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日本国国歌には公式管弦楽譜がない…らしい [音楽業界]

今週はかなり難しい作文が本日締め切りでふたつあり、全く終わっていないどころかアウトラインもまだまともに出来ていない状況だった昨日夕方過ぎ、某編集部から編集長じきじきに「明日、秦野市文化会館まで取材に行ってくれないか」という話があり、なんせ今月はトンヨンの音楽祭を記事にするようねじ込んでしまったという状況もあって断るに断れず、本日締め切りの編集部には「ゴメンなさい、金曜朝まで待って」と御願いし…かくて報道ヘリが永田町上空をブルンブルン飛びまわる様を大川越しに眺め、その永田町で乗り換えて延々、遙々秦野に至ったのであった。横田に居座ってたミサゴ君が当初予定通り今週も東富士で演習やってたら、確実に頭の上を舞ってたろーなー。

何の仕事か、まだきちんとリリースもでていない話なので、まさかここに書くわけにはいかんです。スイマセン。でも、絶対に記事にしないであろう興味深い話があったので、記しておきましょうぞ。ま、問題になるようなことではないでしょうし。

ぶっちゃけ、某オケと某合唱団が某指揮者さんで録音するのの見物とインタビューのお仕事でした。詳細は記せませんが、このプロジェクト、「国歌」を録音するというのですわ。これがプレイバック風景。うん、全く問題ない、ってか、誰が指揮者かを含め、なにがなにやら判らん写真だわい。
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へえ、こんな人が編曲してるんだぁ、なんて面白いもんも録音しているのだけど、ま、それはそれ。

楽屋でオケの、もうこれはばらしてしまうけど、日本フィルのスタッフと今回の録音絡みのことを話していて、…国歌ってオケは結構弾くもんなんですか、今日眺めていても、楽譜はいろいろ大変そうですね。楽なのは自分が税金払ってる国くらいでしょ、わーっはっはっは…

ったら、オケの方、応えて言うよう、「いえいえ、なにを仰るやくぺんさん、それがねぇ…」

聞けば、日本フィルは《君が代》オーケストラ版楽譜は当然持っているわけだが、なんとなんと、近衛秀麿編曲の譜面だそうな。へええ、まあ、確かに日本フィル創設初期にはABC響解散後の近衛氏が関わってきて、今月の「音友」のあけさんと日本フィルの記事などにはまるで触れられていないけど、それなりに関わろうとしたこともあったという経緯がある。となれば、近衛オーケストレーションの《君が代》を持っていても不思議はない。でも、それをずっと使っているって、そんなに近衛さんに操を立てる必要もなかろーに。「国歌国旗が法制化されたとき、当然、文化庁かどっかにきちんとした楽譜がないと法律として成り立たないわけでしょ。となれば、それの公式オーケストラ版とかを使えばいいじゃないですか、どうしてそれを使わないの?」

解答。極めて明快。「どうも、そういうもの、ないみたいなんですよ。」

へえええええ…日本国国歌には、公式なオーケストレーション譜は存在しない、らしい、とのこと。

おいおいおい、そういうもんなのか。普通に考えれば、法務省か文化庁の公式webサイトに行けば、ピアノ伴奏版、オケ版、それにブラスバンド版(軍楽隊版)など、各種譜面が揃ってるだろうと思っちゃう。今の今まで、そういうもんだと信じておりました。

これって、まずいんちゃうねん。それとも、「国歌」って、そんなもんなんでしょうかね。ともかく、ありものでいいから「これがオフィシャル版です」ってもんを決めちゃうくらい、あっという間のことでしょう。そうしない理由はないと思うんだけどなぁ。

…ところで、日本含め諸国の「国歌」って、演奏するとやっぱりJASRACが来るのかしら?

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上野学園騒動朝日に出ました [音楽業界]

本日、朝日新聞のweb版に、音楽記者の吉田純子氏の著名で上野学園に関する記事が出ました。紙版でどう扱われているかは未確認です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170315-00000014-asahi-musi
なぜか朝日本体のページにはアクセスがしづらくなっているので、Yahoo!が引っ張ってきているページを貼り付けておきます。

記事の書き方から

★学校側は朝日新聞の吉田記者の問い合わせに「代理人」を通して応えていて、現理事長や学長などの解雇決定を直接行った当事者とは話が出来ていない。
★横山氏とは話が出来た。
★昨年、既に辞している下野氏と連絡を取ったかは不明。

ということは判りますね。それ以上の学内関係者、文部科学省関係者への取材があったかも、記事からは不明です。少なくとも小生が極めて狭い範囲で聞き及ぶ限り、吉田記者からの取材があったという話は聞いていません。また、この記事では「同大で実質的に懲罰人事といわれても仕方ない降格人事が発表されている」という調べれば直ぐに判る事実に触れていないのは、流石にそこまで書くわけにはいかないということなのでしょうか。ここまで客観的に書いて下さって感謝するしかないと思いつつも、大新聞というメディアの難しさも感じざるを得ませんです。

いずれにせよ、これまではサンケイが散発的に出していただけだった問題が、朝日に出たことは意味があるでしょう。

なお、横山氏解雇発表のタイミングが来年度新入予定者の入学金納入締め切り日程と関わっているのではないかという疑念(ぶっちゃけて言えば、「横山さんに習いたいと思ってピアノ科を受けた学生の親が入学金を納めてしまい、もう返せなくなってから発表したのではないか」という疑念)に関しましては、同大学入試要項がweb上でまだ公開されておりますので、ご関心の方はご自分でアクセスし、それぞれにご判断願います。これは事実関係というよりも、学校運営の職業倫理上の問題でしょうからねぇ。無論、だからもっとタチが悪い、という考えもあるわけですけど。

[追記]

某所からの情報で、文春が出すそうです。既に15日夕方に「文春オンライン」にヘッドラインがアップされました。いろいろいいたいことはある書き方だし、何故このタイミング、と思わないでもありませんけど、とにもかくにも、ご関心の方はご覧あれ。
http://bunshun.jp/articles/-/1764

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上野学園横山幸雄氏を解雇 [音楽業界]

諸処の状況もあり、余りにも無責任な当電子壁新聞では報道を控えておりました上野学園問題ですが、流石にこれはお伝えすべきであろうと、記します。例外的な措置です。

「新しい上野学園を作る会」の中心となって経営陣の問題を追及してきた上野学園の横山幸雄教授が、13日付けで解雇とのことです。
https://www.facebook.com/ugtsukurukai/?hc_ref=PAGES_TIMELINE&fref=nf
現時点でソースはこれしかありませんので、どのような事態が起きているのか記す術もありませんが、このFacebookが嘘だとしたらそれはそれでまた大問題でありましょうから、敢えて貼り付けます。

なお、監督省庁たる文科省は、この数ヶ月、同省内部の様々な問題故か、動きが止まっているとのことです。

来月からの新学期、同学で直接学生に接する先生方は、敢えて言えば学生を人質に取られたような気持ちでの厳しい選択に、それぞれが迫られています。ある意味、「辞めさせられれば一番楽」でもある。横山先生と一緒に生徒が大量に学校を抜けるには遅すぎるタイミングを狙った発表、と思われても仕方ないでしょう。

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世界のどこにでも持って行ける演出 [音楽業界]

浜大津駅上の安ビジネスホテルにおります。薄ボンヤリした曇り空の夕暮れ、やっぱり帝都よりも京周辺はちょっとだけ経度が西だけに日暮れが遅いのか、それとももうお彼岸も近い春なのか。

まるであらゆる人が遙々琵琶湖畔までやって来たんじゃないかというくらい知り合い濃度の高いびわ湖ホール、鳴り物入りで始まった《リング》サイクル序夜の2日目(って、2公演しかないんだけどさ)見物でありました。
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税金終えて、明日から関西でいくつか記者会見を掛け持ちする国内ツアーの連絡なり何なりしてたら、なんのかんので睡眠時間2時間程度になってしまい、もうボー然とした海胆頭で目の前通り過ぎるマラソンランナーの姿になんか1週間時間がまたズレたのかと妙なデジャビュ感抱えつつ湖畔のハウスに至り、いろんな方に挨拶し、天井桟敷近くに座って2時間半。ねるなぁ、ねるなぁあと唱えつつ頑張った次第。

流石にあちこちでちょっと寝たけど、ま、いちおう、ちゃんと見物したです。というわけで、飯食いに行ってビールでも吞んで忘れちゃう前に、慌てて今見物して来た舞台の感想とも言えぬ感想。劇場から浜大津駅まで、葛飾のオペラ関係研究者さん(と敢えて言おう!拉麺研究者さんとは言いませぬ)と道々話してきたことを、記しておきますです。

ええ、一言で言えば「世界のどこの劇場に持って行ってもOKな、極めてユニヴァーサルな演出」でありました。びわ湖ホールの方には、「これ、演出、舞台装置、衣装、グラフィックのトータルパッケージで一千万円で売りに出して稼ぐべきでしょう!」と本気で言いたいぞ。地面が割れてエルダが出て来たりするところはびわ湖じゃないとやれないのかなぁ、どうなんだろーか。

あれだけいろんな人がいたんだから、恐らくあちこちの日本語文化圏オペラ感想サイトなどで大いに話題になっているでありましょうが、この演出、要は「ヴァーグナーの無茶なト書きを、21世紀初頭の様々な舞台技術を総動員して可能な限り忠実に具現化しました」ってものです。もう、「で、なんか文句あるの」と開き直られたら返す言葉もない、ホントにまんまな舞台。ラインの川底で乙女達が泳ぎ歌い(ホントです)、神々の倍くらいの巨人が出現し(ホントです)、ドンナーは群雲を集め雷で舞台いっぱいに雷鳴を走らせ(ホントです)、フローは遙か夕日に光るヴァルハラに向けて巨大な虹の橋を投げ(ホントです)、神様たちは虹の橋を渡って入場していきます(ホントです)。今を去ること40数年前、カラヤンがザルツブルクの《リング》サイクルを映像収録するときに「ディズニーに相談した」という話が伝えられているけど、正にあのギュンター・シュナイダー・ジームセンの懐かしいというか、古色蒼然たる装置の画面がそのまま舞台に写されたような、天下のカラヤンが出来なかったことを、まさかまさかのびわ湖でそれなりに実現しちゃったやんけー、って舞台。

「巨大なドラゴンに変身する」と書いてあるのだから、ホントに舞台に巨大ドラゴンが出て来て、ローゲは怯えたりします。「巨大なドラゴンを出したいけど出せるわけない。じゃあ、このドラゴンとはどういう意味なのか考えてみようではないか。あれこれあれこれ、なるほど、だからこれこれ…」という類いの(知的な、とまではいわないけど)プロセスは一切ありません。まんま、バカでっかいドラゴンが出る。それだけ。全てその調子。無論、「ここでドラゴンになるのは暴力の象徴であるからどーのこーの…」とか、「つまるところ細長くてのたうつドラゴンとは男性外部生殖器の象徴なのであって…」とか、そんなめんどーなことは一切いわない。

だからこそ、この舞台、どんな国のどんなオペラハウスにも持って行ける。ト書きにある通りなんだもん、政治的なコノテーションもなければ、象徴的な意味づけもない。その意味では、これほど普遍的な《リング》演出もない。

いやぁ、最初は唖然としておくちあんぐりだったけど、ここまでやられると、途中からはもう、さてどこまでやってくれるかを眺めてやろーじゃないの、という気になってきましたね。

唯一の「解釈」があったのは、これはまあもうやらない舞台なんでネタバレもないでしょうから記しますと、ヴォータンの最後の”Abendlich strahlt der Sonne Auge”で、最初にノートゥングのテーマ(の原型、なのかな)が響くところ。これまでやくぺん先生が眺めたどの演出でも「ここでヴォータンはこの先のアルベリヒとの闘いについて構想を練り始め、ノートゥングやヴァルキューレのことが脳裏に浮かんで来たのだ」という風に解釈しているわけですが、なんとまあ、まるで《ヴァルキューレ》1幕のノートゥング引っこ抜きを先取るかのように、エルダが消えていった大地に手を突っ込んだヴォータンが、やおらひと振りの刀を引っ張り出してくるのであります!で、そいつを懐に収め、虹の橋を渡っていく。かくてこの名剣が、息子へと渡され…。

へええええ、でんなぁ。ノートゥングが他の剣とは異なる特殊性は、なんとエルダに由来しているのかぁ、そんな話聞いたことないぞぉ、ってビックリ。なお、この部分に関しては、遙々モントリオールから見物に来ていたR.M氏は「あれはダメ」と一刀両断でありました。ま、この意図的にト書き通りの演出の中で、ちょっと浮いているといえば浮いてる部分であったことは確かですけどねぇ。あたしゃ、なーるほど、と思ったです。

冗談じゃなく言うのだが、初台のナショナル・シアターでやってる「新演出」引っ込めて、こっちを出すべきでありましょうね。これが今、日本国で作れる最も意味のある《リング》。どっかで作られた出来合いの借り物なんぞ「新演出」というより、「俺にはなーんにもわかんないから、ともかくやれる限りヴァーグナーの仰る通りにやります」という方がどれだけ潔いことか。

中国の田舎に新しくつくっちゃった劇場とか、買ってくれないかしら、この演出。

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ローカルな演出というもの [音楽業界]

今、香港国際芸術祭参加公演、ブルノ歌劇場プロダクションの《マクロプウロス事件》(この作品、日本語では《マクロプロス事件》と記されるようですが、やっぱり今日も「マクロプゥロス」と歌手さんは発音していたみたいなんで、Μακροπουροσなんだろうなぁ、ギリシャ語表記は)を見物して戻って参りました。
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先週からの短い環太平洋圏ツアーの最後に相応しい、充実した舞台でありましたです。ちなみに、香港の地下鉄ホームやらコンコースやらにめったやたらと出ている上の広告、舞台写真としては、ちょっとポイントを外してる絵ずらなんですよねぇ。だって、ここにでっかく出てる2人って、主人公でも中心となる歌手でもなく、脇役なんだもん。どうしてこーなった、って感じ。

この作品、有名なんだかどうだか、「《牝狐》を書き終えた晩年の充実したヤナーチェクが、あのチャペックの戯曲を舞台で眺めて、生と死の価値を巡る深遠な議論をサスペンス・ドラマに持ち込んだ」というお題目はそれなりに知られている作品だけど、《イエヌーファ》とか《カーチャ・カヴァノヴァ》みたいに判りやすい話じゃないんで、そんなにやられてるわけではない。《牝狐》とか《ブロウチェクさん》みたいに上手く舞台に出せればいろんなこと起きて面白いもんでもない。なんせ、ヤナーチェクの全ての作品、ってか、過去に「オペラ」という形で書かれた全ての作品の中でも、最も言葉で語られる内容が複雑な作品のひとつですからねぇ。ドイツ語とかイタリア語みたいなオペラの世界でのメイジャー言語ならまだしも、チェコ語です。この前の《ロジェ王》のポーランド語というのも困りものだったど、あれはまあぶっちゃけ言葉が分からんでもなんとかなるギリギリくらいだった。だけどこの作品は、その後に大流行となる所謂「文芸オペラ」の嚆矢といえるだけに、猛烈に台詞が重要になってる。普通に考えれば、とてもじゃないけどオペラにする必要があるとは思えない内容でありまする。

で、やっぱりドイツ語圏、フランス語圏なんかの尖った演出をする方々にしてみれば、余りにヘビーなチェコ語の奔流にどう対処するかが腕の見せ所になるんでしょう(本日は広東語と英語の字幕、もう読み取れないくらいの超高速でぶっ飛んでいました)。んで、ともかく家系を巡る複雑なやりとりなんかを横に置いて、「長すぎる人生は生きるに値しない」ってテーマを真っ正面に出すために、いろんな仕掛けをする。で、今、いちばん簡単に観られるザルツの数年前の演出みたいな、本来のト書きにはない別の芝居をやってみる、なーんて、演出家の自意識過剰一歩手前の荒技もありえちゃったりする。

さても、本日の舞台は、ブルノ歌劇場という、現在考えられる限り最もオーセンティックなプロダクションでありまする。とはいえ、ブルノ歌劇場は普通の意味での世界のメイジャー劇場ではない。正直、オケはまあ、いろんな突拍子もない音たりしていることもあるし、何よりも所謂ブランドオケに比べれば全然音量がなかったりします。でも、実質上のレシタティーヴォとそうじゃない箇所の区別、コミックなシークエンスでの空気の変化などなど、ポイントは滅茶苦茶押さえてるなぁ、という演奏。

ブルノ歌劇場のこのプロダクションって、今時の世界のメイジャー歌劇場やオペラカンパニー、音楽祭のほぼ全てが行っているような、制作資金を出し合ってみんなで新しいプロダクションをつくる、という作業をしているようには思えませんでした(そういう情報は一切プログラムにもなし)。田舎のカンパニーだからね、と皮肉を言えばそれまでなんでしょうが、結果として、完全に「チェコ語を母国語とする人を前提にしたプロダクション」になっている。ぶっちゃけ、言葉が分からないことのいろんな手仇助を他のことでするつもりなど毛頭無い。妙な小細工をすることなく、ホントにストレートに中身を舞台にする。それで、へんなところにひっかかることなく、この作品のパワーがきっちり伝わる。

そういうことが出来るのは、外国の歌劇場との提携もなければ、外国に持ち出すことなどを考えていないからなんでしょう。その意味で、猛烈にローカルな舞台。香港に持ってきて、言葉が分からない聴衆の前で披露するにしても、もうこれはこれだから仕方ない、って割り切るっかない。

久々にとても潔い舞台だなぁ、と思ったですよ。

ちなみに、中身的な「演出」というか「解釈」でも、極めて面白いこともしています。ネタバレになるからこれから眺める人は読んじゃダメなことだけど…最後の最後、300年生きる秘薬のレシピは破棄されないまま、放り出されてオシマイになります。ヒロインが300年を越える人生を終えた後、舞台に残された人々がどういう行動を取るのか、オープンなままで終わっている。チャペックの原作とも、ヤナーチェクの改定とも違う結末、ってことでんな。

つまり、今時の「演出家の解釈」はちゃんとやってるんですよ、この舞台。でも、あくまでもローカルなプロダクション。ローカルに徹したからこそ出て来る説得力。

恐らく、このプロダクションが映像パッケージになって世の中に流れることはないのでしょう。でも、これは観るに値する舞台です。お暇がある方は、明後日の午後7時半からもう1公演あるので、いらっしゃる価値はあります。まだチケット、あるみたいだし。

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ミュージカルとか映画とか [音楽業界]

領収書の束を前にぼーっとしてる間に、ふと気付くと目の前に4本も原稿が溜まってしまった。まずい、ってわけで、少しは頭を使う作業をやってるので、今日はお気楽ネタ。

春節前くらいになると、9月からシーズンが始まる地域のオケやオペラから、「さあ、次のシーズンのラインナップが決まったぞ、世間に告知しろ、切符の予約をしろ」というリリースが次々舞い込みます。インターネットでの情報のやり取りが当たり前になってからは、ちょっとお仕事で連絡を取っただけのところでも何の因果かメーリングリストに入れられてしまい、スペインから来週のプレミエに招待するけど来い、なんて「ううん、そんなこと言われても困るよねぇ」ってな連絡も気楽に来たりする。素晴らしい世界になったものでありまする。はい。

そんななかで、メイジャークラスの団体のリリースで興味深いネタをふたつ。ひとつは、天下のNYPであります。毎年、1月の終わりくらいにでっかいリリースが送り付けられる。ある時期まで、1月半ばから下旬のプレジデンツデーくらいまではいつもマンハッタンに滞在する日程だったもので、NYPの次期シーズン発表の記者会見なんぞを面白がって見物に行ったりしたこともあった(なんせ、サイトウキネンでその辺に座ってお母さんや妹の練習を眺めてたアランが監督になる、なんて事件もあったもんだから)。そのときのリストがまだ残っているらしく、あたしにくれてもねぇ、というようなもんが送り付けられてくる。

まさかまんまここに貼り付ける訳にはいかないでしょうから(貼り付けられちゃうのがオソロシー)、面白いところを抜粋します。ひとつは「バーンスタイン生誕100年に向け、秋のバーンスタイン交響曲全曲演奏」ですな。これ、第2番の独奏ピアノが小曽根さんなんで、日本でも話題になるといいんですけどねぇ。

もうひとつは、なんと言ってもこれ。えいっ、ぺと。

WORLD PREMIERE OF STAR WARS FILM CONCERT SERIES

The New York Philharmonic will present the World Premiere of the Star Wars Film Concert Series, September 15?October 7, 2017, featuring screenings of the complete films A New Hope, The Empire Strikes Back, Return of the Jedi, and The Force Awakens with Oscar-winning composer John Williams’s musical scores performed live to the films. The concerts will be led by acclaimed conductor David Newman.

Since the release of the first Star Wars movie nearly 40 years ago, the Star Wars saga has had a seismic impact on both cinema and culture, inspiring audiences around the world with its mythic storytelling, captivating characters, groundbreaking special effects, and iconic musical scores composed by Williams. Fans will be able to experience the scope and grandeur of these beloved Star Wars films in a live symphonic concert experience, as the Star Wars Film Concert Series premieres from September 15 through October 7 at David Geffen Hall in New York City. Legendary composer Williams is well known for scoring all seven of the Star Wars saga films, beginning with 1977’s Star Wars (Episode IV: A New Hope), for which he earned an Academy Award for Best Original Score. His scores for Episode V: The Empire Strikes Back, Episode VI: Return of the Jedi, and Star Wars: The Force Awakens each were nominated for Oscars for Best Original Score.

Williams has won five Academy Awards, four Golden Globe Awards, seven British Academy Film Awards, and 22 Grammy Awards. With 50 Academy Award nominations, Williams is the Academy’s most nominated living person and the second most-nominated individual in history, after Walt Disney. In 2005 the American Film Institute selected Williams’s score to 1977’s Star Wars as the greatest American film score of all time. The sound track to Star Wars also was preserved by the Library of Congress in the National Recording Registry, for being “culturally, historically, or aesthetically significant.” Williams was inducted into the Hollywood Bowl’s Hall of Fame in 2000, and he received the Kennedy Center Honors in 2004, the National Medal of Arts in 2009, and the AFI Life Achievement Award in 2016. Williams has composed the scores for eight of the top 20 highest-grossing films at the U.S. box office (adjusted for inflation).

The Star Wars Film Concert Series is produced under license by Disney Concerts in association with 20th Century Fox and Warner/Chappell Music.

へえええええ、でんな。「スター・ウォーズ」の第4部から第7部まで、NYPのライブで上映しちゃうぞ、ってさ。誰がどう見ても年末の第8部リリース(なんでしょ)に向けた盛り上げイベントなんだろうが、ま、天下のにゅーよーくふぃるのブラスセクションが叫ぶ《帝国軍のテーマ》ですから、もうこれは盛り上がるなってのが無理な話でありましょう。

あとは、ま、関心のある方はNYPの公式ページを眺めて下さい。もう一般向けの告知もある筈です。

もうひとつ。今朝来ていたのが、シカゴ・リリック・オペラの来シーズンのアナウンスメント。無論、《リング》サイクルの《ヴァルキューレ》があるとか、まともなもの並んでるんだが、やっぱり目を引くのがこちら。こっちはURLを貼り付けちゃいます。
https://www.lyricopera.org/concertstickets/calendar/2017-2018/productions/lyricopera/jesus-christ-superstar-tickets?utm_source=Email_marketing&utm_campaign=Thursday_February_9_2017&cmp=1&utm_medium=HTMLEmail
なんとなんと、シカゴ・リリックオペラのあのでっかい劇場で、《ジーザスクライスト・スーパースター》でんがな!

昨今、特にヨーロッパの地方劇場では所謂「ミュージカル」というのは極めて重要な演目になっていて、それこそベルリンやらヴィーンのコミーシュ・オパーでも《マイ・フェア・レディ》とか盛んに上演されている(よね?これまた、なーんも調べずに書いてるぞ)。だから、シカゴでこの作品が本格上演されても不思議はなにもないのだが、やっぱり「へええええ」と思わざるを得ぬでありまする。

帝劇じゃなくて初台で《ジーザスクライスト・スーパースター》、オケは東フィル、なんて、あったら絶対見物にいく…かな。

21世紀、世の中ちょっとづつかわってる、ってことですな。うん。

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月はどーして出ている? [音楽業界]

やくぺん先生としてはとっても珍しいことに、東京文化会館で藤原歌劇団さんのプロダクション、《カルメン》を見物させていただいたです。
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つらつら考えるに、藤原歌劇団って今世紀になって初めてだし、《カルメン》のステージでのフルプロダクションも見物するのはもう何十年ぶり、って感じだなぁ。前にいつ眺めたかの記憶がまるっきりないもん。情けなや。

てなわけで、最近のこの作品の解釈トレンドやら、いろいろ面倒な問題がある筈の版についてやら、なーんにも知りません。アホがポッカリと口開けてぼーぜんと眺めてた、ってだけのこと。とはいえそれだけじゃ、いくらなんでもいろいろ手配頂いた方々に失礼この上ないので、アホなりに感じたことを恥も外聞もなく記させていただきまする。

さても、この舞台、気になったことがふたつあるでした。ひとつは、ほぼ最初から最後まで舞台の奥に出ていて、でかくなったりちっちゃくなったり、真っ赤になったりしていた月であります。
全く個人的には、《カルメン》という作品は徹底的にラテン系の光がぱあああああっと射しているような、あのくそ暑い夏の雨なんて降らないスペインの真ん中辺り、という場所が決定的な意味を持っていて、基本、3幕を除けば全てはあの強烈な太陽の下でスッカラカンと起きているものだ、と信じておりました。音楽もそうだし、出て来る人間達もそうだし。

だから、いきなり舞台が上がってそこが夜、タバコ工場も夜間営業、幕切れの闘牛もナイター、ってなると、あれえええええ、と思ってしまうんですよ。もう、もの凄く違和感感じまくり。ま、終幕の闘牛に向かう人々が「血と黄金の旗」を振りかざす違和感みたいなとは違う、もっと生理的な違和感ですね。

無論、演出家さんはそんなことは百も承知で、この作品の真昼のイメージをひっくり返したいから敢えてやってるんだろうけど…じゃあ、そうする説得力があったかと言えば、ま、ううううううん…これは《サロメ》なんかい、ってね。

もひとつ。これは結構、細かいけれど本質的なこと。《カルメン》って作品、それこそトランプ新大統領なら「こいつらみんな米国に入れないぞ」と宣言しそうなしょーもない連中ばかりが出て来るわけだが、当然のことながら行動原理の根底にあるのは「暴力」でんがな。で、その象徴として、ライフルやら拳銃が散々出て来る。舞台に出て来る男共は、闘牛士を除けばみんな銃器で武装している。

その銃器の持ち方なんですわ。ぜーんぜん、重そうじゃないんだわ。

普通の多少ともに写実的な舞台演出なら、銃器の取り扱いはかなり重要な演劇的意味を持ってきます。つまり、「あれ、あの男、ピストルを軽々と扱っているけど、あれってもしかしてホンモノじゃなくてモデルガンだ、という意味なのかしら?」と聴衆は思うわけですよ。例えば、御上の偉いさんの到着直前にフィデリオが銃を構えるとき、それが軽そうにかまえることで、聴衆は「あ、レオノーレさん、もしかしたらハッタリかましてるのかな」と思うわけです。そのことで、場面の意味が微妙に違ってくるし、緊張感も違ってくる。ホントに銃器を扱うときの筋肉の動き、身体の構え方など、大事な演劇の言葉になるわけですな。

それが、ぜーんぶモデルガンみたいなんよ。

結果として、密輸団も用心棒チンピラ共も、みんなインチキっぽく見えてしまう。

そんな風に見えるのはあんただけだよ、と言われればそれまでなんだけどさぁ、昨日の舞台は、それが気になって気になって。演出家さん、そういう動きって、まずは歌手を指導するときの基本中の基本でしょ、ってプラカード掲げたい気分でありました。はい。

ついでに言えば、ってか、これは相当に重要な問題なのかもしれないんだけど…この演出、舞台に登場する出演者の数はもの凄くいっぱいです。それがかなり激しく動く。結果として、舞台上の音楽以外の音がとても大きくなる瞬間があるのですね。特に第2幕の頭など、その傾向が非常に顕著で、何が起きちゃうかというと、ピットの中のオケの音が聴こえなくなっちゃうんですよ。
最近のムジーク・テアター系の演出ではしばしば起きることで、日本の聴衆も経験したものでは、例えばミュンヘンと共同制作、ってか、ミュンヘンの舞台を持ってきた初台の《ヴォツェック》、それなりに高い評価を得て地上波でもNHKが放送してた奴なのでご覧の方も多いと思うんですが、あれ、ずーっと舞台に水が張ってある。で、歌手や役者が動くと、ピチャピチャ音がするんですね。これって、《ヴォツェック》みたいな音楽だと、もうどれが音楽でどれが騒音か分からなくなってしまう。
あれほど意図的ではないにせよ、シュトゥットガルト歌劇場で眺めた《ペレアスとメリザンド》も、繊細な響きのオケの上でバッタンバッタン舞台が転換していき、演出家を殺したくなりましたね。いや、ホント、ああいうのはいまどきの中学生やトランプ氏なんぞがお気楽にお使いになる「殺すぞ!」という言い方を使いたくなっちゃうわなぁ。

で、この《カルメン》の舞台、そのどっちともちょっと質は違う、単に「舞台の上がバタバタうるさい」という状況だった。それにもってきてバタバタやってるのが合唱団だったりするものだから、ホントにオケが聴こえなくなる。場面が変わって誰も居なくなると急に繊細な響きが耳に入り出す。となると、これはもう指揮者さんが演出家さんと喧嘩をして「オケ聞こえないから、そこんとこなんとかなりませんか」とやらなきゃマズいところなんじゃあないかしら。

…ってなことを幕の間にロビーで出会った知り合いの方に小声で洩らしたら、なんと指揮者さんはオペラを舞台付きで指揮するのはこれが初めてとのこと。なーるほどぉ、と納得はしたものの……そんなもん、納得しちゃダメでしょ、やくぺん君!

そんなこんな、ホントに久しぶりに見物した名曲オペラのちゃんとした舞台、いろいろ勉強になりました。ありがとうございますです。なにより、聴衆がとってもあったかかったのにはちょっとビックリ。この優しさは指揮者さんやオケを育てる方向に向かえば良いんですけどねぇ。関係者の皆様、失礼な意見、多謝。

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3年目のふきのとうホール [音楽業界]

札幌駅から地下道を抜け、南西の端っこでちょっと地上に上がり、一ブロックほど雪の積み上がった歩道を慎重に歩いて、ふきのとうホールに行って参りました。無論、道路は白く凍り、歩道脇に雪がうずたかく壁を作っている時期に来るのは初めてです。
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目的は勿論、そろそろこのホールでの「若手演奏家レジデンシィ」も道の半分に至ったクァルテット・ベルリン東京の演奏会。もう5回目になるんだなぁ。
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モーティくんに拠れば、このフォーメーションになってまだ4ヶ月目とのこと。半分台湾の血が流れる新ヴィオラくんには、ベルリンで慣れているだろう寒さはともかく、この札幌住民も半世紀ぶりとビックリしているこのドカ雪はどうなんでしょうね。

さても、足かけ3年目となるこの会場、「六花亭のメセナ」、というよりも、「六花亭社長のサロンにようこそ」という空気は相変わらず、というよりも、真駒内のお菓子屋さんホールでやってたことをこの市内の専用空間を活用しつつやるやり方が板に付いてきたようであります。お菓子屋さん本店や喫茶が混雑する土曜日午後は、流石に2つしかないエレベーターでの上層階ホールへのアプローチが混乱するのは致し方ないものの、ホール階を通り越して10階の練習室兼用小ホールに向かえば、そこでは真駒内ホールでの演奏会同様に立派なケーキとコーヒーが振る舞われます。もうこれだけで座って喰らえば1000円也は確実にするであろうちゃんとしたチョコレートケーキセットで、雪に埋もれた円山公園方向を眺めながら慌てふためいていただくのが勿体ないくらい。このホール、主催公演の場合は、絶対に早く行くことをお薦めしますです。はい。

やくぺん先生ったら、たまたま岡山先生ご夫妻とエレベーターホールで一緒になってしまい、ほらほらケーキ、ほらコーヒー、と奥様に振る舞われてしまうという情けない状態。ちょっとした手違いで大通りの方から道庁前抜けて歩いてきたんだけど、そんなに消耗して見えたのかしら。いやはや。岡山先生、お元気でいらっしゃり、大いに安心しました。とはいえ、せっかくの機会だからと前から訊ねたかったベルリン東京との関係を恥ずかしげもなくお尋ねすると、やっぱりクァルテットとして教えたことななく(だって、チェロとセカンド主導でベルリンで結成され、直ぐにオリーのところにいっちゃったわけだもんねぇ)、もりやくんが学生時代にやっていた弦楽四重奏団をとこさんと一緒にみた、とのこと。なるほど、納得でありまする。その意味では、岡山先生とすればアルモニコみたいな心配をする必要はないのだろうから、良かった良かった(?)なんでしょうねぇ。

で、残された最後のひとりとなって慌てて開演5分前に6階のふきのとうホールに向かいます。それにしてもこのホール、消防法をどうやってクリアーしたのかと心配になるくらいロビーからオーディトリアムへのアプローチが狭い。日本のこの類いのホールでは一番狭いんじゃないかしら。香港ジョッキークラブ円形劇場へおアプローチ、とまでは言わないが、ちょっと日本列島にある会場としては異例だなぁ。不思議でありまする。

ベルリン東京の中身については、モーティくんが自分で仰るように、まだまだ「これが新しいフォーメーションだっ」というよりも、それぞれの美点をあらためて舞台上で確認し合う最中という感はあり、まあ「若手レジデンシィ」という演奏会シリーズの性格はその意味では正にその通り。有り難いことに、どういうわけか満員の聴衆はそれをネガティヴに捉えている感じはなく、札幌出身のチェロさんと仲間達の育ち方を暖かく見守っている空気はしっかり漂っている。そういう意味ではパッケージとしての「六花亭のふきのとうホール」は上手くいっているじゃないの。

地元の方に拠れば、どうやらはっきりと「ホールにつく客」が出来ているそうで、「六花亭ポイント400点集めると4000円相当のチケットに交換出来ます」なんてやり方でやってくる「六花亭」という北海道が誇るトータルな文化の中に、バターサンドもストロベリーチョコも《ラズモ》第2番もみんな一緒に詰まっている、って世界がしっかり作られている。じゃあ、この方々が北星学園でエクが《ラズモ》第3番をやるから…といって喜んでくるかどうかは、正直、全然判らない。札響メンバーがキタラ小ホールで作品131をやるからもう狂乱して雪を踏み越えてくるとも思えない。宗次さんみたいな意外にも「音楽」に特化した社長さんの趣味のサロンともまた違った、「企業」のイメージにしっかり包み込まれた空間。

でも、これはこれで、あり。「日本の小規模個人主催者」というよりも、「ウルトラ小規模起業メセナ」のひとつの在り方、まあ、大いに誤解されるであろうことは前提に敢えて言えば、「超小型サントリーホール」なのかなぁ。

札幌という規模の、特に冬に来ると極めて特殊としか思えぬ街でしか成り立たない、言葉の最良の意味でのメセナがここに展開している。

《ラズモ》2番終楽章をアンコールに繰り返し、ガッツリとコートを着込んで足下を固めた善男善女が、心を熱くして寒い夕方の街へと繰り出していく
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「それならベートーヴェンじゃなくたって良かったじゃん」と言われればそれまでだけど、やっぱりこの街の冬を乗り切るにはあれくらい高カロリーな精神は不可欠だもんね、って思えるんだらか、それもそれでありでしょ。

ふきのとうホールに行くなら、やっぱり厳冬期。

[追記]
今、LCC最終便で成田に到着、成田第2ターミナルビル駅からの京成上り最終便で葛飾オフィス厄偏舎に向かってます。2日目、日曜日の演奏会は、10階を演奏会で使っていたためにケーキのサービスはありませんでした。その代わり、なのでしょうけど、帰りに御菓子の袋をくれました。ホントの「袋菓子」でありまする。こんなん。
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中を開けると、こんなん。
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京成アクセス特急のひこーきデザインのシートもお洒落でしょ。

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中学生と駿州翁媼と [音楽業界]

香港でのバタバタ、当電子壁新聞用の下書きはいくつかあるんだけど、ほーりだしたまんまでありまする。ま、いずれノンビリとアップするやも、ってこと。

さても、うちの若い者のキックオフ・パーティというお祝い気分ながら、世界中からいろんな連中が新大陸東海岸の寒い寒い大学街に集まり、弦楽四重奏を弾くというだけの目的で運命共同体を形成してる「アメリカのひとつの良心」みたいな連中が家族連れで居る中に、「あんたの仰るアメリカってなんのこっちゃ?」のアメリカいちばんトランプ大統領就任という事態が重なって、飯の話題もどうしてもそっちに向かってしまう香港の数日でありました。そんな春節前のお祭りの日々も過ぎ、17度くらいの寒い寒い香港から、気温はもうちょっと低いかも知れないし梅もまだだけど遙か霊峰富士聳えポカポカ陽光うららかな静岡に来ております。こんなん。
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ひょんなことから、毎年(のような気がするけど、そうじゃなかったかな)当日プログラム曲目解説を書かせていただいている、「静岡の文化財団が地元中学生を立派なコンサートホールにご招待し、ズラリ楽器を揃えたプロのオーケストラの演奏を聴いてもらおーじゃないかい」って趣旨の演奏会。グランシップ・コンサートホールの客席は制服の中学生で埋まり、学校の先生が遠足に行くときみたいに付き添っている。
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とはいえ、ちゃんとレセプショニストも入り、一般の聴衆も少ないながらチケットを買って客席に座っています。なんせ中学生の数は、どんなに調整しても客席数ピッタリになる筈もない。今日明日各2公演をやると、極めて半端な数の席が余ってしまう。じゃ余らせとくのもなんだし、ってことで、子供らは出来るだけ「良い席」に集め、2階の後ろの方の余った客席を1500円也で一般に販売してる。担当者さんによれば、完全に一般開放で中学生の保護者などに限っているわけではないとのこと。
静岡交響楽団はあるものの、昨今の都市部では大流行の「平日の昼間っから妥協無しの演目を聴かせるちょっと短めのコンサート」はまだまだ開催が難しい静岡、「これを期待してるお客さんもいらっしゃるんですよ」という担当さんの話も納得いきます。これ、昼間のお招き方アウトリーチでは良い方法なんだけど、案外、やってるところは少ないんですよねぇ。はっきりと後援スポンサーなどがある場合、席が余っているからといって有料切符を売るのは難しいという事情は理解出来るものの、「お招き方アウトリーチの余った席は市民に激安で売ってしまえ」というのはありだと思うんだけどなぁ。

もとい、てなわけで、円光寺さんのきっちり真面目なお話を交えつつ、《こうもり》序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲、そしてチャイコの《ろめじゅり》という1時間ほどのプロをホールいっぱいの中学生とちょっとのじいちゃんばーちゃん静岡市民が朝から聴いたわけであります。

中身について言えば、やっぱり「ソナタ形式を用いてストーリーを描く交響詩」って、そんなんに誰にでもアクセシブルな訳ではない、ましてやシェイクスピア悲劇をなぞっているとはいえ、いかにも音楽的な舞踏会や葬送行進など一切無く、抽象的な理念を先行させたようなチャイコフスキーの若書き、こっちも敢えて読者対象中学生という妥協はせずにゴリゴリに書いた曲目解説ですから、うううん、どうだったんだろーなぁ。すくなくとも、今、演奏が終わった比較的若い感じの中学生諸氏には、ちょっとしんどかったかな、と思わぬでもない。ま、難しいものもある、ということに触れていただくのもこういう機会なのだから…(と、担当者さんには強弁したのであった)。開演前に懸命に当日プログラムを読んでいたそれほど多くはない子供らの中には、なる程そんなもんか、と思ってくれる奴が数人いれば、ま、へっぽこ三文売文業者やくぺん先生とすれば成功なのであーる。うん。

ま、最後の曲がどうあれ、その前に演奏されたラヴェルのト長調協奏曲、特に第2楽章の真ん中から後ろは、21世紀日本列島中央部の静岡地方に住み生活する普通の13歳くらいの人類にも「なんかすごぉい」としっかりアピールするものがあったようなので、この演奏会、静岡の財団がやった意味は大いにあったと納得するのでありました。

終演後、予算という大人の事情はしっかり踏まえつつ、「やっぱりチャイコは難しいですねぇ、ホントは《ボレロ》とかやれれば…」なーんて、オケ関係者と本音トークが漏れちゃうのはしょーがないか。

旧正月直前の駿州、まだ日は高し。次は2時からの公演、明日も切符ありますから、お近くの方、ラヴェルだけでも聴きに来る価値ありますよ。

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香港国際室内楽音楽祭の発展 [音楽業界]

長く立ち読み下さっている皆々様はよーくご存知のように、当電子壁新聞は「書いてあることはみんな嘘、信じるな」と並び、「表のメディアで書けない事を書く」ことを標榜しております。前者同様、後者にもいろいろな意味があるわけで、それはもう勝手に解釈していただくしかないわけですが、本日これから記すのは典型的な「日本語の音楽関連メディアが記事として買ってくれない」こと。つまり、こっちは本気で表の作文にしたいのだけど、買い手側が「そんなの誰も興味ありませんよ」と買ってくれない類いの内容であります。だから、珍しく、本気の中身でありまする。以上、前口上オシマイ。

さても、連日気温17度くらいで湿度は60%くらい、こことすれば猛烈に寒い香港に来て数日。町ゆく人はジャケットどころかコートを羽織り、スターフェリーに乗るなら襟巻き巻いちゃうよ、って勢い。北緯35度近辺から来た人間には、なんか丁度良いくらいの爽やかさだよね、って感じられるんだけどねぇ。

来週末に旧正月を控え、なんとなく年末の慌ただしい空気が漂う春節前の厳冬の香港で、今から7年前に「Hong Kong International Chamber Music Festival」なるイベントが始まりました。無事に毎年開催され、今年で8回目。
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http://www.pphk.org/concerts/festival-2017/
正直、当初は、返還前から続く香港春節からイースター頃までの大イベント「Hong Kong Arts Festival」(日本では「香港芸術祭」と翻訳され、今年で45回を数えるそうな)が室内楽部門を充実させて、そこだけ一ヶ月早く開催するようになったのか、と勝手に思っていたのですけど…
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2014-01-10
ぜーんぜんそうじゃなかった。ほれ、いかにこの電子壁新聞が「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」であるかを証明するような話であるなぁ!←威張れることか、と自分で突っ込んでおこー

とにもかくにも、おお、もう3年前になるのか、2014年1月に出かけて、そのときは諏訪内さんなんかが出たこともあって、表のメディアにも商売になったのでありました。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2014-01-16

困ったことにパリの弦楽四重奏ビエンナーレとモロに開催時期が重なっているため、それ以降は1月の半ばはパリと香港を交代に訪ねるようになり、ええ、今回で3度目の訪問になるのかな、香港は。

流石にこれだけの回数を重ねて見物していると、このフェスティバルそのものだけではなく、香港芸術祭との関係を含めた位置付けなんぞもそれなりに(あくまでも「それなりに」ですけど)見えてくる。なるほどねー、だったり、おいおいおいおい、だったり、ま、いろいろだけどさ。

てなわけで、香港地下鉄レッドラインの終点荃湾駅にほど近い荃湾大会堂で開催されたこの音楽祭初の郊外市民会館での公演を聴き、地下鉄と空港鉄道乗り継いで慌てて深夜便の出発に遅れぬよう急いでいるこの瞬間に、現時点での総括をしておきましょか。ま、自分のためのメモでありまする。ご関心の向きは、お覗き下さいませ。真面目に書き出すとホントに商売用原稿になっちゃうので、箇条書き風にチャチャっと。

◆香港政庁との関係

なんといってもこの音楽祭、やくぺん先生も最初は誤解していたように、面倒というか微妙というか、穏当な言い方をすれば、興味深い、のは香港政庁との関係でありましょう。なんせ、直ぐ数週間後には実質上香港の最もオフィシャルな大総合アーツ・フェスティバルたる「香港芸術祭」が控えております。かつては、ってか今もなんだけど、香港芸術祭には室内楽枠がひとつあって、ジュリアードQやらリンゼイQやら、所謂著名団体が毎年ひとつくらい招聘されておりました。思えば、ロバート・マン翁が抜けた後、初めての新生ジュリアードQを聴くためにノコノコ訪れたのも20世紀終わり頃の香港芸術祭だったっけ。

で、この「香港国際室内楽音楽祭」は、主催は御上や行政絡みの財団ではありません。主催するのはPremiere Performanceという民間団体です。こちらがディレクターさん。
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彼女のパワーだけでやってる、といえばそれまで。

じゃあ、行政とは全く関係ないかと言えば、そんなことはない。この音楽祭、メイジャーなイベントは始まる前、西暦の年明けくらいからプレイベントみたいな形で地元演奏家によるアウトリーチなどもそれなりにやっていて、なんせどこでも持って行ける室内楽、香港各地でやってるわけですよ。そういう活動も評価されてか、いつからだか知らないけど(商売原稿だったら調べるけど、こんな無料の私設壁新聞じゃそんなこと調べる手間をかけるわけにいきません、悪しからず)香港政庁の文化担当局だかがマッチング・ファンドをしてくれるようになった。ええ、めんどーなんでマッチング・ファンドというやり方については今更記しませんから、分かんない方は勝手に調べるよーに。よーは、御上が半分財政の面倒をみましょう、ということになったわけです。

となれば、当然、これまで以上にきっちり「香港市民納税者のために」公演を行わねばならない。というわけで、今回からはいままでの本拠地だった香港シティホールだけではなく、地方でも本公演をやるようになりました。で、今、その初のローカル公演としてセントラルから地下鉄で30分程行った終点、荃湾大講堂で音楽監督チョーリャンがセシルとメンデルスゾーンのニ短調トリオ弾いたり、ボロメーオQがもの凄い説得力ある《セリオーソ》弾いたりしたわけであります。
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あたしゃもう帝都湾岸にちょっとだけ戻ってますけど、明後日は最終公演として九龍の山の向こう、沙田の市民会館に行くそうな。まあ、香港市民の感覚からすれば、天理とか藤沢くらいまで来てくれた感じかな。

先程、クライバーン・コンクールで辻井氏と優勝を分けたチャン・ハオチェンくんがセシル・リカドと連弾だか始めるのを聴かずに吹っ飛んで出て来た荃湾の市民会館、構造はなんとまぁ、シティホールの大ホールとまんま同じ設計図じゃないのと思うような場所で、聴衆はそれほど多くはなかったけど、なんといっても若い人達が一生懸命聴いていたのがとっても印象的でした。1960年代の日本の聴衆みたい、とまでは言わないけど、こういう人達がきっちり歳を取っていってくれる幸せな世界が続いて欲しいものであるなぁ。

◆教育期間との関係

この音楽祭、チョーリャン氏が連れてきた演奏家でマスタークラスなどを行うという活動は最初から行っていたようですが、今回はもうひとつ突っ込んだ状況になってます。というのも、初の試みとして「レジデント作曲家」を置いたことがあります。ベルリンフィルのヴィオラ奏者だったことでも知られるオーストラリア人作曲家ブレッド・ディーンを据えて、自作をヴィオラで弾いたり、ボロメーオQに加わって自作ばかりかモーツァルトの五重奏を弾いたり。
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ええ、ご覧のように、電子譜面じゃないところにいるのがディーン氏であります。

こういう人がいるとなれば、香港警察裏というか、ジョッキークラブ隣というか、なかなかスゴい場所にある香港藝術院が放っておく筈がない。音楽院で作曲のマスタークラスをやったり、「現代音楽とは何か」だかいうレクチャーをやったり。そればかりか、今回はニックというオタク・レベルを突き抜け今やボンのベートーヴェンハウスも本気で作業に強力している奴のやってる、東京の聴衆もお馴染みの「ベートーヴェンのオリジナル譜面には、校訂者が捨ててしまった情報が山のようにあるぞ」話をやるターゲットもいるわけです。で、当然、後ろにオリジナル譜面を投影しての《セリオーソ》演奏、なんて演奏会も音楽院ホールでやる。
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こういうことが出来る、それも英語で一切通訳無しでやれるわけだから、それに反応できる聴衆がどれだけいるかはどうあれ、スゴいことになってるわけですわ。

なお、ボロメーオQはふたつの学生団体にマスタークラスも行いました。彼らの到着前に《セリオーソ》でアウトリーチなんぞをやってたのは、ヴィルタスQ(おおおおおお!)なる名前のマカオの子がファースト弾く団体で、いやぁ、こてんぱんというか、ガッツリやられてましたねぇ。全然めげてなかったけどさ。

◆「アジアの室内楽」としての位置付け

中身的に最も重要なこと。8回目となる今回、メイン会場をこれまでのシティホールの大ホールから、上の劇場に移動し、規模を室内楽として適正化しました。これが入口で
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上のボロメーオQとディーン氏の五重奏の写真がステージ。やはり集客で厳しい室内楽、日本フィル香港公演もやった大ホールは流石に大きすぎる感があったのが、こちらは適度のパツパツ感で遙かによろしゅーありまする。響きは…まあ、聞かないで下さいな。でも、広すぎて聞こえないよりは余程良い。うん。

そんな中で展開されたアンサンブルは、ボロメーオQみたいな「出来上がった団体」が質をしっかり保証する一方、これまではどうしても時間が足りない感が漂っていた「こっちに来てから必死に練習しましょう」アンサンブルの中身が飛躍的に良くなりつつあるのが印象的でした。チョーリャンとか重鎮がともかくまとめる、というのではないレベルの再現がなされるようになった。特に印象的だったのは、Haochen Zhang, Kristin Lee, Cho-Liang Lin, Brian Chen, Li-Wei Qinというオールアジアのメンバーによるフランクの五重奏でした。個人的には好きかと問われるとハイとは言いにくいが、ある種の水準はあり、ある種の説得力はあるから、「俺はあれは嫌いだ」とも言えるレベルの演奏。もしかしたら、かつて20世紀後半に日本の一部エリートマニアさんが「アメリカの室内楽」と唾棄したような音楽は、21世紀には「アジアの室内楽」と言われるんじゃあないかい、とすら妄想しちゃったりして。←わああ、すげええネガティヴ評価に聞こえるなぁ…

そんなこんな、来年以降もこの時期に予定される「香港国際室内楽音楽祭」、こんなに気候の良い香港も珍しい時期ですので、お暇な方は是非どうぞ。

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