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タイで国際ピアノコンクール開催…なんだけど [音楽業界]

ちょいとコンクール絡みの話を急にせねばならなくなり(話、ってか、相談に応える、ということなんだけど)、作文作業の真っ只中で泥縄勉強をしていたら、こんなもんが出てきました。
https://www.music.mahidol.ac.th/tipc/fileslink/5th_tipc_general_information.pdf

タイのバンコク郊外、数年前にオープンしたときに大植英次指揮東フィルの世界ツアーが最後を飾る演奏会を行った、Prince Mahidol Hall, College of Music, Mahidol University Salayaであります。期間は、この週末からの1週間です。今日になっても審査員団の名前がPDFファイルには入ってないのが、なんともノンビリしたところでありますが…

興味深いのは参加者で、なんと、日本人はひとりもいませんっ!
https://www.music.mahidol.ac.th/tipc/fileslink/preliminary_result.pdf
これはこれで、別の意味での「ジャパン・パシング」でんなぁ…うううん。まあ、藝大のコンクールがありますよぉ、という掲示板みたいなところでも、このコンクールの告知は見たことなかったと思うしなぁ。審査員の顔ぶれが判れば、いろんなことが判るんでしょうけど。

なんにせよ、昨日のデュダメル&ベルリンフィルといい、「日本」という隅っこの島国無しでアジアの音楽業界が動き出している感じがする今日この頃でありまする。

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ベルリンフィル秋のジャパン・パシング東アジア・ツアー [音楽業界]

火曜日の早朝に帝都湾岸に戻り、なんのかんので今、かなりギリギリで原稿やってます。で、スイマセン、全然、当電子壁新聞どころじゃありませんっ。

んで、ひとつ、ニュースのみ。昨年からちょろっと小出しにしていたネタです。ベルリンフィルのこの秋の東アジア演奏旅行がきっちり日程が出たとのこと。もうとっくに出ていたみたいなんだけど。ツァー日程と場所は、こちらのページの11月のところをご覧あれ。
https://www.berliner-philharmoniker.de/en/concerts/calendar/events/cat/tour/
しかし、話はズレちゃうけど、ペトレンコって今年のザルツからプロムスの夏の終わりの最初のツアーでフランツ・シュミットの第4交響曲持って歩くんですねぇ。いやぁ、スゴい時代になったなぁ。

んで、アジアのツアーは、噂通り、指揮者は何と、デュダメルですっ!で、メイン演目はマーラーとショスタコの両第5番なんだけど、それのオマケプロというか、前プロが、バーンスタインでありますっ!マーラーには《ディヴェルティメント》で、そっちはまだいいのだが、ショスタコの前プロは驚くなかれ、これをツアーに持ってくるかぁ、と驚嘆しまくるバーンスタインの交響曲第1番《エレミア》でありまするっ!

マーラーの日は、台北からデジタル・コンサートホールで生中継もあります。こちら。おお、日本語のページがあるじゃんけぇ。
https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/52081

言うまでもありませんが、日程をじっくりご覧になった方はお判りのように、タイで始まり台湾、中国本土とまわるツアー、日本には寄りません。ちなみに台北は、メディアがあれだけ煽ったけど結局昨年は実現しなかったペトレンコVSデュダメル新世代対決が1年の時差で、バイエルンVSベルリンでマーラー5番直接対決ということになったわけですな。

これだけのことが起きてる台湾やら中国本土、どうして日本語の音楽雑誌は取り上げてくれないんだろうなぁ…もう、ジャパン・パシングと自虐してるときじゃないでしょーにぃ。

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メルボルン大会結果速報 [音楽業界]

メルボルン時間で日曜日午後3時過ぎに、2018Musica Vivaメルボルン国際室内楽コンクールのピアノ三重奏部門の本選が終了、結果が発表されました。

1位:トリオ・マーヴィン
026.JPG
2位:トリオ・ガオン
3位:アマティス・ピアノ・トリオ

以上です。他のふたつの本選進出団体が超名曲、みんなが知ってて逆にいろんな文句も言い様のあるラヴェルを弾いたのに対し、優勝団体はなんとなんと、ヴァインベルクを弾きました!ヴァインベルクの弦楽四重奏全曲演奏に付き合い、台湾で行われてるサイクルも追いかけてる「ヴァインベルク偉くし隊」のやくぺん先生とすれば、これはこれでもうなんとも嬉しいことでありまするが…どうなんだろうなぁ。YouTubeにはいくつか上がってますので、ま、ご関心の向きはどうぞ。トリオ・カンジンスキー、なんて懐かしい連中です。まだ頑張ってやってるんだなぁ。大阪からもう何年になるんだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=nFYd2aA0bm4
まあねぇ、本選は「これまでに弾いてない曲ならなんでもいい」という規程があるのだから文句を言うことでは無いけど、それにしても、スゴい時代になったものだ。うん。

なお、総合グランプリは弦楽四重奏本選の後に発表になります。委嘱作品賞もまだ発表されておりません。続報を待てっ!

※※※

スイマセン、結果発表の後、部屋に戻り、終わった終わったで地元ビールとニュージーランド白ワイン、水餃子と饂飩でプチ打ち上げしてました。んで、弦楽四重奏及び総合優勝の結果です。弦楽四重奏部門は…

1位:ゴルドムンドQ
2位:エリオットQ
3位:カリストQ

ま、順当な結果であります。そーでしょーねぇ、という感じ。エリオットQは、まだいくつか修羅場を潜って貰いたいし。

んで、総合グランプリは、トリオ・マーヴィンでした。これもまあ、順当でしょう。弦楽四重奏は、過去にアマリリス、ノガと優勝団体を出している流れからすると、ぶっちゃけ、かなりキャラが被る団体の3連覇ということになり、「ドイツ系真面目団体が勝つメルボルン」という空気が出来ちゃわないといいんですけどねぇ。まあ、その前はパイゾだから、たまたまなんでしょうが。

ちなみに、聴衆賞はトリオがガオン。弦楽四重奏がバウムです。後者は、正直、ちょっと吃驚。次回以降、聴衆賞のやり方がかわるんじゃないかしら。

てなわけで、メルボルンの夜は更け行く。次は…何年後か情報が錯綜していて分かりませんっ。あたしゃ、火曜の朝には東京湾岸に戻ります。

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はじめから3幕ありきの《ルル》 [音楽業界]

流石にネタが《ルル》では「現代音楽」カテゴリーには出来ないけど、ホントはチェルハの補筆が話題なんで、「現代音楽」カテゴリーにこそ相応しいのかもなぁ。

今、ライプツィヒ歌劇場の《ルル》チェルハ補筆3幕版が日曜夜の午後9時40分くらいに終わり
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なかなかクールなライプツィヒ中央駅で唯一午後11時過ぎまで開いている安飯屋たるバーガーキングに座り、W杯記念特製whopperメニュー€8.99に食らいついてます。

ホントはブラウンシュヴァイク歌劇場で昨日に続き《ユーロペラ1&2》をまた眺め、どこまでがチャンスオペレーションでどこからが演出家の仕事なのかをじっくり眺めるつもりだったのだが(結果として、一昨日にベルリンで《Wir aus Glas》を眺めたのがとても勉強になりました)、出発直前に本日の公演は中止という連絡があり、もう宿も明日の列車移動も全部決めてしまってるんでブラウンシュヴァイク駅前宿を動けず。幸か不幸か、ライプツィヒまで日帰りで《ルル》新演出を見物に来ることになった次第。

なんと、あのスカラ座が途中で音を上げて放り出した《光》チクルスを引き取って《火曜日》と《金曜日》の世界初演をやってくれた、という栄光の歴史に飾られたこの劇場だから、《ルル》3幕版なんてとっくに何度も出していると思ったら、驚くなかれチェルハ補筆版は当地では数日前のこの新演出のプレミエが初演だったそうな。へえええ、そういうもんなんだなぁ。

この舞台、コンヴィチュニー門下(というのかしら?)の若手演出家さんが起用されてます。ヘタすればベルク未亡人とのすったもんだの挙げ句、ようやくパリのガルニエ(しかなかったけど)でブーレーズ指揮でチェルハ補筆《ルル》3幕版が世界初演された頃には、まだ生まれていたんだかどーだかというくらいの方。もう演出家として物心ついたときには、《ルル》はちゃんと3幕1場があって当たり前、たまぁに口うるさい指揮者なんぞが抵抗して初演以来の2幕+エピローグ版も上演されるよねぇ、って世代であります。

このチェルハ版にはいろいろ批判もあり、最近では初台で《松風》振った指揮者さんが補筆してシラー劇場に仮住まいしていたリンデン・オパーが鳴り物入りで上演した舞台なんかもある。あれはもう、なんというか、「天下の大指揮者とされるオペラハウスの偉い監督さんでも、こんなにダメダメなことってあるんだなぁ」と吃驚させられた大失敗だった(と、やくぺん先生的には断言するのであーる)。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-04-10
無論、初台の黒歴史の舞台もあるわけで、この《ルル》という作品、現在普通に上演される所謂名作歌劇の中でも、群をぬいて舞台の当たり外れがある楽譜に思えるのだが…それがどういうことなのかは、また別の話。

そんなわけで、このライプツィヒ初演となるチェルハ版上演でありますが、もの凄く疲れているので結論をさっさと言っちゃえば、わざわざローカル線2時間乗って来るだけのことはありました。

ポイントはふたつ。ひとつは、ウルフ・シーマ御大の作る音楽です。ともかく、この楽譜でオケが声を掻き消すことなんてあるのかと驚かされる程、よく鳴ります。このままだと、チェルハ版でいちばん問題とされる「3幕1場になって急にオケの響きが薄くなるんでないかい」って欠点が顕わになっちゃうかと思ったら、それが案外とそうでもない。
そもそもこの場面、体力を失っていたベルクがもう書けなくなっちゃったんじゃないか、はたまた《マイスタージンガー》すらも越える全部で何声部あるやらよーわからん程の超巨大なアンサンブルが右往左往する場面がもう収集付かなくなったんじゃないか、とすら言われるわけで、オケと声のアンサンブルのバランスをどうするか、ベルクのピアノスコアがあったとしても、誰だって頭を抱えちゃうだろうことは容易に想像されます。それを「これはこういう楽譜なんだ」と割り切り、「演奏」という究極の現場技術で乗り切ったのだから、これはもう誠に見事な指揮者さんのお仕事と褒めるしかないでありましょーぞ。
3幕の前半を違和感なく乗り切ってくれたお陰で、《ルル組曲》でお馴染みのゴージャスな音楽を背景にルルと切り裂きジャックが二重唱する場面が、文字通りの「最後のクライマックス」になる。なるほど、やっぱりこれは2幕版じゃあダメよね、と納得するしかない。
ただ、個人的な趣味から言えば、2幕版でのクライマックスだったルルがシェーンを撃ち殺すところ、ベルクの譜面づらがとっても綺麗な箇所が、ブーレーズっぽい透明な響きがオーケストラいっぱいに広がっていくみたいにはならないのは、ちょっと残念。ま、このやり方なら仕方ないかなぁ。

もうひとつはロッテ・デ・ベアさんという演出家さんの仕事っぷり。こちらの公式ページにトレーラーがあるので、ご覧あれ。
https://www.oper-leipzig.de/de/programm/lulu/68438
考えてみたら、一昨日のベルリン、今日のライプツィヒ、そしてツアーのハイライトたる明後日のビュルツブルクと、演出を担当しているのはコンヴィチュニー以降の若い演出家さんばかり。今日の女流演出家の仕事は、《ルル》という作品のオペラ史上の最大の特徴のひとつたる「舞台上での動画映像投影を作曲家が楽譜に書きこんだ最初の作品」という部分をうんと拡大し、もう冒頭から最後まで、映像流しっぱなし。
なんせ最初の猛獣使いの口上の背景では、舞台全体がまるでIMAXシアターかと思えるほどデッカい映像を投影し、ルルと呼ばれる素性の知れない女の子がジゴルヒに少女売春させれるところを見せてしまいます。つまり、ベルクが指定した「ルルの逮捕、裁判、逃亡」の部分だけではなく、ほぼ全編を映像で説明する。それだけではなく、スクリーンがいくつも垂れ幕のように下りてきて、台詞の一部(全部ではありません)が映されるスクリーン、舞台の様子を描いているドクター・シェーンの視点、逃亡していくパリやロンドンのシーン、等々が、1930年代くらいの映像を編集して(新作もあるんだろうが、どうやってもってきたんだ、これらの映像?)流される。普通の意味でのセットはほぼ一切ありません。要は、モダンな書き割りですな。ほれ、これがカーテンコール。舞台カラッポ。
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無論、そういう舞台ですから、劇場専属歌手によるアンサンブルがきちんとしていないとどーしよーもなく、あらゆる細かい動きはきっちり演出され、歌手達がきっちり動けている。ダンサーが絡んだりするのも、今時の常識として行われている。

そんなこんなで、極めてまともに、衒いなく、トリッキーな仕掛けもなく、ヴィーデキント&ベルクの台本をちゃんとまともに見せてくれる。ただ一箇所、演出家なりの「読み替え」というか、通常のやり方と違ったのは、ゲシュヴィッツがジャックに殺されず、生き残ること。これ、どういう意味なのか、いろいろ議論が出来るでしょう。

てなわけで、作曲家の求めた大戦間時代の最新テクノロジーによる舞台処理を21世紀なりに全面的に展開したこの舞台、3幕版の上演史の中でも、高い評価を与えられるものでありましょう。

ただ…やっぱり、こうしたちゃんとした舞台であればあるほど、《ルル》という作品が大真面目な悲劇なのか(ベルリンでバレンボイムがやっちゃったみたいな)、はたまた気の触れた時代を生きる気の触れた連中の喜劇なのか、良く判らない。《ドン・ジョヴァンニ》と並ぶ処理の難しい舞台だなぁ、とあらためて思わされます。立派な、水準の高い舞台を観れば観るほど、「決定版舞台は永遠に出てこないのだろうなぁ」と思わされる作品というものは、ある。うん。

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伝統と格式の《フィデリオ》 [音楽業界]

どういうわけか先月から全曲を舞台で聴くのは3回目、《レオノーレ第3番》に限ればチョン・ミュンフン指揮東フィル、飯守監督指揮東響、メスト社長指揮クリーヴランド管、それにチョン指揮スカラ座管と、2週間毎にゴージャスなライヴ演奏を4回続けて聴いてるというさりげない豪華《フィデリオ》月間が、先程、無事に終了しましたです。

てなわけで、最後を飾る天下のスカラ座の舞台でありますが
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http://www.teatroallascala.org/en/season/2017-2018/opera/fidelio.html
これ、まあ、なんというか、「なるほどねぇ、初台のお客さんは、ヴァーグナー曾孫さんのトンガリ演出なんかじゃなくて、こっちが欲しいんだろうなぁ、ホントは」って感想が全てであります。皮肉でもなんでもなく、ホントにそーゆー感じのもの。

無論、今時ですから所謂「モダン演出」で、マルツェリーナはアイロンかけてるし、ヤッキーノはバスケットボール持って遊んでるし、牢獄の現場ポリツァイ連中は一緒にバスケしたり年寄りはサッカー新聞(だと思う)読んだり。キャストで唯一東フィル演奏会形式と重なったピツァロはどうみても線の細いIT企業社長か賢そうなEUのお役人現場エクゼ。囚人らの動かし方も今時のイベントの現場規制のやり方だし…。

ただ、2幕の地下の暗くてデカい、うち捨てられたアヤシイ空間の感じはなかなかのもので、ああフロレスタンはなんかバランスの悪いヘンなもんでも喰わされて足かせされて運動不足であんなにデブデブになってしまったのかぁ、なぁんて妙な納得したりして。レオノーレのフロレスタン発見の瞬間も、あれだけ広い空間があると、まあああいう認知の仕方になるんだろうなぁ、と納得。フロレスタンが嫁さんが判らないのも、あんなに暗ければねぇ。んで、問題のピツァロの前での名告りの瞬間は、定番の帽子を取って長い髪の毛が出て来るだけだし、ちゃんとピストル出してピツァロの短剣に対峙して「おお、やっぱりトランプ以下銃器所持規制反対派が大喜びする展開かぁ」と思ったら、あっさりピツァロがピストル奪い取って、なんだ玩具じゃ無いか、とぶち壊されちゃう。おおおお、どうなることやらの瞬間、高らかに法務大臣の到着が鳴らされ…

って、つまり、ホントにいかにもな「これぞ伝統と格式の《フィデリオ》じゃ」という鉄板演出。

ただ、この舞台で面白いかったのはこれから。なんせ、東フィルでの上演と同じく、《レオノーレ3番》を最初にやっちゃってるんですよ。で、夫婦が盛り上がり終わるとロッコがドタバタ地下に下りてきて、台詞で状況を手短に説明。と、あっと言う間に上手の壁が破られ、光が入ってきて、作業ヘルメットを被った人々がどどおおおっと雪崩れ込んでくる。

つまり、展開が余りに急で、どっかに逃げてたピツァロも何か手を打つにもなんの術も無く、あれよあれよと状況に流され、牢を破ったらしい囚人が次々雪崩れ込んでくるので動きも取れず、アホ面で法務大臣様に対面せざるを得なくなる。

ことここに至り、やくぺん先生ったら、なるほどぉ、と膝を打ったわけでありまする。今だ語り草、既に歴史になりつつあるあの初台演出(同じボックスに座ったのはニューヨーカーご夫妻で、数週間前に出たトウキョウの新演出の話をしたら、大いに盛り上がってくれましたぁ!)が可能だったのは、ひとえにマーラーのお陰だったのか、ってね。

だって、初台では、あの長大な《レオノーレ第3番》が2幕の場面転換に用いられるというマーラーが始めた習慣があるからこそ、飛び道具無しの無為無策でピツァロに立ち向かったレオオーレはあっさりピツァロの反撃を浴びて射されてしまい、ピツァロはフロレスタン夫妻をブロック積み上げ幽閉してしまい、囚人の中に偽物フロレスタンと偽物レオノーレを用意させる、なんて周到な事実隠匿作業の準備が可能だった。少なくとも15分くらいの時間はあった。なんて賢いんだ、なんて悪辣なんだ、なんて有能なんだ、初台のピツァロ!

残念ながら《レオノーレ第3番》という時間の余裕を与えられていなかったミラノのピツァロさんは、いまどきの役人らしく臨機応変の現場対応が出来ない体質もあったか、なすすべもなくフェルナンド大臣と対面せざるを得ず、どうやら最後は自殺せざるを得なかったみたい(小生の席からはよく見えなかったんですけど、舞台奥に姿を消したあと、ピストルの音のようなものが響きました)。何が降ってるのかよく判らぬ白いものが舞う中、みんな夫婦を讃えあうんだが、ひとりマルツェリーナだけは、状況に納得いかず、レオノーレがゴメンナサイと近寄って来ても拒み、ヤッキーノを放置しひとり不満たっぷりに舞台を去って行く。これだけの事態の急変があると、まあ、全ての人が起きてることに納得出来るわけではない、ということはチョロッと見せてくれる、そこそこは「現代的」な演出でありましたとさ。

上演全体とすると、初日が出て2度目のステージのようだけど、タイトルロール以下、決して万全ではない歌手もいたり(ブーが出るのではないかと心配でした)、最後のチョンさんの大煽りにスカラ座管付いて行く決まったく無しとは言わないが、ま、勢いだけでもってっちゃったみたいなところもあったり、完成度では東フィルの方が高かったかも。ただ、やっぱりスカラ座管は「腐っても鯛」で、冒頭の序曲頭の最弱音のレガートの質感やら、さりげない伴奏の16分音符の刻みやら、もう猛烈に美味しい響きがあちこちで聴こえる。貧乏人の強がりではなく、最初の《レオノーレ第3番》を聴いただけでもう€144という超高額切符のボックス席いちばん奥のもとは取った、と思った次第。

立派な劇場で、立派なセットで、猛烈にゴージャスな響きのオケで、ふつーの《フィデリオ》を聴きたいと思う方は、今からでも遅くないからミラノまでどうぞ。この劇場では有名作品ながら人気が無い出しものらしく、まだまだ切符はいっぱいあるみたいですよ。

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ランゴーの時代は来るや? [音楽業界]

「20世紀傑作オペラ観倒し超強行軍ツアー」が始まりました。数時間前にシベリアを越えフランクフルト空港に到着。そのまま地下近郊鉄道駅からSバーンで30分ほど、マイン沿いのフランクフルト市内とは反対に向かい、マイン河がライン河に合流する交通の要地、音楽ファンの皆さんにはあのショット出版社の本拠地として知られ、最近では「ブルグミューラーの街」としても知名度うなぎ登り(なのか?)の、マインツに来ております。

なんでこんなところに来ているかというと、今晩、この劇場でランゴーのオペラ《アンチキリスト》の今シーズン最後の上演があるから。明日、ボンで《アクナトン》があり、最初はデュッセルドフルに到着してノンビリして時差調整をするつもりだったんだけど、こんな妙てけれんな作品を見物する機会はそうそうないですから、飛行機が遅れるとか、半分寝ちゃうとかいうリスク込みで、天井桟敷のいちばん安い券を購入、とにもかくにもあのゴージャスなマーラーちっくな音楽にライブで浸れればもーけもの、って演奏者の皆さんには失礼な客だったわけでありまする。

ともかく、フランクフルト到着が定刻で4時半、開演が7時半ですから、ホント、ダメモトとしか言いようが無い。はい。

幸いにも空港にタッチダウンしたのが4時で、荷物を引っ張ってS8のウィズバーデン行きに乗ったのが5時5分過ぎくらい。ま、あのアホみたいにデカい空港としては良くやってくれた。結果、マインツ中央駅に到着したのが5時半過ぎで、駅前の「ショット通り」先にある宿に荷物を突っ込み、シャワーを浴び、W杯見物屋台村みたいになってる旧市街の真ん中を抜けて、巨人に進撃されちゃったような劇場に到着したのが7時過ぎ。夏至も近い空は、まだまだ夕方とも言えない明るさ。
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さあ、なにやらアヤシげな舞台が始まるぞぉ。
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とにもかくにも席に着こうと階段を上がり、指定の入口に行くと、おねーさんが立ってて、「今日はこっちは開けません。そこの階段を上がって正面の席に行き、適当な空いてる席に座ってね」とのこと。なんなんねん。言われるがままに3階正面に向かうと、なーるほど、W杯の裏番組には地味過ぎる作品、今日はこのくらいの入りなのかぁ。20数万人の都市としては立派すぎる劇場は客席は900だそうだけど、天井桟敷はかなり見下ろす感があり、おそるおそる平土間を覗き込むと…まあ、こんなもんかなぁ、というお客様。こういうもんなのかしらねぇ…

ま、それはそれ、とにもかくにも定時に開演し、睡魔と闘いながら糠味噌状態の脳みそをなんとか機能停止にしないのがやっと。もう起きてることを目で追うのが精一杯なもんで、どんな舞台だったか説明する自身がないんだけど…一応、珍しい体験だけに記録しておきましょうぞ。この作品、音楽は録音で聴く限りマーラーか《グレの歌》か、って感じなんだけど、実際にライブで聴くと、うんとめんどくさくなくしたシュレーカーというか、エルガーのオラトリオの不信心者版というか…ま、だいたい、どんなもんかお判りでしょ。

そもそも、オペラではなくオラトリオみたいなもののようで、つまり、ヘンデルの《イエフタ》とか《メサイア》とか、はたまたバッハの受難曲とか、それこそ《グレの歌》とかを舞台上演することがあるわけですが、そういうもんです。ぶっちゃけ、ストーリーは(本来)ありません。アンチクリストが登場し、いろんな不信心の極みなことをソリストが歌う6つの場面から成っていて、最後はどうやら不信心なことはダメよ、みたいな盛り上がりで終わる(この説明、酷すぎるので、真に受けないように)。

この舞台では、最初にキリスト(の味方の天使?)とアンチクリストが絡み合ってるところから始まり、アンチクリストが「大口叩き」とか「悲観主義」とか「万人の万人に対する闘争」とかを仕掛けてる狂言回しみたいになる。《7つの大罪》みたいなもんですが、あれほどの筋もありません。90分程の2幕というか2部構成で、前半3曲の後に台詞が加えられて、話の枠組を作ってます。あ、ドイツ語版でやってました。

もう、ねむくてしょーがないので、もうこれくらい。結論から言えば、このマーラリアンでゴージャスで、何カ所か圧倒的にキャッチーな部分があり(ちゃんと冒頭と最後が盛り上がる)、それぞれの場面はダンスと役者をあれこれ動かした総合的な舞台で…そうそう、《カルミナ・ブラーナ》の舞台上演みたいなもんですわ。ともかく、アイデアがある演出家ならもういろいろやれるし、なんせ人間のネガティヴな部分を思いっきり出せば良いわけだから、才気煥発を炸裂させ続ければOK、という台本。そして、正にそういう舞台でありました。

昨今、バロックオペラが大流行なのは、演出家にとって緩すぎるストーリーやリアリティ皆無な展開がどうにでも弄れるし、弄らないと格好が付かないから、というところがあるのは否めない。それにもちょっと似た、あんでもありの舞台が可能なテキストで、でも音楽は気楽なバロックじゃなくてみんなが大好きなスーパーゴーーージャスな後期ロマン派のドロドロですから、あなた、これ、流行する可能性、大いにあるわいな。

問題があるとすればデンマーク語の壁なんでしょうが、どうやらドイツ語のテキストがちゃんとあるようなので、なら実質、壁なんて無いに等しい。最初の曲で《大地の歌》みたいに歌手が聞こえない、なんてのも後期ロマン派なら演奏者も客も慣れたもんですし。そうねぇ、昔なら日本初演は若杉弘、って感じだが、今若杉の大野氏よりも、それこそ若様インキネンなんかにうってつけじゃないかしらね。

海胆頭やくぺん先生の周囲はどうやら出演者のお友達ばかりみたいで、今日が楽日だから終わったら打ち上げに繰り出そうぜぃ、って空気が蔓延してて、終演後はやんやの大拍手。
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這いずるように劇場を出れば、夏至も近いラインの畔は、まだまだやっと夕方が始まったばかり。

眠い…もうオシマイ。

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「バランスの良さ」=「踏み込み不足」? [音楽業界]

日生劇場で、なぜかそれなりに話題になっているらしい佐藤美春氏演出の《魔笛》を見物させていただきましたです。
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なにしろ演出家さんはお嫁ちゃんの学校の助教さん、ドラマトゥルク(ブタカンではないんですよねぇ、最近は)はお嫁ちゃんと同じ教授会であれこれ頭抱えてる同僚、キャスト表には小生を育てて下さった編集者さんの娘さんの名前があり、指揮は我らがマエストロ・リチャードN、んでもてオケが錦糸町の皆々様ということで、なんだか知り合いが学祭で上演してるんじゃないかというような顔ぶれなもんで、こんな「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする無責任私設電子壁新聞なんぞに記すくらいなら直接本人に言えばいーでしょーに、って感じなんだが、ま、己に対するメモということで、サラッと記しておきましょうぞ。

今回の《魔笛》、ひとことで感想を記せば、「滅茶苦茶バランスの良い上演」ということになるでしょうねぇ。ホントに「あらゆる意味で」と形容句を付けても全く問題ない程のバランスの良さ。

なんせ、極めて適正な規模の劇場で(アムステルダムとか、シュトゥットガルトとか、フランクフルトとかくらいの大きさじゃあないかしら、入った感じからすると)、極めて適正な額の木戸銭で(最高で€70ですから、正にドイツなんぞの人口20万人くらいの都市の市立劇場と同じくらい!)、ちゃんとしたレベルの歌手や合唱と、ちゃんとしたレベルの指揮と、ちゃんとしたレベルのオケがそれなりにちゃんと音を出し、(最大多数の聴衆にアクセシブルな)ちゃんとした演出をしてくれているわけですから、もうこれ以上何を言うことあろーか、って感じであります。あとは好き嫌いだろうから、勝手に言ってなさい、ってね。

こういう舞台を眺めると、現状追認的に言えば、東京にもちゃんとコミーシュ・オパーとかシティ・オペラとか、はたまたアン・デア・ヴィーン劇場に相当する「バカでっかくて有名な歌手が出る国立劇場」に対するオペラ劇場があって素晴らしいではないか、と激賛する事も出来るわけだが…逆に、初台のナショナルは何をやってるんだか、本来、このプロダクションでやってることの多くは民間資金じゃなく税金使ってやるべきことなんじゃあないかい、と思わざるを得ないこともまた確かでありまして…。うううん、初台問題、奥が深いなぁ。この前の《フィデリオ》だって、あのばかデカい空間じゃなくて、こっちでやれば余程良かったろーに、と思わざるを得ないでありまする。はい。

マエストロN&NJPの、今時の「俺たち古楽やってるぜぇ」系のイケイケ系響きとはまるで異なる、ある意味ちょっと古めのドイツのちっちゃな劇場みたいな音に安心して浸れるこの舞台、やっぱり、いちばんの話題は、演出界の若きホープのひとり、佐藤氏の演出でしょうねぇ。
この方、ENOだとかシュトゥットガルトだとか、師匠筋としてはコンヴィチュニーとか、諸々勉強してきた背景がとても良く判る、やくぺん先生的には極めて好ましいタイプの世界を作って下さる。なんか、「ああ、ENOっぽいなぁ」ってテイストはあちこちに感じられます。師匠譲りと言えば、音楽があろうが無かろうが平気で効果音を突っ込んでくるところなど、誠にコンヴィチュニーちっくでありますし。最後の火と水の試練の所で、猛烈に薄い魔笛の音しか聞こえないような箇所にボコボコ沸いてる水の音などがかなりするのは、気になる人は気になるかも。ま、舞台転換の音が派手にしてなかったのは良かったけど。

どんな内容の舞台で、何を言いたかったかは、もうあちこちでいろんな方が仰ってるようなので、今更どうこう言うつもりはありません。やくぺん先生としては、善し悪しというより、「ああ、若い世代の人が作ってる舞台だなぁ」と思わされました。携帯をギャグに使ってるとかのことじゃなく、なんというか、舞台上の人間関係、人物造形、なにより舞台に飛び交う映像を含めた全体の舞台のテイストがさっぱりスッキリ21世紀のニッポン。タミーノが民野さんだったりするんじゃないけどさ、ああ、これは今のニッポン国だわなぁ、ってね。

土曜日に見物したうちのお嫁ちゃんなど、背景に飛び交う映像などは「化物語」のシャフトっぽさを感じたと申してるけど、ま、確かにそうかもね。そう言われて眺めたもんで、「なんか新房監督シャフトで《魔笛》をまんまアニメ化してくれたら、これ、なかなかいけるんじゃね」と何度か思ってしまったぞ(タミーノの正義感って、確かにアララギ君っぽい薄っぺらさだもん)。恐らくそういう世代が映像なんぞを作ってるんでしょうねぇ。

おっと、もといもとい。本日の公演、終演後に演出家さんとドラマトゥルクさんがまるでここは上野の研究室か、って感じの気楽なトークをなさって下さりまして、見物せぬわけにいかんだろーなー、と眺めて参ったのであります。んで、これを聞いたが故に、かえっていろいろ考えてしまった。
というのも、舞台を観ている限りは、「ああ、この演出家さん、もうひとつ突っ込んではっきり示せるのに、一歩手前で言い切らないくらいにしてるんだろうなぁ」と思っていたいろんなあれやこれやが、言葉の形で語られてしまった。そうなると、聴衆とすれば、「なんだ、そこまではっきり言いたいことがあったんだったら、要は演出の力不足ってことだったのか」と思ってしまいかねない。かねない、なんてぼやかした言い方をしているのは、その辺りの微妙なバランスが舞台の制作過程を眺めていないと判らないから。

例えば、今回の舞台、演奏する側からすれば相当イヤな、ってか、困る場面があります。どことは敢えて言いませんが、1幕と2幕にあったギミックです。それに対しては、オケマンの方から随分と文句の声が出ていた。そういう現場で起きてくる「自分の意図を伝えるためにやりたいけれど、現場がそれは出来ないという」という事態を前にしたときに、果たしてこの演出家さんがどういう動きをしたのか。老獪さというのは、そういう瞬間に対応する手札がいっぱいあることなんだろうが、そういう意味での老獪さなんぞが備わってるわけがない。そこでどういう駆け引きをし、結果として中途半端と思われないところにどう落とし込んでくか、その辺りの力関係や人への働きかけはどんなもんだったんじゃろーか?

そういう部分を含め、いろんな意味で「バランスが良い」としか言いようのない舞台であった、ということ。

勿論、そういうバランスを敢えて崩すような演出をするというもの、若いが故の特権でありましょう。先頃の二期会のちょっと始末に困る《ローエングリン》みたいな、明らかにオペラを演出する技術面ではシロートのアーティストが、やりたい意欲だけで突っ走り、あっちこっちに穴がボコボコ、突っ込みどころ満載、矛盾だらけ、なんてのもあり得るわけですから。

佐藤氏にちゃんとしたオペラ演出家としての資質はきちんとあり、纏める力もあることは判った。次はなにか無茶をやって欲しいなぁ。破綻を食い止める強引な力業、ってのは師匠のお家芸なわけですから。

なんだか隔靴掻痒、「〇〇ではあるまいかと思わないのでもないのだがいかがなものであろーか」みたいな話になってるなぁ。いやはや。

さて次は、いよいよ明後日からのツアーのハイライトたる《中国のニクソン》で、佐藤氏と並ぶ若手演出界のホープ菅尾友氏が登場でありまする。秋には日生で《コシ》をやるわけで、正に「次のバッター」(監督、かな)でんな。佐藤氏はやたらと慶応ワグネル応援団が客席に来てたけど、菅尾氏はなんとあたくしめやお嫁ちゃんの後輩なんだわなぁ。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/interviews/global-alumni/Tomo-Sugao.html
本日の演出家の盟友ったら、なんと21世紀の卒業かぁ…←遠い眼。カーテンコールで合唱団の前にしんしょう先生がお立ちに成られていたのには感動したんだけどねぇ。

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日本フィルはシェフの田舎でシベリウスを弾くのだ! [音楽業界]

「音楽業界」というより、「たびの空」っぽい御題だなぁ。

今、都内某所で日本フィルの首席指揮者インキネン氏の契約2年間延長記者会見がありました。
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あんまりオーケストラ関係は近寄らない小生でありますが、なんせ震災&原発事故直後に日本を逃れる外国人に混じって香港フェスティバルに招聘されていた楽団と共に南に向かい、殆ど深圳のローカル地区の学校までアウトリーチしたり、マエストロのメルボルン《リング》に付き合ったりしちゃったもんで、こういうときにはお声がかかるわけですわ。

んで、この先の2020年に向けてのベートーヴェン・チクルスやら、プチ・ドヴォルザーク選などについては、他の同業者の皆さんがなんのかんのあちこちにお書きになるでしょうから、それはそれ。ツアー担当(?)のやくぺん先生とすれば、そっちの話をしましょうか。

今回、「日本フィンランド国交150年記念&渡邉暁雄生誕100年記念」の欧州ツアー、IMGの差配で独墺英のなかなか微妙に興味深いところをまわるのだけど、その最初に到着し演奏するのは、なんとまぁ、フィンランドだそうな。期間は、来年のなんとも遅いイースターの前、4月の頭から半ば。まずは4月2日にヘルシンキで演奏し、翌日はコウヴォラという東に150キロくらいの街に向かいます。ペテルスブルクとヘルシンキの中間辺りの交通の要地だそうだが、そんなことより大事なのは、ここが我らがマエストロ・インキネンがお生まれになり、お育ちになった田舎だ、ということ。

記者会見にはなか切れ者そうな女性市長なんかもヴィデオでメッセージを送りつけてくれちゃって、我が街のマエストロを盛りあげてくれる…のかな。この街で披露するのは、まだ協奏曲は判らないけど、ラウタヴァーラが最後に書いた管弦楽曲に始まり、協奏曲があって、武満の《弦楽のためのレクイエム》、そしてメインは何と何と、シベリウスの交響曲第2番でありますっ!

あなたっ、シベリア挟んで隣といえばそれまでだが、遙か極東の島国のオーケストラがフィンランドまで出かけて、しべにやるんですよおおおお!これって、朝比奈御大率いる大フィルがザンクト・フロリアン教会でブルックナーの7番を演奏したツアーの盛り上がりに匹敵するものが、日フィルを支える人達の間で巻き起こってもええんでないかいって話じゃあありませんかぁ!ヴィーンのコンツェルトハウスで弾くなんてのよりも、よっぽど大騒ぎでんがなぁ。いくら渡邉暁雄で鍛えられ、世界で最初にデジタル録音のシベリウス交響曲全集を作った(という記述がセットものレコード出た時にあったような)それなりに演奏歴がある団体とはいえ、モロに「乗り込む」わけですからねぇ。

ちなみに、初日のアウェイ中のアウェイたるヘルシンキも、やっぱりメインはしべにだそうな。監督も地元で実力を見られる、きっつい闘いになるのだろーなー。

ちょっと心配になったので、質疑応答時間に恐る恐る手を挙げ、「あのぉ、アホな質問なんですが、外国のオーケストラがフィンランドに来てシベリウスを弾く、ってのはよくあることなんですかぁ?」とマエストロに尋ねたですよ。はい。

ったらマエストロ、応えて曰く、「勉強不足でデータは判らないですが、私が知ってる事例としては、ヴィーンフィルがマゼールさんでヘルシンキに来てシベリウスを3曲を演奏する、という演奏会がありました。そのときは、マゼールさんが急病でキャンセルになり、たまたま休暇でフィンランドにいたオラモ・サカリさんが呼ばれて、練習無しで代役に立ちました。それで覚えている」とのこと。

世界中のオケがフィンランドにやってきてシベリウス詣でをしているかどうかは、残念ながら判りません。でも、いずれせよ、ちょっと特別なツアーに成らざるを得ない。ヴィーンでベートーヴェン弾くのとは、地元の見方も違うだろうしねぇ。ホントはもっと心配なのは財政的な部分なのだが、それはまたいずれ、ということみたい。とにもかくにも、響け渡邉暁雄の遺伝子、フィンランドのたびの空へ!

やくぺん先生も無論来ますよねぇ…って空気は、なんなんじゃぁああ…

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なんでこの時期に弦楽四重奏だらけなのか?:これが答えだっ! [音楽業界]

カザルスQのベートーヴェン全曲演奏会、残すところあとコンサートひとつとなり、開演までの時間をアークヒルズというかアメ大の隣に出来た新しいビルのカフェに座ってます。お嫁ちゃんも後半まで頑張るつもりだったのですが、なんか喰いながらあたくしめが請求書作ったり始めたら急に調子が悪くなり、明日の学校もあるので、涙涙で作品132は諦め、今、佃の縦長屋に戻りました。まあ、普通じゃない体の人間にはこの半端な季節は厳しい…って、いつもかぁ。

てなわけで、また淋しく独りになって、アメ大警備の官憲の動きを眺めつつ、細かい自分に対する秘書仕事やら連絡仕事をしている梅雨の日曜の夕方。サイクルは、個人的には最も興味深い「作品18の6と作品135での第1ヴァイオリンの交代はどんなことになるのか」が眺められるのにワクワクしつつ(なんせ、情熱的ながらもきっちり纏めてくるアベルと、当たり外れがちょっとあるけど当たると天才ってヴェラのキャラクターは、この両作品ではどっちに配すべきか、カザルスQのポリシーが微妙に外れる可能性がある2曲ですからねぇ)、お嫁の体調を心配しつつ、この数日、会う人々に同じ質問(というよりも嘆き、ぼやき)をされ、同じ応えを返している話をいたしましょうぞ。それ即ち、「どうしてこんなに弦楽四重奏が重なってるの、この数日?」

つらつら考えるに、この質問への回答は当無責任私設電子壁新聞に何度も記しているように思えるのだが、ま、検索しろといっても探しにくいので、あらためて記します。ご存知の方はよーくご存知の議論ですわ。

あらためて答えるに、理由ははっきりしています。日本と欧米の音楽シーズンのズレが生んだ現象です。以下、まずは欧米側の事情を箇条書きで記せば…

※欧米の都市部の音楽シーズン(オーケストラやホール、都市の主催団体がサブスクリプションのコンサートや、はたまたコンサートシリーズ、はたまた単発のコンサートを作って、あちこちの会場で提供する時期)は、原則として9月から翌年5月終わりまでである。遅い場合は10月始めからとか、6月の終わりまでとかの団体もあるが、大まか、このくらい。要は、「学校が始まってから、卒業式になるまで」ですな。

※欧米の地方や田舎での音楽祭や教育セミナーは、原則として6月終わりくらいから8月終わりまで。ズレても、夏至の頃から北米でのレイバーデーの休日明けまでである。

※結果として、5月の終わりから6月の終わりまでの4、5週間は、世界中を飛び回っているような20世紀型のスター団体やオーケストラとすれば、年に1ヶ月の家族サービスが出来る休暇タイムとなる。

つまり、5月終わりから6月上旬は、欧米演奏団体が本拠地での仕事が終わり、その気になれば最も簡単に遠隔地へのツアーが出来る時期なのであります。

実際、先週、ミロQの第1ヴァイオリンと元第2ヴァイオリン夫妻が子供を連れて日本に里帰りしていて、溜池で飯食ってたら、目の前を彼ら彼女らの知り合いのクリーヴランド管団員が行き交ったり、日本に到着したというカザルスQのシカゴ出身ヴィオラ奏者くんから飯食おうぜって連絡があったり、溜池でしっかりそっちの旧交も温められてしまった次第でありました。

一方、受け入れる日本の側にも事情があります。言うまでも無く、日本の予算年度は4月から始まる世界でも特殊な状況であります。ご存知のように、4月は役所の人事異動が多く、新人も入ってくる。で、実際の所、新体制で仕事がホントに動き始めるのは5月の連休明けからになる。これは「〇〇市文化ホール」やら「××県芸術振興財団」などでも同じであります。ですから、ホントは出来れば連休明けくらいまでは主催の公演などはやりたくない。
この数年、「東京春音楽祭」などという年度を跨ぐ民間のフェスティバルがあったり、5月連休にはラ・フォル・ジュルネ及びその派生フェスティバルが開催されるので見え難くなっちゃったけど、20世紀までは新年度から連休明けくらいまでは、海外団体などは極めて少ない季節でした。意外にも、閑散期だったのですわ。

これら双方の事情がうまく、だか困ったことにだかマッチしてしまい、連休が終わってから日本の梅雨前半くらいに、沢山の外国団体が「日本で公演したいんだけど、どうかなぁ」と言ってきて、日本の音楽事務所も「この時期ならばあちこちに売りやすいタイミングだから、考えてみましょうか」と返事することになる。

かくて、あれよあれよと招聘演奏会が増えるわけでありまする。

オーケストラとかオペラなど規模の大きな団体の場合、招聘は大手の音楽事務所になりますから、お互いに無茶なマーケットの奪い合いにならんように、なんとなく現場通しで調整が成されます。ベルリンフィルとヴィーンフィルは流石に東京でバッティングしないようにするでしょうし、ロンドンフィルとロンドン響を一緒の時期に呼ぶこともしないでしょう。

ですが、弦楽四重奏の場合、このところ、所謂大手事務所が日本に招聘することは殆どありません。個人規模の小さな事務所、ホール自身が自分で直接招聘する、はたまた演奏家の知り合いの個人がどこかの事務所に御願いする、ことによるとホントに個人が呼んでしまう、などなど。こうなると、演奏者側(及び、欧米の力のある音楽事務所側)の事情がまず先に立ち、それぞれの招聘元が話し合いをするなんて不可能。結果として、去る金曜日の晩のように「東京でアルテミスQとカザルスQとプラジャークQの演奏会があり、関西でディオティマQがやってて、名古屋ではデーニッシュQがやってる(んですよね)」とか、昨日のように「昼間に神奈川県でプラジャークQの演奏会を主催していた個人主催者さんが、慌てて夜のカザルスQの演奏会を聴きに来る」「昼間と夜のカザルスQのチクルスの間に、上野まで吹っ飛んで行ってミドリさんのアジア・ツアークァルテットを聴いて戻ってくる」なんてアホなことにもなる。

ちなみに、昨日土曜日は北京の国家大劇院ではパヴェル・ハースQが演奏会をしていて、最初は日本にまで来る勢いだった。この他にも、マット・ハイモヴィッツが来ていたり、そういうもんまで加えると、もう訳が判らぬ。

室内楽系に関する限り、もうぶっちゃけ「チェンバー・ミュージック・アメリカ」みたいな主催者、演奏家、マネージャー横断的な室内楽のための団体を作って、そこで主催者が立ち話や飯でも喰いながら調整するくらいしかないのでありましょうが…20世紀終わり頃からのそんな夢は、今だ夢のままで現実に至る兆しすらありません。業界内の現場でそれとなく調整する努力はそれなりにあったものの(溜池のベートーヴェン全曲演奏と他の主催団体の日程を調整する、とか)、今年はそれぞれの団体や主催者さんの都合があったようで、うまく機能していなかったみたいですなぁ。

てなわけで、欧米と日本のシーズンギャップが生んだこんな現象は、まだ来週も続きます。困るのは来週の火曜日なんですよねぇ、ホント。

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溜池《大フーガ》対決:60余名VS4名 [音楽業界]

梅雨入り宣言があった途端に「梅雨の晴れ間」の爽やかをちょびっと通り越して暑いくらいの日差しが指した帝都の中枢、上空から取り組みを高みの見物するようにノンビリと横田飛行クラブのセスナも浮かぶ初夏の夕暮れの溜池。本日、此の地に音楽堂開設以来、畢竟の名勝負たろうオソロシーことが起きてしまいました。
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西の大横綱、今に残る究極の「20世紀オーケストラ」クリーヴランド管弦楽団が、連日喝采を浴びるベートーヴェン交響曲全曲演奏会の千秋楽、総勢60名以上の弦楽器奏者を大ホールの舞台にぎっちり並べる。かたや、スペイン拠点団体に拠る世界初のベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会を今シーズン欧州各地で繰り広げてきたカザルスQが、すっかり練り上げられた演目抱えてシーズンフィナーレに極東の帝都の室内楽お庭に参上。日曜日までの集中的チクルスが始まる。

かくて、大小空間の規模に違いあれど、楽聖の究極の楽譜のひとつに浸るべく集まった帝都老若男女の前で、空前絶後の《大フーガ》勝負が繰り広げられたのでありましたですっ!

いやぁ、これは困る。ホントに、困る。やくぺん先生ったら、どっちに座れば良いのやら。会場は隣、ってか、ロビーを共有する大小ふたつの並んだホール。開演時間は共に午後7時という帝都のスタンダードタイム。幸か不幸か、クリーヴランド管側はサイクル大トリの第9の前、前奏曲的な扱い。カザルスQは、《セリオーソ》で始めるという奇策でチクルスを開始し、後半に作品130の終楽章に置かれるのが《大フーガ》なのであーる。

てなわけで、結論から言えば、両方の主催者さんにふかあああぁく頭を下げ、クリーヴランド管の作品133弦楽合奏のための《大フーガ》を聴き、吹っ飛んでロビーに出て、カザルスQの作品130(終楽章《大フーガ》)を聴かせていただいた次第。ホント、演奏家の皆さんやスタッフの皆さんには失礼この上ないとは承知ながら、こればっかりは仕方ない。お許しあれ、演奏家の皆様、笑って眺めてくれ、遙か天上の楽聖さまっ。かくて、大ホール2階から室内楽のお庭に集まる人々を眺めるのであった。
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ちなみにクリーヴランド管の第9は、カザルスQの《セリオーソ》を聴き終えたところの某弦楽器雑誌編集者さんにお渡しし、腐らせることはありませんでした。編集者さんにとっては、悪魔の誘惑だったのであろーか…

※※※

まずはクリーヴランド管&シェフ様の弦楽合奏版でありまする。びっくりしたのは、その演奏者の数。このサイクル、オケ団員として給料払ってる弦楽器奏者全員動員したんじゃないかと思うような巨大編成で、第1ヴァイオリンが16人とか17人とか。本日もコントラバス9本がズラリと並ぶ。配置は今や珍しくなったストコフスキー配置というか、舞台表に第1ヴァイオリンとヴィオラが出て、上手側にコントラバスが居て、その前にチェロがゴッソリ座ってる、というもの。昨今流行のヴァイオリン対向配置ではありません。

結果から言えば、この配置のお陰で、5声部版《大フーガ》のチェロとコントラバスの関係が「別の声部」ではなくて「巨大な低声の響きの固まり」として響いてくることになる。なんせこちとらは普段は弦楽四重奏の4声でばかり聴いてるものだから、最初のフーガの後半からコントラバスが参加し始めるや、もうポリフォニーというよりも低音の壁がどかああああんと舞台上手側に立ち上がる、って感じ。

そんなことになるのは指揮者さんは百も承知でありましょうから、これはもう意図してやってることなのでしょう。良くも悪くも、猛烈な響きの固まりが舞台の上でグァングァンど突き合いをしてる。んで、フーガ部が終わるや、巨大な弱音のレガートの流れが優しく美しく鳴り渡り、その対比たるや猛烈なもんであります。

後半のフーガではコントラバス声部はほぼ参加しっぱなしになり、ふたつのフーガが随分と違って聞こえたのはなかなか面白かったです。

ただ、やっぱりこれだけ大編成だと、最後の「もう一回フーガいこーかなぁ、どーしよーかなぁ…やっぱりやーめた」って辺りが、なんだかちょっとノンビリした感じになっちゃうのは仕方ないことでありましょう。

第9を聴くべく会場に集まった2000余名の聴衆は、この曲のドラマ性の希薄さってか、アンチクライマックスぷりってか、どうお感じになられたのでしょうか。

後半のカザルスQによる作品130の終楽章としての《大フーガ》は、サイクル初日ということもあって、「長大なガリツィン・セットを締め括るバカでっかいフーガ」という設計ではありませんでした。あくまでもこの極めて特殊な格好の巨大弦楽四重奏はこういう風に終わりますよ、という造り方。合わなさ加減の微妙なバランスは、やっぱり指揮者さんがコントロールしちゃうと判らなくなっちゃうなぁ、とあらためて思わされた次第。

流石に今日は疲れたので、これでオシマイ。とにもかくにも、コントラバス声部が入るとかなり別物感が漂うということは、いかなアホのやくぺん先生でも嫌と言うほど判らされた勝負でありましたとさ。無論、勝負としては…異種間過ぎて試合成立せず、ってとこかしらね。

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