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バーンスタイン100年祭概要発表! [現代音楽]

果たして「生誕100年記念イベント」が「現代音楽」カテゴリーなのか、些か疑問がないでもないけど、まあ、その辺りはえーかげんでもかまわんべー。

来シーズン頭の9月から賑々しく始まる「バーンスタイン生誕100年」の概要がレナード・バーンスタイン・オフィスというところから発表されました。出版社のプレスリリースをまんま貼り付ける訳にはいかんでしょうけど、イベント概要なら問題はないでしょうから、以下に貼り付けます。ほれ。
http://www.boosey.com/downloads/B100_Centennial_Events_Announcement.pdf
どうもこの一覧でも全てではないと出版社側も判っているようで、ともかく「演奏するから楽譜を…」という連絡を受ける窓口の出版社としては、これくらいは把握しているぞ、ということみたい。

正直、とてもじゃないけど全部開けて見るのもたいへんなので、ま、お暇で関心のある方はどうぞ。概要は、こっちの方が良いかな。これも概要と言え、随分細かい字でいっぱい書いてありますね。
http://www.boosey.com/cr/news/100996

日本でもイベントがあるぞ、と書いてあるけど、このアナウンスの時期よりも一足早く7月に大フィル定期で《ミサ曲》が上演される他に(一覧表には掲載されてますね)、なんか大きいもんはあるんかいな。

ともかく、どうやら世界は「バーンスタインの年」になるらしー。幸か不幸か、室内楽業界はクラリネット奏者さんが忙しいくらいかなぁ。ピアノ・トリオは密かにやられるかも。うん、その点でもマーラーと同じか、なぁるほど。

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香港フィル演奏の新作について [現代音楽]

どういう訳か知りませんが、久しぶりの日本公演を大阪はザ・シンフォニーホールでのみ開催する香港フィル、いよいよ公演は来週火曜日と迫って参りましたです。
20160903121103_001.jpg
http://www.symphonyhall.jp/?post_type=schedule&p=7338

NYPの次のシェフに決まり、今や飛ぶ鳥落とす勢いのヤープがポディウムに立つとなれば、先物買いのマニアさんなら「なんで東京でやらんのじゃ」と怒り出す勢いでありましょうねぇ。

さてもこの公演、殆どの方には関心がないだろーけど、もうひとつ、大きなウリがありまする。それ即ち、最初に演奏される若き香港ベースでどうやら半分はイギリスに居るらしい作曲家、ファン・ラムの管弦楽曲であります。

この曲、ヤープと香港フィルのこの数年の世界ツアーでは盛んに演奏されているようで、この類いの「海外ツアー向けに書かれた香港を紹介する楽しい序曲」かなんかだと思っちゃいそうなんだけど、ところがどっこい、かなりガリガリの「現代曲」でありまする。諸般の事情でこの公演の広報関係のお手伝いをすることになり、録音を聴いたりすることもあったわけですが、へえ、というくらい面白い曲です。強いて言えば、「五」という数に拘った音楽で、五音音階の今風な展開を大真面目で考えている。5つの強奏の間に繊細な弱音部分が挟まれる、って感じかな、聴いた印象は。

所謂「何をやってるかまるで判らないゲンダイオンガク」ではありませんし、かといって中国っぽいメロディいーひゃらぴー、ってお手軽なもんでもありません。なかなか良いバランスだな、って曲でありまする。

お暇な方は、是非とも来週火曜日にシンフォニーホールにいらっしゃいな。以下、これはオープンになっているソースなんで、作曲家自身の解説と、音が聴けるサイトを貼り付けておきます。お聴きあれ。
https://soundcloud.com/lamfung/fung-lam-quintessence

The Chinese title of the work has two layers of meaning. It literally means ‘contain’, which refers to something of positive potential. The deeper meaning relates to the concept of the Five Aggregates in Buddhism, namely form, sensation, perception, mental formations and consciousness, which are the core aspects shared by sentient beings of all shapes and forms.

The English title corresponds to a similar concept in ancient Greek philosophy. Quintessence is the fifth and the highest essence after the four elements of earth, air, fire and water, and thought to be the magical substance of gods and latent in all living things.

This concept, with its lively and positive character, served perfectly as the starting point of this work, written in celebration of HK Phil’s 40th anniversary. The composition consists of a series of short and contrasting sections which share the same handful of distinctive core musical elements, the most significant of which being the zigzag shaped melodic line, signifying the journey towards one’s goals.

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こういう曲をやるソリストを讃うべし! [現代音楽]

宣伝、というか、礼賛ですっ!

明日明後日、大阪フィルの定期演奏会で、チェロの宮田大氏が尾高尚忠のチェロ協奏曲を演奏します。
http://www.osaka-phil.com/concert/image.html

コンサートの詳細は上のチラシをご覧になっていただくとして、とにもかくにもこの無責任電子壁新聞で言いたいのは、「宮田君、偉い!」であります。

ソリストというのは、海千山千のオーケストラの面々を背に、ちょっとでも間違ったらネットで悪口を書いてやろうと楽譜抱えて待ち構えている客席の聴衆に向かい、面倒この上ない楽譜をきちんと音にし、さらには山のように遺された先達の名演に、少なくともその瞬間は匹敵する、はたまた凌駕する、と感じさせる音楽をやってなんぼ、という商売をやってるわけですな。まあ、ホントに厳密に言い出せば世界に数十人しかいないお仕事なわけで、そんな特殊なことがやれる人だけがやってると考えればそれまでなんだろうけど、でもやっぱり、とんでもないお仕事であーる。

ナクソスなんぞが次から次へと妙なレパートリーを音にしてくれてしまい、気持ちとしてはありとあらゆる音楽文献が貴方のパソコンなりスマホから音として聴けますよ、って状況になってしまった21世紀の今、すれっからし聴衆は次々と新しいレパートリーをライブで聴くことを求め、主催社側もたまにはそれに応えねばならないと考える。で、ソリスト様とすれば、若い頃から先生に叩き込まれたり、学校できちんと習って、自分の音楽としてがっつり身に付けた協奏曲じゃなくても、弾かねばならないことがある。普通は、「いやです」と言えば済む。でも、そうは言わない方もたまにはいてくれる。

というわけで、明日明後日は尾高の協奏曲を聴きに大阪フェスティバルホールに行くべし、ってことになる。第2次大戦中に書かれたドヴォコンに匹敵する巨大な協奏曲、ときいただけで、もうただものではないとお判りでしょ。あ、YouTubeにこうさんの演奏があるじゃないか。まずは、お聴きあれ。
https://www.youtube.com/watch?v=NZf7T1w_pPg

宮田氏のマネージャーさんに拠りますと、流石の宮田氏にして聴衆の皆々様の前にきちんとした音楽を伝えるためにギリギリの闘いをなさっているようで、それも一重に「ひたすら師のため」だそうな。なにせ、急遽CD録音も決まったそうで、さらにプレッシャーは強まり…

そんな中でもしっかり「勝ち」に行けるのが真のソリスト。ぐぁんばれ、宮田くん!大阪近辺の方、宜しくぅ。

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イサン・ユンとかウンスク・チンとか [現代音楽]

おいおい、もう三月弥生ではないかぁ。

ってわけで、本日から週末までで絶対に税金作業を終えねばならぬので、本日は放っておくと確実に忘れるニュースのみ。

ええと、どういう風に話題になってるかよー知らんですが、今年はイサン・ユン記念年です。で、いろんなイベントがあります。
http://www.boosey.com/cr/news/100951
中でも、手近なところで大きいのは、今月末から来月の最初の週に開催されるトンヨン国際音楽祭でありましょう。アルディッティQなんぞが来て、イサン・ユンの曲をやる。これ、商売にはならないだろうけど、なんか、うずうずするなぁ。釜山から直ぐだもんなぁ。残念ながらアーヴィンたちの日はあたしゃ沖縄日帰り等々でもう動けないのだが、エトヴェシュのオペラは魅力的だなぁ…
http://www.timf.org/eng/ticket/concertList.do?board_id=153&onair=y

もうひとつは、今やお隣の作曲界を代表する大御所となりつつあるウンスク・チン様。
http://www.boosey.com/cr/news/100948
こっちはモロに日本のゴールデンウィークのケルン…ってことは、日本からの飛行機は高い、ってことです。ま、ケルンなら、いろんな情報は入ってくるでしょうから、これはこれ、ってことで。それにしても、《不思議の国のアリス》は、案外ハードル高いんでしょうか。なかなか舞台上演がないなぁ。そんなに観たいとは思わんけどさ。

以上、トンヨンをどうするか、己を悩ませるためだけの情報でありましたとさ。さあ、税務作業じゃ。

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人の動きを否定する舞踏 [現代音楽]

これはやっぱり「現代音楽」カテゴリーだわね、ホントの意味で。

第45回香港国際芸術祭参加公演、「バイエルン州立劇場バレエ団Ⅱ」の公演を、香港芸術院の大きい方のホールで眺めてまいりましたです。オイストラフQとブルノ歌劇場《マクロプウロス事件》の間の日。

バレエなんて無縁なやくぺん先生がなんでそんな若手舞踏団(バイエルン州立劇場バレエ団引っ越し公演にしてはお安いなぁ、と思ってたら、「Ⅱ」、即ちベルリンフィルと信じて客席に座ればなんとまぁベルリンフィル・アカデミーだった、みたいなもんですわ)を日本円で8000円以上なんて大枚叩いて2階正面1列目なんて立派この上ない場所で見物するかといえば、もうひとえに演目故です。なんせメインとなるのが、あのロボコンのロボット群みたいな着ぐるみで有名なバウハウスの巨匠オスカー・シュレンマーの《トリアディック・バレエ》の本気のリプロダクションだというのだから、これはもう指をくわえて宿でボーッとしてるわけにはいかんでしょうに。
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現代舞踏関係の方なら説明なんぞ不要、衣装デザインだけなら、そうねぇ、フリッツ・ラング監督『メトロポリス』のマリア様くらいに有名な、20世紀前半大戦間時代のアイコンでもあるようなもんたち。こんなもん羽織って舞台の上をクルクルひらひら舞うのかいな、って呆れること必至の奴でんな。舞踏なんぞの世界は幼稚園生並の知識しかないやくぺん先生としても、「20世紀に舞踏の意味を問う3つの作品を挙げよ」と質問されたら、《春の祭典》(総合的な意味で)、《紅色娘子軍》(舞踏芸術が20世紀というコンテクストの中でどうやってリアリティを持つのかという意味で)、そしてこの《トリアディック・バレエ》、と答えるだろうなぁ。ま、バッテン貰いそうな解答だろうけどさ。

どんなもんか知りたい方は、YouTubeで「Triadic ballet」と引っ張ればゴロゴロ映像が出て来ますので、勝手に眺めて下さいな。

さても、本日の公演、無論、残念ながら今時のように「ステージをライブでネット配信」なんてない、映像収録なんぞ夢物語、音の収録だってままならなかった頃。舞踏譜というものは様々な試みが世に存在しているようだけど、いずれにせよ、今に判っているのは様々な制作側の資料と実演に接した観客なんぞが残した文字情報であります。
1970年代の終わり頃、前衛が終焉し、所謂「新ロマン主義」やら「表現主義再興」が叫ばれるようになった頃、バウハウスも随分と復興してきた。そんな中で、このコスチュームばかり有名な舞台作品を再現してみようという動きがベルリンとミュンヘンで出て来て、ま、当時の舞踏家さんなんぞが寄って集ってやった。音楽はぶっちゃけ、初演時にはありものが使われたそうですが、ゲルハルト・ボーナーという方が再生させたときには、なんとまぁヘスポス御大(当時は御大じゃなくて、バリバリの前衛崩れだったんだろうが)に曲を書いてもらった。で、再演され、20年近くそのプロダクションで上演されていたのだが、基本は再生初演メンバーが踊るわけで、sろそろ無理ということでオシマイになった。それを、バイエルン・バレエの二軍チームが数年前に結成されたときに、これはなかなか良いレパートリーでないの、ってことで再々生されることになって…というのがこの舞台の経緯だそーな。ああつかれた。

なんであれ、このシュレンマーの衣装そのものは、もう世界中の彼方此方で「バウハウス展」なんてのが開催されれば目玉として展示されるもんで、「へえ、これで踊るんだぁ」とみんなビックリ、どうなってるか興味津々、ということになってる次第。

さても、そういう話はネットのあっちゃこっちゃに落ちているから、それはそれとして、ともかく、アホな感想をひとことだけ。

ええ、もの凄く誤解されそうな言い方を敢えてすれば、これって、「反舞踏」なんですね。

《春の祭典》以降のモダン舞踏が、人間の身体能力をどこまでいじり回せるか無茶をさせるものなのだとすれば(そうじゃなかったらスイマセン)、これ、その正反対。「無駄な拘束具をいっぱい付けて、身体をガチガチに押さえ込んで、それで何が出来るか」って実験でんがな。無論、オブジェとしての身体、という美術の方向に向けての関心もあるのだろうし、そっちから考えれば「今時大流行のインスタレーションの嚆矢」とも強引に言えるのかもしれないけど…ま、それはそれ。

舞踏というものをなーんにも知らぬやくぺん先生とすれば、ああああ、これって一種の《四分三十三秒》だわな、って眺めてた。いかにも重そうで動けなさそうな(この演出、敢えて初演時の素材を使い、今ならいくらでも軽く作れるだろう衣装はそれなりに重くしてあるそうな)アホみたいな被り物を付けたダンサーが出て来て、訳の判らぬ音楽が鳴って、なんだか古典バレエの無理なアナロジーみたいな動きをしたり(衣装が邪魔でダンサーが手を繋げない、抱え上げられない、それどころか自分の手を組めない!)、手の先だけを動かしたり、極端な場面ではただ出て来て立ってるだけ。もう、こーなると若手芸人さんの一発芸みたいなもんですわ。出て来た瞬間のインパクト勝負!

つまり、舞台の上で妙な格好した奴がノロノロのそのそ動いて、また暗転し、12のシーンがなんのかんの1時間くらい続く、ってもんです。音楽と動きの関係は、あるといえばあるし、ないといえばない。でも、所謂「ゲンダイオンガク」が鳴ってるんで、前半のバランシンが選りに選ってチャイコフスキーの第3ピアノ協奏曲なんて超駄曲に振り付けたもんみたいに、「ひでええ曲だなぁ、やっぱり」と聴いてれば時間が過ぎる、というわけにもいかぬ。

正直、途中でつまらなくなって帰っちゃう観衆もそれなりにいました。極めて正しい反応だと思いますです。

てなわけで、このバイエルン州立劇場舞踏団Ⅱのシュレンマー舞踏リプロダクション、そうですねぇ、一度は話のネタに観ておく価値はあるとは思います。だけど、《紅色娘子軍》みたいな圧倒的なリアリティとか、もの凄い説得力とか、そういうもんじゃなくて、もの凄い知的な興味と、それから…うううん、道行く人をボーッと眺めて、あいつはなんじゃ、とか、どうしてこいつこんなことしてるんだろー、とか考えて楽しめる人ならばええんでないでしょーかね。

ともかく、「あのシュレンマーの衣装を着て、可愛らしくクルクルまわってお茶目ぇ」ってもんではありません。そこは覚悟していくよーに。

いやぁ、ホント、勉強になるなぁ。

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《紅色娘子軍》はほぼ完璧な国民主義バレエなのだ [現代音楽]

一昨日、壁の向こうの1番線ホームに到着したメルボルン・サザン・クロス駅の空港バス乗り場におります。実質たった4日間の短い豪州滞在を終え、夜行便で極東の冬の島国に戻ります。火曜日にはまた香港で、普通なら戻ることはないのだが、日曜日にNPOエク総会があり、一応は顧問なる便利屋をさせていただいているので出席の義務があり、そのためだけに一時帰国です。

さても、今回のツアーの最大の目的、中国国立バレエ団《紅色娘子軍》、初演以来延々半世紀以上続く最もオーセンティックなヴァージョンによる上演、ここまで大枚叩いてくるだけの価値はあっていっぱいおつりが来る、もうこのネタだけで1年は酒が飲めるというものでありました。
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でっかい告知には「オーストラリア独占」とあり、どうやら過去はともかく最近はこの作品を外国のフェスティバルなんぞに持ち出したことはなかったみたい。やっぱりとっても貴重な機会だったんだなぁ。

以下、自分へのメモとして記すわけでありますが、なんといってもやくぺん先生、バレエというものは殆ど見物しません。この前舞台で眺めたのは…そう、初台のブリテン《パゴダの王》で、無論、踊りじゃなくて音を聴くため。ブリテン協会のオジサンとブーシーの広報のおねーさんに連れて行かれた、という感じだった。更にその前へと記憶を遡れば…そうそう、パイゾQと話をしにコペンハーゲンに行ったとき、ファーストのミッケルがコンマスを務める国立バレエ公演があり、《白鳥の湖》でミッケルのソロがガッツリあるからこれは行かぬわけにいかんでしょー、ってのかな。無論、音しか聴いてなかったようなもの。更に遡ると…記憶がないぞ。うううん。

ま、そんな程度の奴が言うことだから、以下の話を信じてはいけません。いいですかー、なんせそもそも「書いてあることはみんな嘘、信じるな」をモットーとする無責任私設電子壁新聞なんですから!

さて、バスも世界一閑散とした巨大空港アヴァロン(オーストラリア航空ショーの開催地としてのみ有名かな)に向けて走り出し、電源もアヤシいので、思い浮かぶままに箇条書き。

◆19世紀ロマン派バレエの語法が8割で、それにローカル舞踏などが加えられる。典型的な「国民主義バレエ」作品。悪辣資本家の私兵隊長やら補給部隊のオジサンなどには、中国雑伎団っぽい動きも感じさせるコミカルな細かい動きが満載。戦闘シーンには恐らくは京劇の剣舞も入ってるのであろうか。最終場の前の赤軍突撃シーンは、極めて様式化されたマスゲームのイメージも。ここで客席から拍手が上がっていたのは、この作品の観方を心得た観衆がそれなりにいる、ということなのだろう。ヒーロー、ヒロインが拳を握って踊るアイコンは、新たな語法の確立を目指したのかしら。

◆台本は些か長大な感はあるが、とても良く出来ていて、古典として生き残るだけのきっちりしたフォーマットを備えている。以下、「美少女ヒロインは理不尽な悪党の仕打ちから瀕死の状態で逃げ出す→ヒーロー率いる正義の軍団に偶然助けられたヒロインは、軍勢に加わる→最初の作戦行動でのヒロインの私的復讐欲のため、戦闘には勝利するもボスらは取り逃がす→ヒーローは闘いは私的な報復ではなく人民のためのものだとヒロインと娘らを再教育→美少女や海南島住民の平和な時を描く温泉回及び日常回→戦闘美少女としての自覚を得て成長したヒロインも加わり、赤軍と海南島解放軍連合の総攻撃開始→撤退戦の最中にヒーローは負傷、敵に捕らえられる→悪党との妥協を拒否したヒーローは、インターナショナルが高鳴る中に火炙りにされ壮絶な最期を遂げる→師匠を失った哀しみを堪え、紅色娘子軍と赤軍及び海南島解放軍の総攻撃開始→ヒロインの一撃で命乞いをするラスボスはあえなく最期を遂げる→インターナショナルが高鳴る中、革命に殉じたヒーローに祈りを捧げ、戦闘美少女軍は世界の開放のために前進を続けるのであった。そうだ、僕たちの闘いはこれからだ!」。これ、美少女アニメのストリーじゃありませんよ。要は、深夜アニメの戦闘美少女もの12本1クール分くらいに必要な要素は全て過不足なく詰め込まれ、「闘う美少女もの」アニメを一気見したときの感じまんまであります。正に古典中の古典。

1960年代人民中国の文脈に当て嵌めれば、「人民解放軍とは何か?」、「本当の敵は誰か?」のプロパガンダでありますな。それを、極めて技術的に高い舞踏で展開し、音楽はこれ以上「いかにも」なものはないもんがくっついてる。で、ストーリーのポイントは、「復讐を越え虐げられた人民の為に闘う戦士への哀しみを乗り越えての成長」。これって、どうなんでしょうかね、バレエの物語素としてはいくらでもあるものなんでしょうか。あたしゃ、よーわからんです。
19世紀に今の近代市民主義国家が形成されるとき、山のように出て来た国民オペラやバレエは、果たしてこんな風に見えたのかしら。国会議員ヴェルディ氏が作曲する《シモン・ボッカネグラ》はイタリア統一の融和を描いたものとしてこんな風に聴けたのかしら。《ローエングリン》や《マイスタージンガー》の「ドイツ」連呼は、こんな感情を搔き立てたのかしら。

この作品にリアリティがあるかとなると、うううん、少なくとも殆どの日本国民とすれば「イロモノ」という括りに入れて他人事として眺めたいでしょうし、それ以外に見方はないのかもしれんとは思うです。21世紀の今、「己の私欲を追求する資本家VS連帯した世界人民」というVS構造は、どうなんだろうなぁ、「貴方も私もみんな、大企業組織を前提にしないと生きられなかったり、大資本を支える株やったりしてるプチ資本家」となった資本家勢力勝利後の世界に生きる我々庶民は、この構造をアクチャルなものとして受け入れられるのでしょーかねぇ。お疲れ様のプリマドンナさん。
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「紅色娘子軍は前進する、前進、前進!」と舞台の上から戦闘美少女率いる赤軍や現地解放軍が歌いながら(ホントにダンサーさんが歌ってます!)客席へと永遠に進軍してくる終幕、やくぺん先生の隣に座った中年になったばかりくらいの中国人と思われるオッサンは、一緒になって歌ってました。少なくとも、その中身をどう思ってるのかは知らぬが、この舞台はこのオッサンや隣の嫁さんには明らかに生きている。「爆笑」で済ませ、「なかったこと」とする対象ではない。

もうすぐアバロン空港です。ま、ともかく、今、この瞬間に記憶している《紅色娘子軍》の感想は、これにてオシマイ。取り落としたこと数多、ホントに若くて北京語を基礎からきちんと勉強出来るだけの時間が残されていたら「俺、これで本を書きたい」と思ったろうなぁ。うううん、ホント、まだまだ生きてるといろいろ勉強になるもんだ。

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ぜーんぶベートーヴェン…もどき [現代音楽]

てなわけで、昨日はバタバタと大阪日帰り。その目的のひとつが、いずみシンフォニエッタのこの演奏会でありました。
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皆様よーくご存じのように、いずみホールが御上なんぞから助成金をがっつりいただいちゃったんでしょーがないからやるべーか、なんてことまるでないのにやってる、誰がどう考えても稼げそうもない「現代音楽」専門室内オーケストラの定期演奏会でありまする。「現代音楽」とはいえ、「おっかないゲンダイオンガク」じゃあなくて、あくまでも「オモロイ現代音楽」をやってまっせ、がモットー。

1950年代前衛が「現代音楽」=「わけわからんもん」というイメージをがっつりと確立させてから、時流れ今や半世紀以上が過ぎ、それでもやっぱり「現代音楽」=「難しい、わけわからん、しんどいだけで誰があんなもん金払って聴くんねん」という状況はさほど違っているわけではない。ま、それがどうしてかとか、あまりにもでっかい問題なんでこんないーかげんな私設無責任電子壁新聞で議論する気にもなりませんけど、事実としてそーとしか言いようがない。いずみホールの皆様とすれば、「ましてや大阪ですし…」などと付け加えたい気持ちにおなりになるやもしれませんが、ま、それはいずこも同じでんがな。

んで、なんのかんのあれやこれやで「それなりに聞いて楽しい、おもろい現代音楽」をやってきたいずみシンフォニエッタ、今回わざわざ日帰りで聴きに出向いたのは、なんとまぁ、このオケが「オール・ベートーヴェン」プログラムをやる、というから!っても、ちゃんと言えば、「オール・(もとは)ベートーヴェン」なんだけどね。

なんせ冒頭から、かのシュネーベル御大の「《運命》交響曲第1楽章から冒頭のジャジャジャジャーンのリズム・モチーフを抜き去ったらどーなるか」というとんでもない発想を大真面目でやっちゃった楽譜ですから。これ、ライブで聴いたのは初めてなんですが、敢えて猛烈に失礼な感想を言わせていただけば、「あ、俺、こういうパルス感皆無のむちゃくちゃ府抜けたベートーヴェンのクァルテット演奏、聴いたことあるぞ」と真面目に思ってしまいました。どの団体、とは言わないけど、「もの凄く新鮮といえばそれまでだが、これ、ベートーヴェン怒らないかぁ」なんて真剣に思ったあの演奏この演奏が頭に去来し…

要は、演奏というレベルではことによるとこれに近い「楽譜の異化」は散々に行われているのではないか、なんて考え込んでしまったであります。はい。

続いては、川島素晴氏編曲の弦楽合奏版《大フーガ》。え、でしょ。普通に作品133の楽譜買ってきて、指揮者さんがガーガー文句言いながら、普通にやれば良いじゃない、って思いますよね。どうして敢えて「中堅」という言葉に恥じない活動をなさっている作曲家さんが、わざわざ編曲せねばならないのか。別に弦楽合奏とはいえもの凄くバランスが奇妙とか、そんなハッタリがあるわけじゃない。正直、バランスから言えば、もうちょっと下が厚くても良いんじゃないとは感じるものの、まあ指揮者さんがいるんだからそこはなんとでもなるべー。

で、結論から言えば、もしかしたらこの日の演奏会でいちばん「わけがわからない」という印象だったのは、ちょっと見にはいちばんマトモにしか見えないこの曲だったかも。こっちも《大フーガ》でしょ、ってことでボーッとしていて、あっちこっちに細かい仕掛けがあれこれとなされているのにあれよあれよといううちに終わってしまったです。やくぺん先生のようなへっぽこロバの耳には、明らかに奇妙なのはコーダ前のもう一回フーガいきましょか、ってなりながらいかなくなる辺りで、ヴァイオリンがなにやらハーモニックスみたいなもんをピリピリ鳴らしてたり、ってとこくらいなんだけど。ま、いずれ近い将来、公式のライブ映像配信がある筈なので、ご関心の向きはしっかりそちらをご覧あれ。

まあ、つまるところ、「作曲家川島氏に聴こえる《大フーガ》はこうだ」ということなんだろうなぁ。そういう意味では、へええええ、と思えたり思えなかったり。ぶっちゃけ、よーわからん。ただ、少なくとも弦楽四重奏版とはまるで違うことは確かです。

なんだかもう疲れてきたので、西村朗氏のベートーヴェンの第1から第8交響曲のあちこち断片を、各楽章毎に用いながら次々とコラージュした大序曲に関しては、それこそライブ配信があったらお聴き逃しなく、とだけ記しておきましょう。これはもう、理屈抜きに大爆笑。だけど、かの有名な山本直純作曲交響曲第45番《宿命》とはまた違った質のものです。巨匠作曲家がベートーヴェンのモチーフをあれこれ混ぜ合わせてコラージュを本気で作ってる。何より秀逸なのは、第2楽章の終わり方。へええええ、ってね。かの「終わるに終われぬ病」ベートーヴェンを一喝するかのよーでありまする。

んで、後半はなんとなんと、再び川島編曲で室内オケ版《皇帝》。ソリストは豪華若林さんですから、もうまるっきり本気でんがな。コントラバスひとり、チェロふたり、管はホルンは2本だけど他は全部ひとりで、なぜかトロンボーンまで座ってるぞ。ちゃんとティンパニーはおりまする。

今時、室内オケと呼べる小規模編成でこの曲をやるとすれば、ピアノはアントン・ヴァルターのレプリカだとか、1810年のブロードウッドのオリジナルでございとか、そんなもんじゃろ、と思ってしまいますよねぇ。ところがどっこい、若林さんの前に置いてあるのはモダンのスタインウェイです。で、もう容赦なく、ガンガン弾きます。わああ、ピアノもんのすごーーーく聴こえるじゃん、ってことになる。少なくとも、どんな部分でもオケがピアノをカバーしちゃってせっかく細かい音符弾いてるのにわかんないよー、ってことは全くない。

「編曲」とは何なのか、いや、「オリジナル編成」とか「オリジナル楽器」とかって一体なんなのか、あらためて考えちゃうような再現でありましたとさ。

いずみシンフォニエッタの「オモロい現代音楽」、なぁるほどベートーヴェンは現代音楽だ、なんてことは言うつもりはないけど、とってもオモロかったことは事実でありまする。遙々訪れた価値ありの神武天皇記念日でありました。ライブ映像配信、必見です。

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プロパガンダ・アートを見物する理想的な環境とは [現代音楽]

これを「現代音楽」とするとショスタコーヴィチなんかも全部入っちゃうんだけど、ま、一応、このカテゴリーにしておきましょうか。

暦の上でも春になった如月、既に1週間を過ぎ、着々と春が近付いている今日この頃、春と言えば税金の季節でありまして、今週はひとつ某誌に提案していた原稿をやるかやらないか判断待ちだったのだが、どうもボツになったようなので、それに予定していた時間をば日本国民の神聖なる義務、納税作業に充てることにするべぇか。ってなわけで、領収書広げてもぶんちょうくんたちがどっかに運んで行ってしまわない葛飾オフィス厄偏舎に籠もって作業をしようとするわけだが、まあ毎度ながらどうにも追い込まれないとやる気が起きない作業でありまして、蜜柑下さいって顔して柿の木からこっちをずーっと眺めてるひよちゃんとにらめっこしながらぼーっとしてるわけでありまする。ホント、こんな早くから手を付けようとするとまるでやる気が出ないなんて、日本国民として恥ずかしいぞ、あたしっ!

そんなわけで、まずは膨大な領収書の仕分けでありまする。こういう単純作業にはBGMが必要と、まずは朝からNMLに入ってたラトル指揮の《ロジェ王》を全部聴き、さあ午後からはどうしましょう、そうそうちゃんと勉強しておかないと、と赤くでっかいボックスを収納棚から取り出し、パカッと開けてがらがらの中に入ってるディスク2枚、1枚は音だけのCDで、もうひとつがDVD、そー、かの文化大革命時代に上演が許されていた数少ない西洋オーケストラによるバレエ《紅色娘子軍》を見物しながらやるべぇか。で、天安門マークで始まる映像をちょっと眺め出すも、ダメだ、映像付きでは領収書分類仕事が出来ぬわい。

というわけで、そこにあるCDを単にトレイに突っ込むのもつまらぬので、まさかと思ってNMLを調べてみたら、なんとなんと、バレエ全曲録音が2種類の違った演奏で収録されております(ぶっちゃけ、上海バレエ管弦楽団って団体が弾いてる短い版の録音の方が全然じょーずです)。流石、実質上20世紀に君臨していた世界のメイジャーレーベルを全てぶっつぶしてしまった中国パワー、香港資本のナクソスだけあるぞ!

なんでそんな妙てけれんなものを聴くのじゃ、と訝しくお思いになる方もいらっしゃるでありましょうが、なんのことはない、この作品の鑑賞こそが、来週頭から2週間程日本列島を離れる短いツアーのメインイベントなのでありまする。はい。

昨年の暮れにオーストラリアはメルボルンで《リング》見物に行った際、年明けの春節頃から「アジア芸術フェスティバル」が開催されると宣伝が出ていて、そのメインの演目のひとつが北京のプロダクションによる《紅色娘子軍》オーケストラ伴奏による全曲舞台上演なのでありました。おおおお、これは観たい、みたい、ながめてみたああああい!

ご存知の方はご存知のこの作品、人民解放軍の制服を着たバレリーナがライフル抱えて踊りまわるというイメージ、一頃は文化大革命を象徴するアイコンとして盛んに用いられたことはある世代以上ならご記憶にあるでありましょう。
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有無を言わせぬ堂々たる恥も外聞も無いプロパガンダ芸術の20世紀後半に於けるひとつの典型でありまする。海南島で国民党と繋がる悪い地主に虐められた娘が、赤軍と出会い、己の個人的な怒りや恨みではなく中国人民解放に向けてみんなで力を合わせよう、と高い意識に目覚め、人民解放軍に娘子軍を結成し悪い地主をやっつける、というステキなお話でありまする。クライマックスでは《インターナショナル》の断片がフルオーケストラで高鳴ったりしてさ。ピアノ協奏曲《黄河》と並び、人民中国初期の音楽芸術作品ウルトラ著名作の双璧のひとつでありまする。

ふううう…

ま、この舞台、歴史の文脈を越えて生き残り、今でもスタンダードとして中国では上演されている。中国のバレエ業界とすれば、《白鳥の湖》やら《胡桃割人形》やら《ジゼル》みたいなもの…なのかしらね。ともかく、今でも作品としてしっかり生きていて、国慶節の頃には北京の国家大劇院で上演されたりしている。

なにより有名なのが、訪中したニクソン大統領とパット夫人が見物に連れて行かれ、その様子がジョン・アダムスの《中国のニクソン》に使われていること。ホント言えば、やくぺん先生の関心はそっちからです。あの妙に盛り上がるバレエのシーンは、果たしてどれくらいがアダムスの創作なのか、あのオペラを作るにあたりセラーズはこのバレエのオリジナルをどれくらい意識していたのか…以前から気になって仕方なかった。まさか、あの盛り上がりはオリジナルまんまなんじゃなかんべーね、ってさ。

今回、メルボルンに来るのは、現在北京で上演されている「21世紀初頭の最もオーセンティックなプロダクション」みたいでありまする。
https://www.asiatopa.com.au/events/the-red-detachment-of-women
オケは国家大劇院管弦楽団じゃなくて、メルボルンの地元オケらしいけど。おいおい、この前は《リング》弾いてた奴らが、こんどは19世紀後半の国民楽派バレエの超本気のパロディみたいな楽譜かいね。せっかくだから、映像。こんなん。完全に「戦闘美少女の精神分析」の世界でんなぁ、いまどきの秋葉原で流したらミリタリー・オタや兵器美少女キャラ化マニアさんが熱狂しそう。

んで、そんなもん、見物するならわざわざメルボルンなんて行かなくても北京まで2時間半のフライトで済むでしょうに、って思うでしょうねぇ。

だけどね、こういう「プロパガンダ・アート」ってのは、鑑賞するのは案外と面倒なんですよ。国慶節の北京で、正に本場物の上演を眺めるのがいちばん良い、というものでもないかもしれぬ。無論、いちどくらいはそういう経験をするのは意味があるだろうけど、作品を受け取る側の空気やらを眺めるのが目的ならばそうあるべきだが、あくまでも純粋に「舞台芸術作品」として見物しようとすると、いろいろとフィルターが架かってしまう可能性がある。それなら、そんなものが一切ありようがない異国での引っ越し公演、観る側も何を期待しているわけでもなく、ことによるとなーんの予備知識も予見もない観客の中に紛れて見物する方が、よっぽど気も楽であります。

そう考えると、このメルボルン公演、案外とないチャンスなのかもしれないぞ。

ってなわけで、当初は1月にヒューストンでロベルト・スパノという超立派な棒で上演される《中国のニクソン》も見物し、その勢いでメルボルンに乗り込んでやろうじゃないか。さらには3月頭にロスフィル定期演奏会で作曲者の指揮で演奏会形式上演されるのも眺めてやるか、なーんて考えたのだが、ま、結局、計画はどんどん萎んで、なんとかメルボルンだけは眺めておこう、ということになった次第。

本場物であるからこそ、本場では眺めない方が良いものもある。ショスタコはロシアのオケよりアメリカのオケの方が良く判る、なんて意見もないわけではないですし。そんなもんです。

さても、その前に、少しでも税金作業を処理しましょうか。ぐぁんばれ、あたしっ!にっくき…誰をやっつけるんじゃ?

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西村朗弦楽四重奏曲第5番について作者が語ったこと [現代音楽]

本日、NPO法人エクプロジェクトとしての最も重要な仕事のひとつ、「ラボ・エクセルシオ」のもう10数回目となる演奏会が行われましたです。会場は東京オペラシティの近江音楽堂。晴海で始まり、やはり客席700越のホールではいかな東京とはいえ集客が難しいと浅草から大川端を越えた天樹の手前、アサヒビールの黄金の×××ビルに移ったものの、会場そのものがなくなってしまい、今回、遙か内藤新宿の向こうまで移転してきた、というすっかり流浪の企画でありまする。ここが定住の地になるのやら。

メインにバルトークを据え、いまどきの世界のトレンド作品と、日本人作曲家作品を取り上げるという、まあ集客から考えたら絶対に許されないような企画。もっとうんと尖った作品を並べればもの凄くコアなマニア層が楽譜抱いて来るだろうが、敢えてそれはやらないのはNPOエクプロらしいところだなぁ。

さても、本日の公演、エクの演奏だけではなく、作曲家西村氏がご自身で弦楽四重奏曲第5番について語られる、というのが大事なポイントのひとつでありました。
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なんせこの曲、日本では2年くらい前に草津でアルディッティが日本初演して録音はしたものの、まだディスクとしては出て来ていない。総譜は出版されているもののパート譜はレンタルだから、どこかで誰かが演奏しようとすれば(総譜買って来て手書きでパートを起こす、なんて手間をかけていればともかく)、作曲者のところまで判る筈。だけど、西村氏曰く、この作品に関してはアルディッティが何度かやっている意外は知らない、とのこと。

問題は、この曲が来たる5月18日(だったと思います、ことによると17日だったかなぁ)に開催される大阪国際室内楽コンクール第1部門3次予選の課題曲になっている、ということ。この大会に参加を予定する世界の10程の若い団体とすれば、金さえあればなんとしても今日の午後の新宿まで来ないわけにはいかん、ってわけでありまするわ。コンクールの規定で西村さんは審査の権限はないので、まあぶっちゃけ、西村さんがこの曲の演奏のポイント、解釈のポイントなどについて何をどこで語り、誰がそれを聞こうが、なーんの問題もないわけですよ。

で、やっぱり、近江楽堂にそんな極めて特殊な聴衆もいらっしゃいましたです。まだ参加団体発表前なのでどことは言えませんが。

ま、たかが10分ちょっとのお話と、しっかり西村さん立ち会いで練習したエクの演奏を楽譜広げながら聴くことでどれだけ試合に有利になるか判らぬし、そもそも3次予選まで到達しないと話にならんというところもあるわけですから、まあそういうもんだということなんでしょう。そんなわけで、余り演奏解釈やら演奏方法に直接触れない、西村トークで出て来た話を記憶をもとに「西村語録」を記しておきます。自分の為のメモでんな。なお、テープから起こしているわけではないので極めて不正確、そのまま「作曲家がこう言っていた」と引用しちゃダメです。なんせ「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする私設電子壁新聞なんですからねっ!

★これが第5番で、今、初夏に来日するアルディッティQが東京と大阪で初演するために第6番を書いている。いやぁ、やっぱり6番というのは意識します。なんせ、今日はエクがバルトークの5番と私の5番、来日するアルディッティはバルトークの6番と私の6番、というプログラム(笑)。もうプレッシャーかけまくられです。

★前の比較的長い第4番は弦楽四重奏による交響詩みたいなもので、この第5番もはっきりプログラムがあります。1,2番は抽象的で、3番でちょっと変わって、4,5番がはっきりプログラムがある。で、6番を書くのに躊躇して(笑)5.5番と呼んでいるエクが初演してくれた作品があり、次の6番ではまた抽象的な音楽になっている。

★実は、1番の前にも弦楽四重奏があるんです。大学時代で、0番。その前にも中学生の頃に書いた00番もあって、これは未完成。ブルックナーみたいでしょ(笑)。

★この曲では弦楽器でしかやれない微妙な音程の違いをやってますので、そこを聴いていただければ。

なるほどねぇ、やっぱり作曲家にとってバルトークの6曲というのは大きな壁、越えられない壁になってるんだなぁ、ということがよーくわかるお話でありました。

ま、こんな情報なら演奏がどうこうなるもんではないでしょ。これ以上知りたい方は、5月18日をお楽しみに。ストリーミングもあるでよぉ。

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ゲンダイオンガクの真冬 [現代音楽]

節分の頃って、関東平野が一年でいちばん寒くなる頃という気がしているのだけど、なんだか今日は風はあるものの妙にウラウラしているなぁ、と思う2月3日なのであった。

んで、今、都内某所で西村朗氏がエクとの弦楽四重奏第5番立ち会い練習があり、プレトークをするということもあり、見物させていただきました。ま、それがどんなもんだったかの前に、つらつら考えるに…今週になって聴いているものといえば所謂「ゲンダイオンガク」ばかりだなぁ。

まずは札幌から必至で戻って来た理由の、メシアン御大最後の大作《彼方の閃光》でありまする。この作品、まあ、もうFacebookではある方への書き込みという形で書いちゃったから言っちゃえば、これまで正直なところ「作者最晩年の創作力の衰えをハッキリ示してしまっている失敗作」だと思ってました。だってさ、誰が聴いたって判ることだけど、良くも悪くも「素材をゴロゴロ並べてあるだけ」と言われても否定のしようなない作品。そもそもメシアンってそうじゃないか、と酷いことを言えばばそれまでだが、やっぱり若くて創作力に溢れていた頃は強引に纏めるパワーが溢れていたわけですわな。譜面の勢いに任せて最後まで持って行けば光彩陸離たる神の光が見える、って。

ところがこの作品は、そーゆーもんじゃない。それを、それなりに納得いく風に聴かせて頂けたのだから、演奏する人を選ぶ作品なのであるなぁ、じゃあ「人を選ぶ」ってどういうことなのかしら…なーんていろいろ考えさせられた。ま、考えるだけで結論なんて出てないわけだが。カンブルラン先生、《アッシジの聖フランチェスコ》追いかけてマドリッド行ったりしたときに御世話になりましたっけ
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05
あれ以来の本領発揮、ありがとう御座いましたです。

んでもって、昨日2月2日は久しぶりにでかけた日本現代音楽協会の「アンデパンダン展」でありました。
http://www.jscm.net/
このイベント、その題名からもお判りのように、年齢性別問わず協会に加盟する作曲家さんが基本譜面ノーチェックで作品を持ち込み、演奏する、というもの。無論、長さや会場、楽器の制約はあるものの、作曲コンクールなどとは違い、ホントに何が出て来るか判らない。正直、知り合いの作曲家さんや演奏家さんがいないとなかなか聴きに来る機会はないイベントなんだけど、今回は関西在住の近藤浩平氏の作品をライブで聴くべく参った次第。

作曲家さんがたには失礼極まりないとは思うのですが、このイベントのおおきな楽しみ(?)のひとつは、やっぱり「作曲家が書いているプログラムノートと、実際に聴こえてくる音の関係」にあるですよ。短いながら作曲家さんが書いていることが、「ああ、なるほどね」ともの凄く納得する作品もあれば、「何言ってるかぜんぜんわからんへん」というのもある。良し悪しじゃなくて、その違いがなかなか面白いであります。

ただ、やっぱり、手堅く作品として纏められるタイプの作曲家さんと、バッタンバッタンやってる感じの方がいるのはどんな「アート展示」とも同じ。その辺りのキャラの差も、これだけ並ぶといろいろあって興味深い。

近藤さんの作品は、決して「上手く纏めました」というもんではなく、笛という楽器の所謂譜面に書いてある音程じゃないところをどう音として拾っていくかがなかなか面白い音楽でありました。「笛だぞー」って吹いちゃうタイプの作品ではない、ってこと。作品数が多い方なのだけど、決して「かっちりまとめました」って感じにならないのは、創作者として信用出来るところでありまする。

んでもて本日、午前中から荒川放水路の畔辺りまでノコノコ出かけたエクと西村さんの練習。いやぁ、これはもうスゴく面白かったです。
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これが初演の時の駄文
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-26
…と思ったら、本篇は「アッコルド」に書いてたんだなぁ。スイマセン、アクセス出来なくて。

なんせこの草津での世界初演のときに曲の録音はされているのだけど、まだ世に出ていないそうな。音として聴いたのはあれ以来まる2年半振り。初めて楽譜をちゃんと眺めながら聴かせていただいたのですが、超傑作第2番に比べると随分と大人しくなったかな、なんて印象とはまるで違いました。
確かに形はちょっと面倒くさく、特に最後が「盛り上がってどっかーん」と終わるわけじゃないので地味に聴こえるけど、真ん中にはホケトゥスの部分があって、所謂「西村節」の盛り上がりはきっちりあります。いちばん面白かったのは、最後の「不老不死の薬を飲んで妙な気持ちになってくる」ところ。音程が猛烈に微妙で、ちょっと聴くと「おおおおい、ぴっちわるいよぉ」とクァルテットの皆さんにいいたくなるようなとこなんだが、これははっきりと意図したものなんですわ。明後日の本番、近江楽堂の響き過ぎる空間でどーなんじゃろかと思ってたんだけど、この部分に限れば微妙な音程と微妙な倍音の絡みが、えもいえぬ気持ち悪さ(としか言いようがない)を醸し出してくれることでありましょう。

てなわけで、現代音楽週間、まだまだ続く。皆様、日曜日は近江楽堂へどうぞ。

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