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大阪で《フランケンシュタイン!!》を演奏する必要があるのか? [現代音楽]

昨日、大阪いずみホールで、いずみシンフォニエッタがいろんなタイプの作曲家の「協奏曲」を4つ並べる、という意欲的な演奏会がありましたです。暑い夏の午後、ましてや裏番組にはフェスティバルホールのバーンスタイン《ミサ曲》とか、兵庫での《フィガロの結婚》とか、はたまたシンフォニーホールではレーピン独奏のN響とか、演奏会てんこ盛りの中、それなりの数の聴衆が席を埋めていたのはスゴいことであります。ホント、関係者の皆様の努力に頭が下がるであります。

大阪湾岸のプリンス古部様が独奏を勤めたジョン・ウィリアムスの、まるでイギリス20世紀前半作品かと思っちゃうようなオーボエ協奏曲とか、イサン・ユンのこんな小さな編成なのにとっても濃厚な響きのクラリネット協奏曲とか、いろいろと面白かったんですが、やっぱり最後に演奏されたハインツ・カール・グルーバーの知る人ぞ知る、ってか、20世紀後半のハチャメチャ系を代表する超有名曲《フランケンシュタイン!!》の室内オケ版、というのが興味深かったでありまする。興味深い、というか、面白い、というか、面白くない、というか…まあ、ともかく、なんじゃろねぇ、と今更ながらに考え込みそうになった。

というのも、その前の晩にフェスティバルホールでかのバーンスタィンの《ミサ曲》を見物しているわけでして、バーンスタインがこの曲創作の最中にグルーバーにアドヴァイスしたという逸話はそれなりに有名で、こうやってほぼ同じ頃に書かれたタイプこそ違えどハチャメチャという意味で音楽史上に名を遺す作品を続けて聞かされると、「なるほどねぇ…」としか言いようがない部分もあるわけでして…

この《フランケンシュタイン!!》という作品、要は、今世紀半ば以降くらいのオーケストレーション技法を次々と繰り出し、そこに面白系の玩具楽器なんぞもじゃんじゃん突っ込み、マイクを用いた声楽家が通常のオペラ発声法とは異なる歌唱法でいろんな声を出して歌う(というか、朗読するというか)歌曲集、であります。テキストは、アメリカンコミックやらを中心に当時のガジェット文化のパロディネタばかりです。オリジナルはドイツ語なのかな、それとも英語なのか、よく知らんです、スイマセン。調べれば直ぐに判るでしょ,今時は。映像はいくらでもあります。これ、とか。って、この映像、何語なの?
https://www.youtube.com/watch?v=iPTJ9mRI4w0

日本では数年前に下野氏が読響でやったのが初演だったというのは驚きだけど、今回も下野氏で、室内オケ版の日本初演だったのでしょうねぇ、恐らく。(追記:これ、間違いでした。事実関係の指摘を川島さんからいただきました。下のコメント欄ご参照あれ。)

この作品のような「いろんな楽器が出て来て楽しく面白可笑しくオーケストラを鳴らしたり、奏者が半分芝居をしたりする」という作品は、ポストモダンのゲンダイオンガクの中ではひとつのジャンルを確立していると言ってもいいくらいで、こういうのが得意な現代作曲家さんもいらっしゃいます。去年の香港の《松風》初演のとき、地元若手作曲家さんにセミナーするために暫く細川氏が香港に滞在しレクチャーやセミナーを行い、その結果発表会みたいな演奏会を見物したんだけど、そこでもこのようなタイプの日本の作曲家さんの作品が紹介され、細川氏とは際立って作風が違い、質疑応答でそこにいた指揮者のイップさんが手を挙げて「どうしてこの作品を選んだんですか」みたいな質問をして、細川さんが「選んだのは僕じゃなくて、国際なんとかかんとかという組織なんですけど…」と苦笑しながらいろいろ解説をなさってました。その場で、細川氏がお使いになっていた「マンガ系作曲家」という言い方が印象深かった。そう、このグローバー作品こそ、正に「マンガ系」の開祖のひとつでんがなぁ。

で、昨日の演奏、このようなマンガ系の常として、何が起きるかワクワク眺めているうちに30分くらいはあっと言う間に過ぎちゃう、という「何をやってるか訳が判らぬゲンダイオンガク」とは真逆の世界が展開し、聴衆もそれなりに楽しんだり笑ったりしてたわけなんだけど…正直、ううううん、と思わざるを得ないこともあった。

というのも、お客さんがいちばん素直に笑っていたのが、唯一日本語で、それも関西弁で語られた部分だった、という事実をどう考えるべきか…ということ。

前の晩のバーンスタインもそうなんだけど、こういうハチャメチャ系作品というのは、時代や文化の背景、コンテクストにもの凄く大きく寄りかかっています。ってか、ベッタリ張り付いている、と言っても過言ではない。1971年のアメリカ合衆国社会という背景を引き離したところで《ミサ曲》受容が成り立つのか、という議論と同じように、1970年代頃のアメリカン・コミックやガジェット文化の背景をなくしては《フランケンシュタイン!!》という作品は笑いたくても笑えない。無論、スーパーマンやらフランケンシュタインやらバットマンやら、ハリウッド映画の大事なドル箱で何度もリメイクされてますから、2017年の大阪文化圏に生きている人々はそれなりに知ってはいるでしょうけど(なんせ大阪はUSJの本拠地ですしねぇ)、英語の歌詞でそれをやられて、どこまで反応出来るものか。かといって、こういう作品は先にプレトークやら曲解やらでネタバレをしちゃうと、「さっき言ってたことはどこで起こるのかな」という関心が先に立ってしまって、ホントに面白い部分から関心がズレてしまったりもする。うううん、難しいなぁ。

てなわけで、いずみホールから伊丹空港まで吹っ飛んで行く忙しない道中、隣の席に座ってたうちのお嫁ちゃんとあれやこれや話した不届き極まりない結論は…

「今日の演奏で《フランケンシュタイン!!》は判った。これはこれでご苦労様、楽しかったです、と感謝するわけだが、次にいずみホール&いずみシンフォニエッタがやるべきは、この趣旨の、若しくはこの趣旨を越えるベッタリ大阪版の作品を委嘱し、会場を爆笑の渦に巻き込むことではあるまいか。流石に西村先生というわけにはいかないだろうけど、例えば川島さんに頼んで、独唱・独奏を吉本新喜劇のトロンボーン吹く女優さんかなんかに頼んで、ベタベタ浪花なギャグ満載の30分くらいのマンガ系室内オケ曲を作り、呆れられるほど繰り返し演奏し、世間に広めて欲しいものであーる!」

以上、いずみホールの方に言ったら呆れられそうな話でありましたとさ。ちゃんちゃん。

さてと、今まで、ミューザ川崎の下の喫茶店に陣取ってたのですけど、そろそろ細川氏の近作を聴きに参ります。正反対の、ちょーシリアス系ゲンダイオンガクじゃのう。世界は広いわい、ばーさんや。

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バーンスタイン《ミサ曲》は聴きにいく価値があるか [現代音楽]

昨晩、大阪の新装成ったフェスティバルホールで、レナード・バーンスタインの《ミサ曲》が上演されました。
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なかなかの賑わいで、やたらと知った顔も見かける状況で、一安心というか、ちょっとビックリというか。

ええ、世の中には、「異端のミサ」と呼ぶべき作品群があります。どれが最初かと言い出せばいろいろなんだろうが、歴史の中で生き残っている一番古い大物は、なんといってもベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》でんがな。20世紀に入ると,理由はどうあれ、次々と出て来るのだが、まあ作品の在り方がイロモノなだけに、繰り返し演奏されて生き残っている作品は殆どない。強いて言えばディーリアスの《人生のミサ》(ミサでもなんでもなく、ニーチェの「ツァラトゥストラ」断片を並べたもんだけど)とか…くらいかしら。そのような異端のミサ作品の例外的な頂点として、ブリテンの《戦争レクイエム》があるわけで、ぶっちゃけ、こういう作品は世紀にひとつくらい滅茶苦茶スゴい傑作が生まれるくらいなもんなんだろーなー、と思うわけでありまする。

んで、この、バーンスタインの《ミサ曲》でありまする。指揮者として引退し、これからは作曲家として生きていくと宣言しちゃったバーンスタインが、ワシントンDCのケネディ・センターこけら落としのために委嘱され作曲した、まあ、絵に描いたような「異端のミサ」でありまする。

なにせヴェトナム戦争も出口を探している末期、ポトマック河の向こうはペンタゴンで、ホワイトハウスに陣取っているのはニクソンという時代。「ミサ」という宗教行事のパーフォーマンスを軸に、その時代にその場所で鳴っていた様々な音楽の有り様をおもちゃ箱のように突っ込み、ミサテキストに突っ込みを入れ、ミサを司る司祭を主人公に「神を信じるって、じゃあ、神様は俺たちを信じてくれるのか」というヨブ的な叫びを上げちゃうトンデモ作品。ある意味、究極の機会音楽でありますな。

当然、繰り返し上演されるもんではなく、今回は井上みっちー氏の情熱に周囲を巻き込み、バーンスタィン生誕100年というタイミングに乗っけてやっちゃった。

さても、あと数時間で2度目の公演が始まるわけですけど、この瞬間に「いこーかなー、どーしよーかなぁ」とお考えの貴方に、やくぺん先生が無責任な断言をしてあげましょー。

この作品、作品としては誰がどう見ても失敗作です。なにより、バーンスタインがいかに大きな才能でも、ひとりでひとつの時代の音楽を全部描き切るなんぞ、それこそ神様でもなければ到底不可能。だから、あらゆる部分が中途半端です。どうしてそうなっちゃったかを議論し始めるとそれはそれで面白いんだけど、ま、事実として、完成度は低い。これはもう、どーしよーもない。

当然、「作品として与えられる感動」とは違う、強いて言えば、当惑とか、なんじゃこりゃ感とか、そっちばかりが残る。

でも、世の中には、「失敗作であることが意義がある」という作品もある。その意味では、この作品は正に「失敗していることを眺め,体験することが作品」というもんです。

だから、バーンスタインという個性に関心があり、共感する人は、必見です。でも、作品としての完成度や、最近乱売気味の「感動」をお金で買いたい人は、行く必要はありません。

以上、「書いてあることは嘘ばかり、信じるな」をモットーとする当電子壁新聞の断言でありましたぁ。

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突っ込み処満載「20世紀を形作った傑作選」 [現代音楽]

このカテゴリーぴったりの与太話なのに、なんかちょっと、あらためて違和感があるなぁ。

某アメリカ音楽研究者の方から、こういうアンソロジーが出るよ、と教えていただきました。
http://www.hmv.co.jp/en/artist_Box-Set-Classical_000000000088040/item_20%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%92%E5%BD%A2%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD-%E7%AC%AC1%E9%9B%86%EF%BC%8828CD%EF%BC%89_7300270
http://www.hmv.co.jp/en/artist_Classical-Collection-Boxed-Set_000000000088040/item_Shaping-The-Century-Vol-2-1950-2000-26CD_7730447
本来はDGのサイトを紹介すべきなんでしょうけど、ここなら今ならセットで4つ買えば大値引き、ってやってて(これ、セット、ってどういう意味なのかしら?28枚組と26枚組をどかんと買ってもふたつにしか数えぬぞ、ってことなのかしらね?←関係者の方、眺めたらコメント欄に突っ込み入れてちょ)、まとめ買いならアホみたいに安いですからねぇ。

さても、この箱をふたつゴロゴロと並べ、一生懸命聴けば、総計60時間くらいで貴方も20世紀という時間の「芸術音楽(敢えて「クラシック音楽」とは言いません、「シリアス・ミュージック」という言い方が最も適切なんでしょうが)」が鳥瞰できる、という趣旨なんでしょうけど…うううん、ちょっとマズいだろ-に。

ってか、このアンソロジー、「貴方はどの程度20世紀作品に対し言いたいことがあるか」チェックみたいなもんですな。だってさぁ、関心が無い人は「ああそうなんだ、俺には関係ないけどさ」で終わりだろうし、ある程度以上関心のある方なら「おいおいおい、天下のDG様が仰る20世紀で重要な作品ラインナップというのはこれかいな。どうしてあれが入らない、なんでそれを落とした、喧々囂々…」となること必至だし。

やくぺん先生の如き街場の隠居爺が眺めても、いろいろ突っ込みたくなること満載なリストでんな。演奏家に関しては、香港の最終兵器ナクソスに破れ過去の栄光で食いつなぐしかない哀れなかつての名門が遺産食いつぶしでやってる企画なんだから仕方ないとしても(←天下のイエローレーベルに向かって、なんと散々な言いようだぁ!)、やっぱりこれはちょっとマズいだろう、と思わざるを得ないところがある。まあ、ホントに「歴史観」の問題なんでしょうけどねぇ。

なによりも言いたいのは…「20世紀に所謂芸術音楽で最も発展(という19世紀的な概念を敢えて用いれば)したのは舞踏(含むオペラの一部)、それに協奏曲と室内楽。逆に衰退し無用なジャンルとなったのが交響曲」という音楽史の常識から考えれば、さすがにちょっと選曲が偏りすぎじゃないかい!!!

レーベルの性格から、所謂メイジャーオケやらメイジャー演奏家、メイジャーな団体のレパートリーになるものが選択の基準となってるのは仕方ないでしょう。オペラはともかく、協奏曲はそれなりに入ってますね。けど、それにしても指揮者無しの室内楽が数曲しかないって、あり得ないだろーに。せめてバルトークの第3弦楽四重奏かリゲティの2番くらい、どっかの余白にちょろっと入れられなかったのかしら。なんか、哀しいなぁ…

ま、そんなこんな、それぞれの見方、立場、関心によって突っ込み処満載の「20世紀を形作った音楽」シリーズ、暑くて外に出る気にならんとき、2万円ちょっとで60時間、楽しく過ごしてみてはいかがかしら。

がっつりレコード屋さんの宣伝をしてしまったぁ。

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なぜ韓国でイサン・ユン生誕100年が今ひとつ盛りあがらないか [現代音楽]

今年2017年は、作曲家イサン・ユンの生誕100年でありまする。生誕地統営では、記念日の9月にはハインツ・ホリガー指揮フェスティバル・オーケストラで記念演奏会が開催されたりしますです。
http://timf.org/eng/ticket/concertView.do?board_id=153&article_id=5506
日本でも…って言いたいところだが、あんまり、ってか、全然盛りあがっていない。ひとつだけ、100歳のお誕生日の9月17日に、フルートの吉岡次郎さんが小規模な協奏曲ばかりを集めたリサイタル(というのかしら)を行い、そこでイサン・ユンのフルート協奏曲を演奏し、お祝いしますです。
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それにしても、これだけのビックネームの生誕記念年なのに、今年のソウルの春恒例オーケストラ・フェスティバルでもソウルフィルが1曲ちょろっとやっただけだし、韓国国立オペラが《シムチョン》を上演するわけでもない。うううん、なんだか不思議だなぁ、もっと猛烈に盛りあがってもいいだろーに、なんなんだろーか、と思わずにおられぬ感じでありました。

で、先程、フルートの吉岡さんとお話する機会があったて、興味深い事実を知りました。まあこれは原稿には使わないことだろうから「商売にならないことを書く」当電子壁新聞向けのネタと判断し、以下にサラッと記します。

要は、パク・クネ前大統領が、イサン・ユンを「北朝鮮に行ったことのある人物」という理由でブラックリストに挙げていたそうな。それがどういう意味で、社会的にどういうことが起きるのか知らぬが、ともかく「取り扱い要注意人物」になっていたとのことでありますよ。

へえええ、なーるほどね。納得して良いのか判らぬが、なんだか腑に落ちる話ではあります。

共謀罪のある社会ってのは、こんな感じになのでしょーかねぇ。あいつは共謀の疑いがあるらしいからヤバイ、となると、みんなでないふりをする、触れないことにする…のかな。

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舞踏要素極大の《サティアグラハ》 [現代音楽]

バーゼル歌劇場で《サティアグラハ》を見物して参りました。この先、ベルリンのコミーシュ・オパーなどでも上演されるプロダクションだそうなので、日本語文化圏の方も沢山ご覧になると思いますから、ま、少しは見物前の参考になるかな。ってか、ぶっちゃけ、「きっちり心構えして会場に来た方が良いよ」というお節介でありまする。

この舞台、バーゼル歌劇場の売りプロ(ドイツ語圏お馴染みの€3くらいでそれほどたいしたことが書いてあるわけではない配布物で、日本なら「これなら無料配布にしろ」と言う声も挙がりそうなもんですが、伝統なんでしょうねぇ、これも)に記されたキャスト表のガンジーやらミス・シュレーセンやらの歌手の下に、「Eastman」という,恐らくは団体名だろうなぁ、という表記があり、その下に「Kazutomi Kozuki」などという明らかに日本人と思われるいくつかの名を含めたいろんな人種っぽい12名の名前が並んでいる。どうやら、ベルギーのダンスカンパニーみたいでありまする。
http://www.east-man.be/

んで、その隣のページに指揮者ジョナサン・シュトックハマー以下、スタッフ名が並んでるのだけど、指揮者の次に書かれているのは演出&振り付けInszenienrung und Choreografieのシディ・ラルビ・チェルカウイ(と読むのかしら、Sidi Larbi Cherkaoui)。どうもEastmanなる舞踏カンパニーの監督さんのようでありまする。

もうこれで、だいたいどんなことになるかは想像がお付きでしょう。そー、この舞台、ぶちゃけ、「歌手や合唱団を伴う現代舞踏」ですわ。オペラ、という言葉を本来の意味の「作品」、要は「いろんなアート作品を全部ぶち込んだもの」という意味で捉えるなら、誠に以てオペラです。だけど、ヴァーグナーやヴェルディ的な意味での19世紀のロマンティックな「オペラ」とは、ちょっとどころか、相当に違ったものでんがな。ぶっちゃけ、歌手がベルカントで声を出すのがメインではなく、そういう要素もたっぷりあるけど、メインは今風のヒップホップやらストリートダンスから山海塾的なモダンダンスまでいろいろな要素を取り込んだダンスなのでありまする。

舞台の上には、最初から最後まで普通の意味での「装置」はありません。じゃあ、今時の証明やらレーザー光でいろんなことをするのかといえば、それもない。装置はないけど合唱団が全員鼠とか、そんなとんでもない着ぐるみが次から次へと出て来るわけでもない。人体とその動きが、背景になり、装置になり、あるときは板を保ってきて作業机や黒板にする際の黒子にもなり、はたまた群衆の動きにもなる。無論、「怒り」や「苦悩」を象徴する文字通りの舞踏にもなる。

と、いうところまで判った上で、このバーゼル歌劇場の公式ページにあるトレイラーをご覧あれ。
https://www.theater-basel.ch/Spielplan/Satyagraha/oeU4hpse/Pv4Ya/
このトレイラー、無論、音楽と映像は合ってないのだけど、基本、ずーっとこんな感じだと思って頂いて結構です。ともかく、歌手や合唱団がものすごく演技をする、というより、踊るのですわ。ガンジーが南アフリカの港に到着し、南アフリカのインド人差別を世界に伝えた奴ということで庶民からリンチにされる場面では、ガンジーさん、ホントに胴上げから放り投げに近いことやら、逆さにされるやら、酷いことをされながら歌わねばなりません。登録証明カードを一斉に燃やす場面や、最後のクライマックスのニューキャッスル大行進でも、ガンジーさんは舞台の上をかなり複雑な導線で動きまわらねばならない。しばらくの間、ガンジー役は歌手と舞踏家の2人1役なのかと思ってました。

逆に、これまでの《サティアグラハ》上演(ウィルソンの決定版の影響力が強過ぎて殆ど別の演出が出ていない《浜辺のアインシュタイン》とは異なり、この作品はいくつもの演出が出てます)であったけれどこの舞台ではないものは、各幕に記されたトルストイとかゴダールとかキング牧師などの象徴性です。それらしき人物が舞台に配されることもありません。

なんだか、言葉で説明するのがとっても無意味に感じる部分も多い舞台なので、もういいや。ともかく、最初から最後まで、どっぷりミニマルな音楽の変化に細かく反応しつつ人々が動き続ける、というモダンアートを3時間10分眺め続けるみたいなステージでありました。
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ただ、敢えて記せば、過去のどの《サティアグラハ》よりも歌手が弱いなぁ、という感は否めませんでしたです。最後のガンジーの「夕暮れの歌」すらも、舞踏の伴奏のように感じてしまった程なので。

ま、なんにせよ、「20世紀後半に書かれた最大にして最高の舞踏音楽」と割り切れば、これはこれでありなのだろうと思います。昨日はたまたまバーゼルアーツというこの都市としても非常に重要な現代美術展の真っ最中で、空港には関係者送り迎えのブースがあったり、街に様々な現代美術の展示があったりしていて、客席の小生の周囲にも明らかにそっち関係の人がいっぱいいました。そういう音楽系ではない、尖ったアート系の方々には、この音楽と演出、というか、舞踏は、ものすごくアピールしてました。なるほどねぇ、やっぱりグラスの作品って、オペラ愛好家や音楽愛好家よりも、現代芸術関係者の方が直接刺激されるものがあるだろーなー、とあらためて思ったです。

2週間の時間を経て眺めた《浜辺のアインシュタイン》と《サティアグラハ》が、まあものの見事に正反対の方向性の演出だったのは、これらグラス初期傑作群はホントの傑作であるという証明なのでありましょう。

この舞台、証明書を燃やす抗議運動のところまでをアンバランスなほど大きな前半にして、後半はニューキャッスル大行進と「夕暮れの歌」だけに分けてる。その幕間に風を浴びに劇場の外に出ると、週末の劇場前の空間にたむろしている若者達が、俺たちはお前らセレブが聴くようなつまらん音楽は聴かないぜ、ってか、これ見よがしにデカイ音で自分らの音楽を流し始める。
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ところがさぁ、彼らが流すインド系なのかなぁ、インド料理屋で流れてるような音楽が、今さっきまで劇場の中で鳴っていて、これからまだ1時間くらい流れる音楽と、そう遠いものではない。ってか、君たちがカッコイイと思って聴いてる音楽をもぅおっとカッコ良くしたものが今劇場で鳴ってるぜ、って教えてあげたいくらい。あの若者達を劇場の中に入れてあげれば、ぎぇええええすげええええ、かっこええええええ、オペラすげえええええ、と思うこと確実だろーに。

ま、そういうもんを「公立劇場」がしっかり出しているというのは、やっぱり、凄いことであります。はい。

以上、全く本気で感想を書く気が無い感想でありましたとさ。ひとつ言えるのは、わしゃもうこの演出は結構です、ってこと。舞踏好きの方は、是非どうぞ。ベルリンで出るときは眺める価値はありますよ。

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文楽人形のような子供達 [現代音楽]

ちょっと前に日生劇場で上演され、帝都でもそれなりに話題になったライマンの《メデア》の独都初演となっている舞台を見物してまいりました。場所は,今、ことによるとこの地でいちばん面白い劇場、コミーシュ・オパーです。

ええ、どうもこの街に来ると、昼間っからいろんな人達とアホみたいにデッカいジョッキをひっくり返してシュニッツェルやらアスパラやらを喰らってしまい(肉団子はパス)、べろべろへべれけになって劇場やホールに至り…という悪いパターンが定着していて、昨日もしっかりその悪習を繰り返してしまい、リンデン通り挟んだ反対側の「カフェ・アインシュタイン」なる今回のドイツ滞在を象徴するような名のみんな知ってるカフェを出て劇場平土間真ん中に座ったときは、もー前頭葉は活動停止状態。ましてや目の前にデカイおっさんが座れば舞台真ん中はみえないような構造なんで、メデアが一生懸命なんか掘り返していたり、埋めていたりするのがよく見えず、結果として前半はほぼ轟沈。なんで、流石にこの無責任電子壁新聞の「感想になってない感想」としても、とてもじゃないがまともなことは言えない。とはいえ、本日からまた弦楽四重奏の世界に頭が戻れば、多少なりとも思ったことをすっかり忘れてしまうこと必至。で、おぼろげな記憶から、メモのように記しておきます。自分の為のメモですので、悪しからず。←いつもじゃないか、と突っ込まないよーに

日本でも目敏い追っかけマニアさんらが注目しているベネディクト・アンドリュースが演出を手掛けるこの舞台、基本は、全く以てまとも。変なことはなーんにもしてません。その意味で、今、東京は初台で出ているフリードリッヒ最晩年の《リング》なんかが出て来た,遙か遡ればスタニフラフスキー・システムなんぞという懐かしいところから、ブレヒト経由してしっかりこの街に根付いている「リアリズム演劇を前提としたオペラ演出」のモダン版。妙なテクノロジーも全く用いない、ホントにストレートプレイに近いものです。

なんせ日生劇場と比べてもまだ小さい(とも思えないのだけど…)劇場で、ピットも小さく、この劇場でこの類いのもんをやるときの恒例の打楽器ピットからあふれ出し、という状況。で、あのライマンのこれでもかという音楽をドッカンドッカン無慈悲に鳴らし、歌手が無慈悲に叫びまくる、というもの。前半最後のメデアのモノローグは、まあ、それは演技歌音楽総ざらえでそれはもー「ロマン派の究極形態としての表現主義」を目にするようなもので…こういうもんがあらためて21世紀に出て来るんだわねぇ。

そんなこんなの濃厚にしてどぎつい、日生の舞台は音楽含めまるっきりお茶漬け風味の薄味にしか思えぬ舞台の中で、最も印象的だったのが、子供達の扱いでした。この演出、子供らは最初から舞台の奥に座っている。
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よーく見ると、人形なんですわ。かなり大きな、文楽人形に今の子供のシャツなど着せたようなもの。その人形を、メデアやらクレウサやらが扱うんだけど、これがまぁ、とっても上手、というか、訓練された扱いで、まるで「静かな、大人しい、無表情なよい子達」に見える。周囲の登場人物やオーケストラが大騒ぎをすればするほど、子供達の静かな礼儀正しさ、こんな場所でも一生懸命順応して生きていこうと子供なりに頑張ってるんだろー、って感じがガンガンに伝わってくる。ホント、完全に文楽の世界です。

で、そんな子供らを、舞台の真ん中で、メデアは頸をかききって殺します。オケが子供の悲鳴のような、弱音の叫びを挙げる。ホントに、人形が死んでいく…

いやぁ、刺激が強すぎてR指定にしないと、トラウマになるんじゃないか、というような、フォルテシモを鳴らし続けた中で、いきなり再弱音だけで表現されるものの強烈さ。その直後、クレウサはホントに火に包まれて死ぬのだけど、絵ずらとしては遙かに刺激的なそっちよりも、遙かにインパクトがある子供殺害シーン。

数あるメデア舞台のなかでライマン作品が特徴的な、最後のクレオンとメデア再開の静寂感は、もうその前に充分に先取りされている、って感じでした。

てなわけで、ともかく,メモ。そろそろ空港に移動せねばならないので、これまで。

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舞踏要素極小の《浜辺のアインシュタイン》 [現代音楽]

ケイ・ボジス(Kay Voges、なんかこういう日本語表記らしいです)演出の《浜辺のアインシュタイン》を見物してまいりました。休憩無し3時間15分程の舞台で、この作品としては短いと言えましょうが、やっぱりもの凄く疲れてるので、忘れちゃわないうちの備忘録として自分の為に記します。

数年前にここの劇場の方のインテンダントだったという演出家ボジス氏、劇場発表の印刷物には全て「フィリップ・グラス&ロバート・ウィルソン」の作と記しているのに
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ウィルソン演出とはまるで異なるコンセプトを出して来てます(ドイツ版wikiを眺める限り、オペラ系はさほどやってる方ではないようです)。漸く昨年に第3ヴァージョンの正規盤Blu-rayも出た過去の3ヴァージョンあるウィルソンのオリジナル演出のコピーなりアップデートなりではありません。まるっきり違うものです。公式の宣伝映像はこんなもの。
https://www.theaterdo.de/detail/event/einstein-on-the-beach/#prettyPhoto/1/
恐らく、この作品の非ウィルソンの演出としては、初演後比較的直ぐにシュトゥットガルトだかどっかあの辺りで出たもの、一昨年にアデレードで初期三部作として上演されたものに継ぐものじゃないかしら。詳しい方、教えてちょーだいな。

さても、この演出、一言で言えば、「限りなく舞踏の要素を排除した《浜辺のアインシュタイン》」でありました。なんせ、2箇所に巨大な舞踏シークエンスがあって、最後には「宇宙船」は総まとめのような大ダンス・シーンでクライマックスが築かれる作品とみんな思ってるでしょうから、それが無いってなんなんじゃいでしょ。でも、無いんです。ふたつめの舞踏シーンでダンサーが2人になるのが最大で、ウィルソン版では最も因習的な舞踏シーンが延々続く最初のところでもダンサーはひとり、「宇宙船」でも同様。

じゃあ、どうしているのか、ってば、代わりに演劇の要素を突っ込んでるのですわ。ひとり、ウィルソン版にはまるで登場しない基本ドイツ語を朗読する役者を出し、本来の台本にはないテキストを舞踏シーンで読ませています。役者は、《サティアグラハ》でガンジー役などをやらせたらイメージ最適、って感じのオッサンで、ドルトムント劇場の役者さんみたい。テキストは、ええと、上の方の字幕のところに一瞬出たのをノートしたのだけど、うううん、読み取れないぞ。ええと、最初のところは…Schizpophrerie nd Sparache、かな。もうひとつ、二つ目の方は、ドイツ語訳の「ゴドーを待ちながら」の断片とありました。

そもそも冒頭のニープレイのときから、舞台奥に陣取るアンサンブルの前に2人の女優さん(なんでしょうねぇ)が立っていて、アンサンブルの後ろに合唱団が入ってきて「わんつーすりーふぉー…」と歌い始めるとナレーションを被せてきます。
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この2人がいろんな風に動き、ウィルソン版の英語の朗読を担当する。とはいえ、これもかなり弄られていたみたいだったぞ。なにしろ終幕のニープレイでも、あのバス運転手のバリトン声で恋人達の姿を労働句するのではなく、女優さんふたりが手紙を読み上げるようにドイツ語で語ってる。極端な比喩をすれば、「ヴォータンの告別」がソプラノ二重唱になっちゃったみたいな感じですわ。
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カーテンコールにて、演劇チーム。白いジャケットのオッサンがナレーション役者さん、で、隣の青と赤の頭が女優さん。写真いちばん左手の男はダンサーさんで、でっかい脳の被り物に入って踊ったりで著集には誰だかわからないので、「デッカい脳」とTシャツに書いてある。

細かく説明しているとキリがないけど、舞踏のシーンは、音楽と最小限の舞踏と、それにナレーション手置き換えられる。実質的には、初演の頃にはなくて今はとても重要な武器になってるのが映像で、舞台奥全体の上下するスクリーンと、白い細い糸みたいなものを束ねて舞台の前の方で左右から動いてきたり、回転したりする、斜幕上のスクリーンに様々にイメージが投影され、それが舞踏の代わりになってます。

それらの作業の積み重ねの結果として、オリジナル版よりも遙かにグラスの音楽が表に出て来ます。

なんせ、アンサンブルの中にお馴染みのアインシュタイン姿のヴァイオリニストがいるのは毎度ながらだけど、完全に独奏として舞台の真ん中に出て(電子楽譜とスタンドを自分で持って出て来る)、ナレーションの老俳優と絡んだりします。最後も、ナレーターふたりが去った後に、舞台が暗転するまで真ん中で1人で弾いているし。
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これがカーテンコールでの音楽チーム。実は、いちばんたいへんなのはヴァイオリンの隣に立っているキーボードの女性。実質上の全体を支える通奏低音奏者みたいなもの。

もうひとつのデッカい独奏で印象的な「都市」の場面では、これが合唱団が舞台から客席に下りて歌いながら歩き回り、それと一緒にサクソフォン独奏も客席を歩き回ります。まるっきりシアターピースですわ。指揮者と合唱団が舞台の前に出て来て、合唱の演奏会みたいに歌うところもあったり。

合唱団も大活躍。過去の演出ではどれもピットに入っていたり、隅っこに立っていたりしてさほど目立つ扱いはなく、なんとなく仕事の割に報われない感漂う合唱団なんだけど、この演出では実質上オペラの出演人物となっています。「宇宙船」では原始人の着ぐるみを着て客席から出て来たり。独唱歌手も扱いが大きくなっていて、「夜汽車」では、2人の歌手が真ん中で完全に二重唱を延々しています。どこだったっけかなー、完全にソプラノ独唱がステージ真ん中で延々とヴォカリーズを続けるアリアになってたところもある。

なんだかこれじゃ全然判らないかもしれませんねぇ。スイマセン、でもまあ、つまるところ、「《浜辺のアインシュタイン》をあくまでも音楽メインに捉え、現在ある照明、電子技術その他を駆使して視覚化する。舞踏がないともたない部分は、敢えて別のテキストを追加することまでしてカバーする」というやり方。

会場となるドルトムント歌劇場はかつてナチスに潰されたシナゴーグの跡地だそうで、それを非常に大事にしている記念碑などがいろいろあるから
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この作品に読み取ろうと思えば強引に読み取れなくはない「ヨーロッパからアメリカ、そして宇宙へと至るユダヤ人アインシュタインの旅」を演劇的に強調するのかなぁ、と開演前には勝手に推察していた。だけど、まるっきり外されましたね。好き嫌いはともかく、こういう手があるのかぁ、と大いに感じ入りましたです。アデレードの演出が、舞踏出身の演出家さんだったこともあり、全三部作を全て舞踏の視点から作り直すような舞台だったのとは、ほんとにまぁ、正反対のアプローチでありまする。

この作品、ことによると、やりようによっては案外と生き延びるかもしれんぞ、近未来には演出家が最もやりたい作品になるかも、なーんて思わされましたとさ。

ヘバヘバなので、これでオシマイ。もう寝ます。

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バーンスタイン100年祭概要発表! [現代音楽]

果たして「生誕100年記念イベント」が「現代音楽」カテゴリーなのか、些か疑問がないでもないけど、まあ、その辺りはえーかげんでもかまわんべー。

来シーズン頭の9月から賑々しく始まる「バーンスタイン生誕100年」の概要がレナード・バーンスタイン・オフィスというところから発表されました。出版社のプレスリリースをまんま貼り付ける訳にはいかんでしょうけど、イベント概要なら問題はないでしょうから、以下に貼り付けます。ほれ。
http://www.boosey.com/downloads/B100_Centennial_Events_Announcement.pdf
どうもこの一覧でも全てではないと出版社側も判っているようで、ともかく「演奏するから楽譜を…」という連絡を受ける窓口の出版社としては、これくらいは把握しているぞ、ということみたい。

正直、とてもじゃないけど全部開けて見るのもたいへんなので、ま、お暇で関心のある方はどうぞ。概要は、こっちの方が良いかな。これも概要と言え、随分細かい字でいっぱい書いてありますね。
http://www.boosey.com/cr/news/100996

日本でもイベントがあるぞ、と書いてあるけど、このアナウンスの時期よりも一足早く7月に大フィル定期で《ミサ曲》が上演される他に(一覧表には掲載されてますね)、なんか大きいもんはあるんかいな。

ともかく、どうやら世界は「バーンスタインの年」になるらしー。幸か不幸か、室内楽業界はクラリネット奏者さんが忙しいくらいかなぁ。ピアノ・トリオは密かにやられるかも。うん、その点でもマーラーと同じか、なぁるほど。

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香港フィル演奏の新作について [現代音楽]

どういう訳か知りませんが、久しぶりの日本公演を大阪はザ・シンフォニーホールでのみ開催する香港フィル、いよいよ公演は来週火曜日と迫って参りましたです。
20160903121103_001.jpg
http://www.symphonyhall.jp/?post_type=schedule&p=7338

NYPの次のシェフに決まり、今や飛ぶ鳥落とす勢いのヤープがポディウムに立つとなれば、先物買いのマニアさんなら「なんで東京でやらんのじゃ」と怒り出す勢いでありましょうねぇ。

さてもこの公演、殆どの方には関心がないだろーけど、もうひとつ、大きなウリがありまする。それ即ち、最初に演奏される若き香港ベースでどうやら半分はイギリスに居るらしい作曲家、ファン・ラムの管弦楽曲であります。

この曲、ヤープと香港フィルのこの数年の世界ツアーでは盛んに演奏されているようで、この類いの「海外ツアー向けに書かれた香港を紹介する楽しい序曲」かなんかだと思っちゃいそうなんだけど、ところがどっこい、かなりガリガリの「現代曲」でありまする。諸般の事情でこの公演の広報関係のお手伝いをすることになり、録音を聴いたりすることもあったわけですが、へえ、というくらい面白い曲です。強いて言えば、「五」という数に拘った音楽で、五音音階の今風な展開を大真面目で考えている。5つの強奏の間に繊細な弱音部分が挟まれる、って感じかな、聴いた印象は。

所謂「何をやってるかまるで判らないゲンダイオンガク」ではありませんし、かといって中国っぽいメロディいーひゃらぴー、ってお手軽なもんでもありません。なかなか良いバランスだな、って曲でありまする。

お暇な方は、是非とも来週火曜日にシンフォニーホールにいらっしゃいな。以下、これはオープンになっているソースなんで、作曲家自身の解説と、音が聴けるサイトを貼り付けておきます。お聴きあれ。
https://soundcloud.com/lamfung/fung-lam-quintessence

The Chinese title of the work has two layers of meaning. It literally means ‘contain’, which refers to something of positive potential. The deeper meaning relates to the concept of the Five Aggregates in Buddhism, namely form, sensation, perception, mental formations and consciousness, which are the core aspects shared by sentient beings of all shapes and forms.

The English title corresponds to a similar concept in ancient Greek philosophy. Quintessence is the fifth and the highest essence after the four elements of earth, air, fire and water, and thought to be the magical substance of gods and latent in all living things.

This concept, with its lively and positive character, served perfectly as the starting point of this work, written in celebration of HK Phil’s 40th anniversary. The composition consists of a series of short and contrasting sections which share the same handful of distinctive core musical elements, the most significant of which being the zigzag shaped melodic line, signifying the journey towards one’s goals.

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こういう曲をやるソリストを讃うべし! [現代音楽]

宣伝、というか、礼賛ですっ!

明日明後日、大阪フィルの定期演奏会で、チェロの宮田大氏が尾高尚忠のチェロ協奏曲を演奏します。
http://www.osaka-phil.com/concert/image.html

コンサートの詳細は上のチラシをご覧になっていただくとして、とにもかくにもこの無責任電子壁新聞で言いたいのは、「宮田君、偉い!」であります。

ソリストというのは、海千山千のオーケストラの面々を背に、ちょっとでも間違ったらネットで悪口を書いてやろうと楽譜抱えて待ち構えている客席の聴衆に向かい、面倒この上ない楽譜をきちんと音にし、さらには山のように遺された先達の名演に、少なくともその瞬間は匹敵する、はたまた凌駕する、と感じさせる音楽をやってなんぼ、という商売をやってるわけですな。まあ、ホントに厳密に言い出せば世界に数十人しかいないお仕事なわけで、そんな特殊なことがやれる人だけがやってると考えればそれまでなんだろうけど、でもやっぱり、とんでもないお仕事であーる。

ナクソスなんぞが次から次へと妙なレパートリーを音にしてくれてしまい、気持ちとしてはありとあらゆる音楽文献が貴方のパソコンなりスマホから音として聴けますよ、って状況になってしまった21世紀の今、すれっからし聴衆は次々と新しいレパートリーをライブで聴くことを求め、主催社側もたまにはそれに応えねばならないと考える。で、ソリスト様とすれば、若い頃から先生に叩き込まれたり、学校できちんと習って、自分の音楽としてがっつり身に付けた協奏曲じゃなくても、弾かねばならないことがある。普通は、「いやです」と言えば済む。でも、そうは言わない方もたまにはいてくれる。

というわけで、明日明後日は尾高の協奏曲を聴きに大阪フェスティバルホールに行くべし、ってことになる。第2次大戦中に書かれたドヴォコンに匹敵する巨大な協奏曲、ときいただけで、もうただものではないとお判りでしょ。あ、YouTubeにこうさんの演奏があるじゃないか。まずは、お聴きあれ。
https://www.youtube.com/watch?v=NZf7T1w_pPg

宮田氏のマネージャーさんに拠りますと、流石の宮田氏にして聴衆の皆々様の前にきちんとした音楽を伝えるためにギリギリの闘いをなさっているようで、それも一重に「ひたすら師のため」だそうな。なにせ、急遽CD録音も決まったそうで、さらにプレッシャーは強まり…

そんな中でもしっかり「勝ち」に行けるのが真のソリスト。ぐぁんばれ、宮田くん!大阪近辺の方、宜しくぅ。

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