「フンブとノルブ」について [現代音楽]
一応、「現代音楽」カテゴリーなのかなぁ、ということで。
ええ、昨日に手元に届いてご紹介させて頂きました『日本のオペラ』なる冊子ですが、山田先生の部分までちゃんと目を通すに、「ああ、もう一度、ってことがあり得ない作文をさせていただいただけに、やれなかったことが心残りだなぁ」とあらためて思うであります。再戦がない類の戦いだもん、これは。それだけに残念だ。
そんなわけで、やっぱり気になることばかりが気になる。かくて、昨日のエントリーにも書いたことをグダグダと、死んだ子の数を数えるように綴るわけでありまするが…
「戦前の日本のオペラ」というお題をいただいたとき、まず、「オペラ」ってどう定義するんだい、と思った。それから次の瞬間にもうひとつ思ったのは、「日本」ってどう定義するんだい、ってこと。
19世紀後半以降のオペラなる創作を考えるに、所謂「国民オペラ」は議論せざるを得ない。で、日本という遙か極東の新興国家だろーが、国家のアイデンティティ確立の為のオペラ、という文化装置を真っ正面から議論せざるを得まい。ところが、小生が担当させていただくことになった時代の日本国は君主制の帝国で、正に帝国主義的な世界展開を常識と思って素直にやってる真っ最中。「国」ってのはどんどん肥大化していくのが良いことであり、実際にどんどん膨れあがっていく。当然、多民族国家になっていくわけで、そういう中での国家アイデンティティ確立のための文化装置としてオペラも機能してくるわけですわ。
となれば、絶対に植民地でも「国民楽派オペラ」みたいな動きが皆無なはずはなかろーべ。
で、なーんにも知らない中でちょこちょこ調べたら、瞬く間にこんな記述が出てきた。ネット空間、畏るべし、であります。
「西洋の総合芸術といわれるオペラが韓国にはじめて紹介されたのはわずか60年余り前のことです。1940年に朝鮮オペラ団が『フンブとノルブ』という作品を舞台で上演しましたが、演奏会形式の公演に過ぎず、オペラとしては認められていません。韓国初のオペラ公演は1948年の国際オペラ団による「ラ・トラビアータ」とされており、今年からこの公演が行われた日を「大韓民国オペラの日」に制定し、記念しています。最初の創作オペラは1950年に公演されたヒョン・ジェミョンの「大春香伝(テチュニャンジョン)」です。」
ソウル市の公式な日本語の観光案内ページみたいなものに、さりげなくあった記述であります。出典はここ。
http://japanese.seoul.go.kr/cav/ena/hallyu_view.php?idx=13154
なーるほどねぇ、やっぱり1940年かぁ。紀元2600年の大日本帝国官民挙げての大キャンペーンがあった年、半島とすれば創氏改名の翌年で正に日本化が進んでいるとき。そういうときであればこそ、半島の民族的アイデンティティを当たり障りのない程度に高揚させてやるものを与えておくのは、帝国の文化政策とすれば大いにありえるだろーなー、ってこと。
で、この作品についてはちゃんと調べ、山田耕筰の「黒船」の記述のどっかにでもちょっとでも入れねばなるまい、と思ったんですが…結果からすれば、これ以上、なーんにも判りませんでした。
どこで(って、京城以外ではなかろーけど)、誰が(1942年に上京公演している朝鮮コロンビア歌劇団と同じ団体なのか?)、いつ(11月の紀元2600年記念式典に関係あるのか?)、ちょっと調べればいくらでもデータは判ると思うんだけど、こっちがハングルがちゃんと出来ないという圧倒的なハンディキャップもあり、時間もないので放りっぱなしにしてしまったわけです。
以上、すごく気になってた記述を、今、こういう形でちょろっと追記というか、追記にもならんメモとしてくっつけたわけで、なんかちょっと気が軽くなったぞ。
さても、演奏史をやってる学部学生から大学院修士課程くらいの研究者さんで、数ヶ月くらいで論文書かなきゃいけないけどネタがなくて困ってる、って方、是非、このネタ、やってください。よろしく。お友達にハングルOKな人がいさえすれば、案外、アッという間にズルズルいろんなことが判ると思いますよ。
韓国ではオペラ関係者なら誰でも知ってる話だったとしたら、それはそれで興味深い。なんせ韓国のオペラって、尹伊桑の「シムチョン」しか知らんもんなぁ。
ええ、昨日に手元に届いてご紹介させて頂きました『日本のオペラ』なる冊子ですが、山田先生の部分までちゃんと目を通すに、「ああ、もう一度、ってことがあり得ない作文をさせていただいただけに、やれなかったことが心残りだなぁ」とあらためて思うであります。再戦がない類の戦いだもん、これは。それだけに残念だ。
そんなわけで、やっぱり気になることばかりが気になる。かくて、昨日のエントリーにも書いたことをグダグダと、死んだ子の数を数えるように綴るわけでありまするが…
「戦前の日本のオペラ」というお題をいただいたとき、まず、「オペラ」ってどう定義するんだい、と思った。それから次の瞬間にもうひとつ思ったのは、「日本」ってどう定義するんだい、ってこと。
19世紀後半以降のオペラなる創作を考えるに、所謂「国民オペラ」は議論せざるを得ない。で、日本という遙か極東の新興国家だろーが、国家のアイデンティティ確立の為のオペラ、という文化装置を真っ正面から議論せざるを得まい。ところが、小生が担当させていただくことになった時代の日本国は君主制の帝国で、正に帝国主義的な世界展開を常識と思って素直にやってる真っ最中。「国」ってのはどんどん肥大化していくのが良いことであり、実際にどんどん膨れあがっていく。当然、多民族国家になっていくわけで、そういう中での国家アイデンティティ確立のための文化装置としてオペラも機能してくるわけですわ。
となれば、絶対に植民地でも「国民楽派オペラ」みたいな動きが皆無なはずはなかろーべ。
で、なーんにも知らない中でちょこちょこ調べたら、瞬く間にこんな記述が出てきた。ネット空間、畏るべし、であります。
「西洋の総合芸術といわれるオペラが韓国にはじめて紹介されたのはわずか60年余り前のことです。1940年に朝鮮オペラ団が『フンブとノルブ』という作品を舞台で上演しましたが、演奏会形式の公演に過ぎず、オペラとしては認められていません。韓国初のオペラ公演は1948年の国際オペラ団による「ラ・トラビアータ」とされており、今年からこの公演が行われた日を「大韓民国オペラの日」に制定し、記念しています。最初の創作オペラは1950年に公演されたヒョン・ジェミョンの「大春香伝(テチュニャンジョン)」です。」
ソウル市の公式な日本語の観光案内ページみたいなものに、さりげなくあった記述であります。出典はここ。
http://japanese.seoul.go.kr/cav/ena/hallyu_view.php?idx=13154
なーるほどねぇ、やっぱり1940年かぁ。紀元2600年の大日本帝国官民挙げての大キャンペーンがあった年、半島とすれば創氏改名の翌年で正に日本化が進んでいるとき。そういうときであればこそ、半島の民族的アイデンティティを当たり障りのない程度に高揚させてやるものを与えておくのは、帝国の文化政策とすれば大いにありえるだろーなー、ってこと。
で、この作品についてはちゃんと調べ、山田耕筰の「黒船」の記述のどっかにでもちょっとでも入れねばなるまい、と思ったんですが…結果からすれば、これ以上、なーんにも判りませんでした。
どこで(って、京城以外ではなかろーけど)、誰が(1942年に上京公演している朝鮮コロンビア歌劇団と同じ団体なのか?)、いつ(11月の紀元2600年記念式典に関係あるのか?)、ちょっと調べればいくらでもデータは判ると思うんだけど、こっちがハングルがちゃんと出来ないという圧倒的なハンディキャップもあり、時間もないので放りっぱなしにしてしまったわけです。
以上、すごく気になってた記述を、今、こういう形でちょろっと追記というか、追記にもならんメモとしてくっつけたわけで、なんかちょっと気が軽くなったぞ。
さても、演奏史をやってる学部学生から大学院修士課程くらいの研究者さんで、数ヶ月くらいで論文書かなきゃいけないけどネタがなくて困ってる、って方、是非、このネタ、やってください。よろしく。お友達にハングルOKな人がいさえすれば、案外、アッという間にズルズルいろんなことが判ると思いますよ。
韓国ではオペラ関係者なら誰でも知ってる話だったとしたら、それはそれで興味深い。なんせ韓国のオペラって、尹伊桑の「シムチョン」しか知らんもんなぁ。
『日本のオペラ』 [売文稼業]
ご紹介。なぜか奥付の発行日は2012年1月30日になってるんですけど、実質的には数日前、『日本のオペラ』という冊子が完成し、世に出たようです。
ようです、ってのは、普通の意味で世間の本屋さんなんかで売ってるものではないから。
なんのことはない、当電子壁新聞を立ち読みにいらしてる方は察してらっしゃる通り、1月から2月にかけて関西行ったり初台の資料室に潜り込んだりしてた調べ物がこれです。題名だけからすると話がでかすぎてなんだか全然中身が判らぬ冊子ですが、副題は「海外からの受容と日本オペラの進化」となっており、ぶっちゃけ、「B5版100ページちょっとでつるっと判る、日本国150年の西洋型オペラの受容史」であります。出してるのは新国立劇場情報センター。評論家の山田治夫先生が1945年以降、小生がそれより前を担当させていただきました。
ま、新書1冊程度の大きさですし、使っている時間からお分かりのように、所謂研究書ではありません。あくまでも概説書、「アホにも判る日本オペラ史」って感じのもんです。参考資料も、関係者の皆様なら誰でもご存じの諸先生のあの本この本から果ては大学院修士論文まで手当たり次第に使っていて、ホントはきっちり挙げねばならないでしょうが、最終的に編集部判断でそうはしておりません。あくまでもガイドブック、ってこと。だから、特に新しい見解があるわけでもありませんです。はい。
とはいえ、もの凄くでっかい労作なら定番の書籍があるけど、この類の手頃なものはありそうでなかった。過去には音楽雑誌の特集号である程度まとまったコンパクトな記述があったくらいなですね。その意味では、本来ならばそもそも初台に新国立劇場が出来たときにこういうものがきちんと存在しているべきであった。10数年経ってやっと基本的なガイドがあがってきた、ってことでんなぁ。
個人的には、大いに残念ないくつかの課題が残ってしまった仕事でもありました。
ひとつは、戦前の演奏会形式オペラ上演の記録をほぼ全面的にカットせざるを得なかったこと。このジャンルは実は資料もいっぱいあり、いろんな記録が残っているんですけど、もう完全に紙面の都合です。入れるスペースがなかった。
もうひとつは、戦前の様々なオペラ上演模索の中で、ある意味で趣味的に動いていた何人かの個人のプロデュースの試みに全く配慮していないこと。結果として成果を上げなかったんだから別によかろう、という意見はあるでしょうけど、やっぱり「御上や今も続いているオペラ団の他にも様々な試みがあった」という事実は記録しておきたかったですねぇ。
最も残念なのは、大日本帝国植民地や併合された朝鮮半島でのオペラ活動についてまるで記述できなかったこと。これはもう、ひとえに力不足です。上海の日本租界ではオペラといえるような活動はなかったようだが(とはいえ半分はユダヤ人街だったわけだしなぁ)、京城では確実に音楽活動もオペラ活動もあった。台北も同じでしょう。その辺りがどうだったのか。特殊すぎる関心かもしれませんけど、実際に1943年だかに京城のオペラ団が東京公演をやってるわけだし、なによりも21世紀の今やソウルはアジア最大のオペラ都市なわけで、そういう事実との歴史的な直接のつながりはないならないで、きちんと記述はしたかったなぁ。これは次の世代の仕事だろうなぁ。
他にも関西圏が宝塚少女歌劇しかまともな記述がないとか、言い出せばいろいろ残念なことはあるが、まあ、このくらいでお許しを。
なおこの冊子、売るかどうかわからない、関係者に配るだけ、という話だったんですけど、どうやら500円也で売ることが決まったようです。どこでどう売るのか、全然、知りません。ご関心の向きは、連休明けくらいに初台のチケットブースのおねーさんにお尋ね下さいませ。
いろいろ作業にご協力下さった皆様、何より編集者のSさん、有り難うございました。

なんのことはない、当電子壁新聞を立ち読みにいらしてる方は察してらっしゃる通り、1月から2月にかけて関西行ったり初台の資料室に潜り込んだりしてた調べ物がこれです。題名だけからすると話がでかすぎてなんだか全然中身が判らぬ冊子ですが、副題は「海外からの受容と日本オペラの進化」となっており、ぶっちゃけ、「B5版100ページちょっとでつるっと判る、日本国150年の西洋型オペラの受容史」であります。出してるのは新国立劇場情報センター。評論家の山田治夫先生が1945年以降、小生がそれより前を担当させていただきました。
ま、新書1冊程度の大きさですし、使っている時間からお分かりのように、所謂研究書ではありません。あくまでも概説書、「アホにも判る日本オペラ史」って感じのもんです。参考資料も、関係者の皆様なら誰でもご存じの諸先生のあの本この本から果ては大学院修士論文まで手当たり次第に使っていて、ホントはきっちり挙げねばならないでしょうが、最終的に編集部判断でそうはしておりません。あくまでもガイドブック、ってこと。だから、特に新しい見解があるわけでもありませんです。はい。
とはいえ、もの凄くでっかい労作なら定番の書籍があるけど、この類の手頃なものはありそうでなかった。過去には音楽雑誌の特集号である程度まとまったコンパクトな記述があったくらいなですね。その意味では、本来ならばそもそも初台に新国立劇場が出来たときにこういうものがきちんと存在しているべきであった。10数年経ってやっと基本的なガイドがあがってきた、ってことでんなぁ。
個人的には、大いに残念ないくつかの課題が残ってしまった仕事でもありました。
ひとつは、戦前の演奏会形式オペラ上演の記録をほぼ全面的にカットせざるを得なかったこと。このジャンルは実は資料もいっぱいあり、いろんな記録が残っているんですけど、もう完全に紙面の都合です。入れるスペースがなかった。
もうひとつは、戦前の様々なオペラ上演模索の中で、ある意味で趣味的に動いていた何人かの個人のプロデュースの試みに全く配慮していないこと。結果として成果を上げなかったんだから別によかろう、という意見はあるでしょうけど、やっぱり「御上や今も続いているオペラ団の他にも様々な試みがあった」という事実は記録しておきたかったですねぇ。
最も残念なのは、大日本帝国植民地や併合された朝鮮半島でのオペラ活動についてまるで記述できなかったこと。これはもう、ひとえに力不足です。上海の日本租界ではオペラといえるような活動はなかったようだが(とはいえ半分はユダヤ人街だったわけだしなぁ)、京城では確実に音楽活動もオペラ活動もあった。台北も同じでしょう。その辺りがどうだったのか。特殊すぎる関心かもしれませんけど、実際に1943年だかに京城のオペラ団が東京公演をやってるわけだし、なによりも21世紀の今やソウルはアジア最大のオペラ都市なわけで、そういう事実との歴史的な直接のつながりはないならないで、きちんと記述はしたかったなぁ。これは次の世代の仕事だろうなぁ。
他にも関西圏が宝塚少女歌劇しかまともな記述がないとか、言い出せばいろいろ残念なことはあるが、まあ、このくらいでお許しを。
なおこの冊子、売るかどうかわからない、関係者に配るだけ、という話だったんですけど、どうやら500円也で売ることが決まったようです。どこでどう売るのか、全然、知りません。ご関心の向きは、連休明けくらいに初台のチケットブースのおねーさんにお尋ね下さいませ。
いろいろ作業にご協力下さった皆様、何より編集者のSさん、有り難うございました。
パリの楽師たち [たびの空]
本日、これから5日ぶりの外出で医者に行き、OKが出れば厄天庵監禁が解かれます。いやはや、な日々であった、と言いたいところだが、何よりストレスが溜まるのは義母が眺めるワイドショーを見物することだったなぁ。東電の被害者面とか、我等がイシハラ都知事のやるべきことだけはやらずどーでもいい総理大臣ごっこに舞い上がってる様子とか、それはそれでもうそんなもんだとしか思わぬから良いけれど…毎朝あれだけの人々を集めて突っ込みどころ満点の床屋の与太話を公共の電波で垂れ流してていいんだろーかね。双方向性テレビ機能ってのはどうなってるんじゃ、視聴者が百万単位で突っ込みを入れてやればもっとショーとしても盛り上がるだろーに。
もとい。んで、本日からお仕事に復帰するにあたり(とはいえ、流石にまだ夜にブリティッシュ・カウンセルのシンポジウムに行くわけにはいきませんが)、そもそも今回のB型インフルエンザをどこで拾ったかをつらつら考えてみるのであるよ。
思えば先週の水曜日、パリから戻る日の午前中、もうなんとなく体調が悪く、奥さんや同居するようになった弟や母親へのお土産とか買わないとなぁ、でもかったるいなぁ、まあいいやぁ、となんにもしなかったわけで、いまから思うに、もうあのときにはウィルスは体に潜伏していたのであろーぞ。となると、やっぱり、あのときかなぁ、と思わんでもない瞬間がある。不特定多数の人がゴッソリ集まり、空気の流れがもの凄く悪いところで、しばらくじっとしていた、となると…シャトレ座、じゃあないです。地下鉄シャトレ駅の迷路のような通路。その一角になんのかんの、20分以上もぼーっと立ってた時間があったのでした。
ええ、パリ在住の方はよーくご存じの通り、パリの地下鉄のシャトレなにやら駅とか隣の市庁舎駅の辺りは、もう完全に地下の迷宮になってますね。東京ならば大手町駅をもっと酷くしたようなものでんがな。小生みたいな土地勘のない人間は、ともかく外に出てしまい外で迷え、わかんなくなったらセーヌの方にともかく行け、ってことになる。地下にはいないに超したことはない。
パリに到着した直後、せっかくだからちょっと地下鉄で出かけるか、とシャトレ座の横辺りから地下に入り、延々と黄色ラインの方に向かったわけです。そしたら、さして広くもない地下通路の交差点のひとつに、コントラバス出し始めてるにーちゃんがいる。なんじゃいと思って眺めていると、どんどん弦楽器がやってきて、あっという間に10数名の弦楽合奏になっちゃった。おおおお、こいつら、まさかここで始めるのかぁ、と呆れてしばらく眺めていたが、楽器出して弄り始めたもののノンビリおしゃべりなどしていて、弾き出す感じはない。ああそうですか、とホームに向かった。
延々と歩き、ホームに到着し、やってきた地下鉄に乗り込んだら、動きません。どーやら黄色線のどっかで事故で、しばらく動かないから、急ぐ奴は乗り換えろ、といってるよーだ。
ま、こちとらなんの用事があるでもない。へえそうかい、じゃあ、ってことで、同じ迷路を音のする方に戻り(なんせ細い地下チューブなので、弦楽合奏規模を鳴らし立てれば、遠くでやっててもかなり良く聞こえる)、さっき集まり始めてたパリ地下鉄弦楽合奏団を見物に戻ったわけですよ。たら、こんなことになってる。ほれ。
地下鉄の狭いくらい通路を勝手に占拠し(許可なんて取ってるわけないわなぁ)、弦楽合奏団が演奏してる。写真の真ん中の女の子は立ち止まって聴き始めた人々のところに寄っていって、手持ちのCDを売ってる。無論、投げ銭でも結構ですけど。
演奏してるのは、頭が東欧系のオバチャンで、後ろにはアジア系のおねーさんがたくさん(知ってる顔でもあったらどーしよーとドキドキでした)。弾いてるのはまあ、こういうところなんだからやたらとテンポを煽ってリズムをがんがんに強調したモーツァルトのアイネクとか、定番のハンガリー舞曲第5番とか。コントラバスは一応、2本います。で、なぜか、ヴィオラが1本しかいないのが妙。チェンバロの類はありません。これが一瞬、誰も目の前にいなくなったときに捉えたパリ地下鉄弦楽合奏団の勇士だっ。ごらんのように、全曲、暗譜!だから偉いとは、あたしゃ言わんが。
てなわけで、なんのかんの、20分近く、冷たい地下道に背をもたれて、人いきれの酷い空気の中で眺めていた。こりゃあインフルエンザも拾うわね。
せっかくなので、どんな音がしていたか、貼り付けちゃいましょ。かなりデータはデカイので、拾えなかった方はスイマセン。まるまる1楽章。無論、管楽器なしでやってます。へええ、こんな使い方出来る曲だったんだなぁ。
この曲を終えると、まねーじゃーねーちゃんがおもむろにチェロ君と入れ替わり、そっからは自分が弾き始めましたとさ。おお、チェロちゃんが売り子さん担当だったのね。
で、新たに売り子さん役になったチェロ君に、尋ねました。「2ユーロあげるからひとつ質問に応えてくれたまえ。なんで君たちの合奏団はヴィオラがひとりなのだね?」
そしたらチェロ君、応えて曰く、「おお、田舎者の君は知らないのだろーが、パリにはヴィオラが少ないのさ!」
以上、ヴィオラで職のない奴はパリに行け、というお話でした。←嘘
ふう、こんな駄文を書くだけで普段の3倍くらい時間がかかってしまった。やっぱりまだまだ全面復帰は遠い。
医者から監禁状態の解除がOKと宣言されました。流石に今日、のこのこと外堀には行きませんし、一度キャンセルした明日のインタビューを引き受けるわけにはいきませんけど、明日の晩の溜池にカセッラなんぞの見物には行くつもりです。ご用の方は、明日の溜池のロビーで。ああ、田舎町佃の大気のなんとかぐわしきことかっつ。
もとい。んで、本日からお仕事に復帰するにあたり(とはいえ、流石にまだ夜にブリティッシュ・カウンセルのシンポジウムに行くわけにはいきませんが)、そもそも今回のB型インフルエンザをどこで拾ったかをつらつら考えてみるのであるよ。
思えば先週の水曜日、パリから戻る日の午前中、もうなんとなく体調が悪く、奥さんや同居するようになった弟や母親へのお土産とか買わないとなぁ、でもかったるいなぁ、まあいいやぁ、となんにもしなかったわけで、いまから思うに、もうあのときにはウィルスは体に潜伏していたのであろーぞ。となると、やっぱり、あのときかなぁ、と思わんでもない瞬間がある。不特定多数の人がゴッソリ集まり、空気の流れがもの凄く悪いところで、しばらくじっとしていた、となると…シャトレ座、じゃあないです。地下鉄シャトレ駅の迷路のような通路。その一角になんのかんの、20分以上もぼーっと立ってた時間があったのでした。
ええ、パリ在住の方はよーくご存じの通り、パリの地下鉄のシャトレなにやら駅とか隣の市庁舎駅の辺りは、もう完全に地下の迷宮になってますね。東京ならば大手町駅をもっと酷くしたようなものでんがな。小生みたいな土地勘のない人間は、ともかく外に出てしまい外で迷え、わかんなくなったらセーヌの方にともかく行け、ってことになる。地下にはいないに超したことはない。
パリに到着した直後、せっかくだからちょっと地下鉄で出かけるか、とシャトレ座の横辺りから地下に入り、延々と黄色ラインの方に向かったわけです。そしたら、さして広くもない地下通路の交差点のひとつに、コントラバス出し始めてるにーちゃんがいる。なんじゃいと思って眺めていると、どんどん弦楽器がやってきて、あっという間に10数名の弦楽合奏になっちゃった。おおおお、こいつら、まさかここで始めるのかぁ、と呆れてしばらく眺めていたが、楽器出して弄り始めたもののノンビリおしゃべりなどしていて、弾き出す感じはない。ああそうですか、とホームに向かった。
延々と歩き、ホームに到着し、やってきた地下鉄に乗り込んだら、動きません。どーやら黄色線のどっかで事故で、しばらく動かないから、急ぐ奴は乗り換えろ、といってるよーだ。
ま、こちとらなんの用事があるでもない。へえそうかい、じゃあ、ってことで、同じ迷路を音のする方に戻り(なんせ細い地下チューブなので、弦楽合奏規模を鳴らし立てれば、遠くでやっててもかなり良く聞こえる)、さっき集まり始めてたパリ地下鉄弦楽合奏団を見物に戻ったわけですよ。たら、こんなことになってる。ほれ。
演奏してるのは、頭が東欧系のオバチャンで、後ろにはアジア系のおねーさんがたくさん(知ってる顔でもあったらどーしよーとドキドキでした)。弾いてるのはまあ、こういうところなんだからやたらとテンポを煽ってリズムをがんがんに強調したモーツァルトのアイネクとか、定番のハンガリー舞曲第5番とか。コントラバスは一応、2本います。で、なぜか、ヴィオラが1本しかいないのが妙。チェンバロの類はありません。これが一瞬、誰も目の前にいなくなったときに捉えたパリ地下鉄弦楽合奏団の勇士だっ。ごらんのように、全曲、暗譜!だから偉いとは、あたしゃ言わんが。
せっかくなので、どんな音がしていたか、貼り付けちゃいましょ。かなりデータはデカイので、拾えなかった方はスイマセン。まるまる1楽章。無論、管楽器なしでやってます。へええ、こんな使い方出来る曲だったんだなぁ。
で、新たに売り子さん役になったチェロ君に、尋ねました。「2ユーロあげるからひとつ質問に応えてくれたまえ。なんで君たちの合奏団はヴィオラがひとりなのだね?」
そしたらチェロ君、応えて曰く、「おお、田舎者の君は知らないのだろーが、パリにはヴィオラが少ないのさ!」
以上、ヴィオラで職のない奴はパリに行け、というお話でした。←嘘
ふう、こんな駄文を書くだけで普段の3倍くらい時間がかかってしまった。やっぱりまだまだ全面復帰は遠い。
追記
医者から監禁状態の解除がOKと宣言されました。流石に今日、のこのこと外堀には行きませんし、一度キャンセルした明日のインタビューを引き受けるわけにはいきませんけど、明日の晩の溜池にカセッラなんぞの見物には行くつもりです。ご用の方は、明日の溜池のロビーで。ああ、田舎町佃の大気のなんとかぐわしきことかっつ。
お詫び:39度下がらず [お詫びと訂正]
すいませ、パリの辺りから調子悪かったんだけど、ともかく戻った翌日に西村さんと喋るという仕事があったため、シベリア上空を徹夜で勉強し、結果として昨日は39度の高熱を発していることが判明。お前は来るな、ということになってしまいました。アホです。
で、当然ながら、昨日の準備のために本日〆切りの原稿は本日やる予定だったのですが、今朝になっても熱が下がらず、これはいよいよ医者に行くしかないということなのだが、おお、保険証が新しくなっていて、オフィスのどっかにある筈だが、送られてきたのが出国前日で、どこに置いたか記憶がない。日本円は300円くらいしかもってない。
てなわけで、関係者の皆々様、出来るだけの無理はしますが、し切れなかったらゴメン。原稿は頭の中では出来てるんだが、ともかく、立っていられない。これ叩き込むのもやっと。無論、今日、ケレマン君に掲載誌を持ってくことも出来ない。ヤバイなぁ。
てなわけで、お詫びでありました。
B型インフルエンザでした。で、特効薬貰い、昨晩から飲み、熱は下がりました。とはいえ、まだ咳が残っています。18日まで外出禁止令が出ていますので、社会復帰は20日のいずみホール東京記者会見からになるんじゃないかと思います。以降もしばらくの間は、街であたくしめに出会っても、「おおおお、やくぺんくーん」と叫んで情熱的に抱きつきべーぜぶっちゅん、なんて真似は間違ってもなさらないようにしてくださいっ!皆々様にはご迷惑かけますでありまする。いやはや。
で、当然ながら、昨日の準備のために本日〆切りの原稿は本日やる予定だったのですが、今朝になっても熱が下がらず、これはいよいよ医者に行くしかないということなのだが、おお、保険証が新しくなっていて、オフィスのどっかにある筈だが、送られてきたのが出国前日で、どこに置いたか記憶がない。日本円は300円くらいしかもってない。
てなわけで、関係者の皆々様、出来るだけの無理はしますが、し切れなかったらゴメン。原稿は頭の中では出来てるんだが、ともかく、立っていられない。これ叩き込むのもやっと。無論、今日、ケレマン君に掲載誌を持ってくことも出来ない。ヤバイなぁ。
てなわけで、お詫びでありました。
追記
B型インフルエンザでした。で、特効薬貰い、昨晩から飲み、熱は下がりました。とはいえ、まだ咳が残っています。18日まで外出禁止令が出ていますので、社会復帰は20日のいずみホール東京記者会見からになるんじゃないかと思います。以降もしばらくの間は、街であたくしめに出会っても、「おおおお、やくぺんくーん」と叫んで情熱的に抱きつきべーぜぶっちゅん、なんて真似は間違ってもなさらないようにしてくださいっ!皆々様にはご迷惑かけますでありまする。いやはや。
必見の「中国のニクソン」 [現代音楽]
ロンドン大会が終わったあとも、さっさと東京湾岸に戻らずに欧州ウロウロしていた目的、パリのシャトレ座が新制作した「中国のニクソン」初日が昨晩出ました。
それまでの間の1週間ほど、せっかくのチャンスだからと、去る2月に原稿を納入し、この旅に出る前に校正も済ませ、恐らくはもう形になっているであろう筈の新国立劇場製作『日本のオペラ史』だかいう小冊子で、小生がたまたま担当させていただいた辺りにヨーロッパで書かれていた作品を集中的に眺めて回ることにしたわけです。いやぁ、飛行機の貧乏人席でいつも一緒になる「ヨーロッパ1週間名所巡りの旅」などに参加しているおじちゃんおばちゃん達は、こんなにきっつい日程をやってるのだなぁ。今更ながらに尊敬の眼差しでありますよ。ご高齢の方が多いだろうに、よくまあ倒れずにまわってるもんだ。そのパワーを日本の社会のため、せめて町内会のために、使っていただけまいかね。
んで、昨晩の「中国のニクソン」です。
細かく語り始めると飛行機がドゴール空港を出るまでの間でもずっと綴っていられるんだが、まさかそういうわけにもいかん。外はパリだぞ!200メートル歩いたらシテ島だぞ。400メートル歩いたらポンピドー・センターだぞ!2キロ歩いたらバスチーユ・オペラだぞ!目の前はシャトレ座だぞっ!せめてシャンゼリゼのヴァージンかFNACには行かねば!
手短に言えば、パリ在住で、アメリカの現代オペラだし、どーしよーかなぁ、と迷っている方がいらっしゃいましたら、絶対に行きなさい。100ユーロ払っても損はない!ええ、あたしがほしょーしますっ!特に舞踏関係の方、行きなさい!
この数日山のように眺めてきた19世紀末から20世紀の傑作とされるオペラ作品のなかに並べても、この作品、全く遜色ないです。20世紀後半に書かれたオペラの中では、普通の意味でどんな人が観ても絶対にそれなりに楽しく、それなりに判りやすく、ちょっとモノを感じられる人ならいろいろ感じることが出来る。正直、「ルル」をもの凄く美味しい音楽と思ったり、「カルディアック」をすごくパワーがある曲だと思ったりするには、それなりにあの類のものを聴き込んでこないと厳しいだろーし、「パルシファル」のすみからすみまでを感動できる人なんてヴァーグナーご本人以外にはいないでしょう。そういう意味では、「中国のニクソン」が最も普遍的に受け入れられる作品かもしれない。これ、冗談で言ってるんじゃないよ。
昨晩だって、ミニマル音楽の最高の成果みたいな永遠に続く冷たい冬を感じさせる序奏で中国とアメリカの1960年代から70年代初めの状況を左右に並べて対比させ社会の違いを印象づける冒頭から、幕が開き巨大なブロックの壁の前で人民服の人々が太極拳をしながら人民主権を歌い、そこにエアフォース・ワンが到着し、ニクソンと奥さんが上からゴンドラで降りてきてタラップの上でニクソンのトレードマークの両手押っ広げVサインをやらかし聴衆の大爆笑を誘い、周恩来と舞い上がった会話をし、そしてあの「ニュースニュースニュース!」という名アリアに流れ込むまでのシークエンスは、オペラ書法としてはもう非の打ち所のない完成度の高さ。普通の理解力を持った大人(一晩の舞台に奥さん分と2人で200ユーロ也を払うつもりがあるくらいの人、ってこと)ならばどんな人にだってやってることの意味がわかるし、とりわけ昨晩の演出では思いっきりカリカルチャライズしたニクソンの演技が炸裂して、あああこれは政治コメディなんだなぁ、と客席には瞬時に理解出来る。ま、こんな売れそうもないオペラ、初日がガラガラだと困ると思ったか、明らかにシャトレ座が動員したらしい高校生が平土間の小生周辺にもいっぱい座ってて、彼ら彼女らに政治的な滑稽さが判ったかはちょっと疑問ですけど。
この演出キャストでスゴイのは、毛沢東でした。ともかく歌えるし、劇場の規模も丁度良い。毛沢東がハイテノールでなければならない理由がよーくわかったです。
オペラという演劇は、20世紀後半以降に真面目に扱おうとすると、どうしてもどこか非現実的でシュールなことになる。だって、人が歌って会話するんだもんね。その違和感を逆手に、もっともあり得ないテノールの甲高い大声で訳の分からないことを言い立てると、この人はなんか化け物じみたとんでもない奴なんだ、と嫌でも感じられる。それに対し、ありきたりな政治言葉を使って対応しようと必死なバリトンのニクソンの小者さというか、しがない三流職業政治家っぽさが、もの凄く対比されてきます。この毛沢東のキチガイじみた高い声の素っ頓狂な発言は、2幕の江青のコロラトゥーラ大アリアと共通するものがあるってことも、よーく判った。
昨年、メトとトロントで続けて出た演出でも、ここまで毛沢東のキチガイっぷりははっきり描かれてはいませんでした(思えば、もうちょっと慎重な扱いだったなぁ)。そこんとこが明快に出てこないと、第3幕の「首席は踊る」のところとの落差っぷりが判らなくなってしまう。その意味で、大成功のキャスト。
もうひとつの成功は、舞踏です。江青のバレエに対しては、過去の演出は「オリジナルのバレエが中国ではまだ盛んの上演されているのだから、あんまりそっちに似せちゃうのは拙いだろーなー」という気遣いというか、怯みがあったですね。でも今回、中国出身の演出家さんが初めて手がけたこの舞台では、あのバレエの独特の語法たるライフル踊りとかをもう素直に取り入れて、東洋系を揃えた舞踏家のアクロバティックなまでの能力との高さとともに、圧倒的でした。眠そうにしてた周囲の高校生も大喜び。流石にオペラの半分はバレエと思ってるフランスだけありますっ!メタとして絡んでくるニクソン夫妻の演技も自然に処理できていたし。このバレエシーンを観るだけでも価値がありますよ。
で、問題の演出の難所、第3幕ですけど、敢えて寝室にはしていませんでした。巨大な毛沢東像(あんなもの世の中に存在しないぞ、まるで平壌の金日成像みたいなもんです)を建設中の前で、それぞれのキャストがバラバラに絡んでいく。特に仕掛けがあるわけでもなく、細かい演技で内面を現してく。毛夫妻の若き頃の思い出は、「革命は子供の遊び」という言葉に重くつながっていく。そしてニクソンの南太平洋での戦時中の苦い思い出は、「普通の人が政治家になって、票を求めるための支離滅裂な行動が結果として歴史を動かすことになってしまう」という現代日本に至る民主主義の滑稽さを皮肉になることなく感じさせることになる。で、中国四千年の歴史の深さをひとりで背負い達観した仙人的な立ち位置の周恩来の言葉で全てが消えていく、っていう作品の構成が素直に見えていた。へんなことをなんにもせずに、ただ、まともに細かくキャラクター処理をするだけで観せていた。
そう観ると、このオペラ、なんに似てるって、「ドン・カルロ」にそっくりなんだわさ。ドン・カルロのアホっぽさ、軽さはニクソンにそっくりだもん。フェリーポ2世の苦悩って、ある種、周恩来なわけだし、毛沢東は大祭司だしね。
いやぁ、この作品はホントに傑作だ、と改めて思わせてもらいました。どんな聴衆にも受け入れられる要素をここまで見事に織り込んでるんだなぁ、って。
シャトレ座の「中国のニクソン」、必見です。偉いぞ、スタッフ!
ひとつだけ問題があるとすれば、期待していたスミ・ヨーの江青夫人なんだけど…まあ2幕と3幕を続けてやる演出で、3幕のアンサンブル重視だとすれば、あのくらいにしておくのが限界なのかなぁ。オケがスミ・ヨーに合わせて押さえてて、トロントでのパブロ=ヘラス・カサドの大盛り上げには遠く及ばなかった(その分、3幕での毛夫妻のデュエットがもの凄く立派だった)。2幕最後に文化大革命大騒動大盛り上がりを期待すると、ちょっとはぐらかされるかも。あくまでも「音楽的に」ですけど。
さあ皆さん、シャトレ座のボックスオフィスにGO!次に観られるのは6月のサンフランシスコかぁ。数年前にヴァンクーバーで出てとても評価が高かったという演出の再演で、最大の目玉は世界で最もいっぱい「ドクター・アトミック」を振ってる先輩ワールトを継ぎアダムス作品の専門家になってるローレンス・レネス君が棒を振ること。これはもう必見でしょう。ちょっと小屋がでかすぎるのが残念だけど。
それまでの間の1週間ほど、せっかくのチャンスだからと、去る2月に原稿を納入し、この旅に出る前に校正も済ませ、恐らくはもう形になっているであろう筈の新国立劇場製作『日本のオペラ史』だかいう小冊子で、小生がたまたま担当させていただいた辺りにヨーロッパで書かれていた作品を集中的に眺めて回ることにしたわけです。いやぁ、飛行機の貧乏人席でいつも一緒になる「ヨーロッパ1週間名所巡りの旅」などに参加しているおじちゃんおばちゃん達は、こんなにきっつい日程をやってるのだなぁ。今更ながらに尊敬の眼差しでありますよ。ご高齢の方が多いだろうに、よくまあ倒れずにまわってるもんだ。そのパワーを日本の社会のため、せめて町内会のために、使っていただけまいかね。
んで、昨晩の「中国のニクソン」です。
手短に言えば、パリ在住で、アメリカの現代オペラだし、どーしよーかなぁ、と迷っている方がいらっしゃいましたら、絶対に行きなさい。100ユーロ払っても損はない!ええ、あたしがほしょーしますっ!特に舞踏関係の方、行きなさい!
この数日山のように眺めてきた19世紀末から20世紀の傑作とされるオペラ作品のなかに並べても、この作品、全く遜色ないです。20世紀後半に書かれたオペラの中では、普通の意味でどんな人が観ても絶対にそれなりに楽しく、それなりに判りやすく、ちょっとモノを感じられる人ならいろいろ感じることが出来る。正直、「ルル」をもの凄く美味しい音楽と思ったり、「カルディアック」をすごくパワーがある曲だと思ったりするには、それなりにあの類のものを聴き込んでこないと厳しいだろーし、「パルシファル」のすみからすみまでを感動できる人なんてヴァーグナーご本人以外にはいないでしょう。そういう意味では、「中国のニクソン」が最も普遍的に受け入れられる作品かもしれない。これ、冗談で言ってるんじゃないよ。
昨晩だって、ミニマル音楽の最高の成果みたいな永遠に続く冷たい冬を感じさせる序奏で中国とアメリカの1960年代から70年代初めの状況を左右に並べて対比させ社会の違いを印象づける冒頭から、幕が開き巨大なブロックの壁の前で人民服の人々が太極拳をしながら人民主権を歌い、そこにエアフォース・ワンが到着し、ニクソンと奥さんが上からゴンドラで降りてきてタラップの上でニクソンのトレードマークの両手押っ広げVサインをやらかし聴衆の大爆笑を誘い、周恩来と舞い上がった会話をし、そしてあの「ニュースニュースニュース!」という名アリアに流れ込むまでのシークエンスは、オペラ書法としてはもう非の打ち所のない完成度の高さ。普通の理解力を持った大人(一晩の舞台に奥さん分と2人で200ユーロ也を払うつもりがあるくらいの人、ってこと)ならばどんな人にだってやってることの意味がわかるし、とりわけ昨晩の演出では思いっきりカリカルチャライズしたニクソンの演技が炸裂して、あああこれは政治コメディなんだなぁ、と客席には瞬時に理解出来る。ま、こんな売れそうもないオペラ、初日がガラガラだと困ると思ったか、明らかにシャトレ座が動員したらしい高校生が平土間の小生周辺にもいっぱい座ってて、彼ら彼女らに政治的な滑稽さが判ったかはちょっと疑問ですけど。
この演出キャストでスゴイのは、毛沢東でした。ともかく歌えるし、劇場の規模も丁度良い。毛沢東がハイテノールでなければならない理由がよーくわかったです。
オペラという演劇は、20世紀後半以降に真面目に扱おうとすると、どうしてもどこか非現実的でシュールなことになる。だって、人が歌って会話するんだもんね。その違和感を逆手に、もっともあり得ないテノールの甲高い大声で訳の分からないことを言い立てると、この人はなんか化け物じみたとんでもない奴なんだ、と嫌でも感じられる。それに対し、ありきたりな政治言葉を使って対応しようと必死なバリトンのニクソンの小者さというか、しがない三流職業政治家っぽさが、もの凄く対比されてきます。この毛沢東のキチガイじみた高い声の素っ頓狂な発言は、2幕の江青のコロラトゥーラ大アリアと共通するものがあるってことも、よーく判った。
昨年、メトとトロントで続けて出た演出でも、ここまで毛沢東のキチガイっぷりははっきり描かれてはいませんでした(思えば、もうちょっと慎重な扱いだったなぁ)。そこんとこが明快に出てこないと、第3幕の「首席は踊る」のところとの落差っぷりが判らなくなってしまう。その意味で、大成功のキャスト。
もうひとつの成功は、舞踏です。江青のバレエに対しては、過去の演出は「オリジナルのバレエが中国ではまだ盛んの上演されているのだから、あんまりそっちに似せちゃうのは拙いだろーなー」という気遣いというか、怯みがあったですね。でも今回、中国出身の演出家さんが初めて手がけたこの舞台では、あのバレエの独特の語法たるライフル踊りとかをもう素直に取り入れて、東洋系を揃えた舞踏家のアクロバティックなまでの能力との高さとともに、圧倒的でした。眠そうにしてた周囲の高校生も大喜び。流石にオペラの半分はバレエと思ってるフランスだけありますっ!メタとして絡んでくるニクソン夫妻の演技も自然に処理できていたし。このバレエシーンを観るだけでも価値がありますよ。
で、問題の演出の難所、第3幕ですけど、敢えて寝室にはしていませんでした。巨大な毛沢東像(あんなもの世の中に存在しないぞ、まるで平壌の金日成像みたいなもんです)を建設中の前で、それぞれのキャストがバラバラに絡んでいく。特に仕掛けがあるわけでもなく、細かい演技で内面を現してく。毛夫妻の若き頃の思い出は、「革命は子供の遊び」という言葉に重くつながっていく。そしてニクソンの南太平洋での戦時中の苦い思い出は、「普通の人が政治家になって、票を求めるための支離滅裂な行動が結果として歴史を動かすことになってしまう」という現代日本に至る民主主義の滑稽さを皮肉になることなく感じさせることになる。で、中国四千年の歴史の深さをひとりで背負い達観した仙人的な立ち位置の周恩来の言葉で全てが消えていく、っていう作品の構成が素直に見えていた。へんなことをなんにもせずに、ただ、まともに細かくキャラクター処理をするだけで観せていた。
そう観ると、このオペラ、なんに似てるって、「ドン・カルロ」にそっくりなんだわさ。ドン・カルロのアホっぽさ、軽さはニクソンにそっくりだもん。フェリーポ2世の苦悩って、ある種、周恩来なわけだし、毛沢東は大祭司だしね。
いやぁ、この作品はホントに傑作だ、と改めて思わせてもらいました。どんな聴衆にも受け入れられる要素をここまで見事に織り込んでるんだなぁ、って。
シャトレ座の「中国のニクソン」、必見です。偉いぞ、スタッフ!
さあ皆さん、シャトレ座のボックスオフィスにGO!次に観られるのは6月のサンフランシスコかぁ。数年前にヴァンクーバーで出てとても評価が高かったという演出の再演で、最大の目玉は世界で最もいっぱい「ドクター・アトミック」を振ってる先輩ワールトを継ぎアダムス作品の専門家になってるローレンス・レネス君が棒を振ること。これはもう必見でしょう。ちょっと小屋がでかすぎるのが残念だけど。
「ルル」第3幕新版世界初演 [現代音楽]
アルバン・ベルクの話で「現代音楽」ってのもなんだろなぁ、と思われるかもしれませんが、一応、新作という面もあるので。
さて、先月末にベルリンのイースター芸術祭の目玉演目として上演されたベルリン国立歌劇場新製作の「ルル」、これ、相当に突拍子もないものでした。日本のアルバン・ベルク協会関係者の皆さんなんかはよーくご存じだったのかもしれないけど、世間では殆ど話題にのなってなかったし、実を申しますと、小生も最終目的地を前にミュンヘンからベルリンへとまた北上したのは、なによりも「わああい、史上空前の美人のルルが見物できるぞぉ!」というお下品な理由に拠るものであったことを正直に告白しておきましょうぞ。
とはいえね、「フィガロの結婚」やら「薔薇の騎士」と並び猛烈に演劇性の強い作品で、タイトルロールが絶世の美女じゃないと他がどんなに素晴らしくても舞台としての説得力が皆無、というなんとも困った、ある意味、普通に舞台に上がっている古今東西の傑作オペラの中で最も上演至難の作品のひとつなのだからさ。貴方だって、モデルさんクラスの美人さんがちゃんとルルを歌うというだけでも、もー観たいでしょ。嘘だと思うなら、mojca erdmannってググってご覧なさい。この欧ファッション雑誌風の綺麗系女子がホントにコロラトゥーラ・ソプラノなのかいな、って驚くでしょうから。この巨大垂れ幕の人。ホントにそのままで、実物はもっと可愛い系でした。
んなわけで、いそいそとシラー劇場(今、リンデン通りのオペラハウスは改装中で、ここがバレンボイム御大のカンパニーの本拠地となってます)に向かった訳ですが…えええ、恥ずかしながら、時間を間違えてて、遅刻しました。5時開演と思ってたら、4時でした。電車の中で発見し、ヤバイこれじゃあ駆け込みだぁ、と思ったら祭日でベルリン東駅近辺で路線工事やってて徐行運転、結局、間に合わず、劇場に15分遅れで到着。可哀想に思ったもぎりのおにーちゃんがサムソンのモニターの前に椅子を引っ張ってきてくれて、音をでかくしてくれて、1幕はテレビで見物することになった次第。いやはや。とはいえ、そんなアホな状況で眺めるだけでも、やっぱり1幕の2場から3場の転換音楽は美味しいなぁ。この世で最も甘美な音楽のひとつだなぁ。後半は無事に席について見物出来ました。
ああ、可哀想なやくぺん先生、と心ある方は思って下さるかもしれませぬが、いえいえ、その気持ちには及びませぬ。この舞台、最大の山場は後半、ってか、最後の30分にあったのであります。
そもそもテレビ画面で眺めていたときから、「ルル」としてはあり得ない程に抽象的な演出じゃないか、と訝しく思ってたですよ。
なんせ、登場人物はゲシュウィッツと少年以外は、女性はみんな銀メラのワンピースで、男性は灰色のジャケット。小さな画面ではシェーン博士とアルヴァの違いすら判らぬ有様。この劇場、ムスバッハ演出の「モーセとアロン」で舞台上の登場人物の誰が誰だか全く判らぬというもの凄いことをやってるけど、あそこまでいかないにせよ、かなりあれに近い印象。ルルも殆ど棒立ちで前後するだけだし、ボクサーや不良少年なんてずっと表現主義パントマイムみたいなことしてる。歌手以外にもいろんな人が舞台の上で抽象的だか具体的だがギリギリの動きをあれやこれやしている。これじゃあ3幕1場のパリのシーンなんてどーするんじゃ、と心配になる程でした。
眺めていて、そういえば遅刻した小生にいろいろしてくれたおにーちゃんが、「3幕が30分くらいなので、後半は続けてやりますから休みは1回だけです」ってさりげなく言ってたじゃあないかい。ってことは、今時珍しい2幕版なのかいな、と思い始めた。あの場面がなければ、抽象寄りの演出で押し切ることも可能かもしれないなぁ、それにしてのスゴイ荒技だなぁ、ってね。
んで、予想通り、ルルの逮捕から脱獄までを映画で描けとベルクが指定している間奏部分に、映画はありません。ここ、演出家の腕の見せ所なんだが、綺麗さっぱり捨ててます。どこからどうやってルルがまた出てきたかもよく分からなかったほど。その先の2幕最後のアルヴァとルルの二重唱もなかなか盛り上がり(天が二物も三物も与えちゃったエルドマンさん、流石に声量には限界がありますけど)、第3幕になったら、なんとなんと、てか、やっぱり、ヴィーデキントが作曲したというあの間抜けな小唄が聴こえてくるではありませんか。ああああ懐かしの2幕版かぁ、とちょっと拍子抜けに感じていたら、おやおや、なんか妙だぞ。なんだこりゃ、こんなの知らんぞ、おいおいおい、なんだなんだ、チェルハ版の3幕1場だけをカットしてロンドンのシーンは全部やるんかい、ユニヴェルサールはそれ許してないんじゃないっけ。いや、違うぞ、なんだこりゃ、こんなの知らん!!
そんなこんな、ルル一味がロンドンで全滅する部分はしっかりやってる。だけど、そもそも響きが薄くなってるこの部分なのにうんと分厚い響きになったり、かと思うと手回しオルガン風の音だけになってみたり、オーケストレーションが全然違ってるんですわ。
いちばん吃驚したのは、ルルが殺されるところ。そもそもこの演出、ルルはシェーンを事故じゃなくてはっきり自分の意志で真っ正面から撃ち殺してたんだけど、今度はなんにも抵抗せずに火を付けられて殺されてるのも驚き。輪をかけて驚愕だったのは、断末魔を歌うのがルルじゃなくてゲシュウィッツになってる!結局、切り裂きジャック(じゃなくて、これじゃ放火魔ジャックだが)はゲシュウィッツを殺さず、どうも彼女は生き延びたみたいだった。へえええ。
終演後、吹っ飛んでプログラム売り場に行き、いつもは重くなるから買わないことにしているプログラムを買って、開いたら、「第3幕2場はダヴィッド・ロバート・コールマンの新オーケストレーション版による世界初演」とあるではないですかっ!そんなこと、チケット買ったときにはどこにも書いてなかったぞおおお!
帰りの地下鉄の中で、盛んにバレンボイムのテンポについて悪口を言ってる明らかに音楽学生らしい若いにーちゃんらがいたので、横から突っ込んで「あの演出って、なんなの」と尋ねたら、「プロローグと第3幕1場がないのは、数週間前に劇場のホームページで発表されていた。遠くから来て頂いたのに申し訳ありませんでした。(いや、君のせいじゃないよ)評価については、ボクはまだ新聞批評とか読んでないけど、もう出てると思いますよ」とのことでありました。
へええええプロローグもなかったのかぁ、それもトンデモないなぁ。でも、そうるすと、この作品の「喜劇」としての枠を外せるから、「自分の考えはなにもないすっからかんで綺麗だけだった女の悲劇」というとっても判りやすい展開が作れる。コールマンの最後の重厚なアダージョも、とても納得いく。言うならば、極めて「ヴォツェック」寄りの舞台になっている。それならバレンボイムにも出来るでしょ。なぁるほどねぇ。
結果としてたまたま「ルル」第3幕のコールマン版のデビューに立ち会ったわけで、いやああ良い物を観させて貰いました、と大いに納得したわけであります。
個人的には、この新版いけると思います。そもそも「ルル」の3幕1場は、「ベルク自身、この部分をうまく書けなくてあれこれ悩んでるうちに死んじゃったので、もしも生きていたらカットするか台本自体を変えたかもしれない」などと極論をする研究者もいる程ですから、別にチェルハが無能なんじゃない。この版ありきの抽象寄りの悲劇としての演出だったと考えれば、いろいろ納得も行く(って、前半は観てないんで、全体のことは言えないんだけどさ)。
恐らく、音はなんらかの形でメイジャーに出てくるでしょう(ユニヴェルサールともきちんと話をした上でやってることのようですので)。映像も、普通に考えれば出てくるキャストなんだが、どうなんだろうか。
以上、元日本アルバン・ベルク協会会員としては夢のような復活祭月曜日でしたとさ。前半は悪夢だったけどね。
それにしても、この版をきっかけに、「ルル」第3幕もマーラーの10番に近いことになるかもしれませんね。なにせオペラという劇場の都合が優先する楽譜だから、ユニヴェルサールが手綱を緩めれば次々と新しい演奏譜が出てくる可能性がある。特に3幕1場に関しては、もっとオーケストレーションを充実させちゃった楽譜を誰かが造るような気がするぞ。このコールマン版も、ラトルあたりがベルリンフィルかなんかでやりそうだし。いやぁ、「ルル」は生きてる作品だなぁ。
さて、先月末にベルリンのイースター芸術祭の目玉演目として上演されたベルリン国立歌劇場新製作の「ルル」、これ、相当に突拍子もないものでした。日本のアルバン・ベルク協会関係者の皆さんなんかはよーくご存じだったのかもしれないけど、世間では殆ど話題にのなってなかったし、実を申しますと、小生も最終目的地を前にミュンヘンからベルリンへとまた北上したのは、なによりも「わああい、史上空前の美人のルルが見物できるぞぉ!」というお下品な理由に拠るものであったことを正直に告白しておきましょうぞ。
とはいえね、「フィガロの結婚」やら「薔薇の騎士」と並び猛烈に演劇性の強い作品で、タイトルロールが絶世の美女じゃないと他がどんなに素晴らしくても舞台としての説得力が皆無、というなんとも困った、ある意味、普通に舞台に上がっている古今東西の傑作オペラの中で最も上演至難の作品のひとつなのだからさ。貴方だって、モデルさんクラスの美人さんがちゃんとルルを歌うというだけでも、もー観たいでしょ。嘘だと思うなら、mojca erdmannってググってご覧なさい。この欧ファッション雑誌風の綺麗系女子がホントにコロラトゥーラ・ソプラノなのかいな、って驚くでしょうから。この巨大垂れ幕の人。ホントにそのままで、実物はもっと可愛い系でした。
ああ、可哀想なやくぺん先生、と心ある方は思って下さるかもしれませぬが、いえいえ、その気持ちには及びませぬ。この舞台、最大の山場は後半、ってか、最後の30分にあったのであります。
そもそもテレビ画面で眺めていたときから、「ルル」としてはあり得ない程に抽象的な演出じゃないか、と訝しく思ってたですよ。
なんせ、登場人物はゲシュウィッツと少年以外は、女性はみんな銀メラのワンピースで、男性は灰色のジャケット。小さな画面ではシェーン博士とアルヴァの違いすら判らぬ有様。この劇場、ムスバッハ演出の「モーセとアロン」で舞台上の登場人物の誰が誰だか全く判らぬというもの凄いことをやってるけど、あそこまでいかないにせよ、かなりあれに近い印象。ルルも殆ど棒立ちで前後するだけだし、ボクサーや不良少年なんてずっと表現主義パントマイムみたいなことしてる。歌手以外にもいろんな人が舞台の上で抽象的だか具体的だがギリギリの動きをあれやこれやしている。これじゃあ3幕1場のパリのシーンなんてどーするんじゃ、と心配になる程でした。
眺めていて、そういえば遅刻した小生にいろいろしてくれたおにーちゃんが、「3幕が30分くらいなので、後半は続けてやりますから休みは1回だけです」ってさりげなく言ってたじゃあないかい。ってことは、今時珍しい2幕版なのかいな、と思い始めた。あの場面がなければ、抽象寄りの演出で押し切ることも可能かもしれないなぁ、それにしてのスゴイ荒技だなぁ、ってね。
んで、予想通り、ルルの逮捕から脱獄までを映画で描けとベルクが指定している間奏部分に、映画はありません。ここ、演出家の腕の見せ所なんだが、綺麗さっぱり捨ててます。どこからどうやってルルがまた出てきたかもよく分からなかったほど。その先の2幕最後のアルヴァとルルの二重唱もなかなか盛り上がり(天が二物も三物も与えちゃったエルドマンさん、流石に声量には限界がありますけど)、第3幕になったら、なんとなんと、てか、やっぱり、ヴィーデキントが作曲したというあの間抜けな小唄が聴こえてくるではありませんか。ああああ懐かしの2幕版かぁ、とちょっと拍子抜けに感じていたら、おやおや、なんか妙だぞ。なんだこりゃ、こんなの知らんぞ、おいおいおい、なんだなんだ、チェルハ版の3幕1場だけをカットしてロンドンのシーンは全部やるんかい、ユニヴェルサールはそれ許してないんじゃないっけ。いや、違うぞ、なんだこりゃ、こんなの知らん!!
そんなこんな、ルル一味がロンドンで全滅する部分はしっかりやってる。だけど、そもそも響きが薄くなってるこの部分なのにうんと分厚い響きになったり、かと思うと手回しオルガン風の音だけになってみたり、オーケストレーションが全然違ってるんですわ。
いちばん吃驚したのは、ルルが殺されるところ。そもそもこの演出、ルルはシェーンを事故じゃなくてはっきり自分の意志で真っ正面から撃ち殺してたんだけど、今度はなんにも抵抗せずに火を付けられて殺されてるのも驚き。輪をかけて驚愕だったのは、断末魔を歌うのがルルじゃなくてゲシュウィッツになってる!結局、切り裂きジャック(じゃなくて、これじゃ放火魔ジャックだが)はゲシュウィッツを殺さず、どうも彼女は生き延びたみたいだった。へえええ。
終演後、吹っ飛んでプログラム売り場に行き、いつもは重くなるから買わないことにしているプログラムを買って、開いたら、「第3幕2場はダヴィッド・ロバート・コールマンの新オーケストレーション版による世界初演」とあるではないですかっ!そんなこと、チケット買ったときにはどこにも書いてなかったぞおおお!
帰りの地下鉄の中で、盛んにバレンボイムのテンポについて悪口を言ってる明らかに音楽学生らしい若いにーちゃんらがいたので、横から突っ込んで「あの演出って、なんなの」と尋ねたら、「プロローグと第3幕1場がないのは、数週間前に劇場のホームページで発表されていた。遠くから来て頂いたのに申し訳ありませんでした。(いや、君のせいじゃないよ)評価については、ボクはまだ新聞批評とか読んでないけど、もう出てると思いますよ」とのことでありました。
へええええプロローグもなかったのかぁ、それもトンデモないなぁ。でも、そうるすと、この作品の「喜劇」としての枠を外せるから、「自分の考えはなにもないすっからかんで綺麗だけだった女の悲劇」というとっても判りやすい展開が作れる。コールマンの最後の重厚なアダージョも、とても納得いく。言うならば、極めて「ヴォツェック」寄りの舞台になっている。それならバレンボイムにも出来るでしょ。なぁるほどねぇ。
結果としてたまたま「ルル」第3幕のコールマン版のデビューに立ち会ったわけで、いやああ良い物を観させて貰いました、と大いに納得したわけであります。
個人的には、この新版いけると思います。そもそも「ルル」の3幕1場は、「ベルク自身、この部分をうまく書けなくてあれこれ悩んでるうちに死んじゃったので、もしも生きていたらカットするか台本自体を変えたかもしれない」などと極論をする研究者もいる程ですから、別にチェルハが無能なんじゃない。この版ありきの抽象寄りの悲劇としての演出だったと考えれば、いろいろ納得も行く(って、前半は観てないんで、全体のことは言えないんだけどさ)。
恐らく、音はなんらかの形でメイジャーに出てくるでしょう(ユニヴェルサールともきちんと話をした上でやってることのようですので)。映像も、普通に考えれば出てくるキャストなんだが、どうなんだろうか。
以上、元日本アルバン・ベルク協会会員としては夢のような復活祭月曜日でしたとさ。前半は悪夢だったけどね。
それにしても、この版をきっかけに、「ルル」第3幕もマーラーの10番に近いことになるかもしれませんね。なにせオペラという劇場の都合が優先する楽譜だから、ユニヴェルサールが手綱を緩めれば次々と新しい演奏譜が出てくる可能性がある。特に3幕1場に関しては、もっとオーケストレーションを充実させちゃった楽譜を誰かが造るような気がするぞ。このコールマン版も、ラトルあたりがベルリンフィルかなんかでやりそうだし。いやぁ、「ルル」は生きてる作品だなぁ。
最後のテーゲル&最後のシェーネフェルト [たびの空]
旧東ベルリンのシェーネフェルト空港を眺める駅前ホテルにいます。周囲はなーんにもありません。まるでアメリカの空港ホテルです。右手奥に見えるのが、使用開始直前の「ブランデンブルク空港」ターミナル。
明日のパリ・オルリー空港行き便がこっちからなんで、復活祭休暇明けの朝に市内の雑踏にデカイ荷物引っ張ってSバーン駅に行くのが嫌だったし、そもそも朝が早いので、今晩はここ。リンデン・オパーが改装中で、今はバレンボイム御大の劇場はドイツ・オペラから目と鼻の先のシラー劇場でやってるんで、ツォーの辺りに安宿に泊まるのがいちばん良いに決まってるんだけど、幸か不幸か今日は復活祭月曜日のお休みなので「ルル」は5時開演。ま、ここまで戻ってくるのも大丈夫だろう、と判断した次第。なんせ、明日はロンドンのコンクールが終わっても東京湾岸に戻らずにヨーロッパに居座っている最大の目的、「中国のニクソン」ですからねぇ。無茶は少しでも避けたい。って、今、ベルリンにいることが無茶だろうと言われれば、返す言葉もないが。
さても、先ほどミュンヘンから到着したのは、こっちじゃなくてテーゲル空港でした。市内側じゃなく、田舎の方向を向いてるのが残念だけど、こんな着陸直前風景。
シェーネフェルトに到着するLCCもあるのだが、やはりテーゲルに降りたかった。というのも、皆様ご存じのように、この東西分割の歴史に彩られた西ベルリンのメイン空港が、とうとう廃港になることが決まったから。次にヨーロッパをうろうろする予定があるのは9月のミュンヘン・コンクール前後なので、そのときにはもう、シェーネフェルトのターミナルを滑走路の反対側に移設拡大し、長大な平行滑走路も増やしたベルリン・ブランデンブルク空港なる巨大空港が、ベルリン地区唯一の空港になってしまっている(ホントはワールドカップに間に合う筈だったんだけどさ)。ほれ、テーゲル名物、ボーディングブリッジ出たら目の前にグルグル回ってる手荷物受け取りコンベア。こんなちっちゃい首都空港、世界のどこにもないぞ。

空港が廃港になるくらいでなんだ、と思うかもしれないけど、やっぱりテーゲルは特別でしょ。お年寄りのベルリン市民とすれば、数年前にテンペルホフ空港が廃止になったときに感じただろう時の移ろいを、我々の世代が感じられるのはやっぱりテーゲル。テンペルホフも数回利用したことがあって、流石にヒトラーの世界首都ゲルマニアの南空港として設計されただけあってスゴイものがあるなぁ、と思いはしたしたものの、ヨーロッパ近距離便だけで遙か極東の異邦人が思い入れを抱けるほど利用する場所ではなかった。既に歴史遺産だったわけですね。
でも、テーゲルは違う。わしらはまだ「西ベルリン」を知っているわけだし(若い人はしらんよ、どーだか)、90年代の戦後復興のようなベルリンの変化(まだやってるけど)を異邦人として眺めてきたわけだし、なによりも、やたらと利用している。ベルリンは鉄道で入ることも多いから、ツォー駅をICEが通過し、かつての中央駅が東駅になり、なんにもなかったところに新しい中央駅が生え、オストクロイツ駅発のドレスデン行きなんかがなくなり…列車駅の変化ももの凄く、それなりに感慨があるけどね。
かつて、ノースウェストとの関係でヨーロッパはいつもスキポールから入り、結果としてベルリンに到着するのはいつも夕方遅くで、アムステルダムからのちっちゃなフェローシップとかが大きく右に旋回し、左側の窓から電球色のオレンジ色が瞬く旧東地区、その向こうのテレビ塔と赤い教会、その向こうに広がるフィルハーモニーなんかがある西地区の公園が見えてくると、あああああ、べるりん・うんたー・りひと!伯林に来たんだぞぉ、って思えた。街を眺めながら降りていく感じは、911前にイーストリバー側からラ・ガーディアにアプローチするときにマンハッタンを南から北に突っ切り大きく右に旋回して降りていくことがあった、あの絶景にも匹敵する。飛行機がうるさいのは当たり前だろ、それが大都市に住むってことなんだから、って割り切りっぷり。日本では伊丹と博多くらいしかない、あの「でかい街にやって来たぞ」感。
シェーネフェルト空港だって、明日、オルリーに向けて離陸したらオシマイ。ここも個人的にはすごく思い出深い空港なのだが、ま、それはまたいずれ。
さて、駄文を連ねてる暇もない。街に出ねば。せっかくだから、バスにでも乗って出てみようかしら。S7なんて全然使ったことない地下鉄の終点に行くバスが空港ターミナルかるみたいだし。
テーゲルって、なになるのかしら。ドイツのことだから、滑走路跡に太陽光発電パネルをだああああっと並べて発電所にでもしてくれたらベルリン市長に快哉を叫ぶところだけどね。
機械鳥 雄叫び止みて 雲雀原
さても、先ほどミュンヘンから到着したのは、こっちじゃなくてテーゲル空港でした。市内側じゃなく、田舎の方向を向いてるのが残念だけど、こんな着陸直前風景。


空港が廃港になるくらいでなんだ、と思うかもしれないけど、やっぱりテーゲルは特別でしょ。お年寄りのベルリン市民とすれば、数年前にテンペルホフ空港が廃止になったときに感じただろう時の移ろいを、我々の世代が感じられるのはやっぱりテーゲル。テンペルホフも数回利用したことがあって、流石にヒトラーの世界首都ゲルマニアの南空港として設計されただけあってスゴイものがあるなぁ、と思いはしたしたものの、ヨーロッパ近距離便だけで遙か極東の異邦人が思い入れを抱けるほど利用する場所ではなかった。既に歴史遺産だったわけですね。
でも、テーゲルは違う。わしらはまだ「西ベルリン」を知っているわけだし(若い人はしらんよ、どーだか)、90年代の戦後復興のようなベルリンの変化(まだやってるけど)を異邦人として眺めてきたわけだし、なによりも、やたらと利用している。ベルリンは鉄道で入ることも多いから、ツォー駅をICEが通過し、かつての中央駅が東駅になり、なんにもなかったところに新しい中央駅が生え、オストクロイツ駅発のドレスデン行きなんかがなくなり…列車駅の変化ももの凄く、それなりに感慨があるけどね。
かつて、ノースウェストとの関係でヨーロッパはいつもスキポールから入り、結果としてベルリンに到着するのはいつも夕方遅くで、アムステルダムからのちっちゃなフェローシップとかが大きく右に旋回し、左側の窓から電球色のオレンジ色が瞬く旧東地区、その向こうのテレビ塔と赤い教会、その向こうに広がるフィルハーモニーなんかがある西地区の公園が見えてくると、あああああ、べるりん・うんたー・りひと!伯林に来たんだぞぉ、って思えた。街を眺めながら降りていく感じは、911前にイーストリバー側からラ・ガーディアにアプローチするときにマンハッタンを南から北に突っ切り大きく右に旋回して降りていくことがあった、あの絶景にも匹敵する。飛行機がうるさいのは当たり前だろ、それが大都市に住むってことなんだから、って割り切りっぷり。日本では伊丹と博多くらいしかない、あの「でかい街にやって来たぞ」感。
シェーネフェルト空港だって、明日、オルリーに向けて離陸したらオシマイ。ここも個人的にはすごく思い出深い空港なのだが、ま、それはまたいずれ。
さて、駄文を連ねてる暇もない。街に出ねば。せっかくだから、バスにでも乗って出てみようかしら。S7なんて全然使ったことない地下鉄の終点に行くバスが空港ターミナルかるみたいだし。
テーゲルって、なになるのかしら。ドイツのことだから、滑走路跡に太陽光発電パネルをだああああっと並べて発電所にでもしてくれたらベルリン市長に快哉を叫ぶところだけどね。
機械鳥 雄叫び止みて 雲雀原
連絡したのは誰? [音楽業界]
イースター休暇の土曜日、モルダウ川がエルベ川になった辺りは冷たい冬模様。お買い物ホリデーの街には曇りから大粒のみぞれが落ちたかと思えば雲の切れ間から陽が射し、できたてピカピカのドレスデン旧市街の大聖堂をキラキラ輝かせてもいます。
さても、「バグパイプ吹きのシュワンダ」などと言うけったいなもんをゼンパーオパーの天井桟敷一番後ろ真ん中に座ってノンビリ見物して参りました。
管弦楽好きやブラス愛好家なら「ポルカとフーガ」だけはよーくご存じでありましょう。でも、全曲ってのはまずやられない。イースター休みのご家族みんなで見物して、終わったらレストランで白アスパラ喰らいましょ、ってのには丁度良い娯楽作品であります。
とはいえ、この作品、初演がプラハで1927年の4月だというのだから、「ヴォツェック」だとか「カルディアック」だとかと同時代の作品なんですね。もっと全然古いと思ってたでしょ。なんせ作曲者のヴァインベルガーは正にこの作品だけの一発屋で、ナチス政権時代に亡命し、1960年代にピーターズバーグ(フロリダの!)で半分自殺みたいに死んでるヴァイルやらヒンデミットの同時代人なんですから。
小生も、なぜかずーっと昔からCBSソニーが初期の2枚組み用のデカイCDケースをちょっと普通のCDよりおっきな立派な箱にぶち込み、立派な独・英・仏対訳を付けたCDが厄編庵ライブラリーにあり、正直、今回見物することを決めるまで、序曲と「ポルカとフーガ」の他は聴いたことありませんでした。プライがタイトルロール、ポップがヒロイン、狂言回しの悪魔がジークフリート・イェルサレムで、N響ファンには懐かしいハインツ・ワルベルクが振ってるという最強キャストなのにね。ちなみにこのお皿はドイツ語版歌唱だけど、本日の上演はなんとチェコ語オリジナルでした。ま、プラハまで2時間弱の場所だもんなぁ。
作品や演奏については、うううん指揮者君、いくらこういう曲だからってももうちょっときっちりやってくれんかね
ってのはともかくとして、ま、どうのこうの言う気はないです。まあこーゆーもんだろーねー、ってこと。意外に和声なんてシュトラウス風だし、盛り上げたいと思うとフーガになっちゃうのはヒンデミットというよりも「マイスタージンガー」かしらとか、間抜けなことしか考えられんです。
ただひとつ、興味深いことを知ったです。CDに収録されていたいろんなテキストを初めてちゃんと読んだら(四半世紀もただ我がライブラリーに落ちていただけだった)、驚くべきことが書いてあった。
作品の出版を巡り、当時のユニヴェルサール出版の担当者だったハンス・ハインシャイマンという方が思い出話を綴ってる。で、「これはいけると思って出版しても、全然反応がなかった。だけどミュンヘンで初めて取り上げてくれたあと、もうやりたいという連絡が世界中からジャンジャン入って、遙かブエノスアイレスやらTOKIOからも連絡があったのであーる」なんて嬉しそうに書いてるんですよ。
ちょっと待たれい、1927年とか28年のトーキョーから、ドイツで出版された新作オペラの評判が高いので上演したい、って誰かから連絡してくるって…一体、誰の仕業なんじゃろか?
だって、1920年代後半の東京のオペラ事情といえば、1922年の関東大震災で浅草オペラは壊滅。帝劇の海外オペラ招聘は続いていて、ロシアオペラ団やイタリアオペラ団は2年に1度くらいづつ来日公演を行っていたし、ラジオ放送が始まって堀内敬三なんかが頑張って一生懸命放送をしていた頃ではあります。でも、山田耕筰は楽劇協会も活動を再開する直前くらいで、今に遺る名作歌曲を大量生産してた頃ですからね。つまり、東京にドイツで話題になってるオペラをやってみたいと考えるプロデューサー的な動きを出来る人がいたとは思えないんですよね。まだグルリッドなんかも逃げてくる前ですから。唯一可能性があるとすれば近衛秀麿かなぁ、という気はしないでもないが、近衛だってドイツ中央楽壇になんとか顔を出すようになったのは1930年代以降、シモン・ゴールドベルクがベルリンに移ってから後ですしねぇ。ううううん。
どなたか情報のある方、教えて下さいな。別に商売でも何でもなく、単に気になる、ってだけのことなんですけど。
さても、「バグパイプ吹きのシュワンダ」などと言うけったいなもんをゼンパーオパーの天井桟敷一番後ろ真ん中に座ってノンビリ見物して参りました。

とはいえ、この作品、初演がプラハで1927年の4月だというのだから、「ヴォツェック」だとか「カルディアック」だとかと同時代の作品なんですね。もっと全然古いと思ってたでしょ。なんせ作曲者のヴァインベルガーは正にこの作品だけの一発屋で、ナチス政権時代に亡命し、1960年代にピーターズバーグ(フロリダの!)で半分自殺みたいに死んでるヴァイルやらヒンデミットの同時代人なんですから。
小生も、なぜかずーっと昔からCBSソニーが初期の2枚組み用のデカイCDケースをちょっと普通のCDよりおっきな立派な箱にぶち込み、立派な独・英・仏対訳を付けたCDが厄編庵ライブラリーにあり、正直、今回見物することを決めるまで、序曲と「ポルカとフーガ」の他は聴いたことありませんでした。プライがタイトルロール、ポップがヒロイン、狂言回しの悪魔がジークフリート・イェルサレムで、N響ファンには懐かしいハインツ・ワルベルクが振ってるという最強キャストなのにね。ちなみにこのお皿はドイツ語版歌唱だけど、本日の上演はなんとチェコ語オリジナルでした。ま、プラハまで2時間弱の場所だもんなぁ。
作品や演奏については、うううん指揮者君、いくらこういう曲だからってももうちょっときっちりやってくれんかね

ただひとつ、興味深いことを知ったです。CDに収録されていたいろんなテキストを初めてちゃんと読んだら(四半世紀もただ我がライブラリーに落ちていただけだった)、驚くべきことが書いてあった。
作品の出版を巡り、当時のユニヴェルサール出版の担当者だったハンス・ハインシャイマンという方が思い出話を綴ってる。で、「これはいけると思って出版しても、全然反応がなかった。だけどミュンヘンで初めて取り上げてくれたあと、もうやりたいという連絡が世界中からジャンジャン入って、遙かブエノスアイレスやらTOKIOからも連絡があったのであーる」なんて嬉しそうに書いてるんですよ。
ちょっと待たれい、1927年とか28年のトーキョーから、ドイツで出版された新作オペラの評判が高いので上演したい、って誰かから連絡してくるって…一体、誰の仕業なんじゃろか?
だって、1920年代後半の東京のオペラ事情といえば、1922年の関東大震災で浅草オペラは壊滅。帝劇の海外オペラ招聘は続いていて、ロシアオペラ団やイタリアオペラ団は2年に1度くらいづつ来日公演を行っていたし、ラジオ放送が始まって堀内敬三なんかが頑張って一生懸命放送をしていた頃ではあります。でも、山田耕筰は楽劇協会も活動を再開する直前くらいで、今に遺る名作歌曲を大量生産してた頃ですからね。つまり、東京にドイツで話題になってるオペラをやってみたいと考えるプロデューサー的な動きを出来る人がいたとは思えないんですよね。まだグルリッドなんかも逃げてくる前ですから。唯一可能性があるとすれば近衛秀麿かなぁ、という気はしないでもないが、近衛だってドイツ中央楽壇になんとか顔を出すようになったのは1930年代以降、シモン・ゴールドベルクがベルリンに移ってから後ですしねぇ。ううううん。
どなたか情報のある方、教えて下さいな。別に商売でも何でもなく、単に気になる、ってだけのことなんですけど。




