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ロシアは煙のなかに… [音楽業界]

ソウル・アーツセンターのオペラハウスで、韓国国立オペラの新演出《ボリス・ゴドゥノフ》を見物して参りました。
http://www.nationalopera.org/ENG/Pages/Perf/Detail/Detail.aspx?idPerf=500390&genreid=88&year=2016
どっかでやった舞台をまるごと買って来て「新演出」で御座い、と仰る初台のなんちゃって新演出とは違って、演出家がちゃんと最初から全部作る、ホントに、ってか、まともな「新演出」でありまする。一説に拠れば、東アジア地域での引っ越し公演ではないこの作品の「新演出」は、なんとまあ岡村&小澤&二期会の日本語での上演以来とか。へええええ、まあ、東京ではゲルギエフ様が自分の手兵連れていくつものヴァージョンでやってるので、なんかいつもやってるみたいな気がしていたけどなぁ。

考えてみれば、民衆のパワーで就任の経緯がアヤシいと噂される皇帝を追いやってしまう、という次の大統領選挙真っ最中のソウルで上演するには余りにもぴったりな作品なんだけど、今回の上演はクリュイタンスやカラヤンでお馴染みのリムスキー=コルサコフ版がベースだったようで、改定初演版の革命シーンで終わってこの先の政治混乱を予見させる、というもんではありませんでした。無論、こんな政治状況になる遙か昔から決まってた上演ですから、たまたま、ってことですけど、こういうたまたまがとっても意味ありげに見えるんですよねぇ。

ま、それはそれ。で、今回、日本政府や一部マスメディア、ネット上のアベちゃん勝手連サポーターさんなどがまるで明日にも戦争だ、という空気醸し出し毎度ながらの失政隠し、滅茶苦茶法案審議目眩ましをする真っ最中に関空からソウルまで1時間ちょっと飛んで来た最大の理由は、演出でありまする。無論、アジア最強の韓国オペラ合唱パワー、世界を席巻する男声歌手人の層の厚さ、ゲルギエフやふたりのペトレンコに続くロシアが生んだ新しいスターオペラ指揮者コチャノフスキー、などなど、いろいろな理由はあるわけだが、やっぱり演出のステファノ・ポーダをきっちり眺める最高のチャンスだということ。カーテンコールで、指揮者とボリスの間にいる長髪のにーちゃんです。
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このイタリア人の演出家さん、所謂、ドイツの小さな劇場で「オペルンヴェルト」のすれっからしというか、ちょっと斜に構えすぎたというか、余りにもマニアックというか、まあとてもじゃないが日本のオペラ批評では考えられないような厚いバックグラウンドと豊富な知識と溢れる教養を前提とした方々がなんのかんの喜んだり貶したりするところで育ってきてる演出家とはちょっと違う。なにせ、今回のプロダクションでも、「演出、装置、衣装、照明、振り付け」となってる。つまり、舞台上で起きることをほぼ全てひとりで仕切っていて、指揮したり歌ったり踊ったりしてないだけ、って方。今時、こういう総合的な仕事を出来る若手演出家って、どれくらいいるのかしら。基本的に「舞台の美しさ」から始まる美術から出て来たラテン系というと、ポネルみたいな在り方のモダン版と思ってもそう間違いないかも。ともかく、頭でっかちで自意識過剰(だけど、議論する側からすればもう猛烈に議論しやすくネタ満載で楽しい)、というのではありません。

今回の《ボリス》、なによりも印象的なのは、黒を基調としたスタイリッシュな衣装(よく眺めると、それぞれの政治的な立ち位置を反映した舞台装置と関連した衣装になってます)で重苦しく暗い装置のロシアと、白を基調とし奇妙なほど明るいポーランドとの対比。とりわけ、ロシアが舞台となる間はずーっと漂っている煙が、装置の一部となっている。このオペラ劇場の上下左右に動く巨大な舞台をしっかり利用し、いくつもの巨大な箱が上がったり降りたり、上手下手に水平移動したりする中でステージが展開するのだけど、ロシアのシーンは常にうっすらと、あるいははっきりと煙ってます。その煙にいろいろな照明が当てられることで、登場人物のモノローグやら対話の動きの中で舞台全体が赤くなったり青くなったり、或いは白くなったりする。

そんな意図が極めてはっきりしているのは、修道院の青年が偽ドミトリーになる決意をする場面。歴史書記家さんが秘密を語るのを聞く間、若い修道士は上から煙を吹き出しながら降りてきたデッカい球体を引っ張って前後に動かし、部屋を煙で満ちあふれさせていく。ロシアの混迷がどんどん深まっていくのを象徴するような動き。なるほどねぇ、と思わされるだけではなく、視覚的にもとっても綺麗なんですわ。ともかく、煙に光を当てるのがとっても巧みな舞台です。

たた、ひとつ問題があって、この演出、煙ったいんです。比喩ではなく、文字通り、煙ったい。舞台の奥の方や袖、それどころか客席でも、咳をする人が絶えずいる、ってことになる。なんせ、幕間に明るくなった客席を眺めると、なんとなく煙ってるんだもんさ。ほれ。
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ま、そんなこんな、ポロネーズのシーンを含めた舞踏の振り付け(太極拳みたいなモダン舞踏の動き)ともかも含め、演出家の意図が隅々まできっちり透徹した舞台で、「演出家がしっかり仕事をするとはどういうことか」を眺めたい方は必見です。どこかとの共同制作でもないようだし、映像も収録していた感じはないので、これだけのプロダクションがあと週末2回でお釈迦になってしまうなんて、ホントに勿体ない。演出家がその場にいないと維持再現は難しそうな舞台だし。

さて、明日明後日、午後3時からソウル・アーツセンターで上演がありますので、お暇な方もそうで無い方も、是非ともソウルまでいらっしゃいな。失礼ながら、某ドイツの著名劇場日本公演に500ユーロ払うより、遙かに意味あります。これホント。

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「キチ」のあるホール [音楽業界]

先週末と今日と、「キチのあるホール」に座っておりました。

去る土曜日は、沖縄県浦添市のてだこホール。この地図をご覧あれ。
てだこホール.pdf
浦添市といえば、本土でもいくらなんでも話題になってる、アメリカ海兵隊が海外に分遣隊として出している唯一のオスプレイの本拠地たる普天間基地のある宜野湾市に隣接してます。てだこホールがある浦添市のスポーツ芸術総合文化施設は、地図から判るように沖縄南部の丘陵地の上に開かれた普天間基地の隣、谷を越えてもうひとつ南の丘に広がってる。基地滑走路滑走路南西端の真下4キロ弱くらいで、ホールがあって、運動施設があって、その向こうの丘の頂上の浦添大公園というところは普天間基地を一望出来るスポットとして、普天間でなにか動きがあるとマスメディアが詰めかける場所となってる。
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この写真は、文化スポーツ施設複合公園の横を通って、那覇から普天間方面に向かう幹線国道の跨線橋の上から、普天間方面を眺めたもの。丘の上の四阿のようなところが、普天間基地覗きスポットのようであります。なんせ、沖縄戦では大激戦地となった辺りですから。

浦添市には西の海岸沿い、那覇から嘉手納を通って名護に向かう幹線道路がもうひとつ通っていて、その海側には海兵隊のキャッンプキンザーが広がっていて、実質上普天間基地の海上からの補給基地となっているわけで、ここもやっぱり基地の街。当然ながら、日本国政府は我らが税金をたっぷりと浦添市には落としていることでありましょう。その辺り、地元の方はよーくご存知でありましょうが、めんどーなんでここではいろいろ記しません。ともかく、どんな理由であれ、独立棟の大ホールと小ホール、管理施設を併設した冷房完備の市民集会室、広大な中庭に面したダンス演劇練習室、などがいくつも併設された、浦添カルチャーパークというもの凄く立派な公共施設が存在している。
http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2014110102566/
小ホールに向けて駐車場から降りていくところは、シーサーたちが守ってます。
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世間は北朝鮮がどうだなんだ、シリアへのミサイル攻撃だと大騒ぎだったけど、先月から日本海で韓国軍との合同演習を行っていた海兵隊部隊を乗せた強襲揚陸艦(所謂「ヘリ空母」でんな)「善人ディック」丸は前日にミサゴ君含む全ての部隊をキャンプキンザーと普天間に下ろし、普天間は訓練が終わって完全にお休み状態で全く静かなもの。上空には、8キロくらい北にある嘉手納のP-3やら空軍特殊部隊のMC-130がノンビリと舞っているくらい。
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下の写真、C-130が写ってるのも判らないでしょ。この数日後、アフガニスタンで米軍が世界最大の通常爆弾をMC-130から投下したとの報道がありましたが、なんだか嘉手納のこの部隊が使われたような気がするなぁ。
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通常の平日なら、普天間のシースターリオンやら最新型コブラ、はたまたミサゴ君が散々に頭の上を通過しているだろうけど、この日は練習室でミュージカルのリハーサルで大声立ててる若い役者さんたちの方が遥かに騒々しかったです。

この状況を眺めて、「へえ、基地のアプローチ真下とはいえ、案外、静かなもんだなぁ」と思っていいものやら、なんとも判らぬ。だけど、こんなスゴい施設がここにあるということそのものが、どういうことなんだろーなーと思わざるを得ないのは致し方ないところでありましたです。


んでもて、沖縄から戻って数日の本日、やくぺん先生が沖縄・韓国取材のテープ起こしをやりながら座っているのは、こんなところ。
大和シリウス.pdf
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大和駅周辺商店街の向こうを降下しているC-130は、311復興特別予算使って我らが海自が中古品で買い込んだ奴じゃなくて、何故か習志野空挺部隊で葛飾でもお馴染みの空自の奴です。アリオスの東を南から進入し、相模原補給所の上辺りでグルッと回って降りてきました。なんの用事で海軍基地に来たのやら。

ここがどこかといえば、沖縄に継ぐ日本で2番目に米軍基地に溢れる神奈川県は大和市に昨年秋にオープンした総合文化施設、大和シリウスの6階市民交流広場野外スペースでありまする。小田急と相鉄が交差する大和駅から、横浜方面に向け相鉄が地下を貫いている道の真上。アメリカ本土以外に展開するアメリカ海軍唯一の航空基地たる厚木基地の滑走路北端、東名大和トンネルとして知られる辺りまで1キロちょっとの辺り。こちらはアプローチ真下ではなく真横なんで、頭の上を直接かすめるのはヘリくらいなのが救いですが。

やくぺん先生的には、佃の縦長屋の横やら上やらを高度300メートルくらいでいつでも我が物顔で飛び回っている空母ロンやらヘリ空母善人ディックの艦載ヘリ海鷹くんの巣(上の地図の厚木基地滑走路右側のエプロンが、海鷹くんの巣です)まで1キロ程の場所、って認識でありまするな。今日はもう明日からのイースター休暇ということで、海鷹くんは横須賀に人を運ぶお仕事をしていたくらいで、訓練で大和シリウス上空をグルングルンまわることはなかったけど、まるで佃縦長屋の勉強部屋で海鷹くんが六本木から銀座、八丁堀を抜けて大川遡り天樹遊覧飛行に向かうのを眺めてるのと同じ気分になってきたぞ。ま、飛んでるのはもっと物騒な、空母ロンの超蜂くんたちなのが違うけどさ。
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いやぁ、「世界でいちばん騒々しい飛行機」と言われるだけのことはある、いかにも艦載機らしく、決して編隊着陸はせず、滑走路上空を通過しブレイクして一機づつ着陸していくのだけど、そんな着陸よりも離陸の騒々しさったらありゃしない。南風で新幹線真上を抜け湘南方面に離陸していくときったら、北に開けたシリウス6階屋上からは姿はまるで見えないのに、街全体がガード下になったみたいな猛烈な爆音っぷり。これじゃあ騒音訴訟も起きるだろーに。

本日、こんな場所にどうしていたかといえば、オープン前に見物させていただいたときには空母ロンが出航中で、超蜂くんたちの爆音がホールにどの程度響くのかが経験できなかったから。朝鮮半島で戦争が起ころうが、巨大地震が来ようが、5月までは原子炉内部掃除も含めた定例大修理中の無敵巨大空母ロン、まるで動く気配もなく、艦載機は厚木の塒に降りて、練習してるわけでありまする。とはいえ、残念ながらホールに座っているときにこの騒音を味わうことは出来ませんでした。可能性があるのは、この日。
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わお、我らがヤマト弦楽四重奏団の人気者が昼間に演奏会をやって下さいます。とはいえ、イースター休暇の真っ最中だから、超蜂くんたちは飛ばないだろーけどなぁ。

大和シリウスったら、なんでこんな立派な、と思うほどのピカピカの図書館、ホール、集会所、練習所など集めた複合文化施設。
http://yamato-bunka.jp/
やくぺん先生が座ってたのは、上のホームページの写真右手のテラスでありまする。地上1階にはこんなものも入り
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盛況でありましたとさ。

「キチ」のあるホール、どこも立派なもんだ、うん。まるで六ヶ所村の巨大文化施設みたいじゃわい。

基地外で 基地は吉だと 叫ぶ阿房

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NJP昼定期はディープな若隠居音楽ファンのためにあるのじゃ! [音楽業界]

本日、新日本フィルハーモニー交響楽団の来シーズン内容発表記者会見が行われましたです。内容は、こちらをご覧あれ。PDFファイルをピラっと開いて下さいませな。
https://www.njp.or.jp/archives/4567

ええ、ご覧になってお判りのように、まあぶっちゃけ、「人口30万から50万人くらいの、自前のオペラ劇場をもっているくらいのドイツ地方都市のオーケストラ定期公演」って感じの演目ですね。基本、小規模ながらもトンデモな演出が次々出るような劇場がちゃんとあるから、演奏会形式オペラとかのイロモノはやりません、あくまでもシンフォニー・コンサートに徹してますよ、うちは、って感じ。

音楽監督の上岡氏が何を喋っているかなんぞは、あちこちのFacebookなどで出席なさっていた同業者さんがいろいろ書いてますから、そっちをご覧あれ。
https://www.facebook.com/yamadaharuo1964?fref=nf&pnref=story
https://www.facebook.com/kyosuke.hasegawa?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all
あれ、Facebookって、記事そのものにリンク出来ないのか。ま、スクロールしてみてくださいな。

って、めんどーなことは他人に任せて、敢えて引き籠もり老人やくぺん先生が勝手なことを言えば、来シーズンのNJP定期、とうとうやってくれたなぁ、感が漂いますね。

ええ、昨今、こういう音楽団体のシーズン記者会見などでは、必ず新聞系なんぞの記者さんから「若い聴衆の開拓はどうなっているのですか?」という質問が出ます。そりゃね、ある意味で「この団体の財政状況はどうなってますか?」と並ぶ、どんな新人記者でもやれる定番質問ネタだし、そこでなんか出て来れば良い記事と褒められるようなものが書けるから、ま、それはそれで結構でありましょう。

だけど、ホントは、この裏には、誰も敢えて訊ねない大きな質問がある。「高齢化した聴衆はどうするですか?」ってのがそれ。

今、コンサートに客が来なくなっている、客が高齢化しているからだ、という議論は、全く正しい。で、若い聴衆を集めなければ、という危機感になるわけです。だけど、高齢化して定期演奏会に来られなくなった人達は家で寝てろというのか。それはないでしょ。

てなわけで、21世紀になって、どの主催者も音楽団体も、「私たちは他に先駆けて平日昼のコンサートをやって、沢山の聴衆を集めています」などと誇らしげに仰るようになった。実際、昼間の演奏会は呆れる程増えているし、最近では週末の昼は演奏会が目白押しで重なりまくってたいへん、でも平日夜はこの東京首都圏でもオケやオペラの演奏会がない、なんてことは珍しくなくなっている。

どうしてそうなっているかといえば、話は簡単で、この東京首都圏という世界でも珍妙な、敢えて似たところを探せばソウル首都圏くらいしか似たものがない人々の生き方にある。「都心」と言われる場所が20キロ圏内くらいに分散して存在し(上野、北千住、錦糸町、門前仲町、浅草、銀座…どれも世界の普通の国ならばそれぞれが独自の空港を持つくらいのひとつのシティです)、東京そのものがひとつの都市ではない。そのそれぞれに50キロ圏くらいの居住地域が広がっていて、更にその外に鉄道会社が建設開発した郊外都市が広がっている。

結果として、都心と呼ばれる場所のコンサートホールで夜に演奏会が終わると、かなり多くの人が帰宅が深夜前になったりする可能性がある。これじゃあ、若い頃はともかく、ご隠居になったらとてもじゃないけど出ていくわけにいかない。てなわけで、聴衆高齢化と共に昼間の演奏会がガンガンに増えているわけです。ま、猿にだって判る理由。

ところが、興味深いことに、「昼間のコンサート」になった途端に、主催者の皆さんが「昼間なんだから名曲コンサート」とほぼ自動的に思ってしまう傾向にあるんですな。

夜の演奏会はブルックナーの6番をやるけど昼間の演奏会は同じオケが同じ指揮者でメンデルスゾーンの《スコットランド》をやる、とか、夜の演奏会はリゲティの協奏曲だけど同じソリストが昼間の演奏会ではパガニーニを弾く、とか。ま、なんとなくそんなもんだろう、だって昼間だもん、って思ってしまう。

だけどさぁ、ちっとも「だって昼間だもん」じゃないんねん。平日夜のコンサートに来ていた聴衆は、歳を取ったからといってブルックナーはもう聴きたくないと思ってるわけじゃない。「ああこの指揮者、夜はブルックナーやるのかぁ、昼間はブラームスなのは残念だなぁ」と思ってる、かつて朝比奈一般参賀に率先して加わっていたような爺様だって、いっぱいいるわけですよ。

NJPさんは、この「ルビー」なるどういう意味かよー判らぬ題名を付けた「金曜午後2時&土曜午後2時」というシリーズを、定期3本柱のひとつに立てた。で、その演目たるや、尾高さんがウォルトンの交響曲第1番、上岡監督がレーガーの《ベックリンの音詩》、ジェイムス・ジャッドがロッシーニの《スタバート・マーテル》、カムがしべ2の前にサリネンの序曲、んでもてファレッタねーさんがバーバーの交響曲やってカーニスやって、最後はヤングおばさまがブルックナーの4番で締める。ハイドンやメンデルスゾーン《宗教改革》なんて普通の演目があると思えば、なんと指揮者は鈴木雅明!これって、もう堂々たる「夜の勝負定期」の演目&出演者でんがな。

こららの演目を眺めれば、多摩市の奥地に引っ込んでしまった元ヘビー・コンサートゴーアーさんであれ、水上で畑弄りながら次々と出て来るアーベントロートの新譜をAmazonで購入してるご隠居さんであれ、「金曜の昼なら、錦糸町まで行ってみるか」と思うでしょ。つまりこのラインナップ、関東圏全域のオールドファンに、月に1度、金曜日に東京に出てみましょうよ、と誘ってるわけであります。流石にオケ自身はそうは言っていないものの、実体は誰がみてもそう。

さああ、この実験、どう出るか?オケがホールを本拠地にしている団体じゃないとやれないかもしれないけど、どんなことになるか、他の団体も結果を横目で眺めてるんじゃないかしらね。

さても、この週末には今シーズンのルビー定期がありまして、なんとメイン演目は、ヒナステラのバレエ曲全曲であります!
https://www.njp.or.jp/archives/1041
もちろん、爺初心者のあたくしめも参上させていただきまする。

関東各地に散らばるかつて毎晩上野に通っていた爺様どもよ、月に1度、錦糸町に結集せよっ!

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上野の杜のフェスティバルはホントに桜の頃が良いのか? [音楽業界]

以下、恐らく、非難囂々、現実が見えていない、お前はアホか、と叱られること必至のことを記しますです。

ええ、今、上野は東京文化会館を眺める上野駅公園口と入谷口の上に被さる巨大横断橋というか、駅上広場というか、の隅っこに座り込んでます。
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上野の杜の方がどんなことになってるか、言うまでもないでありましょう。さっきから上空にNNN報道ヘリがグルングルン舞ってます。周囲から漏れ聞こえる言語も、一体、どれだけの数あるやら。

「東京・春・音楽祭」という奴が始まって、最初の頃は神保町の向こうに事務所があって、ホーレンダーやら動かしていたようだけど途中から誰がディレクターか誰なのやら判らぬ状況になり、世界中の売り込みたい弦楽四重奏団やらピアノ三重奏団から「あの音楽祭、誰がディレクターなんだ、教えてくれ」というメールが年柄年中舞い込む有様。そんなこんな、いつの間にか某インターネット系技術会社の会長さんが顔になってるみたいな今日この頃。なんだか「忖度」や「斟酌」をしたくてもなにがなんだかわからん、とっても春の上野の山らしいアモフルっぷりであるなぁ、と思わないでもない。うん。←この発言だけで充分に叱られそうだわぃ…

とにもかくにも、過去に何度も試みられた「東京音楽祭」みたいなやり方、ある程度以上「ああ、ヴェスティバルやってるんだな」ととりわけこのジャンルに関心があるわけでもない人に感じ出せるまでに育ち、1ヶ月という長い時間になんのかんのやってそれなりに格好が付くようになったのは、喜ぶべきことであると言えましょうぞ。

この音楽祭、中身はまた別の話として、最大の売りは「春の桜の時期に上野公園を中心に様々な場所で開催される」ということにあるのでしょう。多くの人々が勝手にそれぞれのことをやってる大都市で開催される「音楽祭」とすれば、これだけのトポロジカルな広がりをどうにか纏めているイベントは、他にない。夏の松本とか札幌とか、都市型音楽祭の成功例は日本でもなくはないが、やっぱりこの上野ほど「特定の場所でやってる」感が際立っている例はないんじゃないかしら。

そこまで全部判って言うのだけど、やっぱり、桜の頃は勘弁して欲しいなぁ…

なんてそんなアホなことを言うか、この音楽祭の存続する根っこを否定するような暴言を吐くかといえば、もう話は簡単。

今日、開演前に、普通に飯食って、普通に座ってるところが、ない!

3時から5時間を越える演奏会形式オペラに座るため、こちとらとすればそれなりに体調を整え、精神も整えておきたい。だけど、いつものように上野西郷さん下の妙にモダンなビルになったとこの地下に入った銀座ライオンにフラフラ向かい、いつものようにランチとランチビール頼み、食い終わってもビール追加したり、ソーセージやら甘いもの頼んだりしてダラダラ2時間くらい時間を過ごし、気分良く出来上がった感じになって、さあああノルン共、束になってやってこい、お前らがグダグダ半時間もなんか叫んでよーが俺はへーきだぞ、って坂を登っていこうにも…そんなこと出来んねん。

なんせ、銀座ライオンさん、今日、ランチやってません。ホリデーメニューになってます。で、向こうにはおじいちゃんおばーちゃんが疲れた顔で順番を待っていて、もう飽きてしまったおこちゃま達が騒いでいらっしゃる。やくぺん先生の如き小心者は、そんな人々のお姿を視野に入れつつノンビリとビール煽ってるなんてことできんわいっ。

んで、こんなところに座り、桜はどっちだと訊ねてくる世界の国からこんにちはの皆様のお尋ねに応え、残してしまった連絡仕事などしているわけであります。ふううう…

一年でもこの上野の杜がいちばん賑わう、ってか「賑わう」という言葉を遙かに超える状況になるときに、敢えてフェスティバルを開催する。そりゃ、人はいっぱいいるでしょ。でも、桜を愛でに来る人々と、ヴァーグナー聴きに来る人は、ホントは全然別の客。ちょっとついでにヴァーグナー聴いてくか、ってもんじゃないし。御山の奥の某大学は入学オリエンテーションの真っ最中で、大学を巻き込んだイベントは出来ない。野外イベントをやろうにも、場所を確保するだけでたいへんだろう。

そう考えると、このフェスティバル、ホントに今の時期にやる必要があるんかいね、と思わざるをえないのでありますよ。

ま、いつものようにビールかっくらってヴァーグナーに備えようと思ったらそうはいかなかった、というだけのことなんだけどさ。

さても、そろそろ動くとしましょうか。本日は終演後に千葉の山の中に移動。明日から新しいフェスティバル。お前、言ってることが滅茶苦茶矛盾してるぞ、と言われること必至也。いぇい!

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駅の真っ正面に「パルテノン」がある街 [音楽業界]

昨日、ホントに久しぶりに「パルテノン多摩」に参じたでございまする。ちょっとばかし用事があってのこと。
会館がオープンし、バブルの機運と共に府中やら三鷹やらもまともなホールを作ろうじゃないかという勢いになってた頃、調布から京王線の支線で多摩川渡ったよみうりランドの向こうに多
まあ、もう遙かな昔話でしょうから誰も怒らないと思うけど、今を去ること30年もの昔、バブル入口前の大不況時代に武蔵野市民文化摩市がでっかい複合文化施設をオープンさせ、なんとまぁ、「パルテノン多摩」なんてすぅっごい名前を付けたときには、もう我が家は大爆笑でありましたとさ。

お嫁ちゃまが某民間ホールに働き始めた頃だったので、正直、当時庵を結んでいた多摩県西の隅っこの深大寺からすぐさま見物に行く暇もなかったけど、「パルテノン」でありますよ、あなた!ぱん・ておす、でっせ!多摩丘陵のどこにあらゆる神様が集まっちゃうのやら、壮大この上ない素っ頓狂な名称であるこったい。世界の常識からすれば、こんななーんにもない多摩の山奥に日本最大と言われた広大な団地群を作ることを決断した「東龍太郎メモリアルホール」とでもすべきだろーに、と真面目に思ったものでしたっけ。なんせ縁もゆかりも無い「カザルスホール」が有りだった頃だもん。

初めて実際に足を運んだのはいつのことだったか、オープンからそう遠いことではなかったような。これまた今となれば隠しても仕方ないことだから言うけど、京王線の立派すぎる駅を出て、町田やら相模原の方へ京王線駅正面からまーっすぐにダラダラと続く広い歩行者道の彼方、岡の上に「パルテノン多摩」が鎮座しているのが見えたときには、「おいおいおい、本気でパルテノンじゃないかぁ!」と吃驚。施設の上に設えられた公園のドーリア式でもコリント式でもないヌエ的な柱が並ぶ展望台から、遙か多摩川に向け進駐軍が管理占領する高い武蔵の国の空が広がっているのを眺め、「ああ、これは冗談じゃなくパルテノン多摩で良いかな、ここにムーサの女神達が集っておくれなもし、という意味ならさ」って妙な納得をしたものでしたっけ。

そう、パルテノン多摩という文化施設は、バブル期以降に建てられた、或いは日本の近代国家建設が始まってから建てられた公共の文化施設の中でも、本当に数少ない「シンボリックな価値を持ち得るロケーションに配置された建物」だった。古くはお堀端の帝国劇場(公共文化施設じゃないけど)、横浜の港を一望にする坂の頂上に置かれた神奈川県立音楽堂、文化コンプレックスたる上野の杜で美術館と共に東門を築く東京文化会館、皇居と国会図書館の間で内堀を臨む国立劇場…などと列挙していくと、この頃までは「シンボリックなロケーションに公共劇場を造る」という意識ははっきりあったのだなぁ、とあらためて確認できますね。その後、文化施設といえば「まずここに使える土地があるので、そこにでも建てましょか」というやり方が基本になり、国立オペラハウスがせっかく東京セントラル・ステーション至近の都庁跡地がありながら遙か内藤新宿向こうの街道沿いの田舎に建てられたのを筆頭に、ホールや劇場といえば駅上の総合ビルの上層階とか、街場の小学校跡地とか、本当につまらぬ場所に建設されるのが当たり前になってしまった。トポロジカルな象徴性を持ち得る公共総合文化施設とすれば唯一、広大な琵琶湖の畔で比叡山に沈む夕日を眺めるびわ湖ホールくらいなものでしょう。少なくとも「都市計画の中に象徴的な意味合いまできっちり組み込まれて建設されたアーツセンター」みたいなものは、日本では存在していない。

何もない丘陵地に、歩行者と自動車を分離する、という多摩ニュータウンの基本方針に従って成された計画故の設計だったのでしょうが、なんであれ「パルテノン多摩」は、ここはキャンベラかブラジリアか、と思うほどのシンボリックな文化施設となった。これで外観が昨今の中国各都市でヨーロッパ系設計者が地元だまくらかして建てまくっている突拍子もないアホみたいな姿なら完璧だったのだが、そこはやっぱり生真面目ニッポン、そういうわけにもいかず、名前の割には地味な大神殿の縁の下みたいな劇場コンプレックスは黙々と時を重ね、今や周囲の彼方此方の文化施設同様に改修も迫られるお歳に至ったわけでありまする。
時は移り、参道途中から左手に入った先にあるキティちゃん大神殿はアジアからの観光客さんで溢れ(駅から歩いてくる人は案外、見なかった)、右手奥に従えていた大手デパートはとうとう撤収。桜が咲いたなどという頼りなんぞ到底信じられぬ、霙交じりじゃないかって小雨の中、多摩センター駅レストラン街には雨を逃れたひよちゃんたちが遊び、ムーサの神殿に向かう人の影も疎らで…
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何しに出向いたかはこんな無責任電子壁新聞に記すわけにいかぬのでありますが、とにもかくにも久しぶりに着席させていただいた大ホール、舞台に並ぶは今シーズンから遙か東京東は大川向こうの墨田から出張ってきていたNJPに代わって新たに実質上のレジデンシィを勤める練習場至近の読響さん(っても、今、練習場使えないのでこの舞台での練習が多いそうで、その意味でもホントに実質上のレジデンシィでんな)ではなく、鈴木秀美マエストロ率いるオーケストラ・リベラ・クラシカ。モーツァルトの小ト短調は秀美さん節全開の超鋭角的で強烈な音楽が炸裂、後半の長大な《ポストホルン・セレナード》は一転、ノンビリした娯楽っぽい時間が流れ、これで外がうらうらした春の午後ならねぇ、おおおい、ビールもってこーい、って音楽。大層楽しませていただきましたです。

さても、このどーでもいい作文で言いうべきは、たったひとつ。そこに集っていたお客さんのこと。

稲城、多摩、八王子に広がる多摩ニュータウンが、日本の高度成長とその終わりを象徴する空間となっていることは、皆々様もよくご存知でありましょう。どうやってひとつの文明が衰退していくか、大きな実験をしているような場所であります。こうなることを察知して途中で実質止めてしまった千葉ニュータウンとか、万博以降もドンドン広がってる千里ニュータウンとか、いろんな大都市近郊ベッドタウン都市建設はあったけど、ともかく美濃部都政がどんな邪魔しようが鈴木俊一内務官僚先輩の仕事はやるところまでやります、って勢いでやっちゃった多摩ニュータウン、文化施設の運用法も含めて「21世紀のニッポン」の縮図となっている。そして、21世紀のニッポンでいちばん元気の良い楽師達の音楽をニコニコ聴いていらっしゃる聴衆こそ、高度成長末期を支えた方々でありまする。

んでもって、このパルテノン多摩主催公演の聴衆、日本の、というか、首都圏都心部のメイジャーホールに電車乗って集まってくる人々に比べると、圧倒的にカップルが多いんですわ。それも、ご隠居カップル。ヨーロッパ、特にアメリカ大陸では当たり前の「コンサートやオペラは2人で行くもの」という常識がしっかり根付いている、日本ではかなり珍しい空間が広がっていた。要は、極めて健全なコンサートの在り方が、ここには、あった。

この先、この「パルテノン多摩」という場所をどうしていくにせよ、最大の資産のひとつは、ここにいる「多摩という人工空間で歳を取ってきた人達」なのでしょう。この方々がこの場所をどうしたいのか、どうにでもなれ、と思っていらっしゃるなら、それはそれでよし。なくなればなくなったでもよし。願わくば、この方々の知恵や力が、何らかの形で場の力になるような仕組みが作れれば、それにこしたことない。

そうあってくれ、と余所者が願うものでもないことは百も承知で、多摩川を越え湾岸は大川端へと戻る旧暦如月も終わりの小雨の夜でありましたとさ。

大川端にも、多摩の岡にも、春が来る。

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日本国国歌には公式管弦楽譜がない…らしい [音楽業界]

今週はかなり難しい作文が本日締め切りでふたつあり、全く終わっていないどころかアウトラインもまだまともに出来ていない状況だった昨日夕方過ぎ、某編集部から編集長じきじきに「明日、秦野市文化会館まで取材に行ってくれないか」という話があり、なんせ今月はトンヨンの音楽祭を記事にするようねじ込んでしまったという状況もあって断るに断れず、本日締め切りの編集部には「ゴメンなさい、金曜朝まで待って」と御願いし…かくて報道ヘリが永田町上空をブルンブルン飛びまわる様を大川越しに眺め、その永田町で乗り換えて延々、遙々秦野に至ったのであった。横田に居座ってたミサゴ君が当初予定通り今週も東富士で演習やってたら、確実に頭の上を舞ってたろーなー。

何の仕事か、まだきちんとリリースもでていない話なので、まさかここに書くわけにはいかんです。スイマセン。でも、絶対に記事にしないであろう興味深い話があったので、記しておきましょうぞ。ま、問題になるようなことではないでしょうし。

ぶっちゃけ、某オケと某合唱団が某指揮者さんで録音するのの見物とインタビューのお仕事でした。詳細は記せませんが、このプロジェクト、「国歌」を録音するというのですわ。これがプレイバック風景。うん、全く問題ない、ってか、誰が指揮者かを含め、なにがなにやら判らん写真だわい。
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へえ、こんな人が編曲してるんだぁ、なんて面白いもんも録音しているのだけど、ま、それはそれ。

楽屋でオケの、もうこれはばらしてしまうけど、日本フィルのスタッフと今回の録音絡みのことを話していて、…国歌ってオケは結構弾くもんなんですか、今日眺めていても、楽譜はいろいろ大変そうですね。楽なのは自分が税金払ってる国くらいでしょ、わーっはっはっは…

ったら、オケの方、応えて言うよう、「いえいえ、なにを仰るやくぺんさん、それがねぇ…」

聞けば、日本フィルは《君が代》オーケストラ版楽譜は当然持っているわけだが、なんとなんと、近衛秀麿編曲の譜面だそうな。へええ、まあ、確かに日本フィル創設初期にはABC響解散後の近衛氏が関わってきて、今月の「音友」のあけさんと日本フィルの記事などにはまるで触れられていないけど、それなりに関わろうとしたこともあったという経緯がある。となれば、近衛オーケストレーションの《君が代》を持っていても不思議はない。でも、それをずっと使っているって、そんなに近衛さんに操を立てる必要もなかろーに。「国歌国旗が法制化されたとき、当然、文化庁かどっかにきちんとした楽譜がないと法律として成り立たないわけでしょ。となれば、それの公式オーケストラ版とかを使えばいいじゃないですか、どうしてそれを使わないの?」

解答。極めて明快。「どうも、そういうもの、ないみたいなんですよ。」

へえええええ…日本国国歌には、公式なオーケストレーション譜は存在しない、らしい、とのこと。

おいおいおい、そういうもんなのか。普通に考えれば、法務省か文化庁の公式webサイトに行けば、ピアノ伴奏版、オケ版、それにブラスバンド版(軍楽隊版)など、各種譜面が揃ってるだろうと思っちゃう。今の今まで、そういうもんだと信じておりました。

これって、まずいんちゃうねん。それとも、「国歌」って、そんなもんなんでしょうかね。ともかく、ありものでいいから「これがオフィシャル版です」ってもんを決めちゃうくらい、あっという間のことでしょう。そうしない理由はないと思うんだけどなぁ。

…ところで、日本含め諸国の「国歌」って、演奏するとやっぱりJASRACが来るのかしら?

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上野学園騒動朝日に出ました [音楽業界]

本日、朝日新聞のweb版に、音楽記者の吉田純子氏の著名で上野学園に関する記事が出ました。紙版でどう扱われているかは未確認です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170315-00000014-asahi-musi
なぜか朝日本体のページにはアクセスがしづらくなっているので、Yahoo!が引っ張ってきているページを貼り付けておきます。

記事の書き方から

★学校側は朝日新聞の吉田記者の問い合わせに「代理人」を通して応えていて、現理事長や学長などの解雇決定を直接行った当事者とは話が出来ていない。
★横山氏とは話が出来た。
★昨年、既に辞している下野氏と連絡を取ったかは不明。

ということは判りますね。それ以上の学内関係者、文部科学省関係者への取材があったかも、記事からは不明です。少なくとも小生が極めて狭い範囲で聞き及ぶ限り、吉田記者からの取材があったという話は聞いていません。また、この記事では「同大で実質的に懲罰人事といわれても仕方ない降格人事が発表されている」という調べれば直ぐに判る事実に触れていないのは、流石にそこまで書くわけにはいかないということなのでしょうか。ここまで客観的に書いて下さって感謝するしかないと思いつつも、大新聞というメディアの難しさも感じざるを得ませんです。

いずれにせよ、これまではサンケイが散発的に出していただけだった問題が、朝日に出たことは意味があるでしょう。

なお、横山氏解雇発表のタイミングが来年度新入予定者の入学金納入締め切り日程と関わっているのではないかという疑念(ぶっちゃけて言えば、「横山さんに習いたいと思ってピアノ科を受けた学生の親が入学金を納めてしまい、もう返せなくなってから発表したのではないか」という疑念)に関しましては、同大学入試要項がweb上でまだ公開されておりますので、ご関心の方はご自分でアクセスし、それぞれにご判断願います。これは事実関係というよりも、学校運営の職業倫理上の問題でしょうからねぇ。無論、だからもっとタチが悪い、という考えもあるわけですけど。

[追記]

某所からの情報で、文春が出すそうです。既に15日夕方に「文春オンライン」にヘッドラインがアップされました。いろいろいいたいことはある書き方だし、何故このタイミング、と思わないでもありませんけど、とにもかくにも、ご関心の方はご覧あれ。
http://bunshun.jp/articles/-/1764

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上野学園横山幸雄氏を解雇 [音楽業界]

諸処の状況もあり、余りにも無責任な当電子壁新聞では報道を控えておりました上野学園問題ですが、流石にこれはお伝えすべきであろうと、記します。例外的な措置です。

「新しい上野学園を作る会」の中心となって経営陣の問題を追及してきた上野学園の横山幸雄教授が、13日付けで解雇とのことです。
https://www.facebook.com/ugtsukurukai/?hc_ref=PAGES_TIMELINE&fref=nf
現時点でソースはこれしかありませんので、どのような事態が起きているのか記す術もありませんが、このFacebookが嘘だとしたらそれはそれでまた大問題でありましょうから、敢えて貼り付けます。

なお、監督省庁たる文科省は、この数ヶ月、同省内部の様々な問題故か、動きが止まっているとのことです。

来月からの新学期、同学で直接学生に接する先生方は、敢えて言えば学生を人質に取られたような気持ちでの厳しい選択に、それぞれが迫られています。ある意味、「辞めさせられれば一番楽」でもある。横山先生と一緒に生徒が大量に学校を抜けるには遅すぎるタイミングを狙った発表、と思われても仕方ないでしょう。

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世界のどこにでも持って行ける演出 [音楽業界]

浜大津駅上の安ビジネスホテルにおります。薄ボンヤリした曇り空の夕暮れ、やっぱり帝都よりも京周辺はちょっとだけ経度が西だけに日暮れが遅いのか、それとももうお彼岸も近い春なのか。

まるであらゆる人が遙々琵琶湖畔までやって来たんじゃないかというくらい知り合い濃度の高いびわ湖ホール、鳴り物入りで始まった《リング》サイクル序夜の2日目(って、2公演しかないんだけどさ)見物でありました。
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税金終えて、明日から関西でいくつか記者会見を掛け持ちする国内ツアーの連絡なり何なりしてたら、なんのかんので睡眠時間2時間程度になってしまい、もうボー然とした海胆頭で目の前通り過ぎるマラソンランナーの姿になんか1週間時間がまたズレたのかと妙なデジャビュ感抱えつつ湖畔のハウスに至り、いろんな方に挨拶し、天井桟敷近くに座って2時間半。ねるなぁ、ねるなぁあと唱えつつ頑張った次第。

流石にあちこちでちょっと寝たけど、ま、いちおう、ちゃんと見物したです。というわけで、飯食いに行ってビールでも吞んで忘れちゃう前に、慌てて今見物して来た舞台の感想とも言えぬ感想。劇場から浜大津駅まで、葛飾のオペラ関係研究者さん(と敢えて言おう!拉麺研究者さんとは言いませぬ)と道々話してきたことを、記しておきますです。

ええ、一言で言えば「世界のどこの劇場に持って行ってもOKな、極めてユニヴァーサルな演出」でありました。びわ湖ホールの方には、「これ、演出、舞台装置、衣装、グラフィックのトータルパッケージで一千万円で売りに出して稼ぐべきでしょう!」と本気で言いたいぞ。地面が割れてエルダが出て来たりするところはびわ湖じゃないとやれないのかなぁ、どうなんだろーか。

あれだけいろんな人がいたんだから、恐らくあちこちの日本語文化圏オペラ感想サイトなどで大いに話題になっているでありましょうが、この演出、要は「ヴァーグナーの無茶なト書きを、21世紀初頭の様々な舞台技術を総動員して可能な限り忠実に具現化しました」ってものです。もう、「で、なんか文句あるの」と開き直られたら返す言葉もない、ホントにまんまな舞台。ラインの川底で乙女達が泳ぎ歌い(ホントです)、神々の倍くらいの巨人が出現し(ホントです)、ドンナーは群雲を集め雷で舞台いっぱいに雷鳴を走らせ(ホントです)、フローは遙か夕日に光るヴァルハラに向けて巨大な虹の橋を投げ(ホントです)、神様たちは虹の橋を渡って入場していきます(ホントです)。今を去ること40数年前、カラヤンがザルツブルクの《リング》サイクルを映像収録するときに「ディズニーに相談した」という話が伝えられているけど、正にあのギュンター・シュナイダー・ジームセンの懐かしいというか、古色蒼然たる装置の画面がそのまま舞台に写されたような、天下のカラヤンが出来なかったことを、まさかまさかのびわ湖でそれなりに実現しちゃったやんけー、って舞台。

「巨大なドラゴンに変身する」と書いてあるのだから、ホントに舞台に巨大ドラゴンが出て来て、ローゲは怯えたりします。「巨大なドラゴンを出したいけど出せるわけない。じゃあ、このドラゴンとはどういう意味なのか考えてみようではないか。あれこれあれこれ、なるほど、だからこれこれ…」という類いの(知的な、とまではいわないけど)プロセスは一切ありません。まんま、バカでっかいドラゴンが出る。それだけ。全てその調子。無論、「ここでドラゴンになるのは暴力の象徴であるからどーのこーの…」とか、「つまるところ細長くてのたうつドラゴンとは男性外部生殖器の象徴なのであって…」とか、そんなめんどーなことは一切いわない。

だからこそ、この舞台、どんな国のどんなオペラハウスにも持って行ける。ト書きにある通りなんだもん、政治的なコノテーションもなければ、象徴的な意味づけもない。その意味では、これほど普遍的な《リング》演出もない。

いやぁ、最初は唖然としておくちあんぐりだったけど、ここまでやられると、途中からはもう、さてどこまでやってくれるかを眺めてやろーじゃないの、という気になってきましたね。

唯一の「解釈」があったのは、これはまあもうやらない舞台なんでネタバレもないでしょうから記しますと、ヴォータンの最後の”Abendlich strahlt der Sonne Auge”で、最初にノートゥングのテーマ(の原型、なのかな)が響くところ。これまでやくぺん先生が眺めたどの演出でも「ここでヴォータンはこの先のアルベリヒとの闘いについて構想を練り始め、ノートゥングやヴァルキューレのことが脳裏に浮かんで来たのだ」という風に解釈しているわけですが、なんとまあ、まるで《ヴァルキューレ》1幕のノートゥング引っこ抜きを先取るかのように、エルダが消えていった大地に手を突っ込んだヴォータンが、やおらひと振りの刀を引っ張り出してくるのであります!で、そいつを懐に収め、虹の橋を渡っていく。かくてこの名剣が、息子へと渡され…。

へええええ、でんなぁ。ノートゥングが他の剣とは異なる特殊性は、なんとエルダに由来しているのかぁ、そんな話聞いたことないぞぉ、ってビックリ。なお、この部分に関しては、遙々モントリオールから見物に来ていたR.M氏は「あれはダメ」と一刀両断でありました。ま、この意図的にト書き通りの演出の中で、ちょっと浮いているといえば浮いてる部分であったことは確かですけどねぇ。あたしゃ、なーるほど、と思ったです。

冗談じゃなく言うのだが、初台のナショナル・シアターでやってる「新演出」引っ込めて、こっちを出すべきでありましょうね。これが今、日本国で作れる最も意味のある《リング》。どっかで作られた出来合いの借り物なんぞ「新演出」というより、「俺にはなーんにもわかんないから、ともかくやれる限りヴァーグナーの仰る通りにやります」という方がどれだけ潔いことか。

中国の田舎に新しくつくっちゃった劇場とか、買ってくれないかしら、この演出。

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ローカルな演出というもの [音楽業界]

今、香港国際芸術祭参加公演、ブルノ歌劇場プロダクションの《マクロプウロス事件》(この作品、日本語では《マクロプロス事件》と記されるようですが、やっぱり今日も「マクロプゥロス」と歌手さんは発音していたみたいなんで、Μακροπουροσなんだろうなぁ、ギリシャ語表記は)を見物して戻って参りました。
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先週からの短い環太平洋圏ツアーの最後に相応しい、充実した舞台でありましたです。ちなみに、香港の地下鉄ホームやらコンコースやらにめったやたらと出ている上の広告、舞台写真としては、ちょっとポイントを外してる絵ずらなんですよねぇ。だって、ここにでっかく出てる2人って、主人公でも中心となる歌手でもなく、脇役なんだもん。どうしてこーなった、って感じ。

この作品、有名なんだかどうだか、「《牝狐》を書き終えた晩年の充実したヤナーチェクが、あのチャペックの戯曲を舞台で眺めて、生と死の価値を巡る深遠な議論をサスペンス・ドラマに持ち込んだ」というお題目はそれなりに知られている作品だけど、《イエヌーファ》とか《カーチャ・カヴァノヴァ》みたいに判りやすい話じゃないんで、そんなにやられてるわけではない。《牝狐》とか《ブロウチェクさん》みたいに上手く舞台に出せればいろんなこと起きて面白いもんでもない。なんせ、ヤナーチェクの全ての作品、ってか、過去に「オペラ」という形で書かれた全ての作品の中でも、最も言葉で語られる内容が複雑な作品のひとつですからねぇ。ドイツ語とかイタリア語みたいなオペラの世界でのメイジャー言語ならまだしも、チェコ語です。この前の《ロジェ王》のポーランド語というのも困りものだったど、あれはまあぶっちゃけ言葉が分からんでもなんとかなるギリギリくらいだった。だけどこの作品は、その後に大流行となる所謂「文芸オペラ」の嚆矢といえるだけに、猛烈に台詞が重要になってる。普通に考えれば、とてもじゃないけどオペラにする必要があるとは思えない内容でありまする。

で、やっぱりドイツ語圏、フランス語圏なんかの尖った演出をする方々にしてみれば、余りにヘビーなチェコ語の奔流にどう対処するかが腕の見せ所になるんでしょう(本日は広東語と英語の字幕、もう読み取れないくらいの超高速でぶっ飛んでいました)。んで、ともかく家系を巡る複雑なやりとりなんかを横に置いて、「長すぎる人生は生きるに値しない」ってテーマを真っ正面に出すために、いろんな仕掛けをする。で、今、いちばん簡単に観られるザルツの数年前の演出みたいな、本来のト書きにはない別の芝居をやってみる、なーんて、演出家の自意識過剰一歩手前の荒技もありえちゃったりする。

さても、本日の舞台は、ブルノ歌劇場という、現在考えられる限り最もオーセンティックなプロダクションでありまする。とはいえ、ブルノ歌劇場は普通の意味での世界のメイジャー劇場ではない。正直、オケはまあ、いろんな突拍子もない音たりしていることもあるし、何よりも所謂ブランドオケに比べれば全然音量がなかったりします。でも、実質上のレシタティーヴォとそうじゃない箇所の区別、コミックなシークエンスでの空気の変化などなど、ポイントは滅茶苦茶押さえてるなぁ、という演奏。

ブルノ歌劇場のこのプロダクションって、今時の世界のメイジャー歌劇場やオペラカンパニー、音楽祭のほぼ全てが行っているような、制作資金を出し合ってみんなで新しいプロダクションをつくる、という作業をしているようには思えませんでした(そういう情報は一切プログラムにもなし)。田舎のカンパニーだからね、と皮肉を言えばそれまでなんでしょうが、結果として、完全に「チェコ語を母国語とする人を前提にしたプロダクション」になっている。ぶっちゃけ、言葉が分からないことのいろんな手仇助を他のことでするつもりなど毛頭無い。妙な小細工をすることなく、ホントにストレートに中身を舞台にする。それで、へんなところにひっかかることなく、この作品のパワーがきっちり伝わる。

そういうことが出来るのは、外国の歌劇場との提携もなければ、外国に持ち出すことなどを考えていないからなんでしょう。その意味で、猛烈にローカルな舞台。香港に持ってきて、言葉が分からない聴衆の前で披露するにしても、もうこれはこれだから仕方ない、って割り切るっかない。

久々にとても潔い舞台だなぁ、と思ったですよ。

ちなみに、中身的な「演出」というか「解釈」でも、極めて面白いこともしています。ネタバレになるからこれから眺める人は読んじゃダメなことだけど…最後の最後、300年生きる秘薬のレシピは破棄されないまま、放り出されてオシマイになります。ヒロインが300年を越える人生を終えた後、舞台に残された人々がどういう行動を取るのか、オープンなままで終わっている。チャペックの原作とも、ヤナーチェクの改定とも違う結末、ってことでんな。

つまり、今時の「演出家の解釈」はちゃんとやってるんですよ、この舞台。でも、あくまでもローカルなプロダクション。ローカルに徹したからこそ出て来る説得力。

恐らく、このプロダクションが映像パッケージになって世の中に流れることはないのでしょう。でも、これは観るに値する舞台です。お暇がある方は、明後日の午後7時半からもう1公演あるので、いらっしゃる価値はあります。まだチケット、あるみたいだし。

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