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1年先のチケットを買う [現代音楽]

今、なんとまぁ、我ながら呆れたことに、1年先のチケットを購入しました。こちら。5月31日からの第1チクルスです。明日からじゃあありません。下のwebサイトにもあるように、あと367日先のこと(あ、アムステルダムは時差でまだ昨日なのかぁ)。
https://auslicht.com/en/

先程、ある方から「来年のボルドー国際弦楽四重奏コンクールが6月4日から」という確定情報が来て、あれ、それならアムステルダムのシュトックハウゼンが重なるんじゃないかい、と思ってwebサイトを眺めたら、おおおお、なんてこった、完璧に填まる素敵な日程じゃあないかぁ。これはもう、なんのかんの考える必要などない、さっさと買ってしまえ、とつるつるとサイトを先に進めて、あっと言う間に大枚€300以上もするセット券を購入してしまいましたです。心配なのは、流石にこれだけ先だとプリント@ホームではなく、郵送だということ。ちゃんと遙かシベリアの向こうであることはネザーランド・オペラも判ってるのでしょうが、なんか心配だなぁ、これだけの額だと。ドイッチェ・ポストかなんかでペラペラな封筒で送られてくるんじゃなかろーか。

ええ、このサイクル、ご覧になってお判りのように、「全曲やると7日間かかるシュトックハウゼンの《光》サイクルを、登場人物ごとに編集して3日間の抜粋版で一挙に上演する」というとんでもない代物でありまする。まあ、《木曜日》はこのところあちこちの歌劇場で上演されるようになってはいるものの、流石に他はなかなか舞台にはかけられないわけで、中でも音楽的というよりも内容的になかなか難しいだろう《月曜日》と《金曜日》の音楽がライブで聴けるのは有り難いことであります。

無論、これだけ大規模な上演でも、あの《水曜日》の間奏曲たる「ヘリコプター四重奏」とか、《土曜日》の1年かけて演奏しろというルシファーのお通夜の音楽とか、同時にふたつの会場で演奏しろという《日曜日》の一部とか、いかな神様シュトックハウゼンとはいえそれはご無体な、ってなとこはありません。あ、なーんだ、と思ったでしょ、そこの貴方っ!(追記:この記述、どうやら間違いのようです。下の追記参照。)


それにしても、なんだか忘れちゃいそうな日程だなぁ。それより、俺はちゃんと生きてるのか、という心配の方が必要かしら。いやはや…

[6月11日追記]

本日、東京湾岸に《光》抜粋サイクルのチケット、無事に到着しました。んで、あらためて3日間の内容を眺めたら、なんと、どうやら3日目に《ヘリコプター四重奏》をやるようなことが書いてあるではありませんかっ!ホントにヘリコプター飛ばすのかぁああああ!
Airborne
Instrumentalists arrive to audition for a heavenly orchestra in ORCHESTER-FINALISTEN, and four string players literally become airborne, taking off in a helicopter. Via radio links, the HELIKOPTER STREICHQUARTETT is broadcast into the Gashouder theatre. After returning to Earth, the musicians and pilots take questions from the audience. Seven groups of singers then descend like angels from heaven and move through the audience, bringing a mood of serenity in the ENGELPROZESSIONEN, one of the two scenes from SONNTAG, the opera concluding the LICHT cycle.

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ゆふいん音楽祭2018の出演者 [ゆふいん音楽祭]

もう、どんなにギリギリになっても驚かない我が心の故郷ゆふいんの音楽祭、今年も昨年同様に7月最後の週末に開催されることになったようだ…などとなんとも心許ないことを記してから数ヶ月、先程、元実行委員長のKさんから電話があり、やっとチラシが出来たとのことです。

んで、ここにチラシを貼ればいいんだろうが、PDFにして貼り付けて、なんて21世紀なことが出来るゆふいんでないことは、皆様よーくご存知でありましょう。なんとかする、とのことでしたので、到着次第、当無責任電子壁新聞にも貼り付けます。町内全戸に蒔ける数は刷るとのことですので、なんぼか遙か東京湾岸にまで届くと期待しましょうぞ。

んで、とにもかくにも、5月の末の段階で挙がっている情報は開催時間及び場所とチケットの値段、それに参加者。公式Facebookもなんだかなぁ、なんで、こちらをご覧あれ。って、チケット販売のサイトなんだけどさ。つまり、もうチケットは売ってます、ってことです。
http://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1825974&rlsCd=001

ご覧のように、参加者はヴァイオリンの小林美恵さんと 山崎貴子さん。ヴィオラは安藤・まろ・裕子さん、それにお馴染みチェロの河野文昭 元監督。そこに今年はピアノで野田清隆さんが加わります。懐かしや、アガーテQの半分が再結集…なーんっても、誰も懐かしがらないだろーけどなぁ。

演目は、「妙なものはなかったよ」とのK氏のお言葉。無論、真っ当なことしかやらぬゆふいんですから、真っ当なことをやってくれるのでありましょう。

なお、土曜昼の無料ガラもあるみたいなんだけど、ま、それはチラシが来てから、ということで。

皆の衆、夏のゆふいんで、またお遇いしましょう。…再び隅田川花火が幻になるとはなぁ…

[追記]

散らし、やっと来ましたぁ。こちら。演目も挙がってます。
2018ゆふいん音楽祭チラシ.pdf
なお、今年はちゃんとぴあでも買えます。スゴい進歩だぁ。

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琉球新報が600席の小ホール [音楽業界]

怒濤の作文週間の間に「アメリカ音楽&マイク使用」強化週間が入ってしまい、なにやらボロボロの2週間程が過ぎ去り、いよいよ単純移動距離総計4万マイルを越えるの6月から7月に向けての「俺は今日はどこにいるんだ」の日々を前に、奇妙な凪のような数日となっておりまする。これで帝都がもうちょっと爽やかだと良いんだけど、なんだかもう梅雨みたいだなぁ。締め切り先だけど、こういうときにやっちゃっておいた方が良い作文をやっつけてしまうべく、きょーも頑張ろー、隠居の筈にあたしっ!

さても、ちょっと前から記すタイミングを逸していたお話。久しぶりの「新ホール」ネタです。アベバブルも先が見えてきた昨今、何を今更、とお感じの方も多いでしょうけど、ほれ。こちら。去る金曜日に落成記念式典があったばかりでんな。
https://ryukyushimpo.jp/pages/entry-625513.html

琉球新報の新本社ビルが落成し、その中に600席のホールが出来た。場所は、まあなんとも便利な県庁市役所の直ぐ横、バスターミナルに向かうとこの国際通りが真っ直ぐぶつかってくる三叉路だかのとこ。今、沖縄でいちばん元気な室内楽鑑賞団体のビューローダンケさんも一頃盛んに会場に使ってたパレット市民劇場の道挟んだ向こう、とにもかくにも、沖縄県内で最も便利な場所のひとつでありますな。川とモノレール挟んだ向こうの沖縄タイムズホールが350席くらい、パレット市民劇場がトッパンホール規模の400弱くらいで、東京都新宿区よりも少ない人口30万人の那覇の室内楽といえばこれくらいの規模だった。そこに、かのミサゴくんの巣の真下のうるま市芸術劇場よりは小さいものの、カザルスホールやらよりガッツリ1.5倍もある会場が出来たわけで、堂々たる会場…個人主催者としてどこまで使えるもんなのか。新聞社の本社内ホールとしても、浜離宮やら大手町の新讀賣ホールより全然大きいわけですから。

現在発表されているホールの使用予定リストを眺めるに、8月はやたらと盛んな琉球古典芸能のコンクールでべたあああああっと埋まってるし、10月には音楽コンクール、11月にはバレエコンクールと、新聞社主催のコンクールが立て続けに開催されるみたい。、
https://030b46df30379e0bf930783bea7c8649.cdnext.stream.ne.jp/archives/002/201805/20180518.pdf
今時珍しい「自ら価値を作り出す新聞という企業が持っているホール」としてしっかり活用されるようなのは、誠に目出度いことであります。

このところ、業界内の人の移動やらなにやら含め、いろいろな動きがある沖縄という場所で、ひとつの中心的なヴェニュになると良いんですけどねぇ。なんか、やくぺん先生とすれば、あまり行きそうにないなぁ。なんせ、米軍基地のある自治体はやたらと立派な公共ホールを持ってたりする土地ですから。

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燕っ子・柿の実っ子 [葛飾慕情]

先週来の地獄のような作文週間、やっと一息つきましたです。いやぁ、ホント、肉体精神とも、体力がなくなったもんじゃわい。歳は取りたくないのぉ、婆さんや…

年に何日あるか判らない、まるで極東の島国の帝都とは思えぬ爽やかな日があったようだけどそんなことお構いなしにぼーぜんと日々が過ぎ、気が付けば、なにやら大気は湿気はじめ、荒川放水路東の新開地、東京天樹に日が落ちるここ葛飾も、そろそろ梅雨の空気が漂い始めてます。

数ヶ月前までは兇悪ヒヨちゃんがめじろんを追っ払うべく叫び、案外と根性座ったシジュウカラさんご夫妻が追いかけっこの目を盗んではレストランからひまわりの種をテイクアウトして一生懸命つんつん割ってた巨大柿の木向こうの電線から聞こえてくるのは、ぎぎぎぎっぎぃ、という歯ぎしりみたいな声。そー、向かいの町工場の軒先に毎年おうちをお作りになる燕さんファミリーでありまする。
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今年はどこにお家を作ったんだか、どうも良く判らないんだけど、ともかく大好きないつもの電線にとまっては燕さん体操でのびのびぃ、っと毛繕い。もうすぐやくぺん先生の作文作業場前の低い電線に燕っ子らが並んで、ごはんちょごはんちょ、と大騒ぎし始めるのでしょう。

いつのまにやらすっかり緑の固まりになった巨大柿の木にも、ほれ、新しい子供達。
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まだ直径1センチ程度だけど、どんどん育って、落ちる奴はどんどん落ちて、大きくなった子供たちを連れて燕ファミリーが南に去り、周囲のお宅にやくぺん先生が頭下げてまわるようになり、木枯らしが吹き始める頃になれば収穫の祭り。

あと何度このサイクルを眺めるのだろう…と自然に思えるのは、本格的に爺になってきている証拠なんだろーなー。

半寸の 柿の実落ちて 夏近し

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演出家の名前を見たときから予想されたとはいえ… [音楽業界]

ニホン国新国立劇場創設20周年を祝う新プロダクションの《フィデリオ》を見物し終え
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この後午後7時から隣の武満メモリアルでウンスク・チン特集が始まるまでのお休み時間です。銀行隣のチェーン店カフェに座ってます。

あ、今、お仕事終えた東響のコンマスくんが目の前を過ぎ、こっちを向いて苦笑してるんで、両手でデッカくX作って掲げたら、爆笑なさってましたぁ。いやはや…これは、ほとぼりが冷めたら話でも聞くかな。無論、商売抜きで、ですっ。

いやぁ、この《フィデリオ》のプロダクション、数日前に初日が出たあとも、なんだかみんな「大人なら、敢えて多くを語らない…」という空気が漂っていて、こりゃあなんかあったな、とは思っていたのだが…まさかここ帝都トーキョー、それも天下のナショナル・シアターでこんな舞台が眺められるなんて、ちょっと想像の斜め上を行くものでありました。

中身がどうだ、って話をしようとすると、どうしても所謂「ネタバレ」になってしまうし、その「ネタバレ」部分こそが上を下への議論になりかねない類いの舞台なんで、流石の礼儀知らずのやくぺん先生も、「ネタバレ」はしません。スゴく簡単な話で(ネタバレイヤな人は、ここで目を瞑るよーに)、「《フィデリオ》に来た筈が、終わってみたら初台もスゴいプロダクションを持ってるヴェルディの某超有名人気オペラだったぁ」というもんであります。なんじゃらほい、でしょ。そー、確かに、なんじゃらほい、なんよ。

とはいえ、カタリーナ・ヴァーグナーの演出だからまともな筈がなかろうが、場所が場所だけに、爪も牙も隠して、じっくり眺めると実はとんでもないけど…ってな舞台をつくるんじゃああるまいか。となれば、それなりに舞台が見えないと困るから、いかな貧乏人やくぺん先生とはいえ前の人が邪魔になるような席は止めた方がよかろーなぁ……って考え、大枚€70くらい払って4階正面1列目の席を買っていたのでありました。

ところがああああああ、この演出――これはもうネタバレというよりも、これから眺めてやろうという酔狂な方の為への心からの忠告なんですけど――この舞台、3階より上の席では、何やってるか判りません。
舞台は武満メモリアルの周囲を思わせるような質感の3階建てで、何故か知らぬが囚人は地下2階大部屋に収監されており、フロレスタンはその上の地下1階(というか、秘密の地下0.5階、という感じ?)にいる。で、レオノーレの個人部屋やロッコの仕事部屋、ピツァロの執務室だか私室だかは地上階にある。この巨大なセットが上下して、1幕最後と2幕後半以外では地下2階は沈んでて見えません。

ま、それはそれで良いんだけど、問題は、この舞台全体が上がって地下2階の監獄部分が見えるようになると、地上階部分があの巨大な初台の舞台の半分よりも上に行ってしまうこと。結果として何が起きるかというと、地上階部分で演技をして歌われると、声が全く反響板に引っかからず、結果として(少なくとも4階部分では)ぜーんぜん聴こえなくなります。やくぺん先生の爺初心者のへっぽこ耳がいけないのかと思ったら、自腹切って4階最後列に座ってた評論家のT先生も、やっぱり全然聴こえなかったとのことでした。

もうひとつ、細かい演技が殆ど舞台下手隅っこで行われるので、そっちが見えない席だと、もうなにがなんだか判りません。あたくしめの席もそうでした。前の人の頭で見えない、って状況。嗚呼…

ダメ押しは、最後の最後。牢獄がひらかれて、なんで地下なのに明るくなるかわかんないけど、ともかく奥が明るくなる。で、監獄を出されて嫁さんなりと抱き合っている人々がそっちを見てなにやら演技しているんだけど、4階1列目でもその理由がなんだかぜーんぜん判りません。
だから、何を隠そうやくぺん先生、この演出のオチはホントは良く判ってないんですわ。なんで一度監獄を出された人々がまた戻っていくのか(←おおお、ネタバレしてしまったぁあ!)、理由があるのかないのか(まあ、無いことはなかろーが)、ぜーんぜん判らない。

そんなこんな、ともかく、この先の公演の切符を買おうという方は、平土間か2階正面を買うべし。残ってる席はもうその辺りしかないと思いますけど、恐らくはこの演出を一度眺め、「もう一度観る気はしないから売ってしまうぞ」という人も少なくないでしょうから、ヤフオクなどに安い3階、4階の席などが出る可能性は高い。「おおおお、やすいやすい」と喜んで買っても、ぶっちゃけ、この舞台、よーわからんです。それはもう、諦めるべし。世界の一流歌劇場というのは超格差社会で、貧乏人用の席からは舞台は観えないものなのだ、と納得すべし。

問題の演出がどういうものだったのか、ネタバレでなく、大真面目で説明すれば、《フィデリオ》という作品を眺めたときに最も不思議な、「ドン・フェルナンドが到着してからピツァロは何をしていたのか、なんでさっさとトンズラしななかったのか?」という素朴な疑問に答えたものでありまする。はい。もう、真っ正面から答えてます。その意味では、極めて真摯な舞台です。

まあねぇ、カタリーナさんとすれば、いつものようにドイツの中規模都市の劇場で新演出を作るような気分でおやりになったんでしょうが…うううん、よくまあ初台の偉い人がこの演出プランが来たときにOKを出したものだなぁ、と感服しますです。良くも悪くも、「あのヴァーグナーの曾孫、今のバイロイトのいちばん偉い人」だから許して貰えた演出でしょうねぇ。

トウキョウのナショナルシアターという場所がいかな鬼門か知ってか知らずか、こういう演出を出したのは偉い!この演出に、戸惑いというか、はっきりとネガティヴな反応を示している初台のお昼の多くの聴衆も、ま、ある意味、はっきりした趣味を持っているという意味では、あんたらは偉い!20年かけ、この劇場がいろんなもんを出して来て、中には技術的な悪夢だった《ルル》とか、賛否両論のキース・ウォーナー《リング》やらクプファーの仏教《パルシファル》とか、いろいろあった。それらを眺めてきた聴衆が、「こんな、どう盛り上がって良いか判らぬ《フィデリオ》なんてイヤだぁ」と態度で表明しているのを眺め、「ああ、善し悪しはともかく、この劇場もちゃんとそれなりの趣味が出来てるんだなぁ」と感じられたことをもって…今日は善しとしましょう。うん。

ただ、やっぱりこういう演出をやるなら、舞台全体がやってることにもうちょっと確信を持ち、もうちょっと練れた舞台になってくれないと、客が「なんだかよくわからなかったわねぇ…」で終わってしまう危険もある。こういう舞台を出すなら、聴衆が「金返せぇ!!!!!」と大暴れするような完璧な舞台での確信犯でないと困る。その意味で、千秋楽に近付いてから眺める方が良いのかもねぇ。

とはいえ、正直、わかんないとこがどうなってるか、あと$200だか払ってまで眺める気にはなれない舞台ではあるけどさ。「ネタバレ」そのものはスゴく単純なんで。今のニッポンみたい、ってかな…

ま、やくぺん先生とすれば、3週間後のスカラでスッキリしよー、ってところかしら。いろんな意味でこの先も語られるトンデモ舞台でしょうし、恐らく再演はないだろうから、お金が余ってる方は是非どうぞ。

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作曲家がマイク使用を求めた歌曲 [現代音楽]

「現代音楽」か「音楽業界」か、カテゴリーが微妙だなぁ。まあ、こっちにしておきましょうか。

昨日、東京都交響楽団の定期演奏会を聴くべく、溜池に行って参りました。今、某団体の予算のためにプログラム冊子を年に1回でやっつけてしまう、というかなり無茶な作文仕事で実質上5本くらいの原稿をまとめてやってる真っ最中で、当電子壁新聞どころえではなく、言うまでも無くこの演奏会もとても行けるとは思っていなかったんですけど、都響さんから送られてきた当日プログラムでいじましく作品の解説を眺めていたら、「ソプラノは”オペラティック”に歌って欲しくない。そのため、amprifiedすることを明確に記した」という作曲者コリリアーノのお言葉が記されている。

へええ、こりゃ、ちょっと聴いておかないとなぁ、つまり、ナクソスに入ってる先週NJPでいろいろやってくれたファレッタおばさま指揮する録音では
http://ml.naxos.jp/album/8.559331
絶対にバランスの問題などは判らない(ってか、録音は別物、と作曲者も割り切ってる)ということじゃんかぁ。これは無理をしてもいかねば、と思ってノコノコ溜池まで出かけた次第。麻婆豆腐屋さんの前のスチールテーブルと椅子の上で、延々とテープ起こしすることになったわけでありました。

昨日の演奏会、なんといっても話題は「ボブ・デュランの詩によるオーケストラ歌曲集」に尽きたのでありましょう。「Mr.Tambourin Man」とか「風に吹かれて」とか「戦争の親玉」とか、余りにも有名なデュランの曲をコリリアーノがオーケストレーションした…のではありませんっ!ホントか嘘か信じるかは貴方次第ですけど、作曲者本人は、デュランは知っていたが歌は聴いたことがなかった。シルビア・まクネアーがアメリカ現代詩人の言葉で歌曲書いてくれと頼んできたとき、なんのかんのあって、デュランの詩集を手にして読んでみて、これで行こうということになった、そうな(当日プログラムにある御本人のお言葉に拠る)。1938年生まれの長老コリリアーノが60年代から70年代にニューヨークを生きていて、「ヤング・ピープルズ・コンサート」の助手などをやってた奴が、ボブ・デュランの「風に吹かれて」を一度も聴いたことなく過ごすことが出来るとは、ちょっと信じられないんだけど、ま、御本人がそう言ってるんだからそういうことにしておきましょう。

デュランがノーベル文学賞を授賞する前のことで、確かグラミー賞のあのクラシック部門なんかも獲得してちょっとは話題になった作品だから、21世紀に書かれたオーケストラ歌曲集としてはそれなりに有名なわけで、評価もされている音楽でありますな。

曲そのものは、実は存在はなんとなく知っていたけどノーベル賞騒動のときもなんだかわざわざ聴く気にもならず、今回の演奏会も急に行くと決めたのでナクソスの録音も存在は知りながらも聴かずに出向いた。開演前、練習を終えた都響のチェロの某氏がそんなところでなにやってんの、ってやって来て、これから本番の曲についてちょろっと感想などを話したりしたわけだが、ま、「まあねぇ、全然違う曲だからビックリしますよ。僕は、やっぱりちょっと違うかなぁ…」って。今や都響の中堅とはいえ、若い頃はカザルスホール時代にアレクサンダー・シュナイダーなんぞで弾いてる方でも、やっぱりそういう感じなのかぁ、と開演を待った次第でありまする。

ホントの意味でデュランを歌いながら新宿の地下道を占拠してた、なんて世代はひとつ上くらいの老人初心者のやくぺん先生としますれば、そーですねぇ、実際に聴いた印象は、「ああ、これは別ものでんな」っておが正直なところ。前の日に遙々彩の国は川越まで出向いて拝聴した現代アメリカ詩人の言葉達だったわけで、それと比べるなと言われても無理じゃわい。

川越のクァルテットと翻訳者の先生の朗読で、「なるほど、現在の最先端のアメリカの韻文なり散文なりって、言葉の多元性とか、現実と非現実のズレみたいなもんを真っ正面から扱っていて、それが文学が文学として存在する所以となってるわけで、これは歌曲みたいな形で纏めるのは難しいだろうなぁ、こういう朗読という形の方が相応しいのかもねぇ」って感じてたわけでありまして、そこにもってきてデュランの詩であります。なるほど、そもそもが有節歌曲のために書かれた「歌詞」なわけだから、所謂クラシック音楽タイプの「歌曲」のテキストにこれほどもってこいなものはない。なんせ、例えばコリリアーノの「風に吹かれて」は、恐らくは一種のパッサカリアみたいな作りになってるみたいだったけど、正にそんな作りに持ってこいの言葉。繰り返しはオスティナートになるわけだし。そういう作りって、今の最前衛の詩人さんにはとてもじゃないけどできっこないわけで、ある意味、日本で言えば「マチネポエティク」を歌曲の素材にするみたいな自然さがある。

そりゃ、多くの人々の頭の中にデュランの「歌」が、ハーモニカやらあの声やらと一緒に入っているわけだが、それはそれ、これはこれ。ここまで違えば、思い出すこともない。最後の「Forever Young」をアカペラにしちゃうなんて、なかなかコリリアーノらしいあざとさというか、なんだかずるいなぁ、って、ちょっとリヒャルト・シュトラウスっぽい老獪さを感じさせる巨匠の円熟の技でありました。聴衆、大いに沸いてました。最後に歌手さんが一般参賀されちゃったりして。

…などという中身についての話は、実はまあ、演奏に接した皆様が勝手にいろいろ感じれば良いことでありまして、問題はそこではないっ。「作曲家がマイク使用を指定したクラシック声楽作品が、実際のライブの舞台でどんなもんだったか」であります。

結論から言えば、コリリアーノ御大の意図は、かなり上手くいっていたように感じられました。

終演後で客席から「どこにマイク付けてたんだろう?」という声も挙がっていたように、一見したところステージ上の歌手さんは「マイク使ってるぞ」という姿ではありません。昨今では野外オペラなんぞでは堂々と用いられるヘッドフォンマイクっていんですか、ああいう類いのものもくっつけていない。

昨今はヨーロッパの「ムジークテアター」系のオペラ演出では、後ろ向いて歌ったり、転がりながら歌ったり、どう考えてもあれじゃ客席にきこえる筈がないのに何故かちゃんと声がきこえている例は普通にあります。要は、演技の邪魔にならないように巧みにマイクを仕込み、会場全体の音響の中でおかしなことにならないような自然なセッティングでアンプリファイされた声を伝えている。拡声器使用を極端に嫌がる聴衆もいるからか、おおっぴらに「やってますよ」とは言わないけど、誰がどう考えておあれは使ってないと無理、という状況は普通に行われている。

昨日の演奏でも、この歌曲集を完全に持ち歌としている歌手さんらしく、舞台の上手から下手まで動きまわり、あるときはPブロックの方を向いて歌いもする、殆どミュージカルタレントさんみたいなパーフォーマンスでありました。こういうことを可能にするのも、巧みにコンタクトマイクを用いているからなんでしょうねぇ。

それを考えれば、このコリリアーノの指定は極めて現実的で、少なくとも今回のサントリーホールに関しては成功していたと言えましょう。オケがホントのffffなんぞで鳴ると、自然に声がきこえなくなる(そう、スピーカーを使っても録音みたいに完璧に声がきこえているわけではないのです)絶妙なバランス、舞台の上手と下手にでっかいスピーカーがあってそこから聞こえてくるというのではない自然な声の定位感など、極めて納得がいくものでした。この会場、昨年の改装で、その辺りのシステムを弄ったんでしょうかねぇ。東京のフラッグシップホールに恥じない機能だなぁ、と感心させられましたです。

てなわけで、先週の山下洋輔さんのピアノに始まり、なんだか「マイク使用について考える」週間となってる今日この頃、とても勉強になる実例でありましたとさ。このような機会を与えてくれた都響さんには、ホントに感謝するしかありません。やろうと言った下野さんも、偉いっ!

もしもマーラーが今に生きていたら、《大地の歌》のテノールにはマイク使用を要求するんじゃないかなぁ。少さもなきゃ、《大地の歌》には「マイク使用ヴァージョン」と「生声ヴァージョン」のオーケストレーションが異なる2種類の総譜を作ったりして。

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朗読というパーフォーマンス [演奏家]

「弦楽四重奏」カテゴリーじゃない話になっちゃうんで、「演奏家」かなぁ。パーフォーマー、という意味なら正しいんだけど。

独墺圏や北米では常識の、「オーケストラがオーケストラ団員に拠る室内楽を主催しシリーズ化する」ということをやってる日本では稀有な錦糸町のオケが、そのシリーズ公演を於け主催で地方でも行うという更に稀有なことをしてくれるので、遙々川越まで往って参りましたです。空が高い街だこと。
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先週の木曜日の錦糸町公演を聴きにいくつもりだったんだけど、作文仕事が詰まっててダメだった(なんと、売り切れだったそうでありますっ!)。今日だってホントはかなり厳しく、遙かな道中、延々と車中テープ起こしをしながら彩の国の真ん中まで至った次第。いやぁ、この道を毎日通勤している皆さんって、ホントに偉いなぁ。早稲田は通いやすそうだけどね、最近は。

団員がプロデュースし好きな室内楽演奏会をやる、という日本では極めて珍しいけど世界のオーケストラではごく当たり前のこのシリーズ(3月にはマレーシアフィルの同様の室内楽シリーズで、《ブラック・エンジェルズ》マレー半島初演を聴かせていただきましたっけ)、なんとまあ、既に100回を越えております。初期にはやくぺん先生の世を忍ぶ姿のしがない売文業者も、当日プロを書かせていただいたりしてましたっけ。お目出度いことでありまする。

んで、「ウェスタ川越リハーサル室(小ホール)」なる場所で先程までやってた演奏会、こんなもんです。
https://www.njp.or.jp/concerts/2756
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セカンドの頭さんがプロデュースし、かのアルデオQで数シーズン弾いて帰国しNJP首席になったヴィオラさんやら、カントゥスQのチェロでもある森澤さんやら、低音はクァルテットよーく知ってる方々がしっかり押さえる。オケマンの室内楽ってのは、こういう人達もいるから便利ってば便利ですな。んで、そこにゲストというか、実質「ソリスト」として、米文学者で翻訳家、村上春樹のブレインってのかしらね、まあ関係者としても良く知られる柴田元幸氏が加わる。

あたくしめは寡聞にして存じ上げなかったんですけど、どうやら柴田氏はいろんな音楽家とのコラボで朗読をなさっていて、CDまで出してらっしゃる。もう、完全に「ソリスト」でんな、これは。朗読で客を集める最近のアルフレッド・ブレンデルやら、最晩年の歌わなくなってからのフィッシャー・ディスカウと同格、ってことだもん。こんな映像もありますし。
https://www.youtube.com/watch?v=5ZsfMemBvM8
要は、映像はないけど、この音楽部分をNJPのクァルテットが担当した一晩、ってこと。ちなみに、所謂「クラシック」とのコラボは始めてだったそうな。へええ、ちょっと意外。

アルデオQで鍛えたヴィオラさんが冒頭一発ガッツリ客を掴む《アメリカ》を弾いた後、独唱者の柴田氏が登場。ご自身が訳した現代アメリカ文学の抜粋や、掌小説のような作品を、作品や作者の解説を挟みつつ、朗読します。この空間だとどうするか興味深かったマイクに関しては、使用しておりました(ま、幸いにしてバランスの問題がどうこうというような空間ではありませんでしたが)。

この演奏会、なにより感心したのは、朗読のタイミングがフランク・ブリッジやらルクレールやらグリエールの音楽と、ちゃんと合っていたこと。当たり前といえば当たり前だけど、そのためには事前に朗読のテンポを知らねばならず、それに合わせた曲選びをせねばならず、当然ながらソリスト加えた練習もせねばならず、結構、めんどーな作業があった筈。数ヶ月前にアブダビで眺めたアタッカQとアラブ人学生詩人の朗読とクァルテットの合わせ、数年前に同地で眺めたアイズリQと同じくアラブの学生詩人達との合わせなど思い出すに、今回はなんと上手くいっていることか、と驚嘆しっぱなしでありましたとさ。

中身に関しては、やっぱりこういうやり方をするとアレグロ系というよりもアンダンテやアダージョ系の音楽が中心になってしまうのは仕方の無いところか。アレグロ系は朗読との合わせに、それこそ来月のNJP定期室内楽定期でやる《月に憑かれたピエロ》みたいな指揮者が必要になるかもしれないし(来月は指揮者なしみたいですが)。でも、ブリッジの《3つの牧歌》という田園風な音楽(これ、ライブで聴いたの始めてだけど、使える曲じゃないかぁ)を敢えてニューヨーク風景やらを描くところに持ってくるセンスなど、なかなかなものであります。

なによりもビックリしたのは、こういう演奏会なのに、それなりに聴衆がいたこと。「サロンでの演奏会」には再考の在り方で、正直、音楽を朗読が喰ってしまう箇所も多々あるけど、それはそれで良いんでしょう。朗読という独唱者を含めた室内楽としては、とても満足のいくものでありました。

川越、なんだかスゴく洗練されたブンカの街に思えてきたぞ。

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演奏されないにはわけがある…? [音楽業界]

某専門誌編集部が一新し、担当さんが若い方になって、いろんな意味でこっちも気を使わなければならず、隠居宣言どこへやら、なんのかんの取材先とのやり取りにまで突っ込まざるを得ない状況になっていて、当電子壁新聞まで手が回らない状況が続いています。いやぁ、それにしても、パワーが無くなってるなぁ、もうあと何年生きられることやら…

そんな中、急にちょっと日帰りで出かけねばならないことにもなったりして、夜の(最近は「昼の」というのも増えたけど)演奏会にも殆ど顔を出せず、面白そうな弦楽四重奏と朗読の演奏会を泣く泣くパスしたり(月曜に川越まで行ける状況になる…とも思えないなぁ)、来週後半締め切りの大きめの作文などテープ起こしも手に付かず。なんなんねん。

愚痴、オシマイ。んで、とにもかくにも、これだけは出かけねば、と無理しても出かけたふたつの演奏会で思ったこと。こんな駄文でも認めないと、頭がひとつ方向に暴走しちゃうのでねぇ。

ええ、「ニホンのオーケストラは同じ曲ばっかりやって、ちっとも冒険しない」と屡々文句が言われます。特にSNS上にはそんなマニアさんのお声が常時駐留している状況ですわなぁ。ところがどっこい、何だか知らんけど今週から来週の週末にかけて、帝都のオケったら、春の終わりの珍事なのか、なかなか興味深いプログラムをズラズラと並べてくれてら。

まずは、昨日今日と錦糸町であったNJPの演奏会でありまする。金曜昼に「定期」よりもヘビーな演目ゾロゾロ並べてる、って問題のシリーズ、ご登場は懐かしやファレッタおねーさま(もうすっかりおねーさまでもなくなってたけど…なんせ、90年代後半だかに、仲道さんプロジェクトでヨーロッパを動いていたときに、プラハで今はどうなってるか判らぬチェコ・ナショナル響とやらと仲道さんが共演し、その指揮者がこのやんきーねーさんだった。それ以来のお姿拝見だもん)が、「あたしゃアメリカ人指揮者ですよぉ」ってな堂々のプログラム。バーバーの第1交響曲、なんと天下のスター山下洋輔を昼間っから聴こうという酔狂なオッサン連中集めちゃったガーシュインのコンチェルト。諸般の事情でここで失礼したけど、ホントはいちばん聴きたかったカーニスの弦楽四重奏の緩徐楽章を編曲した弦楽合奏があって、最後は陽気に楽しく《アパラチアの春》。なんか、アンコールまで付いて、総計2時間半に及ぶ音の娯楽絵巻でありましたとさ。

正直、山下洋輔氏の独奏は、某同業者さんに言わせれば「アウェー感たっぷりですね」で、「ああああ、デカいオーケストラを前にモダンのピアノをガンガン叩いて自分の音をしっかり聴かせるというのは、ホントに特殊技術なんだなぁ」とあらためて思わされました。善し悪し、というよりも、芸風が違うんだから、マイク使っても良かったんじゃないかしら、って。曲としても、バーバー含め、やられないのにはやっぱり訳があるよねぇ、と実感させられたのも有り難いことであります。

んで、ちょっとばかり某所に行き、慌ててまた帝都中枢に引き返した本日午後は、溜池で日本フィルの定期、なんと、ストラヴィンスキーのもの凄く勿体ない演奏家の使い方をすることにかけては《結婚》と双璧ではないかと言われる、《ペルセフォネ》の日本初演だそうな。

これ、全くたまたまですが、このところのロンドンは妙に「多言語時代のストラヴィンスキー」が流向のようで、いかにもなサロネン先生率いるフィルハーモニアには、こんな立派なwebサイトもある。《アゴン》、《マヴラ》、《結婚》、《レクイエム・カンティクルス》なんぞをやってて、《ペルセフォネ》もやった。
https://www.philharmonia.co.uk/stravinsky/
それどころか、なぜかロンドンフィルも「ストラヴィンスキーと古典の出会い」とかいうシリーズを今やってて、これまたなんとまぁ、先月英都でウィグモアホールに居たとき、コンクールで総計10回も初演の新作課題曲弦楽四重奏を聴かされていたアデス御大が指揮台に上って、《ペルセフォネ》を指揮して下さいましたです。その晩はジャックQがあったのだけど、数年前に東京で聴いて「なんでこんなにヨーロッパの評論家に評価高いんねん、こいつら」と呆れた記憶が鮮やかすぎ、それならストラヴィンスキーの新古典主義で静かな心になりましょか、と出かけた次第。

その演奏がどうだったか、今更どうのこうの言ってもしょーがないわけで、ともかく、「へええ、なるほど、これはたいへんだわなぁ、やられないのは訳があるわい」と思った次第。
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なんせ、なにより集客があれじゃねぇ…。あの広いロイヤル・フェスティバル・ホールでゆったり聴けましたとさ。蛇足ながら、アデスが出世作《あの女の顔に白粉を》を大管弦楽組曲にした自作自演が一緒にあり、そっちももの凄く面白かったです。室内オペラの音楽を大管弦楽の組曲に編むって、ありそうでない。これ、21世紀のヒット作になるかもよ。少なくともワイルの《三文音楽》くらいにはやられてもいいんじゃないかしら。

もとい。んで、問題の《ペルセフォネ》なんですがぁ、昨日今日の溜池での演奏をお聴きになった方が感じたろう印象とロンドンでのそれとは、随分と違うものでした。ぶっちゃけ、ホールの響きとナレーションの扱いです。今日は終演後に失礼ながら日本フィルのスタッフの方に言ったことだけどぉ…
ナレーションさんがストラヴィンスキーの意図とは関係なく、しっかりジッドのフランス語に沿った「言葉の演技」をなさっていた。それが音楽と混じり合うかというよりも、サントリーホールという空間での大オーケストラ、合唱、独唱と、マイクを使ったナレーションのバランスが、とっても難しいなぁ、ってばかり思っておりましたです。日本フィルスタッフさんに拠れば、「お客さんが入っていないときはビックリする程バランスは良かったんですけど、本番でがらっとかわってしまい、びっくりです」。

ぶっちゃけ、「でっかい日比谷公会堂」とまでは言わないものの、どんなにお世辞を言おうが「豊かな響きの…」とはならぬかのロイヤル・フェスティバル・ホールみたいな空間の方が、マイク付きナレーションと歌唱やオケとおバランスは簡単に調整出来る。例えばN響デュトアでNHKホール、なんて今や不可能な(うううう…御大、上海響には出て《サロメ》やるそうな)組み合わせや、はたまた同じサントリーホールでも読響指揮カンブルランなんて組み合わせなら、まるっきり違ったもんになったでしょーねぇ。

今だからこそ出せるようになった「ラザレフ御大なりのピアニッシモ」があるとはいえ、やっぱり今や最後の爆演の巨匠たる御大は音の色そのものが御大独特で、アデス様の冷静にしてそつの無い棒とは宇宙の反対側みたいな響き。それだけに、劇伴としてはとても判りやすく、これはこれでありだと思うし、こういう「ロシア型」のこの作品演奏のディスクが世に出るのは意味があるとは思います。とはいえ、やっぱりなぁ、難しいもんでりまする、やってみればそれなりの成果があるのにやられない曲は、いろんな理由があるんだなぁ。

ま、恐らくはディスクになるとその辺りの問題はすっかりクリアーされていることでしょうから、暫く楽しみに待つことにいたしましょうぞ。

って、総武各駅停車東西新旧JP対決を終えると、来週末には神奈川の東を争う東響とカナフィルが、土曜日に「フラワージェネレーションのバーンスタイン」VS「サヨク独逸戦後作曲家」という突拍子もない対決をやらかしてくれる。いやぁ、トーキョーって、スゴいなぁ。かけ持ち可能、ってのもまた困ったことじゃ。

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