Year of the Dragon [新佃嶋界隈]
謹賀新年、とノンビリ繰り返してるわけはいかんトリプル喪中のやくぺん先生ご夫妻宅、今年は新年早々に今更ながらの各パソコン端末一斉OS載替え作業を行った御陰で、電子壁新聞どころか、御陰で5日〆切原稿が2本、今に至ってひとつは未着手という緊急事態なんでありまするが、ま、皆々様におきましては恙なき新春をお迎えになられたことと思うです。
ま、なんであろーが、慌てて年頭恒例の大河端新年張り紙大会はやっておきましょう。昨年はやったか記憶にないなぁ。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2009-01-01
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2008-01-02
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2007-01-02
なんであれ、一気に並べるぞぉ。新佃嶋界隈というより、旧日本橋区のものばかりになっちゃったのは意図はありません。まずは、どうも中央区ではいちばん多い感じがする、干支人形タイプ。
月島一の部なんかもこれです。正直、ドラゴンは三次元での再現はキツイんじゃないかしら。続いては、南画風、ってか、日本画タイプ。
このタイプは人形タイプとシェアを争ってる。もうひとつ、台東区の方にいくとよく見かけるのが、この漫画タイプ。
ドラゴンはこれがいちばん説得力があるなぁ。
ま、なんせ空想の生き物ですから、いろんな形態があって良い筈。だけど、ユングじゃないがどーゆーわけか、ある程度以上に明快な共通イメージがあるんだなぁ。案外と突拍子もないもんは見当たらなかった。
さても、我らが田舎町、佃2丁目町会で御座います。「毎年使えるから」という理由で干支もなければ年も入ってないタイプをずーっと使っていたんだけど、昨年からリニューアルされました。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2011-01-01
ほれ、意外にも当電子壁新聞で初のお目見え、新佃オフィスの路地の正月じゃ。
ひとまわり小さくなったとはいえ、路地の隅から隅までズラリと並べば(喪中旧厄偏庵と向かいの中国人スタッフ宿舎を除く)、そこそこ壮観でありますな。ちなみに、一丁目は相変わらず、新年張り紙は無し。厄天庵のある大河端リバーシティ町会(二丁目にあるが、佃2丁目町会とは別組織なんですな)も、どうも新年張り紙はないようです。
以上、どーでもいいこと並べ立てうらりうらり、全て世はこともなし、と言いたいところだけど、正月元旦からドラゴンならぬ地下のナマズが大騒ぎして、久しぶりにオフィスのモニターと本棚を支えさせられたのだから、ひとの作る暦なんぞおかまいなしの日本列島、今年もいろいろやってくれるんじゃろ。
今年は、昨年までとは違った意味で、新佃嶋界隈にいる時間が減りそうだ。
ま、なんであろーが、慌てて年頭恒例の大河端新年張り紙大会はやっておきましょう。昨年はやったか記憶にないなぁ。
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なんであれ、一気に並べるぞぉ。新佃嶋界隈というより、旧日本橋区のものばかりになっちゃったのは意図はありません。まずは、どうも中央区ではいちばん多い感じがする、干支人形タイプ。
ま、なんせ空想の生き物ですから、いろんな形態があって良い筈。だけど、ユングじゃないがどーゆーわけか、ある程度以上に明快な共通イメージがあるんだなぁ。案外と突拍子もないもんは見当たらなかった。
さても、我らが田舎町、佃2丁目町会で御座います。「毎年使えるから」という理由で干支もなければ年も入ってないタイプをずーっと使っていたんだけど、昨年からリニューアルされました。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2011-01-01
ほれ、意外にも当電子壁新聞で初のお目見え、新佃オフィスの路地の正月じゃ。
以上、どーでもいいこと並べ立てうらりうらり、全て世はこともなし、と言いたいところだけど、正月元旦からドラゴンならぬ地下のナマズが大騒ぎして、久しぶりにオフィスのモニターと本棚を支えさせられたのだから、ひとの作る暦なんぞおかまいなしの日本列島、今年もいろいろやってくれるんじゃろ。
今年は、昨年までとは違った意味で、新佃嶋界隈にいる時間が減りそうだ。
2つの塔が見える橋・大晦日特別編 [新佃嶋界隈]
あとちょっとで、余りにもいろんなことがありすぎた2011年がちょっとだけ歴史になります。1年前の今頃、まさかこんな場所から田舎町佃を見下ろしているとは思わなかった。
では、始めるとしつこい当電子壁新聞、「2つの塔が見える橋」シリーズ特別編をお送りして今年の締め括りといたしましょう。午後10時過ぎ、中央大橋南詰から視点を巡らせた風景。まず、大川上流側。すっかりお馴染みになりつつある夜の風景。
そして、ほら、紅い、懐かしいTOKIOの光。

皆々様、良いお年を。
では、始めるとしつこい当電子壁新聞、「2つの塔が見える橋」シリーズ特別編をお送りして今年の締め括りといたしましょう。午後10時過ぎ、中央大橋南詰から視点を巡らせた風景。まず、大川上流側。すっかりお馴染みになりつつある夜の風景。
皆々様、良いお年を。
2つの塔が見える橋・もひとつ [新佃嶋界隈]
大川を横切る橋の上で東京タワーと東京天樹の両方が眺められるスポットは案外と少ない、というご当地ネタの最終回ですじゃ。
ええ、我が田舎町佃嶋と東京駅銀座有楽町方面を繋いでいる橋は3つあり、河口側から順に、勝ち鬨橋、佃大橋、それに真新しい中央大橋でありまする。2つの塔がはっきりと眺められるスポットは、佃大橋の東詰、数メートルしかない、というのが地域住民の認識。んで、塔が天辺まで伸びた御陰で、勝ち鬨橋のデニーズ側にも天樹の先っぽが見える箇所があり、無論、勝ち鬨橋は名だたる東京タワー観光スポットでありますから、まあ気持ちとして両方見える場所があるよ、という話もしたですね。
さても、最終回、当然ながら、中央大橋です。
この橋、天樹見物にはもう圧倒的に絶景スポットで、日曜祭日ともなると人形町の方から歩いてきた中央区町歩き指導ボランティアの方々に引っ張られた老若男女(って、実態は老男女だけどさ)が大川上流に向けてカメラを構えるスポットとなってます。ま、こんな感じ。夕方の、上海ダイニングのちょっと手前辺り。
さても、この場所からグルリと130度ほど頭を巡らし、当電子壁新聞のヘッドにもなっている聖路加タワー方面を眺めると、こんな感じ。
さても皆の衆、よーくご覧あれ。このショットの中に、何を隠そう、とーきょーたわーが見えてるんじゃよ。お判りかな。
では、アップにしましょう。ほれ
ほんの先っちょだけ、ちょこんと出っ張ってる。小生もいつもこの橋は通っているわけだが、夕方に天辺までライトアップされるまで気付かなかった。中央大橋からは東京タワーは全く見えんもんだと信じ込んでました。情けなや。
てなわけで、なんのことはない、大川河口に浮かぶ佃月島と大江戸を繋ぐ橋たちは、どこからでも2つの塔がが眺められるのであった、ちゅーお話でありましたとさ。
佃島界隈の路地、町工場や小さなオフィスの扉にはもう、謹賀新年張り紙が貼られてます。いろんなことがありすぎた2011年が、大川端の田舎町からも、イヤでも去って行く。
ええ、我が田舎町佃嶋と東京駅銀座有楽町方面を繋いでいる橋は3つあり、河口側から順に、勝ち鬨橋、佃大橋、それに真新しい中央大橋でありまする。2つの塔がはっきりと眺められるスポットは、佃大橋の東詰、数メートルしかない、というのが地域住民の認識。んで、塔が天辺まで伸びた御陰で、勝ち鬨橋のデニーズ側にも天樹の先っぽが見える箇所があり、無論、勝ち鬨橋は名だたる東京タワー観光スポットでありますから、まあ気持ちとして両方見える場所があるよ、という話もしたですね。
さても、最終回、当然ながら、中央大橋です。
この橋、天樹見物にはもう圧倒的に絶景スポットで、日曜祭日ともなると人形町の方から歩いてきた中央区町歩き指導ボランティアの方々に引っ張られた老若男女(って、実態は老男女だけどさ)が大川上流に向けてカメラを構えるスポットとなってます。ま、こんな感じ。夕方の、上海ダイニングのちょっと手前辺り。
では、アップにしましょう。ほれ
てなわけで、なんのことはない、大川河口に浮かぶ佃月島と大江戸を繋ぐ橋たちは、どこからでも2つの塔がが眺められるのであった、ちゅーお話でありましたとさ。
佃島界隈の路地、町工場や小さなオフィスの扉にはもう、謹賀新年張り紙が貼られてます。いろんなことがありすぎた2011年が、大川端の田舎町からも、イヤでも去って行く。
2つの塔が見える橋・おかわり [新佃嶋界隈]
銀座東京駅から最も近い田舎町、佃の住民にとって、東京天樹といえば佃大橋から眺めるもの。んで、こういう話があって
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2010-07-01
まあ、そんなもんだと思ってたわけです。
そうこうするうちに、天樹もいつの間にか天辺までヒョロヒョロと伸び、その結果、上の話がちょっとばかり違ってきたのであります。
ま、なんのかんの言い立てるよりも、これら2つの写真をご覧あれ。
ほれ、余りにもお馴染みの東京タワー。勝ち鬨橋真ん中よりもちょっと東詰の辺りから、築地市場の向こうを眺めたところ。
んで、そこから視線を140度ほど、大川の上流に巡らせれば、こんな。
佃嶋北の隅っこの縦積み長屋群、中央大橋の東京駅側のビルの合間に、ちょこんと突き出しているのは、おお、東京天樹ではありませんかぁ。
そー、つまり、天下の勝ち鬨橋の東詰から真ん中くらいまでの数10メートルでも2つの塔が眺められる、ってことであります。
実は、もう1箇所、大川を越す橋の上から2つの塔を眺められるスポットがあるのであります。ま、それは次の機会に。
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まあ、そんなもんだと思ってたわけです。
そうこうするうちに、天樹もいつの間にか天辺までヒョロヒョロと伸び、その結果、上の話がちょっとばかり違ってきたのであります。
ま、なんのかんの言い立てるよりも、これら2つの写真をご覧あれ。
んで、そこから視線を140度ほど、大川の上流に巡らせれば、こんな。
そー、つまり、天下の勝ち鬨橋の東詰から真ん中くらいまでの数10メートルでも2つの塔が眺められる、ってことであります。
実は、もう1箇所、大川を越す橋の上から2つの塔を眺められるスポットがあるのであります。ま、それは次の機会に。
夜の天樹 [新佃嶋界隈]
喪中てんこ盛りのやくぺん先生宅、ま、本日はなにも言わず、天の樹を眺めましょか。
夜も7時をまわった頃、反対側の虹橋の上に華火が上がっていたようです。そう、華火は冬のもの。311後の暗い夜も、今日はどこにいったやら。
そうやって、僕たちはたくさんのことを忘れていく。
あたしはともかく、皆々様に、メリー・クリスマス…
そうやって、僕たちはたくさんのことを忘れていく。
あたしはともかく、皆々様に、メリー・クリスマス…
連絡事項:厄偏庵移転について [新佃嶋界隈]
本日をもちまして、佃厄偏庵は北に500メートル+上に30メートルほど移転いたしました。とはいえ、着手したばかりの単行本仕事の執筆作業が終わるまでは、路地の厄偏庵は「新佃オフィス」として維持します(その後はどうするか、まだ未定)。選挙区も変わらないし、投票に行くのも同じ佃嶋中学だから、当面は住民票も天空ではなく路地の方に置いておくつもりです。今月下旬までは寝床も移動しません。ですから、郵便物などは面倒な方は前の住所で大丈夫です。
なお、新厄偏庵(仮称「厄天庵」)は宅配便受け取りボックスがありますので、面倒な物は新住所に送っていただいた方がよろしいかもしれませぬ。厄天庵の目印は、厄偏庵でお馴染みの「ねこちゃん」です。いちおう、美術品なんですけど、ま、招き猫でんな。
ただし、これまでのように、路地に面した長屋だったり、縁側があってぺんぺん草が生えてる一戸建てだったり、マンションとはいえ藝大への通学路に面してて下から声かければ届く2階だったりするわけではなく、この扉の前に至るまでいくつものセキュリティを突破しエレベーターに乗らねばならないタイプの今時のアパートなので、「いつでも勝手に引き戸開けて上がりねぇ」ってわけには行かないのが残念。
今回の引っ越しは、過去の厄偏庵移転とは違った理由での転居でありまして、やくぺん先生はなんと「ますおさん」になります。家の前でござ敷いて騒いだり、魚や牡蠣焼いたりは出来ません。酔っ払いがいきなり深夜になだれ込んできても宴会可、というわけにもいきません。その際は、当面は新佃オフィス(現厄偏庵)でドンチャン騒ぎということになるでしょう。スイマセンです、いろいろと。
いずれにせよ、落ち着いたらオープンハウスは行うつもりです。新住所が必要な方は、メールに「住所教えろ」と連絡下されば、お送りいたします。来年の音楽年鑑には住所変更申請をするつもりですが。
てなわけで、今月末くらいまでは大いにバタバタしており、皆々様にはご迷惑をかけることになります。嫁さんともども、今後もなにとぞ宜しくお願いします。
なお、今月下旬の日曜日くらいに、「新佃オフィスCD棚からEMI、BISなどのCDどれでも好きな物もってけドロボー大会」を予定しています。皿組合に売っ払っても結構ですが、その際には売上げの30%を佃オフィス維持のためのドーネーションとしてご提供いただきますので、そのつもりで!
問題は、今回の転居先が、同じ町内なんだけど町会組織が独立した別物になってることなんだわなぁ。天上人と地べた民の間に存在するビミョーな諸問題に、まさか両方の立場から頭を突っ込むことになるなんて、思ってもみなかった。来年は、311で延期になってしまった住吉さんの例大祭があるので、なんだか面倒であーる。いやはや。
なお、新厄偏庵(仮称「厄天庵」)は宅配便受け取りボックスがありますので、面倒な物は新住所に送っていただいた方がよろしいかもしれませぬ。厄天庵の目印は、厄偏庵でお馴染みの「ねこちゃん」です。いちおう、美術品なんですけど、ま、招き猫でんな。
今回の引っ越しは、過去の厄偏庵移転とは違った理由での転居でありまして、やくぺん先生はなんと「ますおさん」になります。家の前でござ敷いて騒いだり、魚や牡蠣焼いたりは出来ません。酔っ払いがいきなり深夜になだれ込んできても宴会可、というわけにもいきません。その際は、当面は新佃オフィス(現厄偏庵)でドンチャン騒ぎということになるでしょう。スイマセンです、いろいろと。
いずれにせよ、落ち着いたらオープンハウスは行うつもりです。新住所が必要な方は、メールに「住所教えろ」と連絡下されば、お送りいたします。来年の音楽年鑑には住所変更申請をするつもりですが。
てなわけで、今月末くらいまでは大いにバタバタしており、皆々様にはご迷惑をかけることになります。嫁さんともども、今後もなにとぞ宜しくお願いします。
なお、今月下旬の日曜日くらいに、「新佃オフィスCD棚からEMI、BISなどのCDどれでも好きな物もってけドロボー大会」を予定しています。皿組合に売っ払っても結構ですが、その際には売上げの30%を佃オフィス維持のためのドーネーションとしてご提供いただきますので、そのつもりで!
問題は、今回の転居先が、同じ町内なんだけど町会組織が独立した別物になってることなんだわなぁ。天上人と地べた民の間に存在するビミョーな諸問題に、まさか両方の立場から頭を突っ込むことになるなんて、思ってもみなかった。来年は、311で延期になってしまった住吉さんの例大祭があるので、なんだか面倒であーる。いやはや。
空から佃を見てみよう [新佃嶋界隈]
ソウルは江南、アーツセンターから2キロくらい、LGアートホールの近くのウィークリーアパートにいます。8時頃に到着し、「エロイカ」が終わるところを覗きにいこうかとおもったんだけど、ネット環境と格闘することになってしまい、スタッフの皆さんにご挨拶どころじゃなくなってしまった。なんとかネットも繋がって、これじゃ明日の朝の食い物がない、と近くの終日営業のロッテスーパーまで出かけ、米2キロと韓国海苔とキムチと沢庵と水を買って帰って来たです。
これでもう帰国まで食いっぱぐれることはないぞ。おかずはなんにもないけどさ。
ここに至る道程は、確かに金浦空港へのファイナルアプローチでは山肌に青いビニールシート被せた洪水山崩れの跡はあちこちに眺められましたけど(本日のANAは「金浦上空は写真撮影禁止です」なんてわざわざアナウンスしてたんで、流石に撮影する勇気はなかった)、金浦空港入国近辺にはいるぽん当たり屋三人組国会議員が騒いたが故の緊張感が格別あるわけでもなく、成田よりもフレンドリーに入国させていただけましたです。地下鉄江南駅を出たところの地下ショッピングセンターは、まるで311前の東京のように白い蛍光灯の光がピカピカ眩しく輝いて、全て世はこともなし…なわけないんだけどさ。
本日のたびの空でひとつ面白かったのは、羽田を離陸してからの道取りでした。今日はBランとDランを両方使って着陸(当然、東京湾側からです)、AランとCランは海に向かって離陸、という使い方をしており、カイタック空港亡き今や世界中のパイロットが最も恐怖するといわれる夏の羽田Cラン大カーブの着陸はありませんでした。
んで、あたしらのソウル便はAランを南に上がると思ったら、あややぁ、ズルズルと遙かCランの端っこまで行き、おもむろに南に離陸。このまま大きく右に旋回して動く原子炉ジョージ・ワシントン上空を突っ切るんだろーと思ってたら、なんと左旋回します。木更津上空をかすめ、幕張の野鳥の森公園上空を下に眺め、そのまま北関東に抜けるのかしらと思えばまだ旋回を続け、なんとなんと、眼下に葛飾は中川放水路を跨ぐ京成電鉄が見えるぞ。で、まんま真っ直ぐ西進し、荒川を越えると、ほーれ
我が銀座東京駅から最も近い田舎町、佃島をしっかり見下ろせるでないの。
中央大橋の上をチャリチャリ走ってると、ときおり遙か東京天樹の上空数キロを西に向かって上昇していく機械鳥がキラキラ輝いていることがある。なるほど、こういう道を通るから、地面からはあんな風に見えるのかいな。
東京という街は、自分の街の空港を上り下りする飛行機が、決して自分の街の真上を横切ることがない。世界でも珍しい大都市。
マンハッタン上空は911じゃなくても旅客機いっぱいだし、ロンドンは毎度のこと、パリだってときにシテ島の真上を突っ切ることがある。貧乏人居住区に突っ込みそうなベルリンだって、ヴィーンだって風向きに拠っては我が街を真上から眺めることが出来る。伊丹アプローチがいずみホール近辺の高層ビルの合間に見え隠れするのは日常風景。博多も然り。都会に住むとは、車や万年道路工事の騒音と同じように、上空を通過する飛行機の騒音がするのが当たり前になることの筈。高度はしっかり5キロくらいまで昇っているとはいえ、こんな風に我が街Tokioを眼下に収めてのたびの空ってのは、なかなか珍しい。
かくてやくぺん先生をお腹に抱えたトリプルセブンは、新宿高層ビル群を遙か足下にし、中野サンプラザ、near Tokyoの我が母校、はたまた横田基地を真下に眺めつつ、モクモクの夏雲にすっかり覆われた富士山を横目に北緯35度線を真っ直ぐ西進。半島に入るや38度に進路を取って、ソウル近郊の高層住宅街を眺めつつ、無事に夕闇迫る金浦空港に滑り込んだ次第でありました。
さても、明日からは出たとこ勝負の数日だ。朝から米喰って、がんばろー。
ここに至る道程は、確かに金浦空港へのファイナルアプローチでは山肌に青いビニールシート被せた洪水山崩れの跡はあちこちに眺められましたけど(本日のANAは「金浦上空は写真撮影禁止です」なんてわざわざアナウンスしてたんで、流石に撮影する勇気はなかった)、金浦空港入国近辺にはいるぽん当たり屋三人組国会議員が騒いたが故の緊張感が格別あるわけでもなく、成田よりもフレンドリーに入国させていただけましたです。地下鉄江南駅を出たところの地下ショッピングセンターは、まるで311前の東京のように白い蛍光灯の光がピカピカ眩しく輝いて、全て世はこともなし…なわけないんだけどさ。
本日のたびの空でひとつ面白かったのは、羽田を離陸してからの道取りでした。今日はBランとDランを両方使って着陸(当然、東京湾側からです)、AランとCランは海に向かって離陸、という使い方をしており、カイタック空港亡き今や世界中のパイロットが最も恐怖するといわれる夏の羽田Cラン大カーブの着陸はありませんでした。
んで、あたしらのソウル便はAランを南に上がると思ったら、あややぁ、ズルズルと遙かCランの端っこまで行き、おもむろに南に離陸。このまま大きく右に旋回して動く原子炉ジョージ・ワシントン上空を突っ切るんだろーと思ってたら、なんと左旋回します。木更津上空をかすめ、幕張の野鳥の森公園上空を下に眺め、そのまま北関東に抜けるのかしらと思えばまだ旋回を続け、なんとなんと、眼下に葛飾は中川放水路を跨ぐ京成電鉄が見えるぞ。で、まんま真っ直ぐ西進し、荒川を越えると、ほーれ
中央大橋の上をチャリチャリ走ってると、ときおり遙か東京天樹の上空数キロを西に向かって上昇していく機械鳥がキラキラ輝いていることがある。なるほど、こういう道を通るから、地面からはあんな風に見えるのかいな。
東京という街は、自分の街の空港を上り下りする飛行機が、決して自分の街の真上を横切ることがない。世界でも珍しい大都市。
マンハッタン上空は911じゃなくても旅客機いっぱいだし、ロンドンは毎度のこと、パリだってときにシテ島の真上を突っ切ることがある。貧乏人居住区に突っ込みそうなベルリンだって、ヴィーンだって風向きに拠っては我が街を真上から眺めることが出来る。伊丹アプローチがいずみホール近辺の高層ビルの合間に見え隠れするのは日常風景。博多も然り。都会に住むとは、車や万年道路工事の騒音と同じように、上空を通過する飛行機の騒音がするのが当たり前になることの筈。高度はしっかり5キロくらいまで昇っているとはいえ、こんな風に我が街Tokioを眼下に収めてのたびの空ってのは、なかなか珍しい。
かくてやくぺん先生をお腹に抱えたトリプルセブンは、新宿高層ビル群を遙か足下にし、中野サンプラザ、near Tokyoの我が母校、はたまた横田基地を真下に眺めつつ、モクモクの夏雲にすっかり覆われた富士山を横目に北緯35度線を真っ直ぐ西進。半島に入るや38度に進路を取って、ソウル近郊の高層住宅街を眺めつつ、無事に夕闇迫る金浦空港に滑り込んだ次第でありました。
さても、明日からは出たとこ勝負の数日だ。朝から米喰って、がんばろー。
八角が巡らない夏 [新佃嶋界隈]
311震災とその後のFukushimaメルトダウンがなければ、一昨日から今日まで、我が銀座東京駅から最も近い田舎町、佃は大騒ぎだった筈。なんせ、3年に一度の住吉さん例大祭で、今年は新車(?)となった八角御輿に神様が入って街を巡り歩く最初の年だったんだから。
てなわけで、今年は実質、佃住吉神社の例祭は裏の祭りの規模で細々とやってたようであります。昨日、某氏との打ち合わせ兼ねた昼飯で中央大橋袂の上海ダイニングに向かう途中、ホントだったら今日は上京してくれても会ってなんていられなかったんよ、とはいえあたしゃ、お袋さんの命日がモロに住吉さんのお祭りの日にぶつかってて、どーしたもんかと悩まないといけなかったんだけどさ、なぁんて話しながら、せっかくだからと住吉さんを突っ切ったら、境内では奉納神楽やってるし、普段は閉じられてる八角収納庫が開放されて、新八角と旧八角が並んでるのを目に前にすることが出来ました。へええ。
で、本日、もういちど見物しようと雷鳴りそうな中を出かけたら、おやまぁ、残念ながら正面は閉じられており、もうお祭りはオシマイ。裏の祭りって、実質2日間だけだっけ。あえなくガラス板の彼方から眺めて参ったです。
折からのマレー半島のスコールみたいな夕立に、内側からの光もない八角収納の覗き窓ガラスには周囲の風景が映り込み、なにがなんだか判らぬ写真。こんな感じ。
新八角御輿、基本的には奥に収まる前回まで巡っていた旧神輿のコピーみたい。ピカピカの神輿って、なんかちょっと不思議。
1年後、この神輿が巡るとき、やくぺん先生はまだ佃の住人なりや。厄偏庵近傍、また風来坊の風が吹き始めた感もある今日この頃でありましたとさ。
ま、あたしがどーなってよーが、来年は例大祭の規模でやるそうな。
神輿負う 肩の痛さを 知らぬ夏
てなわけで、今年は実質、佃住吉神社の例祭は裏の祭りの規模で細々とやってたようであります。昨日、某氏との打ち合わせ兼ねた昼飯で中央大橋袂の上海ダイニングに向かう途中、ホントだったら今日は上京してくれても会ってなんていられなかったんよ、とはいえあたしゃ、お袋さんの命日がモロに住吉さんのお祭りの日にぶつかってて、どーしたもんかと悩まないといけなかったんだけどさ、なぁんて話しながら、せっかくだからと住吉さんを突っ切ったら、境内では奉納神楽やってるし、普段は閉じられてる八角収納庫が開放されて、新八角と旧八角が並んでるのを目に前にすることが出来ました。へええ。
で、本日、もういちど見物しようと雷鳴りそうな中を出かけたら、おやまぁ、残念ながら正面は閉じられており、もうお祭りはオシマイ。裏の祭りって、実質2日間だけだっけ。あえなくガラス板の彼方から眺めて参ったです。
折からのマレー半島のスコールみたいな夕立に、内側からの光もない八角収納の覗き窓ガラスには周囲の風景が映り込み、なにがなんだか判らぬ写真。こんな感じ。
1年後、この神輿が巡るとき、やくぺん先生はまだ佃の住人なりや。厄偏庵近傍、また風来坊の風が吹き始めた感もある今日この頃でありましたとさ。
ま、あたしがどーなってよーが、来年は例大祭の規模でやるそうな。
神輿負う 肩の痛さを 知らぬ夏
2つの塔が見える橋Now [新佃嶋界隈]
世の中がまだゲンパツで動いていた1年と数週間前、こういう記事をアップしたです。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2010-07-01
東京天樹が大川の上流でドンドンと伸びていた頃の話でありました。
さても、数日前、エクがホテルオークラで無料ロビコンをやるというのでチャリチャリと出かけ、サントリーホールの裏というか、スペイン大使館の隣というか、アメリカ大使館の上というか、DENONの奥というか、ともかく遙か溜池の岡の上まで出かけたです。30分程のイベントで、終わるといつもなら溜池のコンサートに向かうくらいの半端な時間。で、いつもとは反対に新橋から家路に向かうサラリーマンさんの流れに乗って戻ってきて、せっかくだからいつもと違う道で帰るか、と大川を勝ち鬨橋で越えたわけであります。こんな時間にこっちに向かってチャリチャリ走るのは珍しいなぁ、やっぱりこの時間だと銀座方面から大川向こうのおうちに戻るそぞろ歩きのパパさんOLさん、はたまた銀輪仲間がそれなりにいっぱいいるなぁ、と思いつつ橋を越え、この橋からは天樹は見えんのよね、って川上を眺めると、あれ、なんかツン出てるぞ。
おお、高さは頂点に至った天樹のてっぺんが、中央王橋西詰の高層アパート群の向こうに頭を出してるでないの。勝ち鬨橋の今や不動の開閉部分を越え、東詰に向けて下り始めたくらいの所からの眺望です。
ということは、と東京湾の側を向き、すっかり深夜状態の築地市場の彼方を眺むれば、ほぉら、ライトアップ自粛御法度の311以降も特別に許されたか、しっかりと夜の空に赤と白のダンダラ光を投げてる我らがTokyoたうゎあ~!
どうやら、上流側のお隣佃大橋の東詰近く数メートルと並び、ここ勝ち鬨橋東詰の数メートルも、大川に投げられた橋の上でもう1箇所、2つの塔が見える場所になったようです。こっちは数百メートル下流だけあって、東京タワーがバリバリによく見えて、天樹は「一応、おるです」って程度の見え方ですけど。
そのうち知る人ぞ知るスポットになる「2つの塔が見える場所」、現時点での追加ご報告でありました。
華火なき 空に塔視て 夏が往く
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2010-07-01
東京天樹が大川の上流でドンドンと伸びていた頃の話でありました。
さても、数日前、エクがホテルオークラで無料ロビコンをやるというのでチャリチャリと出かけ、サントリーホールの裏というか、スペイン大使館の隣というか、アメリカ大使館の上というか、DENONの奥というか、ともかく遙か溜池の岡の上まで出かけたです。30分程のイベントで、終わるといつもなら溜池のコンサートに向かうくらいの半端な時間。で、いつもとは反対に新橋から家路に向かうサラリーマンさんの流れに乗って戻ってきて、せっかくだからいつもと違う道で帰るか、と大川を勝ち鬨橋で越えたわけであります。こんな時間にこっちに向かってチャリチャリ走るのは珍しいなぁ、やっぱりこの時間だと銀座方面から大川向こうのおうちに戻るそぞろ歩きのパパさんOLさん、はたまた銀輪仲間がそれなりにいっぱいいるなぁ、と思いつつ橋を越え、この橋からは天樹は見えんのよね、って川上を眺めると、あれ、なんかツン出てるぞ。
ということは、と東京湾の側を向き、すっかり深夜状態の築地市場の彼方を眺むれば、ほぉら、ライトアップ自粛御法度の311以降も特別に許されたか、しっかりと夜の空に赤と白のダンダラ光を投げてる我らがTokyoたうゎあ~!
そのうち知る人ぞ知るスポットになる「2つの塔が見える場所」、現時点での追加ご報告でありました。
華火なき 空に塔視て 夏が往く
湾岸夏祭り [新佃嶋界隈]
本日昼から、湾岸晴海はトリトンスクエア内第一生命ホールがオープンハウスです。
http://www.triton-arts.net/ja/community/2011/178/
だいたいオープンハウスというと、そのヴェニュのスタッフが主役になれるお祭りなんだけれど、ここは「サポーター」というボランティアスタッフが企画から運営からやる「このホールの周りでウロウロしてる人たちのお祭り」です。無論、スタッフもそこでウロウロしてる人間として関わるわけだけど、他のヴェニュとは違って主役ではなく「サポーターの裏方活動を支えるメタ裏方」。
そういうやり方を10年もやってきて、ともかく格好がつくようになってるんだから、やっぱりスゴイもんです。だってさ、どのアーツ団体でも、「ボランティアを動員すると、スタッフの中で最も有能な人材をひとりボランティア対応に貼りつける必要が出て来て、結局、実際に動ける手が減るだけ」という原則がある。ボランティア対応という仕事は、アーティスト対応とはまた違った仕事になり、「苦情処理」やらと同じタイプのハンドリングをしちゃったりするとボランティアの方達からもの凄い反発を受けたり騒動に成ったりする。とてもとても難しい。
ま、そんな技術論はどーでも良くて、とにもかくにも本日昼から午後5時までホールで無料でいろいろ遊べますので、周辺住民で暇な方は是非どうぞ。あたくしめも、「涼しかったら行くよ」なんて言ってたら、ホントに涼しくなっちゃってるので、行かざるを得ないわなぁ。
どうせアマチュアなんかのいい加減な音楽しか聴けないんだろう、と思ってる貴方、どんでもない。なんか知らないけど今年の初めくらいにトリトンのボランティアの方から「どっかでメンデルスゾーンのニ短調の二重協奏曲の楽譜を見たら買ってきて」と言われてたのは今日のためだった、松原勝也氏と田村緑氏がトリトンの歴代アドヴェント・セミナー出身者合奏団をバックに、ちゃんと弾きます。これだけでも聴きに来る価値があるですよ。面倒だから、タイムテーブルを貼りつけちゃいます。ほれ。
13:00~13:30 松原勝也/アドヴェント弦楽合奏団 弦楽五重奏ミニ・ステージ
14:00~14:30 田村緑ピアノ・ミニ・ステージ
14:30~14:45 中央区立豊海小学校4年生有志による「動物の謝肉祭」
15:15~15:45 日本音楽集団 邦楽器アンサンブル・ミニ・ステージ
16:00 口上
16:10~17:00 ガラ・コンサート 四世杵屋六三郎:勧進帳
メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調より第2、第3楽章 他
2011年の夏、湾岸は東京湾華火もないしhttp://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/hanabi24/index.html
住吉さんの例大祭までない。草市はやったのか。一丁目の念仏踊りはやってたそうだけど。
あらゆるものが「自粛」の中で、トリトン夏祭りはしっかりやります。世界全体が非日常になったとき、祭りの方が日常になる。
トリトンさんのオープンハウスに行って、戻ってきました。久しぶりにあのホールに4時間もいた。ある時期のホームベースに帰ったような…とは敢えて言いません。
10年経って、スタッフには創設以来の顔ぶれはもうひとりもいない。だけど、サポーターの中には、あのオープン前のサポーター立ち上げで大植英次がアメリカのボランティア制度について演説したときからの顔も、ほんのちょっとだけど、まだ混じってる。スゴイことです。
ロビーから眺める湾岸の「Tokyo Manhattan」も、随分と様変わり。ってか、ひとつ大きな変化があった、ってのが正しいかしら。ほれ、こんなものがツン出てら。
ホールには、この高い塔があるTokyoが自分らの原風景になっていくお子らが走りまわる。放射能の雨も当たり前になるNew Atomic Generation。
http://www.triton-arts.net/ja/community/2011/178/
だいたいオープンハウスというと、そのヴェニュのスタッフが主役になれるお祭りなんだけれど、ここは「サポーター」というボランティアスタッフが企画から運営からやる「このホールの周りでウロウロしてる人たちのお祭り」です。無論、スタッフもそこでウロウロしてる人間として関わるわけだけど、他のヴェニュとは違って主役ではなく「サポーターの裏方活動を支えるメタ裏方」。
そういうやり方を10年もやってきて、ともかく格好がつくようになってるんだから、やっぱりスゴイもんです。だってさ、どのアーツ団体でも、「ボランティアを動員すると、スタッフの中で最も有能な人材をひとりボランティア対応に貼りつける必要が出て来て、結局、実際に動ける手が減るだけ」という原則がある。ボランティア対応という仕事は、アーティスト対応とはまた違った仕事になり、「苦情処理」やらと同じタイプのハンドリングをしちゃったりするとボランティアの方達からもの凄い反発を受けたり騒動に成ったりする。とてもとても難しい。
ま、そんな技術論はどーでも良くて、とにもかくにも本日昼から午後5時までホールで無料でいろいろ遊べますので、周辺住民で暇な方は是非どうぞ。あたくしめも、「涼しかったら行くよ」なんて言ってたら、ホントに涼しくなっちゃってるので、行かざるを得ないわなぁ。
どうせアマチュアなんかのいい加減な音楽しか聴けないんだろう、と思ってる貴方、どんでもない。なんか知らないけど今年の初めくらいにトリトンのボランティアの方から「どっかでメンデルスゾーンのニ短調の二重協奏曲の楽譜を見たら買ってきて」と言われてたのは今日のためだった、松原勝也氏と田村緑氏がトリトンの歴代アドヴェント・セミナー出身者合奏団をバックに、ちゃんと弾きます。これだけでも聴きに来る価値があるですよ。面倒だから、タイムテーブルを貼りつけちゃいます。ほれ。
13:00~13:30 松原勝也/アドヴェント弦楽合奏団 弦楽五重奏ミニ・ステージ
14:00~14:30 田村緑ピアノ・ミニ・ステージ
14:30~14:45 中央区立豊海小学校4年生有志による「動物の謝肉祭」
15:15~15:45 日本音楽集団 邦楽器アンサンブル・ミニ・ステージ
16:00 口上
16:10~17:00 ガラ・コンサート 四世杵屋六三郎:勧進帳
メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調より第2、第3楽章 他
2011年の夏、湾岸は東京湾華火もないしhttp://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/hanabi24/index.html
住吉さんの例大祭までない。草市はやったのか。一丁目の念仏踊りはやってたそうだけど。
あらゆるものが「自粛」の中で、トリトン夏祭りはしっかりやります。世界全体が非日常になったとき、祭りの方が日常になる。
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トリトンさんのオープンハウスに行って、戻ってきました。久しぶりにあのホールに4時間もいた。ある時期のホームベースに帰ったような…とは敢えて言いません。
10年経って、スタッフには創設以来の顔ぶれはもうひとりもいない。だけど、サポーターの中には、あのオープン前のサポーター立ち上げで大植英次がアメリカのボランティア制度について演説したときからの顔も、ほんのちょっとだけど、まだ混じってる。スゴイことです。
ロビーから眺める湾岸の「Tokyo Manhattan」も、随分と様変わり。ってか、ひとつ大きな変化があった、ってのが正しいかしら。ほれ、こんなものがツン出てら。




