http://www.symphonyhall.jp/?post_type=schedule&p=7338

NYPの次のシェフに決まり、今や飛ぶ鳥落とす勢いのヤープがポディウムに立つとなれば、先物買いのマニアさんなら「なんで東京でやらんのじゃ」と怒り出す勢いでありましょうねぇ。

さてもこの公演、殆どの方には関心がないだろーけど、もうひとつ、大きなウリがありまする。それ即ち、最初に演奏される若き香港ベースでどうやら半分はイギリスに居るらしい作曲家、ファン・ラムの管弦楽曲であります。

この曲、ヤープと香港フィルのこの数年の世界ツアーでは盛んに演奏されているようで、この類いの「海外ツアー向けに書かれた香港を紹介する楽しい序曲」かなんかだと思っちゃいそうなんだけど、ところがどっこい、かなりガリガリの「現代曲」でありまする。諸般の事情でこの公演の広報関係のお手伝いをすることになり、録音を聴いたりすることもあったわけですが、へえ、というくらい面白い曲です。強いて言えば、「五」という数に拘った音楽で、五音音階の今風な展開を大真面目で考えている。5つの強奏の間に繊細な弱音部分が挟まれる、って感じかな、聴いた印象は。

所謂「何をやってるかまるで判らないゲンダイオンガク」ではありませんし、かといって中国っぽいメロディいーひゃらぴー、ってお手軽なもんでもありません。なかなか良いバランスだな、って曲でありまする。

お暇な方は、是非とも来週火曜日にシンフォニーホールにいらっしゃいな。以下、これはオープンになっているソースなんで、作曲家自身の解説と、音が聴けるサイトを貼り付けておきます。お聴きあれ。
https://soundcloud.com/lamfung/fung-lam-quintessence

The Chinese title of the work has two layers of meaning. It literally means ‘contain’, which refers to something of positive potential. The deeper meaning relates to the concept of the Five Aggregates in Buddhism, namely form, sensation, perception, mental formations and consciousness, which are the core aspects shared by sentient beings of all shapes and forms.

The English title corresponds to a similar concept in ancient Greek philosophy. Quintessence is the fifth and the highest essence after the four elements of earth, air, fire and water, and thought to be the magical substance of gods and latent in all living things.

This concept, with its lively and positive character, served perfectly as the starting point of this work, written in celebration of HK Phil’s 40th anniversary. The composition consists of a series of short and contrasting sections which share the same handful of distinctive core musical elements, the most significant of which being the zigzag shaped melodic line, signifying the journey towards one’s goals.

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こういう曲をやるソリストを讃うべし! [現代音楽]

宣伝、というか、礼賛ですっ!

明日明後日、大阪フィルの定期演奏会で、チェロの宮田大氏が尾高尚忠のチェロ協奏曲を演奏します。
http://www.osaka-phil.com/concert/image.html

コンサートの詳細は上のチラシをご覧になっていただくとして、とにもかくにもこの無責任電子壁新聞で言いたいのは、「宮田君、偉い!」であります。

ソリストというのは、海千山千のオーケストラの面々を背に、ちょっとでも間違ったらネットで悪口を書いてやろうと楽譜抱えて待ち構えている客席の聴衆に向かい、面倒この上ない楽譜をきちんと音にし、さらには山のように遺された先達の名演に、少なくともその瞬間は匹敵する、はたまた凌駕する、と感じさせる音楽をやってなんぼ、という商売をやってるわけですな。まあ、ホントに厳密に言い出せば世界に数十人しかいないお仕事なわけで、そんな特殊なことがやれる人だけがやってると考えればそれまでなんだろうけど、でもやっぱり、とんでもないお仕事であーる。

ナクソスなんぞが次から次へと妙なレパートリーを音にしてくれてしまい、気持ちとしてはありとあらゆる音楽文献が貴方のパソコンなりスマホから音として聴けますよ、って状況になってしまった21世紀の今、すれっからし聴衆は次々と新しいレパートリーをライブで聴くことを求め、主催社側もたまにはそれに応えねばならないと考える。で、ソリスト様とすれば、若い頃から先生に叩き込まれたり、学校できちんと習って、自分の音楽としてがっつり身に付けた協奏曲じゃなくても、弾かねばならないことがある。普通は、「いやです」と言えば済む。でも、そうは言わない方もたまにはいてくれる。

というわけで、明日明後日は尾高の協奏曲を聴きに大阪フェスティバルホールに行くべし、ってことになる。第2次大戦中に書かれたドヴォコンに匹敵する巨大な協奏曲、ときいただけで、もうただものではないとお判りでしょ。あ、YouTubeにこうさんの演奏があるじゃないか。まずは、お聴きあれ。
https://www.youtube.com/watch?v=NZf7T1w_pPg

宮田氏のマネージャーさんに拠りますと、流石の宮田氏にして聴衆の皆々様の前にきちんとした音楽を伝えるためにギリギリの闘いをなさっているようで、それも一重に「ひたすら師のため」だそうな。なにせ、急遽CD録音も決まったそうで、さらにプレッシャーは強まり…

そんな中でもしっかり「勝ち」に行けるのが真のソリスト。ぐぁんばれ、宮田くん!大阪近辺の方、宜しくぅ。

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イサン・ユンとかウンスク・チンとか [現代音楽]

おいおい、もう三月弥生ではないかぁ。

ってわけで、本日から週末までで絶対に税金作業を終えねばならぬので、本日は放っておくと確実に忘れるニュースのみ。

ええと、どういう風に話題になってるかよー知らんですが、今年はイサン・ユン記念年です。で、いろんなイベントがあります。
http://www.boosey.com/cr/news/100951
中でも、手近なところで大きいのは、今月末から来月の最初の週に開催されるトンヨン国際音楽祭でありましょう。アルディッティQなんぞが来て、イサン・ユンの曲をやる。これ、商売にはならないだろうけど、なんか、うずうずするなぁ。釜山から直ぐだもんなぁ。残念ながらアーヴィンたちの日はあたしゃ沖縄日帰り等々でもう動けないのだが、エトヴェシュのオペラは魅力的だなぁ…
http://www.timf.org/eng/ticket/concertList.do?board_id=153&onair=y

もうひとつは、今やお隣の作曲界を代表する大御所となりつつあるウンスク・チン様。
http://www.boosey.com/cr/news/100948
こっちはモロに日本のゴールデンウィークのケルン…ってことは、日本からの飛行機は高い、ってことです。ま、ケルンなら、いろんな情報は入ってくるでしょうから、これはこれ、ってことで。それにしても、《不思議の国のアリス》は、案外ハードル高いんでしょうか。なかなか舞台上演がないなぁ。そんなに観たいとは思わんけどさ。

以上、トンヨンをどうするか、己を悩ませるためだけの情報でありましたとさ。さあ、税務作業じゃ。

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人の動きを否定する舞踏 [現代音楽]

これはやっぱり「現代音楽」カテゴリーだわね、ホントの意味で。

第45回香港国際芸術祭参加公演、「バイエルン州立劇場バレエ団Ⅱ」の公演を、香港芸術院の大きい方のホールで眺めてまいりましたです。オイストラフQとブルノ歌劇場《マクロプウロス事件》の間の日。

バレエなんて無縁なやくぺん先生がなんでそんな若手舞踏団(バイエルン州立劇場バレエ団引っ越し公演にしてはお安いなぁ、と思ってたら、「Ⅱ」、即ちベルリンフィルと信じて客席に座ればなんとまぁベルリンフィル・アカデミーだった、みたいなもんですわ)を日本円で8000円以上なんて大枚叩いて2階正面1列目なんて立派この上ない場所で見物するかといえば、もうひとえに演目故です。なんせメインとなるのが、あのロボコンのロボット群みたいな着ぐるみで有名なバウハウスの巨匠オスカー・シュレンマーの《トリアディック・バレエ》の本気のリプロダクションだというのだから、これはもう指をくわえて宿でボーッとしてるわけにはいかんでしょうに。
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現代舞踏関係の方なら説明なんぞ不要、衣装デザインだけなら、そうねぇ、フリッツ・ラング監督『メトロポリス』のマリア様くらいに有名な、20世紀前半大戦間時代のアイコンでもあるようなもんたち。こんなもん羽織って舞台の上をクルクルひらひら舞うのかいな、って呆れること必至の奴でんな。舞踏なんぞの世界は幼稚園生並の知識しかないやくぺん先生としても、「20世紀に舞踏の意味を問う3つの作品を挙げよ」と質問されたら、《春の祭典》(総合的な意味で)、《紅色娘子軍》(舞踏芸術が20世紀というコンテクストの中でどうやってリアリティを持つのかという意味で)、そしてこの《トリアディック・バレエ》、と答えるだろうなぁ。ま、バッテン貰いそうな解答だろうけどさ。

どんなもんか知りたい方は、YouTubeで「Triadic ballet」と引っ張ればゴロゴロ映像が出て来ますので、勝手に眺めて下さいな。

さても、本日の公演、無論、残念ながら今時のように「ステージをライブでネット配信」なんてない、映像収録なんぞ夢物語、音の収録だってままならなかった頃。舞踏譜というものは様々な試みが世に存在しているようだけど、いずれにせよ、今に判っているのは様々な制作側の資料と実演に接した観客なんぞが残した文字情報であります。
1970年代の終わり頃、前衛が終焉し、所謂「新ロマン主義」やら「表現主義再興」が叫ばれるようになった頃、バウハウスも随分と復興してきた。そんな中で、このコスチュームばかり有名な舞台作品を再現してみようという動きがベルリンとミュンヘンで出て来て、ま、当時の舞踏家さんなんぞが寄って集ってやった。音楽はぶっちゃけ、初演時にはありものが使われたそうですが、ゲルハルト・ボーナーという方が再生させたときには、なんとまぁヘスポス御大(当時は御大じゃなくて、バリバリの前衛崩れだったんだろうが)に曲を書いてもらった。で、再演され、20年近くそのプロダクションで上演されていたのだが、基本は再生初演メンバーが踊るわけで、sろそろ無理ということでオシマイになった。それを、バイエルン・バレエの二軍チームが数年前に結成されたときに、これはなかなか良いレパートリーでないの、ってことで再々生されることになって…というのがこの舞台の経緯だそーな。ああつかれた。

なんであれ、このシュレンマーの衣装そのものは、もう世界中の彼方此方で「バウハウス展」なんてのが開催されれば目玉として展示されるもんで、「へえ、これで踊るんだぁ」とみんなビックリ、どうなってるか興味津々、ということになってる次第。

さても、そういう話はネットのあっちゃこっちゃに落ちているから、それはそれとして、ともかく、アホな感想をひとことだけ。

ええ、もの凄く誤解されそうな言い方を敢えてすれば、これって、「反舞踏」なんですね。

《春の祭典》以降のモダン舞踏が、人間の身体能力をどこまでいじり回せるか無茶をさせるものなのだとすれば(そうじゃなかったらスイマセン)、これ、その正反対。「無駄な拘束具をいっぱい付けて、身体をガチガチに押さえ込んで、それで何が出来るか」って実験でんがな。無論、オブジェとしての身体、という美術の方向に向けての関心もあるのだろうし、そっちから考えれば「今時大流行のインスタレーションの嚆矢」とも強引に言えるのかもしれないけど…ま、それはそれ。

舞踏というものをなーんにも知らぬやくぺん先生とすれば、ああああ、これって一種の《四分三十三秒》だわな、って眺めてた。いかにも重そうで動けなさそうな(この演出、敢えて初演時の素材を使い、今ならいくらでも軽く作れるだろう衣装はそれなりに重くしてあるそうな)アホみたいな被り物を付けたダンサーが出て来て、訳の判らぬ音楽が鳴って、なんだか古典バレエの無理なアナロジーみたいな動きをしたり(衣装が邪魔でダンサーが手を繋げない、抱え上げられない、それどころか自分の手を組めない!)、手の先だけを動かしたり、極端な場面ではただ出て来て立ってるだけ。もう、こーなると若手芸人さんの一発芸みたいなもんですわ。出て来た瞬間のインパクト勝負!

つまり、舞台の上で妙な格好した奴がノロノロのそのそ動いて、また暗転し、12のシーンがなんのかんの1時間くらい続く、ってもんです。音楽と動きの関係は、あるといえばあるし、ないといえばない。でも、所謂「ゲンダイオンガク」が鳴ってるんで、前半のバランシンが選りに選ってチャイコフスキーの第3ピアノ協奏曲なんて超駄曲に振り付けたもんみたいに、「ひでええ曲だなぁ、やっぱり」と聴いてれば時間が過ぎる、というわけにもいかぬ。

正直、途中でつまらなくなって帰っちゃう観衆もそれなりにいました。極めて正しい反応だと思いますです。

てなわけで、このバイエルン州立劇場舞踏団Ⅱのシュレンマー舞踏リプロダクション、そうですねぇ、一度は話のネタに観ておく価値はあるとは思います。だけど、《紅色娘子軍》みたいな圧倒的なリアリティとか、もの凄い説得力とか、そういうもんじゃなくて、もの凄い知的な興味と、それから…うううん、道行く人をボーッと眺めて、あいつはなんじゃ、とか、どうしてこいつこんなことしてるんだろー、とか考えて楽しめる人ならばええんでないでしょーかね。

ともかく、「あのシュレンマーの衣装を着て、可愛らしくクルクルまわってお茶目ぇ」ってもんではありません。そこは覚悟していくよーに。

いやぁ、ホント、勉強になるなぁ。

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《紅色娘子軍》はほぼ完璧な国民主義バレエなのだ [現代音楽]

一昨日、壁の向こうの1番線ホームに到着したメルボルン・サザン・クロス駅の空港バス乗り場におります。実質たった4日間の短い豪州滞在を終え、夜行便で極東の冬の島国に戻ります。火曜日にはまた香港で、普通なら戻ることはないのだが、日曜日にNPOエク総会があり、一応は顧問なる便利屋をさせていただいているので出席の義務があり、そのためだけに一時帰国です。

さても、今回のツアーの最大の目的、中国国立バレエ団《紅色娘子軍》、初演以来延々半世紀以上続く最もオーセンティックなヴァージョンによる上演、ここまで大枚叩いてくるだけの価値はあっていっぱいおつりが来る、もうこのネタだけで1年は酒が飲めるというものでありました。
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でっかい告知には「オーストラリア独占」とあり、どうやら過去はともかく最近はこの作品を外国のフェスティバルなんぞに持ち出したことはなかったみたい。やっぱりとっても貴重な機会だったんだなぁ。

以下、自分へのメモとして記すわけでありますが、なんといってもやくぺん先生、バレエというものは殆ど見物しません。この前舞台で眺めたのは…そう、初台のブリテン《パゴダの王》で、無論、踊りじゃなくて音を聴くため。ブリテン協会のオジサンとブーシーの広報のおねーさんに連れて行かれた、という感じだった。更にその前へと記憶を遡れば…そうそう、パイゾQと話をしにコペンハーゲンに行ったとき、ファーストのミッケルがコンマスを務める国立バレエ公演があり、《白鳥の湖》でミッケルのソロがガッツリあるからこれは行かぬわけにいかんでしょー、ってのかな。無論、音しか聴いてなかったようなもの。更に遡ると…記憶がないぞ。うううん。

ま、そんな程度の奴が言うことだから、以下の話を信じてはいけません。いいですかー、なんせそもそも「書いてあることはみんな嘘、信じるな」をモットーとする無責任私設電子壁新聞なんですから!

さて、バスも世界一閑散とした巨大空港アヴァロン(オーストラリア航空ショーの開催地としてのみ有名かな)に向けて走り出し、電源もアヤシいので、思い浮かぶままに箇条書き。

◆19世紀ロマン派バレエの語法が8割で、それにローカル舞踏などが加えられる。典型的な「国民主義バレエ」作品。悪辣資本家の私兵隊長やら補給部隊のオジサンなどには、中国雑伎団っぽい動きも感じさせるコミカルな細かい動きが満載。戦闘シーンには恐らくは京劇の剣舞も入ってるのであろうか。最終場の前の赤軍突撃シーンは、極めて様式化されたマスゲームのイメージも。ここで客席から拍手が上がっていたのは、この作品の観方を心得た観衆がそれなりにいる、ということなのだろう。ヒーロー、ヒロインが拳を握って踊るアイコンは、新たな語法の確立を目指したのかしら。

◆台本は些か長大な感はあるが、とても良く出来ていて、古典として生き残るだけのきっちりしたフォーマットを備えている。以下、「美少女ヒロインは理不尽な悪党の仕打ちから瀕死の状態で逃げ出す→ヒーロー率いる正義の軍団に偶然助けられたヒロインは、軍勢に加わる→最初の作戦行動でのヒロインの私的復讐欲のため、戦闘には勝利するもボスらは取り逃がす→ヒーローは闘いは私的な報復ではなく人民のためのものだとヒロインと娘らを再教育→美少女や海南島住民の平和な時を描く温泉回及び日常回→戦闘美少女としての自覚を得て成長したヒロインも加わり、赤軍と海南島解放軍連合の総攻撃開始→撤退戦の最中にヒーローは負傷、敵に捕らえられる→悪党との妥協を拒否したヒーローは、インターナショナルが高鳴る中に火炙りにされ壮絶な最期を遂げる→師匠を失った哀しみを堪え、紅色娘子軍と赤軍及び海南島解放軍の総攻撃開始→ヒロインの一撃で命乞いをするラスボスはあえなく最期を遂げる→インターナショナルが高鳴る中、革命に殉じたヒーローに祈りを捧げ、戦闘美少女軍は世界の開放のために前進を続けるのであった。そうだ、僕たちの闘いはこれからだ!」。これ、美少女アニメのストリーじゃありませんよ。要は、深夜アニメの戦闘美少女もの12本1クール分くらいに必要な要素は全て過不足なく詰め込まれ、「闘う美少女もの」アニメを一気見したときの感じまんまであります。正に古典中の古典。

1960年代人民中国の文脈に当て嵌めれば、「人民解放軍とは何か?」、「本当の敵は誰か?」のプロパガンダでありますな。それを、極めて技術的に高い舞踏で展開し、音楽はこれ以上「いかにも」なものはないもんがくっついてる。で、ストーリーのポイントは、「復讐を越え虐げられた人民の為に闘う戦士への哀しみを乗り越えての成長」。これって、どうなんでしょうかね、バレエの物語素としてはいくらでもあるものなんでしょうか。あたしゃ、よーわからんです。
19世紀に今の近代市民主義国家が形成されるとき、山のように出て来た国民オペラやバレエは、果たしてこんな風に見えたのかしら。国会議員ヴェルディ氏が作曲する《シモン・ボッカネグラ》はイタリア統一の融和を描いたものとしてこんな風に聴けたのかしら。《ローエングリン》や《マイスタージンガー》の「ドイツ」連呼は、こんな感情を搔き立てたのかしら。

この作品にリアリティがあるかとなると、うううん、少なくとも殆どの日本国民とすれば「イロモノ」という括りに入れて他人事として眺めたいでしょうし、それ以外に見方はないのかもしれんとは思うです。21世紀の今、「己の私欲を追求する資本家VS連帯した世界人民」というVS構造は、どうなんだろうなぁ、「貴方も私もみんな、大企業組織を前提にしないと生きられなかったり、大資本を支える株やったりしてるプチ資本家」となった資本家勢力勝利後の世界に生きる我々庶民は、この構造をアクチャルなものとして受け入れられるのでしょーかねぇ。お疲れ様のプリマドンナさん。
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「紅色娘子軍は前進する、前進、前進!」と舞台の上から戦闘美少女率いる赤軍や現地解放軍が歌いながら(ホントにダンサーさんが歌ってます!)客席へと永遠に進軍してくる終幕、やくぺん先生の隣に座った中年になったばかりくらいの中国人と思われるオッサンは、一緒になって歌ってました。少なくとも、その中身をどう思ってるのかは知らぬが、この舞台はこのオッサンや隣の嫁さんには明らかに生きている。「爆笑」で済ませ、「なかったこと」とする対象ではない。

もうすぐアバロン空港です。ま、ともかく、今、この瞬間に記憶している《紅色娘子軍》の感想は、これにてオシマイ。取り落としたこと数多、ホントに若くて北京語を基礎からきちんと勉強出来るだけの時間が残されていたら「俺、これで本を書きたい」と思ったろうなぁ。うううん、ホント、まだまだ生きてるといろいろ勉強になるもんだ。

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