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14ヶ月ぶりのゆふいん [ゆふいん音楽祭]

ゆふいんに来てます。思えば、一昨年の11月に博多から日帰りでやってきて、数時間滞在して以来。

何の用事かとかはともかく、思い返せば正月の松の内にこの町に来たのは初めて。ま、だからどってこともないし、すっかり清里化(この言葉自身が死語ですね)した通りには日本語ならざる言葉が溢れ、夜の8時もまわれば町にはだーれもいなくなる静かな田舎です。

この14ヶ月の間に、いろいろと細かい変化はありました。なによりもビックリは、由布院駅を出たところ。ほれ。
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お判りかな、そー、正面の由布岳を眺める通りの左側のお土産屋さんが取り壊されていて、かつてのゆふいん音楽祭のメイン会場だったくせに、駅前から猛烈に説明がしにくかった中央公民館が丸見えです。

このお土産屋さんの建物、湯布院町内の方が所有しているのではないそうで、ゆふいん景観条例などが出てくる直前に駆け込みで立て直すことになって、まあ、とりたててどうってことないもんが出来るだろうけどねぇ、とのこと。由布岳を覆い隠すようなものであってもらっては困ります。

なお、公民館そのものも建てかえ話が出ているそうで、いろいろ水面下の話はききましたが、流石にこんないーかげんな電子壁新聞に記すわけにもいきません。いつもいつもの眉唾話と思っておいたほうがいいでしょね。

延々と町を歩き、町外れの、由布岳に向かって上り始める小道を上がっていった先、小林道夫先生宅の近辺、音楽祭実行委員長だった加藤さん宅から眺める夕日。なんだか、冬の南ドイツかなんかの空気みたい。
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ここだけの極秘情報。こんな風景を毎日夕方に眺め音楽を深めている道夫先生は、イースター明けくらいに、ご自宅でちょっと意外な作品を新録音なさいます。どのようにして世に出るかはもっとビックリなんだけど、それはまた近くなったらお伝えしましょう。

35回の音楽祭のうち、30回を実行委員長として取り仕切った加藤さんは、すっかり本職の画家さんに戻り、この初夏には40年近くぶりにパリに長逗留して仕事をするそうです。「ゆふいんに来て、初めてやっと自分の仕事に戻れる」と繰り返しつつも、音楽祭の過去録音ライブテープの編集も着々と続けていらっしゃいます。

ゆふいんも、そこに住む人々も変わっていく。あたしも、遅ればせながら、変わっていきましょか。

神話を歴史にする仕事 [ゆふいん音楽祭]

昨日からの京都での聞き取り取材を以て、新しい単行本作業が本格的に始まりました。まだ出版社側との契約は済んでいませんので正式なアナウンスは出来ませんし、内容の詳細は語れませんが(ってか、カテゴリーが「売文家業」じゃないことでモロバレ)、ともかく、久しぶりの数ヶ月スパンの仕事です。もうちょっと体力のあるときにやりたかったけど、この10年は出版業界が大きく変貌していくときで、小生が本職とする類のドキュメンタリー系出版が絶滅する瞬間だったために、全く仕事がなかった。今回も、普通の意味での資本主義経済活動に則った出版ではありません。ま、今や殆どのクラシック音楽演奏会も興行としては成り立たないことを前提に始まるわけで、根っこは同じだけどさ。

今回のテーマは非常に明快です。過去30数年、多くのことが語られてきたけれど、その殆どが「神話」であり、「民間伝承」にすら近い状況のまま「事実」やら「関係者の言葉」として流布し、様々な文献に記されてきた事柄をきっちり検証し、吟味し、21世紀10年代という時間の中に「歴史」として位置付けるのが仕事。無論、その結果、新たな神話を描くだけになるとの批判は全うこの上ないのもであり、そう言われたらその通りとしか言いようがないわけだけどさ。

遙か日本列島は大分、別府の裏の盆地へと続く物語のひとつの出発点は、ここにあります。
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なぜこの場所が最初に登場せねばならないのか、なぜこの温泉町を語るのにギュンター・ピヒラーやハット・バイエルレの名前が出てくるのか。それは1年後のお楽しみ、ということで。

ανδρα μοι μουσα

お願い:初期ゆふいんの写真や資料ありませんか? [ゆふいん音楽祭]

広く世間にお願いです。

まだ詳細は発表出来ないのですが、皆々様の中で、1970年代の初期ゆふいん音楽祭、特に第1回から第5回までの資料をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。

欲しいのは以下。

1:当日の刷り物、加藤昌邦自筆一点物ポスターの現物若しくはポスターが写っている写真。

2:第1回から第5回までの会場の写真。子供がピースしてる向こうに九響合奏団が写ってるような写真でも結構です。舞台だけで演奏家が写っていない写真でもかまいません。

3:1971、72年のゆふいん風景、特に昔の駅舎から駅前を通し由布岳を眺めているような写真。下の写真よりも10数年後くらいのものです。
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4:第1回から第5回までの音楽祭に俺は実際に行って、こんなだった、というような証言。

以上です。連絡はコメント欄でも、個人メールでも結構です。写真の使い方その他は、ご連絡下さった方に直接お伝えさせていただきます。

宜しくお願いします。もの凄く無茶なことのを言ってるのは判ってますけど。

ゆふいん楽友協会 [ゆふいん音楽祭]

数日前から書店に並んでる筈の「音楽の友」誌で夏の音楽祭特集をやっており、その隅から隅まで眺めても「ゆふいん音楽祭」という文字がないことで、あらためて「ああ、終わったんだなぁ」と思う今日この頃であります。昨年までならば、この時期は当日プログラムの原稿で盛んに大分とやりとりしてた頃だもん。なんかこの数日ちょっと楽、と思ってたら、そうなんだよね、うん。

蛇足ながら、「音楽の友」誌には当電子壁新聞にも時折顔を出される先生なども登場なさり、夏の音楽祭についての鼎談が掲載されています。正直、読ませていただいて、はあああ…と思うことばかりでした。つまり、あたくしめは「音楽祭を作る側」とか「音楽祭で演奏する側」の視点でしか見ていないんだなぁ、とあらためて納得させられた次第。そこが「評論家」じゃない所以なんだろうなぁ。

ま、いいや。で、それで思い出したこと。もうなくなっちゃった「ゆふいん音楽祭」なんてカテゴリーを引っ張り出したのには訳がある。

ええ、ゆふいん音楽祭実行委員会は殆ど後に残すお金もなく無事に解散しました。その後、あの盆地で音楽活動がなくなったわけではない。かつて音楽祭に現場で関わっていた若い人たちやそう若くもない人たちが、「ゆふいん楽友協会」なる組織を作りました。昔、音楽祭が始まった頃にあった「ゆふいんムジークフェライン」とか、ある時期音楽祭の母体として名前を出していた「湯布院音楽協会」(で正しかったのかしら、表記は)とは別物。全く新しい組織で、旧音楽祭の実行委員長やらは参加してません。

その団体が、さり気なく演奏会をやります。こちらをご覧あれ。新組織を中心になって運営している方が誰なのか、下の連絡先を見ていただければ、判る方にはお判りでしょ。
http://artegio.jugem.jp/?cid=3
今度の土曜日です。今まで宣伝しなかったのは、もうさっさと切符がそこそこ売れていて、これ以上の問い合わせなどがあっても困っちゃうかも、という感じだったから。でも、なんかこのまま夏にあの盆地でなにもないと世間の音楽好きが思ってるのも寂しい。で、お伝えする次第です。もうご存じの方はとっくにご存じだろうし、今から切符は買えないんじゃないかと思いますけど。

とにもかくにも、ゆふいんに音楽が消えた訳じゃない。道夫先生はご自宅やアルテジオや、はたまた街のあちこちでお弾きになられているし、新しい音楽の才能も出てくる感じがあるし、ゴージャスなオーディオを備えたおうちはゴロゴロしているし、それになにやら個人でホールを建てちゃう勢いの方があるなんて話も伝わってくるし。

音楽祭がなくなっても、ゆふいんでは音楽は鳴っている。普通に、鳴ってる。ただ、厄偏庵に飲み助が集まる理由がひとつ減ったことは確かだ。音楽祭が必要だと人々が思うならば、また纏まってバッハなりなんなりが鳴ることもある…かもしれませんけど。

盆地で起きていること [ゆふいん音楽祭]

って、またまた「ゆふいん音楽祭」カテゴリーです。

昨年来、「ゆふいん音楽祭が終わりになる」という話があちこちで出て、実際、昨日無事に第35回が終わった。さても、この話って、一体何なのよ?と訝しげに思ってらっしゃる方も少なくないでしょう。東京の夏音楽祭も終わるし、「音楽祭終わりの時代がやってきた」なんてぶち上げて何かをお喋りになりたい方もいらっしゃるやも。

東京の夏はどーだか知らんが、ゆふいんの夏に関して言えば、ある意味、極めて簡単な見解はあり得ます。

朝日新聞東京夕刊連載中の「ニッポン人・脈・記」という不思議なコラム記事があります。たまたま本日8月3日付けを眺めますと、おおお、昨晩、あたくしめがさっさと朝日新聞東京本社近傍の我が庵まで慌てて戻っちゃった後に行われた恒例のサヨナラパーティ(大盛況だったそうな)でもお喋りになられたという、由布院観光協会長さんと、初日の前夜祭でいつものように舞台に上がって挨拶下さったそのお父上の写真が出ているじゃあありませんか。昨晩で音楽祭が終わったことに一言も触れられていないのは、ま、記者の情報収集力が足りなかっただけで、特に意図はないのでしょうね(映画祭がなくなることも知らないんじゃないかしら、この神田って記者さんは)。知ってたら、終わりの辺りがもうちょっと違う記述になったろうし、新聞記者さんの習性からして。

で、「ゆふいん第1世代から次の世代への移行」というここで論じられている内容は、音楽祭に起きている問題とまるっきり同じなんです。それだけ、といえば、それだけ。

ですから、ゆふいん音楽祭のこの先を知りたい方は、参考文献として本日の朝日夕刊はご覧になっておいてくださいな。ついでに、出たばかりの薫平さんの御著書(ってか、聞き取り本です。ゴーストを立てずに聞き取りという形で別の著者名にしたのは薫平さんらしい誠実さですね)を紹介しておきましょう。こちら。
http://www.nishinippon.co.jp/info/announce/syakoku/20090802/20090802_0001.shtml
中央公民館の音楽祭ロビーの売店にも並んでおりました。おお、拙著『クァルテットの名曲名演奏』の右に並んで下さるなんてなんと有り難きかな、なんたる栄誉ぞ!
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ちなみに、写真の奥、音楽祭のペナントの前でお辞儀をなさっているダンディ熟年こそ、薫平さんの御著書の帯にコメントなさっている盟友の中谷健太郎氏です。

拙著『黒沼俊夫と日本の弦楽四重奏団』が絶版で入手困難な現状に於いて、ゆふいん音楽祭の立ち上げに関してある程度まとまった記述を行っている著作は、当面これしかありません。255ページから261ページだけで良いですから、関心のある方は是非お読み下さいませ。西日本出版社だけど、ちゃんとトーハンなどを通しているだろうから、東京や関西でも今なら手に入ると思います。

さらばゆふいん [ゆふいん音楽祭]

歴代音楽監督がモーツァルトのピアノ・トリオ楽章を次々と披露し、いつまでも終わらぬかに思えた夏のゆふいんの音楽の午後が、壮大な拍手の中で締め括られました。最後の最後に河野監督か道夫前総合アドヴァイザーのお言葉があるやと期待した聴衆やスタッフを肩透かし、まるでいつもの音楽祭のオシマイのように、3人はそでとも呼べない舞台のかげに引っ込む。

2009年8月2日午後4時35分、35回目の夏が終わりました。
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さてっ、と荷物を纏め、公民館裏のバスターミナル5時発の福岡空港行きに走り込む。寝て、起きて、空港第2ビルに6時50分到着。だだだだだ、とカウンターに急ぎ、「7時10分の羽田行き、まだ乗れる?」。あと5分です、急いで下さい、とクレジットカードをむき出しに持ちながらセキュリティチェックを潜れば、遙か第3スポットではもう搭乗が始まってら。曇り空の遅い夕方にえいやっと飛び立ったトリプルセブンの機上で写真の整理をし、某地方新聞社に直ぐに送らねばならないショットを探すうちに、もうそこは雨の東京湾岸。京浜急行、都営地下鉄と揺られ、大江戸線月島駅に戻ったのが9時43分。由布院中央公民館から湾岸の新厄偏庵まで正味4時間と45分也、こりゃあ最短不倒記録になるんじゃないかしら。

昼間には裏の祭りながら天皇成婚半世紀記念を理由に住吉さんから繰り出した神輿が練り歩いた筈の西仲通りも、じっとりと妙に重たい雨に濡れ、赤く光ってるだけ。ホントにここで祭りなんてあったんかい。

今頃、遙か由布岳の麓では、若者達が車座になって口に泡を飛ばしていることだろう。来年にはあの盆地で音の祭りがあるのか、あるとすればどうするのか、前夜祭の晩から連夜延々と続いている議論がどんな結論を見ているのやら。はたまた、結論なんて出ないままで、やっぱりサヨナラ音楽祭なのか。ねえ、由布岳さん、どうなんでしょーね。
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この先、ゆふいんは「音楽のある町」になるのだろうか。今、ひとつだけ言えるのは、来年の夏には恐らくこの10数回と同じような「夏のゆふいん音楽祭」はなかろう、ってことくらい。

その先は…そうねぇ、今、金鱗湖の畔から洩れ聞こえる罵声怒号に由布岳が耳を傾けてるところです。その内容については、ま、気長にお待ち下さいな。いずれまた、当電子壁新聞に「ゆふいん音楽祭」なるエントリーがいきなりぴょこんと登場する日をお楽しみに。

それまでは、さらばゆふいん。さらば、豊後の夏の光。生きていれば、そう、生きてさえいれば、夏なんてイヤでもまたやってくる。

夏の来ない盆地で [ゆふいん音楽祭]

月島駅5時7分有楽町線始発で有楽町まで行き、山手線、さらにはモノレールに乗り換え、鵜やらサラブレッドやら眺めながら羽田へ。セキュリティに走り込み、ラウンジでアイスコーヒーを流し込みながら昨日買っておいた森下の元祖カレーパンを喰らい、搭乗が始まった福岡行き朝一便に座って、博多湾に停泊する巨大客船を眺めつつ板付に着陸(最近、この名前って使わないのかしら)。ゆふいん行き亀の井バスの出発まで30分ほど、空港で弁当を買い込み、走り出したバスの中で喰らって、ちょっと寝たら、もう湯布院インターチェンジ。中央公民館横のバスターミナルに到着したのが10時半過ぎ。湾岸からゆふいん音楽祭会場まで、正味5時間と30分弱でありました。ふううううう。

木曜日から始まっている第35回ゆふいん音楽祭。今年は地元メディアには「最終回」という宣伝がしっかり効いたそうで、どのメディアもオープニングは取り上げてくれたそうな。ほれ、お馴染みのポンコツ公民館には恒例の音楽祭ゲートが出てる。振り向くはゆふいん音楽祭きれいどころ衆。アップはNGよっ!
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公民館に入れば、360数日の時間が吹っ飛んだような、いつもの音楽祭の風景。巨大な歴代音楽監督がお出迎え。黒沼御大だけが、ここにはいない。
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いらっしゃいと手を振ってくれる実行委員も、お辞儀を仕返す顔見知りの聴衆も、長い時間を一緒に過ごしてきた音楽祭、開演前のロビーを見渡せば、やっぱり熟年の姿が目立つ。スロープをゆっくり上って、さあ、誰も文化遺産なんかにしようとは思わない半端な国際様式のホールに座って、モーツァルトが鳴るのを待ちましょ。
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35回目の夏は、8月というのに未だ梅雨が明けず、まるでインドシナの雨期のようなじっとりした大気の中に、花崎さんの楽器に張られた下2本のガット弦がどんどん弛んでく。

8月の梅雨雲が由布岳を隠す、盆地の土曜日の午後。

竹井先生最終回 [ゆふいん音楽祭]

もう時間がない。大分県由布市近辺の方限定情報。

午後1時半から、空想の森アルテジオで、「ゆふいん西洋音楽探訪」が開催されます。毎年お馴染みの、ってわけだけど、今回は「思い出のゆふいん音楽祭」という副題通り、竹井成美先生指揮する大分中世音楽研究会のゆふいんでの最後のステージになります。
http://mainichi.jp/area/oita/news/20090726ddlk44040274000c.html
下の写真は、昨年のステージ風景。
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皆川達夫大先生の中世音楽研究会の大分ブランチ的な動きから始まったこの合唱団、第13回に初登場した福岡室内合唱団を引き継ぐような形で、ミニ総合音楽祭たるゆふいん音楽祭の中世・ルネサンス音楽部門の中心として第15回以来、夏の午後を彩って参りました。平成元年から、ということなので、今回で20年、21回目。小林道夫リサイタルと並ぶ多数を誇る音楽祭の老舗中の老舗でありました。

シリーズとしての白眉は、第17回から3回シリーズで開催された「皆川達夫とたどるゆふいん西洋音楽探訪」だったかも。なんせあの天下の皆川先生が直々に盆地まで足を運び、解説をなさったんです。ゆふいん音楽祭には、今世紀に入って日本のあちこちで開催されるようになった中世ルネサンス音楽中心の企画先行型小規模音楽祭の萌芽があったわけで、福岡古楽音楽祭なんかとの連携なんぞがあれば、豊後の地は日本のルネサンス音楽の聖地ともなりえる可能性があったわけです。

ゆふいん音楽祭は来年以降どうなるか判らないけど、ある意味で「創設メンバー」に限りなく近い竹井先生の本公演は、本日でオシマイ。創設スタッフの隠居と共に幕引きです。

今年のゆふいん音楽祭、「ともかく先達達がつくろうとしてきた音楽をじっくり聴いて欲しい」という実行委員長の意向で、若者達のビラ配りや駅アートホールでの音楽祭盛り上げミニ演奏などのイベントは行わないとのこと。静かに、じっくり、音楽そのものに向き合うゆふいんの夏、って長老共の勝手な理想に、ま、今回だけは若い連中も付き合ってあげて下さい。来年以降、あんたらが好き勝手に暴れれば良いんだからさ。

付帯イベントやバックステージ仕事でスタッフが疲れてしまい、本番のときにルネサンスの響きに寝息を立てている、ってのはそれはそれでお祭りっぽい風景で微笑ましいとはいえ、やっぱりこのちっちゃな民間音楽祭の主役は、スタッフでもなければ、ことによると聴衆や演奏家ですらなく、「音楽そのもの」なんだもんね。

さても、やくぺん先生は明日の朝6時過ぎの羽田発で盆地に迎えるや。竹井先生、最後に立ち会えなくてゴメンナサイ。お疲れ様でした。

今、この瞬間のわたくしめとすれば、「音楽祭」の慌ただしい空気に浸ってみんなと一緒に盛り上がる気持ちにはなれません。でも、「音楽」が鳴っている盆地へとモーツァルトやバッハに遇いに行くのならば、不謹慎ながら、思えば悔いばかり残る我が人生でも、最良の瞬間かもしれないな。

音楽祭のある町から… [ゆふいん音楽祭]

あっと驚くなかれ、ぼーっとしているうちに、ゆふいん音楽祭まであと1週間と迫ってしまいました。というか、普通の年ならば、今頃はゆふいんにいるんじゃないかしら。今年は復活祭もそうだったように、際立って遅い。

ところで今年のゆふいん音楽祭のチラシを見たことがない、という方は九州圏でも多いのではないかと思います。関東圏に至ってはなにをかいわんや。なんせ、東京広報部に送られたチラシだって20枚程度の貴重品であります。そこで、当電子壁新聞で公開いたしましょう。PDFファイルかなんかにすれば良いんだろうけど、どうやって貼りつけるか知らないので、スキャンして下に貼ります。まずは表。
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そして、これが裏。演奏家や曲目が記してありますね。
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ところで、現在書店の店頭に並んでいる「音楽の友」誌で、夏の音楽祭について議論されています。当電子壁新聞にもときおり密かに出入りなさってる方なんぞもお出になられてますね。そこで、評論家の奥田佳道氏がゆふいん音楽祭について触れられ、「お客様のことを考えると、スタッフの問題や使命は果たしたということで終わるとしたら、ちょっとどうかな、とは思います」(141ページ)と仰っていられます。

奥田さんのご意見、仰ることは極めてごもっとも。正直、「北九州国際音楽祭ミュージック・アドヴァイザー」というお立場からの意見、と思えないでもない。北九州国際音楽祭の聴衆には、ゆふいんに毎年いらして下さる聴衆もいらっしゃいますから、その方々から「残念ですねぇ」などという声を聞かれておられるのではなかろうか、などと想像もするわけであります。それに、「いろいろ厳しい中で北九州は頑張ってるのに、ゆふいんがさっさと止められると非常に困る」ってお怒りの気持ちも、判らなくはありません。スイマセンです、ホントに勝手な連中で。

そんな奥田さんのご意見に対し、チラシ表に擦られた、チラシ全体の中での唯一のメッセージを貼りつけ、ご返答とさせていただきます。
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ゆふいん音楽祭の外部スタッフの(個人的な)本音を言えば、ゆふいん音楽祭には「聴衆」というものはおりません。「参加者」しかおりません。

聴衆の中で「ゆふいんが終わりになるのが寂しい」とお思いの方は、是非、来週からのゆふいん音楽祭にいらっしゃり、スタッフを捉まえ、「来年もやりましょうよ」と仰って下さい。そして、貴方が新しいゆふいん音楽祭のスタッフになって下さい。

ゆふいん音楽祭は、音楽を聴きたい連中がよってたかってやってきただけなのです。続けたいならば、そう思う人たちが続ければ良い。どうすればいいか、ノウハウをお伝えすることはいくらでも可能でありましょう。なんせ、市民の税金から予算を貰って、財政的な責任を負いつつ運営しているわけじゃあないんですから、気は楽ですよ。

そうして湯布院が「音楽のある町」になれば、それがいちばんなんだし。

最後の夏へ [ゆふいん音楽祭]

ふう、第35回ゆふいん音楽祭の曲解原稿ををやっと入れました。このところ周囲がバタバタしていて、遅くなってしまった。この後も、立て続けにめんどーなボランティア原稿が待っているぞ。頑張れ、あたし!

今月末に次々と書店に並んでいる音楽専門誌では、どれもこれもが「夏の音楽祭特集」をやってるようです。お気づきの方はお気づきでしょうけど、それらの記事で、「ゆふいん音楽祭」はどこもまともに取り上げていません。

理由は簡単で、今年は(というか、今年も、というか)それら音楽専門誌に対する広報作業が必要なときに、まともな広報資料を出していなかったからです。ゴメン、皆様!あたしが悪いっ!

なんでそんなことになったのか、弁解する気も説明する気もありませんけど、ともかく、そーゆーこってす。

で、なんであれ小生にとってはこれが最後の関わりになるであろう今年の音楽祭の聴き所を、へっぽこ私設電子壁新聞なりに、慌てて宣伝しておきましょうぞ。
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今年は普段より遅れて、7月の最後の木曜日30日に前夜祭、31日が例年のように古い時代の音楽の日で、昼間が大分中世合唱団、夜は小林道夫リサイタルです。今年はバッハだけではなく、ヘンデルの組曲第3番、それにハイドンのヘ長調ソナタなど、記念年らしい演目が並びます。

で、8月に入った土日は、古典音楽の名曲オンパレード。長い間のご愛顧有り難うございましたとばかりに、文句の言いようのない傑作だけが並びます。夜はエルデーディQでハイドン「ラルゴ」、ベートーヴェン作品18の6、それにメンデルスゾーンの作品80。昼はモーツァルトばかりで、翌日のホントのフィナーレ・コンサートと合わせて2日間で聴ける作品を列挙すれば…

・オーボエ四重奏曲 K.370
・ヴァイオリンと鍵盤のソナタ K.373a
・ヴァイオリンとヴィオラのデュオK.424
・ピアノ四重奏曲 K.493
・ピアノ三重奏曲 K.502
・セレナード K.525
・弦楽五重奏曲 K.614

いやぁ、ありそうでなさそうな超名曲大会でんねん。これに、バッハのソロカンタータBWV56とか、シュトラウスの「カプリッチョ」前奏曲なんぞが加わるんだから、ここまで各作曲家のいいとこどりみたいなプログラムもなかんべー。

この、「最高の名曲だけを選んで自宅オーディオルームでレコードを次々かけてるみたいなコンサート」というコンセプトは、何を隠そう、この「ゆふいん音楽祭」という不思議な夏音楽祭の本質なんですね。35年目にして、とうとう実行委員がやりたいことをやっちゃった、って感じ。

「ゆふいん音楽祭」が日本各地津々浦々で開催されるようになった夏のリゾート音楽祭と決定的に異なるのは、「観光地がイベントとして集客のために開催する」という要素が本来は全くないことにあります。
第1回こそは九州交響楽団による「星空のコンサート」だったわけですけど、それ以降は地元の音楽好きが運営を引き継ぎ、観光イベントでもなければ町興しでもない、「自分らが聴きたい音楽を聴くための手作りローカル祭り」としてやってきた。たまたまそういうことをやりたいと思った酔狂な連中がいた場所が日本有数の温泉地だっただけのことです。「温泉地がイベントとしてやっている」のではありませんでした。

ま、世間や周囲が違った考え方をなさってようが、拳振り上げ「そうじゃない」と言い張る気もありません。だけど、小生が付き合っているこの音楽祭、この音楽祭の最もコアにあるものは、よーするに「音楽好きが勝手にやってる町の楽友協会」だったわけです。鵠沼室内楽愛好会とかと、なーんにも違いはなかった。

だから、スタッフが「もう疲れたからやめようか」と言えばそれまで。その場所に「いや、まだまだ聴きたいぞ」という人たちがいれば、その人たちがまた続ければいい。

それだけのこと。

創設以来のスタッフが「もういーかげんに歳なんでしんどいわ」ということになってきたんで、その人たちは今年でオシマイにします。世界中の地方主催者や町の楽友協会が、主催する人たちや聴衆の高齢化とともに幕を閉じていくのと同じ事。極めて自然な成り行きでありますな。

そんなこんなで、現執行部の最後となる今年の「ゆふいん音楽祭」は、徹頭徹尾「スタッフが自分らが好きな音楽を聴くための集い」であります(こんなこと、表のメディアには言えないでしょ)。あたくしめも、これで「ゆふいん音楽祭」からは隠居します。音楽祭がどうなろうが、来年からは、原稿やりません(そもそも、ふとしたことで小生が出入りするようになるまで、「ゆふいん音楽祭」には当日曲目解説やプログラムなんて存在していなかったんですから!)。誰か若い奴に頼んでおくれなもし。若い人たちよ、ゆふいんを宜しくお頼み申すです。

来年からは、十数年ぶりに厄偏庵から隅田川大花火大会が見物できるわい。命あらばのことじゃがのぉ。

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