So-net無料ブログ作成
検索選択

義父に [閑話]

038.JPG


ANDREA
Vieni a me, ti benedico
Nella pace di quest’ora,
Lieto vivi e fido adora
L’angiol tuo, la patria, il ciel!

GABRIELE
Eco pia del tempo antico,
La tua voce è un casto incanto;
Serberà ricordo santo
De’ tuoi detti il cor fedel.


Amen

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

舞台美術家としての岡本太郎 [閑話]

ジャンルがないので、「閑話」に入れておきましょか。

昨日は岡本太郎生誕100年お誕生日を生田緑地の岡本太郎美術館で祝うことになってしまい、なんとも目出度い1日でありました。
033.JPG
どうも、記念年をネタに岡本太郎ブームを起こしたい人達がいるみたいで、あっちこっちで芸術爆発やってるみたいですねぇ。どうなんでしょうかねぇ。正直、岡本太郎とか成田享とかって方々のお仕事は、1950年代から60年代に日本国に生まれてメディアの奔流が始まった中を生きて来ちゃった人間にしてみれば、もう血となり肉となってる造形であって、例えば「太陽の塔」の顔とかパイラ人の目ん玉とか、エレキングやらジャミラやらダダやらが存在しない世界なんて、想像もつかない。空に太陽があるように、台地に緑があるように、この世に存在しているモノである。音楽で例えれば、第9の終楽章のメロディとか「カルメン」前奏曲とかが存在していない世界なんて、思いもできないでしょ。そんなもんです。

だから、今更、いきなりおかもとたろーまんせー、とか言われても、はいはいはいはい、としか言いようがない。ま、ホントに圧倒的にスゴイ「げーじゅつか」というのは、限りなく自然や神に近い、ってことでありましょう。

で、全く当然のことながら会場全体が「たろーまんせー」状態の個人美術館を眺めて歩きながら、なんだかなぁ、という不思議な気持ちがしないでもなかったわけだが、ある展示パネルの前ではたと足が止まったのでありました。岡本太郎のいろんな面を振り返る、ってコーナーで、この造形作家さんの舞台美術家としての足跡がちょっとだけ紹介してあったのですわ。

ちょっとだけ、というのは、別に美術館やキューレーターさんが手を抜いているわけではなくて、そもそも岡本太郎という人のキャリアの中に舞台美術はそれほど大きな比率はなかった、というだけのことです。全日本国民がご存じであろーかの晴海岸壁やら大田区辺りのどっかの路地にいきなり出現した友好宇宙人パイラ人がその代表であります。これ。皆さん、いちどくらいはどっかで見たことあるでしょ。
200px-Uchujin_Tokyo_ni_arawaru_poster.jpg
蛇足ながら、岡本太郎ミュージアムのショップに行けばパイラ人のフィギャは絶対に買えるだろうと思ってワクワクしてたんだけど、売ってない。広報さんに「どーしてパイラ人売ってないの?」と訊ねたら、「よくそう言われるんですけど、権利関係がありまして…」とのことでした。大人の事情、ってことなのね。

さても、音楽業界、ってか、日本の演奏史に少しでも興味のある方なら、岡本太郎御大(じゃなかったね、まだ)が、1959年に国立競技場で行われた野外オペラ「ローエングリン」の美術を担当しているのは、ご存じかと思います。それなりに有名な事実ではあるのだが、小生は寡聞にしてその舞台写真というのをこれまで眺めたことがありませんでした。一度で良いから眺めたいものである、なんせ、これだけ大規模な舞台だから、新聞報道はジャンジャンされただろうし、実際に見物した人だっていっぱいいる筈なんだが、どうしてか、見たことがなかった。
岡本太郎はセットをやっただけなのか、衣装までやったのか?まさかローエングリンが等身大のヒトデで目がひとつだったりしたらどーするんじゃ、白鳥って空飛ぶ円盤じゃないのか、なんて想像たくましくするしかなかったのでありました。

で、昨日、とうとうその舞台写真を眺めることができたわけであります。白黒で2枚だけ、それも細部は全然わからぬ代物なんだけど、なんだか相当に異様なものであったことだけは理解出来る。過去の「ローエングリン」の舞台で、こんなに妙テケレンなもんは見たことないぞ、って。だって、会場のあっちこっちに太郎お馴染みの図形が描かれ、「太陽の塔」から顔を取り去った樹木みたいなもんが何本もドカンドカンと生えているんだもん。ブラバンドの民と思われる人々は、イースター島の「土人」(←ATOKで変換できない差別用語!)か、はたまた海底軍艦に立ち向かうムー帝国原住民か、って感じでアヤシサ満開(写真から想像するに、衣装はどうも太郎じゃなさそうですね)。

舞台とすれば、広い空間をきちんと使えているとは思えず、スカスカな場所がいっぱいなんだけど、それはまあ、太郎氏の責任ではないでしょ。武智鉄二の演出がどんなものだったのか、なーんにも判らぬ。なんであれ悪いのは演出家だろーなぁ。

とにもかくにも、あの写真が見られただけでも、出かけた価値はありました。もしかして、そんなもんどこそこにいけばいくらでも転がってるぞ、というような代物かもしれないし、本気で調べようとすればそんなに難しいネタではないとは思うけれど、ま、自分でなんにも積極的に調べずに眺められたのは有り難かったであります。

だからオペラファンはみんな生田緑地の岡本太郎美術館に行くべきだ、なんて言ってるわけじゃありません。そんな妙な趣味の方は、なんかのついでに見物に行かれても悪くなかろう、ってこと。この美術館、隅から隅まで芸術が爆発しっぱなしですので、結構疲れます。体調を万全にしてお出かけあれ。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

先進8ヶ国中日本だけが… [閑話]

本日は忙しいので、ひとつ酔っ払いネタの情報のみ。

昨日の記事にいただいたコメントから、所謂右系の方々がどういうことを考えているのか、遅すぎる朝飯喰いながらネットの海を漁ってたら、別のコンテクストですけど、こんな記事がありました。選挙前のワシントンポストの日本の政局分析記事。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/07/07/AR2010070701242_pf.html
外国人参政権と並び桜っぽい方々が大好きな議論、夫婦別姓について。

んで、記事そのものは纏め記事に過ぎないんですけど、驚くべきは、この記事の真ん中辺りにある一行ですね。

敢えて訳しません。探して、ビックリして下さい。ってか、この事実は夫婦別姓議論をするときの常識、前提事項なんでしょうか。そうだったら知らなかったあたしがアホというだけのことですけど。

ま、厄偏庵ははっきりと小生よりも偉い奥さんは外では四半世紀以上別姓を続けていて、町会の寄り合いなどでは「あそこは結婚してるのか」と言われることもある。家の問題というのは名前だけじゃなくて、宗教とか墓とか、もっと面倒なことがいっぱいあると思うんだけど、そういうことって議論の対象になってるのかしらね。

さても、なぜか昨日から急に忙しくなってしまい、これから神楽坂に打ち合わせにいかねば。なお、昨日のカンブルラン御大、自作の日本初演の後もご機嫌で、藝大の赤倉を改築したパーティ会場でも大いにパリ高等音楽院の連中と盛り上がっていたそーです。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

判らないこと一覧 [閑話]

昨晩、「イギリスの政策的にはあり得ない連立政権で文化政策はどうなるのか」という「教えて下さい」を記したら、この忙しいのに次々と「教えて下さい」と叫びたいことが前頭葉を暴走し始め、こりゃマズイ、全部吐き出してしまうしかない、と思うに至った次第。以下は、まるで音楽ともアーツとも関係ない駄文です。そんな関心の方は、読んでも時間の無駄ですから、読まないよーに。

◆疑問その1
間接的とはいえいやしくも国民の清き一票によって選ばれた一国の最高意志決定者たる総理大臣が「こうする!」と明言したことは、それがどんなに非現実的で無茶であろうが、自分の意見や感情を捨て、必死に実現するのが高い給料を税金で貰ってるプロのテクノクラート公務員の職務なのではないのか?
総理が「やります」と言ったことが実現できないのは総理の責任ではなく、官僚の無能、若しくは意図的なサボタージュなのではないか?
旧政権の人質社員が溢れかえる大手メディアは仕方ないにせよ、なぜ誰も「総理の言ったことを実現しなかった」と外務省を非難せず、とっても頭の良い人まで含めて「できもしないことを言った」と総理を批判するのだろーか?筋違いも甚だしいとしか思えぬのだが。
今の輿論は、ろくでもないオーケストラと知らずにマーラーの8番を演奏しようとした外国人新首席指揮者が、団員が弾けないの無理だの言い立ててまともに練習も出来ないので演奏会中止と発表したら、マーラーの8番が聴けると信じ盛り上がっていた市民からはその決定を非難され、オケマンのお友達の新聞記者や評論家からは全て指揮者のせいにされ非難されてる、って風に見えるんですけどね。なんか、メディアの動きを含め、小沢ならぬ小澤事件を思い出させるなぁ。
今や国家の軍事行動でさえ民間警備会社が請け負う時代である。無能な日本国外務省を廃止し、その予算で外交専門の民間企業に委託することは出来ないのだろうか?

◆疑問その2
イラクでオスプレイ部隊の運用が始まった、というニュースを数年前に眺めて以来、運用の実態についての記事や情報がないか気にしているのに、まるで見たことがない。「上手くいっている」とか「運用の結果に満足している」とかいう軍首脳のコメントを散見するくらいである。
どんな使い方をして、どの程度の稼働率なのだろうか?軍事関係に詳しい方、教えて下さい。

◆疑問その3
冷戦終結、湾岸&イラク戦争、はたまたブッシュ政権以降のアメリカ合衆国の国家財政逼迫を受けて行われているアメリカの軍再編成で、海兵隊はどのような立場にあるのか?
米軍組織全体を本土に駐留する緊急展開部隊化する大きな流れは、要するに「米軍全体を海兵隊化する」ってことなわけだから、海兵隊の立場はどーなるんだろうか?
軍や合衆国政府内に海兵隊不要論、廃止論などは出ていないのだろうか?嘉手納への移転断固拒否、独自基地確保、という海兵隊側のかたくなな態度には、「最初の突撃部隊は第一騎兵師団に絶対に渡さない!」って意地の張り合いというか、機関銃抱えた既得権確保、って感じがしてならないのだが。

◆疑問その4
どうして「普天間施設の岩国への移転統合」という案を1度たりとも耳にしないのだろうか?
誰がどう考えても、岩国なら海に面してるのでオスプレイが練習中に何機落ちても大丈夫だし、滑走路は沖合に移転したんだから騒音問題も一応は決着してるんだろうし、オスプレイを乗っけて戦闘地域に運んでく陸揚艦(イオージマとかオキナワとかって、まだ現役なのかしら)は佐世保にいて、普天間に比べれば目と鼻の先なんだから、余程合理的であろう。ましてや世界にも珍しい海兵隊専用の巨大基地、誰がどう考えたって岩国移設統合が一番合理的に決まってるのに、なんで案さえ出ないのか?
安倍元そーり、まさかあなたが「日本国の独立!」などと叫んで筵旗立てて基地前で反対してるんじゃないでしょーね!

◆疑問その5
神奈川県や多摩県にお住まいの方々は、自分の頭の上に米軍機が当たり前のように飛んでいて、目の前に国際線だって離着陸出来るでっかい滑走路があるのに、飛行機に乗るためにはるばる関東平野の東側まで行かねばならない事実を、不思議に思っていないのだろうか?
あたしゃ本日は遙か鵠沼までミロQ見物に行くのだが、あの会場は上空をホーネットが飛び交って演奏中も平気で轟音が鳴り響く。音楽ファンよ、なぜ自分らの頭の上の空が治外法権であることを怒らないのだ!
019.JPG
追記:この空。鵠沼室内楽愛好会の会場上に広がる、夕方の湘南の空。この直ぐ北に厚木基地があり、南の横須賀には動く原子炉が浮かんでる。

以上、わからないことだらけ、でした。ああスッキリした。これでボルドー・コンクールの原稿に専念出来るぞ。

なお、別に本気で教えて貰おうとは思ってませんから、思わず燃え上がって書き込みをしたくなるようなコメントはしないでね。
なんせ、週末のソウル取材に向けていろんな人と連絡せねばならず、クライアント様からダメ出しがあって全面書き直しの原稿を含め作文作業が危機的状態のところに、土曜日に急なMIM取材が入ったり、ミロQが周囲でウロウロしてたりで、どんどん時間が潰れてってるんだから。ふうううう…

nice!(2)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

「サヨナラ演奏会」は「最期の演奏会」ではない [閑話]

こんなことを書くと、心優しい人々から袋叩きにされ、あいつは人間らしらの欠片もない奴だと人格を疑われるだろうから、書くべきではないのだろうなぁ、と思ったんだけど、やっぱり耐えられないんで書きます。殆ど無意味な駄文です。
なお、演奏の中身に関しては、一切触れるつもりはありません。小生は自分の感想を売文商売の最も重要なソースにする「評論家」じゃあありません。あたしが演奏をどう思ったかなど、商品になるほどのものではない、世間にはどーでも良いことだし、ましてや不特定多数の方に教えるつもりなどサラサラありません。そういうことに関心のある方は、恐らくは今晩から明日にかけてネットの海の上に山のような讃辞や感動、また一方で罵声のような悪口が溢れかえるでしょうから、そっちをご覧下さい。

ええと、アルバン・ベルクQの日本最終公演に行ってきました。入口で、「あれ、あんたはアルバン・ベルクQは大嫌いなんだから来ないと思ってた」と某地方音楽財団の男に揶揄されました。おお、そんな風に世間に思われてるのか。あたしゃいっぺんたりともこの団体を嫌いだなんて言ったことはないよ、うん。「皆さんがもうきっちり聴いてる方達ですから、あたしがどうこういうようなことはない、あんまり関心ないし、他の若い連中とか聴かなきゃならんから、関心持ってる暇もないんです」と繰り返してきただけでありますぞ。えっへん。

会場の空気は、もう典型的な「サヨナラ演奏会」のそれでした。どうも、小生はこの空気に弱い。「これが最期なんだから一生懸命聴くぞ、全てが大事なんだぞ、静かにしない奴は不届き者だぁ」って空気がサントリー大ホールを支配してる。

だけどね、小生のように商売柄録音は殆ど聴かず、ライブばっかりの人間とすれば、「全ての演奏会は最期の演奏会」なんですわ。そこに音楽家がいて、聴衆がいて、音楽がなるのは、1回限り。その演奏家が明日引退する場合であろうが、この先も半世紀も弾いていくのであろうが、そこで起きてることは「最期の演奏会」なんだわ。同じ演奏は2度無いわけだし、2度聴こうと思ってはいけない。そういうものではない。

「サヨナラ演奏会」という宣伝広報の仕方は、「聴衆の方にもある種の演出を求めますからよろしく」ということなんだろうなぁ。さっきのカヴァティーナの後の長い沈黙、誰も拍手をしてはいけないような、拍手をしたら周囲から叱られそうな究極の「空気読めぇ!」状態。あれはかなり辛かった。うん。

ま、そういうものを含め、「サヨナラ演奏会」、なんでしょう。聴衆も演奏会の大事な要素である、という当たり前の事実をあらためて認識させられた次第。

「最期の演奏会」は「サヨナラ演奏会」と似て非なるものです。これが最期と宣伝し、そういう場と判っている人を集めて開催されるものではない。結果として、そうなるだけです。例えば、一昨年12月のロストロさんがNJPを指揮したサントリーでの演奏会。関係者はみんな暗黙の了解だったが、あれを「サヨナラ演奏会」として煽って切符を売ることはなかった。生きようと努力している人に、そんな失礼なことはできなかった。
「最期の演奏会」は、往々にして、その場では「世紀の名演」と感じられたりはしないものです。だけど、妙に記憶に残っていて、後になって「ああ、あれがあの人の最期の演奏会だったのか」と知ることになったりする。なーるほどね、って、ずーっと時間が経ってから腑に落ちたりする。そして、ジワリジワリと、その音楽家との出会いと、その意味を考えるようになったりする。たまたま小生の場合は、それが商売のひとつの大きなモーティヴェーションになったりするわけで。

クァルテットを追っかけるようになった理由は、やっぱりどう考えても「クァルテット奏者黒沼俊夫最期の演奏会」にたまたま居合わせてしまうことになったから…だもんなぁ。シモン・ゴールドベルクという人にこれほど付き合うことになるのも、「最期のリサイタル」を聴きに富山まで行ってしまったから、というのは大きいもん。

ま、それほどしっかりものを考えて生きてない、流れで生きてる、ってことなんだけど。

以上、結論のない駄文でありました。ちなみに、小生は今月28日のキールでのアルバン・ベルクQヨーロッパ最終公演まで追いかけますよ。キールが年に一度のヨット・フェスティバルで宿が取れず、しょうがなく終演後にハンブルクまで戻ってくる、なんて無茶までするんだから。これでもあたしを「アルバン・ベルクQが嫌いな奴」と言うかね、S君!

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

祝! 潮浜亭 [閑話]

20世紀の初め、まだ循環してない山手線が西側部分だけ開通したばかりの頃、目白の台地が神田川に向けて落ちる吃驚するほど険しい南向き斜面の、遙か新宿から代々木練兵場まで臨む辺りで、ご幼少の腕白秀磨ぼっちゃまは大陸任侠みたいな輩と遊んでいた。なんのかんのと時が移り、百年まではいかないくらいの時間が流れ、オヤカタの館は、学習院の宿舎から、日立のプライベート迎賓館みたいな「アールデコの空気漂う洋館」になり
021のコピー.jpg

20世紀、じゃなくて21世紀だった、も7年目のゴールデンウィーク最後、やっと五月晴れがやってきて、ついでに栗花粉も飛び交う初夏みたいな真昼、借りてきたなにやらみたいな格好したやくぺん先生夫妻が、目白旧近衛亭のバンケットホールの真ん中の席に座ってる。

そお、今日は目出度い結婚式。それも、我が佃厄編庵に出入りしては、酒飲んだり、本棚ひっくり返したり、どうしようかと己の未来に悩みこんだり、果ては泣きそうになったり、とうとうオフィスで寝ちゃってたりしてた若いもんら(若くない、なんて言わせません!)が、何の因果か新たに家庭を持ち、しばし湾岸は木場の辺りに住みつこうか、ってことになっちゃったんだもん。いやぁ、目出度いの目出度くないのって、こんなに目出度い話もそうそうあるもんじゃあないわいな。

目の前じゃ、色打ち掛けの袖紮げた新婦が、あんまり調律具合はおよろしくないピアノに向かって、新婦妹様と連弾してます。とっても怪しいフランスの楽譜が開かれ、鳴ってるのはベートーヴェンの作品18の5です(どっちかってと、セプテットの変奏楽章、って感じだけどね)。ちょっと長かろうが、著作権なんぞないし、ご祝儀気分なんだから、貼り付けちゃいましょ。ほれ。
085のコピー.jpg

ミロQの作品18全曲演奏会で衝撃を受けた、だからこの席で是非とも皆様にご披露したい、って弾き始める新婦の気持ち、敢えて目白の近衛御殿で八百万の神様の前に御祓いて、嫁さんのピアノ叩いてる姿を特等席でニコニコな眺めてる新郎の気持ち…そんなもん、判る奴だけ判ればれば良い。

何の祝日だか良く知らん初夏の午後、ラインだかドナウだかのノーテンキな船頭小唄が呑気に流れる。ずっと昔むかぁし、この場所で、秀磨も聴いたかもしれない、もしかしたらピアノを前に歌ったかもしれない、素直で陽気なベートーヴェン。

素っ頓狂なほどの素直さが普通の日々になれば、それはすごおおく幸せなこと。嫁さんの隣で、ノーテンキな小唄に酒飲んで、酔っぱらって寝ちゃえるようになったなら、もーこの世は天国!だからさ、今日の良き日、厄編庵主たるあたくしめもなーんも考えず、素直に言いましょ、「潮の香りに誘われて、わけのわからぬあいつらこいつらがふらりふらりと寄ってくる、そんな庵を結んでくだしゃんせ」ってね。

ほらほら、潮浜亭のおかみさん、旦那、早速、酒飲んで寝ちゃってるよ!

nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

わしゃ金持ちなのか? [閑話]

いつ紹介すべきか、ずっと迷ってたサイト。ま、今日が一番良いタイミングでしょう。これ。
http://www.globalrichlist.com/

この「アニュアル・インカム」というのが、「年間所得」なのか、それとも小生らのような青色申告業者の「年間売り上げ」なのか、なんだかよーわからんけど、恐らく日本語文化圏に生きてネット環境が整った当壁新聞読者諸氏の場合、出てきた結果を見て「あれぇ、あたしをゼロ一つ入れ間違えたかしらん」って思うこってしょーに。

これが世界60億の現実なんだろーなぁ。

ちなみに、このサイト、ドーネーションをお願いするための仕掛けです。ものすごいインパクトはありますね。日本でもファンドやってる方、こんなアピールの仕方も参考にしてみてはいかがかしら。

以上。隠れ「指定管理者制度」若しくは「音楽業界」カテゴリーでした。

この記事、エイプリルフールじゃあ、ありません。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

相互会社は究極のNPO経済システムではないのか [閑話]

音楽だとかアートとは一切無縁(じゃあないんだけど、ホントは)のしろーと雑談です。

昨日来、「日本で最初の相互会社」が社名の由来になっている「第一生命保険相互会社」が株式会社化される、という経済ニュースが飛び交ってますね。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20071207AT2C0604U06122007.html
http://www.asahi.com/business/update/1206/TKY200712060340.html
少なくともアフリカの貧しい国の国家予算、東南アジアのその辺の国の年間軍事予算ほどものお金を毎月動かしているでっかい金融会社の資本そのものに関する議論だから、そりゃー日経やら東京12チャンネルとすれば大騒ぎになるわけでしょう。NTT以来の大物上場、なんて話もあるし。

さても、小生のような経済門外漢がこの話に思うこと。ええ、小生は世紀末から21世紀初頭にかけて、「第一生命保険相互会社」の資料室やらに相当入り浸って、この会社の社史だとか、日中戦争時代からGHQ占領下の時代のこの会社を取り巻く事情だとかを、それなりに細かく調べねばなりませんでした。この会社のお堀端の本社ビルに設置された集会室が日本の独立後に「第一生命ホール」として一般に開放され、1950年代にクラシック音楽のブロードウェイとなった日比谷通りでの小ホールとして機能した歴史調査、拙著『ホールに音が刻まれるとき』(ぎょうせい2001)のための資料調査でした。

その過程で、「相互会社」という考え方がどうやって日本に入ったか、なぜ「第一相互」(今は「第一生命」とか「いっせい」とか言いますけど、戦後のある時期までは「第一相互」という言い方が普通だったようです)の創設者矢野恒太がイギリスからこの考えを持ち込み、東洋初の相互会社を作ろうとしたのか、いやんなるほど初期の資料や広報文書を眺めることになったわけです。結果だけを述べれば、「第一生命の社長が集会室をホールとして外部に貸し出す、そのための子会社を作る、という決定をしたモーティヴェーションのひとつに、相互主義の考え方があった」と判断せざるを得ない。まだ「メセナ」なんて言葉の欠片もない、でも明らかに原智恵子や近衛秀麿への「タニマチ」とは一線を画した在り方。
ちなみに、日中戦争が始まった頃に今のお堀端の第一生命館が出来る前、この相互会社の本社だった京橋の「東京で一番立派なビル」は、「相互館」と呼ばれてた程です。この社史年表の上、真ん中の写真の建物。http://211.11.150.153/is/history.html
たまたまこの書物の執筆調査と平行して、東京でほぼ初めての音楽による文化NPOを発足させようとして、都庁に日参しては文句を言われ、イヤミを言われていた人たちが周囲にいた。

そういう中で見ていくと、この「相互会社」というシステムは究極のNPO経済の在り方じゃあないのかね、と思われてきたわけですよ。

ええと、米・独・日などのある世代に通用するスローガンとして「全てのことはスタートレックで教わった」ってのがある。まあ小生もそんなところがあるわけでして。
で、そういう視点には、「スタートレック世界の経済(但し、これまた究極の資本主義フェレンギ社会が本格的に出てくる前のTOS及びTNG初期時代)は究極のボランティア経済であり、あの経済システムは恐らくは猛烈に洗練された相互会社みたいなものなのであろう」という認識があった。

まともに世の中に生きてる人なら誰でも感じてることでしょうけど、21世紀初頭の現在、我々にとっても最も強力にして危険な敵は、「経済性」という奴です。この「経済性」のお陰で地球温暖化が起き、経済格差が起き、極論すればイラク戦争が起きてるわけですね。

世界を闊歩している「経済性」という怪物どのように退治するか、ちゅーか、どーいなすか。どう手なづけるか。それが22世紀から23世紀に向けての経済の課題になる。さもなければ人類の文明は怪獣「経済性」によって亡びるのは目に見えている。マルクスは20世紀の実験で終わったけど、その次にこの怪物と闘うヒーローが必要になってくる。それが既にあちこちで姿を見せ始めているボランティア経済であり、その原初的形態としての相互会社は再び脚光を浴びる可能性があるだろう。

ま、そんな風にしろーとの過激な妄想を膨らませてたわけですわ。頑張れ、相互会社!って。

というわけで、昨日来の報道は、いろいろ思うところがあるわけです。

経済のプロからは「苦笑」か「冷笑」で終わりになるようなアホ談義なんでしょうけど、世の中には相互会社の在り方にロマンを感じていたアホもいた。それだけ。

今でも埼玉やらにちょっとだけ生き残っているマルクス経済学者の諸君、相互会社って考え方を今風に展開させて資本主義の矛盾と破綻を乗り越える新たな経済学の基盤に出来ないんでしょうか。イスラム経済学の基本にもボランティア経済の考えはあるはずだし、そんなところとのブリッジのピンポイントとして相互会社という在り方は使えないのかしら。それとも、そんなの常識で、問題点はとっくに出尽くしているので捨てられているのかしら。しろーとには全然判らぬ。

出でよ、22世紀のマルクス!世界経済の崩壊は近い!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

今日はアジアニュースの日 [閑話]

小生の如きびんぼー売文業者のところも、「年末進行」という恐怖の四文字熟語が飛び交ってくるようになり、なぜか今、楽譜も楽団に届いてない2月の曲解をやってます。楽譜求めて某所に行かねばならぬため、私設電子壁新聞どころか、町会仕事もやってる暇がない。多謝。

で、今日はニュースヘッドライン列挙のみ。結果として全部アジア系ですね。なんか田舎の通信社みたいだなぁ。なんせ朝から佃厄偏庵上空は報道ヘリが飛び交い、清澄通りには右翼ががなり立ててる。湾岸はすっかりニュースの現場でんがな。

◆どうやら中国海軍のミサイル駆逐艦が無事に晴海埠頭に接岸したようです。これから数日、人民解放軍の若い水兵たちが、晴海トリトンスクエアの横通って、延々と銀座まで遊びに繰り出す姿が見られることでしょう。インド海軍の連中みたいに、秋葉原に大挙して繰り出し萬世橋の上で記念撮影、なんてやらかすのかしら(最先端ミサイル駆逐艦だもの、電気オタク系のスタッフはゴッソリいるだろうし、なんせ艦名が中国の秋葉原を目指す「シンセン」ですから)。
まだ今日は右翼やら警備やらが騒々しいでしょうから、明日にでも埠頭まで見物にいくべーか。http://mainichi.jp/select/world/news/20071128k0000e010042000c.html

◆人民解放軍水兵ばかりか、上海Qの連中も本日から東京上陸です。http://www.tvumd.com/artists/artist%20calender/shanghai.htmホンガンとウェーガンの李兄弟の母校、上海音楽院設立80周年を記念する一連の演奏会を今やっててhttp://www.culture.sh.cn/english/product.asp?id=4090、そのために里帰りしたついでに、日本に立ち寄っての公演です。明後日の王子ホールが東京のメイン演奏会みたいだけど…演目がなぁ。うううん。当壁新聞にいらっしゃるような方は、遙か相模原で行われる1日の公演がねらい目でしょうね。イーウェンの編曲した中国民謡、なめちゃあかんです。もの凄いヴィルトゥオーゾピースになってて、鼓弓っぽいグリッサンドがバリバリですから。
このところの王子ホールさん、他ジャンルに比べると圧倒的に切符の売れ行きも入りも悪いのに、晴海なんぞじゃ絶対にやれないギャラが高いクァルテットを頑張って我らが中央区民にも聴かせてくだっていて、誠に有難いことであります。はっきりと路線を晴海やら浜離宮とは違えてきてるのが興味深いですね。
今回の上海Qといい、来年早々の東京Qといい、「オーケストラなら運命と田園、未完成!」みたいな路線をはっきりと打ち出してる。「クァルテットなら死と乙女とアメリカだ!」ってね。
評価の高い団体で評価の定まった名曲だけを聴きたい、という聴衆をターゲットにしているわけで、それはこのホールが目指している富裕層(プチ富裕層?)向けの北京・上海・ソウルっぽいマーケッティング手法として間違っていない。そういう腹の据わった主催者が東京という巨大マーケットにいて、クァルテットの間口を広げようとしてくださるのは、非常に有難いことです。東京のクァルテットは、少ない聴衆を奪い合う飽和市場ですから、とても賢い作戦だし。
このメイジャー路線が成功しないと、晴海なんぞの「貧乏な正規軍によるゲリラ作戦」というか、オフ・ブロードウェイ・ラインというか、そんなやり方も成り立たない。切に成功をお祈りする次第であります。

◆話は半島部に飛び、このところずーっと一部で騒動になってたようだが、全然意味が判らなかった韓国政界を巻き込んだ光州ビエンナーレの美人辣腕ディレクター関連スキャンダルが、やっと日本でも報道されるようになりました。http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280009.html日本だったら、もう「連日地上波ワイドショーで大騒ぎ」って奴ですな。流れを知りたい方は、こっちをどうぞ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070911-00000003-yonh-kr
韓国を筆頭に、日本以外の経済成長著しいアジア地域では、今世紀に入って現代美術が猛烈に充実して来ている。アートやアート・マネージメント業界の皆様よーくご存じの通り。ソウルのサムソン現代美術館はスゴイ施設だし、上海にも洋行帰りで国ではすっかり浮いた連中のコンテンポラリー感覚をそのまんま生かした現代美術館がある。
そんな中で、現代美術関係のアヤシイ話というのもいっぱいあるみたいで、数年前に国際交流基金の仕事でソウルに行ったときも、向こうの担当者の方にその頃に起きていた現代美術がらみのスキャンダルを延々話され、流れが判らないんでチンプンカンプンだったけど、なあるほど現代美術って価値がはっきりしないからこういうことがあるのよねぇ、とは感じたものです。それとは違うタイプのスキャンダルみたいだけど、現代美術とイェール大学の学歴偽造なんて、いかにもだなぁ。
ま、事がどうあれ、軍隊の装備品調達に関する制服組トップの構造汚職が巻き起こってるのに、シビリアンコントロールの責任者が知らず存ぜずで突っぱねようとしてる某アジアの立憲君主国よりはまだまし…かなぁ。うううん。

◆当電子壁新聞でもお伝えした、「ソウルのいしはらしんたろー」李前ソウル市長。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2005-09-06どうやら数日前から始まった韓国大統領選挙に立候補、現時点では最有力な候補となってるようです。文化をポリティックスに使う方法を良く心得たこのハッタリオヤジ、青瓦台に入ったら何をやらかすか。今度はハンガンのソウル市アートセンターじゃなくて、その向こうのナショナル・アーツセンターで突拍子もないことでもやりかねないぞ。アーツセンター大劇場とは別に国立オペラ劇場をぶったてる、なんて宣言しそうだなぁ。

以上、湾岸発、脈絡のないアジアニュースでありました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

《演じる女たち》見物予定の方へのお節介 [閑話]

カテゴリー分類が判らぬので、「閑話」にします。「アートなこと」とか「東京日和下駄」とか、いろいろカテゴリーを作ろうかとも思うのだが、間口を広げるとそれこそいくらでもネタがありすぎて収拾が付かなくなるんで、敢えてやりません。

さても、昨日、国際交流基金さんのご厚意により、ウズベク・イラン・インドの演出家と劇団がギリシャ古典のミュートスを再構築した演劇《演じる女たち》を見物させていただきました。アートマネージメント関係の知り合い、演劇界の有名人なんぞゾロゾロいるような場所で、あたしゃこんなところに座ってて良いのかぁ、という感じでしたけど。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20071005

で、感想というよりも、本日夕方及び明日の2公演を見物に行く予定の方のために、ちょっとだけ「観る前に知っておいた方が良いこと、便利なこと」を列挙します。ご参考にどうぞ。ま、当電子壁新聞の読者層とは大きく異なるでしょうから、殆ど役に立つ方はいないでしょうが。

①これは「ギリシャ悲劇」ではありません。ギリシャ悲劇の物語素を利用した再創造です。一番近い言い方をすれば、「スタートレックの世界を下敷きにマニアが作ったヴィデオ作品」とか「コミケで売ってる銀河英雄伝説のやおい漫画」とか「プロが闇で書いちゃったドラえもん最終回」なんかに近い、二次創作です。間違っても「ギリシャ悲劇」と思って行かないように。

②なにしろいろんな要素がゴッチャごちゃに突っ込んである今時の舞台ですので、細部に惑わされると足をすくわれます(特に3作目、「ヘレナ」の巻は、それこそコンヴィチュニーのオペラ演出なんぞと同じようなもんです)。とはいうものの、神話素(ミュートス)としてのメデア、イオカステ、ヘレナなどについて知らないと、何が何だか全然判りません。配られるでっかいプログラムにも、そんな神話素の解説など一言もありません。ですから、慌てて勉強していくこと。
今からでも遅くないですから、エウリピデス「メデア」(マリア・カラスが主演した同名のギリシャ映画でもOK)、ソフォクレス「オイディプス王」、ハリウッド映画「トロイ」くらいは眺めておいた方が良いでしょう。「へレナ」と題されるものの、そっちもそうだけど、エレクトラ主題が判らないとなにやってるか判らない部分があります。アイスキュロスのアガメムノン3部作を知っておけば良いにこしたことはない。とはいえ、「エウメニデス」的な明快な結末はありませんので、そのつもりで。

最初のウズベク「メデア」は、想像した以上に真っ正面なもので、凄く力がある舞台でした。シュトラウスの「エレクトラ」の演出家で困ってる劇場支配人がいたら、この演出家さんを是非とも起用して下さい。中規模の劇場なら、このチームでまんまやれます。上演の最初から最後まで、小生の頭ん中には♪あがめえええええむのおおおおおおおおん!という「エレクトラ」冒頭と終幕が響きっぱなしでした。
イランの「イオカステ」は、ソフォクレスの流れで言えば、伝令が来てオラクラの意味がイオカステに判り、部屋に戻ってしまい、やがてオイディプスの前にイオカステ自害の報告が来るまでの間の、全てを悟ったイオカステの意識の流れ、みたいなもんです。オイディプスが神々を呪うと天から大量の割り箸(?)が降ってくる意味も、その後のオイディプスが眼を突く話の流れを知らんと何が何だか判らないでしょう(冒頭に騒々しい歌で「見るは知る」なんていかにもスフィンクス的な妙てけれんな日本語の歌が流れてたから、判る人には判る筈)。
インドの「ヘレナ」は、大爆笑してあげないと役者が可哀想なシーンがいっぱいあるのに、なんかお客さんみんな真面目でしたねぇ。特に後半の大ギリシャ帝国の支配者となったオレステスの大演説は、腹を抱えて大爆笑してあげないと可哀想です。

というわけで、今からでは遅すぎる《演じる女たち》鑑賞前の泥縄ガイドでした。この作品、このようなガイドが必要だという事実からして、はっきり「クラシック」ですな。いやはや。


nice!(0)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽